業績一覧

I.著書 IV.調査報告 VII.学会発表
II.編書 V.科研費成果報告 VIII.書評
III.論文 VI.翻訳 IX.その他


I.著 書

The Devimahatmya Paintings Preserved at the National Archives, Kathmandu. Bibliotheca Codicum Asiaticorum No. 9, Tokyo: The Centre for East Asian Cultural Studies for Unesco, March, 1995, 123pp., 124plates.(共著)

ネパール国立古文書館に所蔵されている『デーヴィーマーハートミヤ絵画集』の研究および図版集。『デーヴィーマーハートミヤ』はヒンドゥー教の聖典のひとつで、インドの女神崇拝の基本的なテクストである。本書は、この聖典に説かれる神話を題材とした124枚からなる水彩画をカラー図版で示し、あわせて、その概要、テクストとの対応、図像上の特徴などを総合的に論じた。


『ネパール国立古文書館所蔵『デーヴィーマーハートミヤ』絵画集』 ユネスコ東アジア文化研究センター(財団法人東洋文庫附置) 1995年3月、31頁。(共著)

上記研究・解説部分の日本語版。


『マンダラの密教儀礼』春秋社 1997年12月、252頁。

 従来、美術品として扱われることの多かったマンダラを「儀礼の装置」としてとらえ、インド仏教のサンスクリット文献を手がかりに、儀礼や実践におけるその機能やシンボリズムを解明した。また、人類学や美術史などの成果を援用し、学際的な視点からインド文化史上にマンダラを位置づけた。全体は、「マンダラとは何か」「インドの宗教儀礼」「マンダラを作る」「マンダラの図像学」「聖別の儀礼」「拡大するマンダラ」の6章から構成されている。


『インド密教の仏たち』春秋社 2001年2月、334頁。

本書は北東インドのベンガル、ビハール、オリッサ地方の作例を中心に、インドの密教図像の全体像を示す概説書。従来の仏教学では従属的な位置にあった図像作品を歴史資料として重視し、それらが生み出された文化史的背景を明らかにした。また、仏教文献から得られた知見を作品の解釈に反映させ、仏教学、美術史、考古学を横断する学際的研究を行った。


『仏のイメージを読む マンダラと浄土の仏たち』大法輪閣 2006年8月、274頁。

仏教美術のイコノロジーをあつかった一般書。仏教の代表的な尊格である観音菩薩、不動明王、阿弥陀如来、大日如来を取り上げ、それぞれの図像の特徴、関連する説話、インドから日本への展開、図像作品を生み出した信仰や実践などを総合的に解説する。とくに「聖なるものはいかにして顕現するか」という視点から、それぞれの尊格の出現方法とその姿に注目し、そこから各尊格の基本的な特徴や、信仰のあり方を明らかにした。


『生と死からはじめるマンダラ入門』法蔵館 2007年7月、222頁。


『マンダラ事典 100のキーワードで読み解く』春秋社 2008年、226頁。

II.編 書

Five Hundred Buddhist Deities. Senri Ethnological Reports No. 2. Senri: National Museum of Ethnology, March, 1995, 555pp.(共編著).
(増補改訂版が Five Hundred Buddhist Deities. Asian Iconography Series No. 1. New Delhi: Adroit, March, 2000として刊行)

 チベット仏教の伝える代表的な図像集『五百尊図像集』の復刻と研究からなる。本作品はパンチェン・ラマ4世の指導のもと19世紀初頭に開版された。これまで、木版画をトレースした比較的近年の白描画が公表されていただけであったが、本書はドイツのハンブルク大学に所蔵されているオリジナルの木版画を復刻したものである。チベット仏教図像学の基本的な資料として、その学術的価値はきわめて高い。


Three Hundred and Sixty Buddhist Deities. Asian Iconography Series No. 2. New Delhi: Adroit, 2001, 389pp.(共編著).

清代の中国で制作された「諸尊菩薩聖像讃」の復刻と研究。同書は1937年にE. ClarkによってTwo Lamaistic Panthoenの一部として発表され、チベット仏教図像学の基本的資料集として重視されていた。本書はそのオリジナル写真図版に解説、尊名リスト、索引を付して刊行した。Clark本では割愛されていた諸尊への讃偈もあわせて掲載したことで、さらに資料価値が高まることになった。


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III.論 文

「『完成せるヨーガの環』(Nispannayogavali)第21章「法界語自在マンダラ」訳およびテキスト」『法界マンダラの神々(国立民族学博物館研究報告別冊第7号)』長野泰彦・立川武蔵編 1989年3月 pp. 235-282。

 本書『法界語自在マンダラの神々』は国立民族学博物館の昭和60〜62年度の共同研究「Asianized Indiaの宗教と言語」の成果の一部である。インド複合文化の宗教図像研究の一環として、仏教の代表的なマンダラ「法界語自在マンダラ」を取り上げた。筆者の分担は13世紀にサンスクリットで著された『完成せるヨーガの環』の和訳研究ならびに校訂テキストの作成である。


「パーラ朝の守護尊・護法尊・財宝神の図像的特徴」『名古屋大学古川総合研究資料館報告』 第6号 1990年12月 pp. 69-111。

 7世紀から12世紀にかけてインド北東部に栄えたパーラ朝では、密教美術を主とした独特な美術様式が流行し、多くの遺品が残されている。筆者はこれらの作例の図像データを網羅的に収集し、尊名比定と図像学的特徴の解明を行った。このうち、守護尊、護法尊、財宝神と呼ばれるグループの作品について、これらの成果を公表した。


「Abhayakaragupta のマンダラ儀軌 Vajravali 」『印度学仏教学研究』第39巻第2号 1991年3月 pp. 197-199(横組)。

 アバヤーカラグプタ(11-12世紀)はインド密教の中心的僧院であったヴィクラマシーラ寺の座主をつとめた高名な学僧である。彼の代表的な著作であるマンダラ儀軌書『ヴァジュラーヴァリー』を取り上げ、内容の紹介、執筆年代の確定、執筆の動機を彼の他の著作などを援用しながら明らかにした。


「インド密教儀礼における水」『国立民族学博物館研究報告』 第15巻 第4号 1991年3月 pp. 1013-1047。

 宗教儀礼で重要な役割を果たす水をとりあげ、その機能や意味をインドの密教儀礼を中心に考察した。インドの諸宗教の儀礼で用いられる水には、礼拝の対象に捧げられる水と、儀礼行為者自身に向けられる水の2種類がある。密教儀礼では4種類の水が用いられること、これらの水も2種類のタイプに分類できるが、時代とともに意味の混乱が見られることを、日本やチベットの事例も参照しつつ明らかにした。


「インド密教における建築儀礼 : Vajravali nama mandalopayika訳(1)」『名古屋大学文学部研究論集』 第111巻 1991年3月 pp. 53-73。

 アバヤーカラグプタのマンダラ儀軌書『ヴァジュラーヴァリー』を中心に、インド密教において僧院などを建立するときに行われる建築儀礼について考察した。ヒンドゥー建築儀礼との比較を通して、インド密教の建築儀礼が、実務的レヴェルでは「汎インド文化」とも呼ぶことのできるインド基層文化の一部を形成していたことが明らかになった。『ヴァジュラーヴァリー』の該当部分の翻訳を含む。


「十忿怒尊のイメージをめぐる考察」『仏教の受容と変容3 チベット・ネパール編』立川武蔵編 佼成出版社 1991年12月 pp. 291-324。

 本論文の掲載書は、異文化によるインド仏教の受容と変容を扱った叢書に属し、チベット、ネパールの二部から構成される。筆者はインド密教の受容と変容を担当した。父タントラ系のマンダラを構成する「十忿怒尊」と呼ばれるグループをとりあげ、インドにおける十忿怒尊のイメージの形成と、チベット、ネパールでの受容と変容を文献資料と図像資料を用いて、通時的視点から明らかにした。


「『ヴァジュラーヴァリー』と『マンダラ儀軌四百五十頌』」『印度学仏教学研究』 第40巻第2号 1992年3月 pp. 188-191(横組)。

 アバヤーカラグプタのマンダラ儀軌書『ヴァジュラーヴァリー』と、先行文献であるディーパンカラバドラの『マンダラ儀軌四百五十頌』およびラトナーカラシャーンティの『マンダラ儀軌四百五十頌註』との関係を考察した。引用文や類似の内容の比較から、前者の成立の後の二文献が大きくかかわっていたことを示し、『ヴァジュラーヴァリー』がジュニャーナパーダの著作にもとづくという従来の学説に再考を促した。


「インド密教における結界法: Vajravali nama mandalopayika訳(2)」『名古屋大学文学部研究論集』 第114巻 1992年3月 pp. 89-109。

 宗教的空間の形成方法とその意味を、インド密教の文脈で明らかにした。「結界」は仏教用語であるが、本稿では日常的な空間の中に作られる特別な空間、あるいは空間と空間との境界を指す語として用い、宗教学的な一概念としてあつかった。結界を行うための手段が「結界法」である。インド密教の歴史の中で結界法がどのように展開したか、また結界法は具体的にどのような儀礼であったかを、漢訳経典、サンスクリット文献等から示した。


「観想上のマンダラと儀礼のためのマンダラ」『日本仏教学会年報』第57巻 1992年5月 pp. 73-90。(日本仏教学会編『仏教における心と形』平楽寺書店 1992年10月 pp. 73-90に再録)

 インド密教におけるマンダラのイメージを、当時の文献を手がかりにして明らかにした。インド密教の実践のレヴェルでは、瞑想などの中でイメージされる観想上の三次元のマンダラと、儀礼の中で実際に作られる二次元のマンダラの二種類が存在した。そして、マンダラは本質的には立体的な構造をとり、便宜的に平面に表現したという従来の学説を批判し、儀礼のための平面的なマンダラが、観想上の立体的なマンダラのモデルとなっていることを解明した。


「インド密教における入門儀礼」『南アジア研究』 第4号 1992年10月 pp. 15-32。(宮坂宥勝・松長有慶・頼富本宏編『密教大系 第九巻 密教の実践』 法蔵館 1994年12月 pp. 426-477に再録)

 インド密教における代表的なイニシエーション、アビシェーカ(灌頂)をとりあげ、この儀礼の全体像を文献から再構築した。これをふまえて、アビシェーカの儀礼全体が「死と再生」の構造をとることと、儀礼の中で重要な働きを持つ「言葉」の機能を明らかにし、言葉の類型からインド密教の入門儀礼の特質を明らかにした。


「マハーマーヤーの成就法」『密教図像』 第11号 1992年12月 pp. 23-43。

 「大宇宙と小宇宙の本質的同一性」というインド神秘思想の中心的課題が、インド密教の個人的な実践方法の中で、どのようにあつかわれているかを検証した。利用した文献は12世紀頃までに成立したと考えられるサンスクリット文献『成就法の花環』で、この中に含まれる「マハーマーヤー成就法」という長文の成就法におもに依拠した。インド密教の実践方法に固有なプロセスで、2種の宇宙の同一性が確認されることが明らかになった。


「護摩修法と火炉に関する一考察」『名古屋大学文学部研究論集』 第117巻 1993年3月 pp. 35-52。

本論文はインド密教の護摩儀礼(homa)についての研究である。護摩は日本やチベットなど密教儀礼を受け継ぐ諸地域で実践される宗教儀礼で、ヴェーダの祭式以来の伝統を持つが、インド後期密教の護摩については、これまでほとんど研究がなされていない。ここでは護摩の装置である火炉に着目し、実践内容の相違と火炉の形態とがどのような関係にあったかを、当時の文献を手がかりにして明らかにした。


「アバヤーカラグプタの灌頂論」『印度学仏教学研究』第41巻 第2号1993年3月 pp. 234-242(横組)。

 インド密教の代表的なイニシエーションである灌頂をとりあげ、当時の宗教的エリートとも呼ぶべきアバヤーカラグプタが、儀礼に対していだいていた考えを、儀礼の構成、典拠、解釈という三つの視点から示した。


"Ratnakarasanti's Sadhana Literature: Sanskrit text and Tibetan translation of the Mahamayasadhana". Studies in Original Buddhism and Mahayana Buddhism in Commemoration of Late Professor Dr. Fumimaro Watanabe (Ed. by Egaku Mayeda) 2 vols. Kyoto, Nagatabunshodo, May, 1993, pp. 131-152(in Vol. 1).

 インド密教の基本的な実践方法である成就法の集成書『成就法の花環』のサンスクリット・テクストとチベット訳テクストのクリティカル・エディションの一部である。ここでとりあげたのは11世紀に活躍したラトナーカラシャーンティによる「マハーマーヤー成就法」である。7種類のサンスクリット写本と3種類のチベット語版本を利用した。


「賢劫十六尊の構成と表現」『宮坂宥勝博士古稀記念論文集 インド学密教学研究』 法蔵館 1993年5月 pp. 909-937。

 日本の金剛界曼荼羅の外院に配される16尊の菩薩、賢劫十六尊は、その配列と名称に異同があることが古来より指摘されてきた。本論文は賢劫十六尊のこの混乱がインドにまではさかのぼり得ず、日本独自のものであること、チベット・ネパールの賢劫十六尊が日本のそれとは異なる表現方法をとることを検証した。また日本の賢劫十六尊に見られる混乱が文献資料のみに認められ、図像作品には現れないことを確認した。


「サンヴァラマンダラの図像学的考察」『曼荼羅と輪廻 : その思想と美術』立川武蔵編 佼成出版社 1993年12月 pp. 206-234。

 インド後期密教の代表的なマンダラであるサンヴァラ・マンダラをとりあげ、その構造とシンボリズムを明らかにするとともに、現存する図像作品との関係も考察した。そして、これまでこのマンダラをとらえるときに用いられた「屍林の宗教」という概念に対し、「時間表象としてのマンダラ」というあらたな視点を提唱した。


「インド密教における護摩儀礼の展開」『印度学仏教学研究』第42巻第1号 1993年12月 pp. 127-135(横組)。

 代表的な密教儀礼のひとつである護摩のインドにおける展開をあつかった。護摩儀礼を構成するさまざまな儀礼要素に検討を加えることで、「四種法」として体系化された背景に、明確な二項対立が読みとれること、そして、それはインドにおいては時代が下るほど顕著になることを明らかにした。サンスクリット文献を中心に、チベット語や漢訳で残されている諸文献を参照した。


「『完成せるヨーガの環』第1章「文殊金剛マンダラ」訳およびテキスト」『高野山大学密教文化研究所紀要』第7号 1994年3月 pp. 113-142。

 13世紀に著されたマンダラ観想のための理論書『完成せるヨーガの環』の第1章の和訳研究と、同章のサンスクリット・テクストとチベット訳テクストのクリティカル・エディションである。インド密教の代表的なマンダラで、チベット仏教でも重視された「秘密集会マンダラ」をあつかう。和訳に際してはインドおよびチベットで著された注釈書類を参照した。また、現存するサンスクリット写本15本を用いて、校訂本を作成した。


「密教儀礼と聖なる空間」『日本仏教学会年報』第59 1994年5月 pp. 105-121(横組)。(日本仏教学会編『仏教における聖と俗』平楽寺書店 1994年8月 pp. 105-121に再録)

 「インド密教における空間認識」というテーマで、密教空間のモデルと、その構造上の特徴を考察した。その結果、インド密教徒の有する空間モデルは、宗教儀礼や実践と結び付いたきわめて主観的な空間であること、さらに、複数の視点から空間がとらえられていることを明らかにした。密教文献のみならず、インド、チベット、ネパールに現存する造型作品や寺院の構造などの具体例をとりあげることで、宗教学や美術史、建築学などの分野にも問題提起を行った。


「インド密教におけるバリ儀礼」『高野山大学密教文化研究所紀要』第8号 1994年12月 pp. 174-204。

 バリ儀礼とは下級神や鬼神などに対する施食の儀礼である。ヴェーダ文献にも言及され、古代より行われていたことが知られ、仏教に取り入れられた後も、日本やチベットにもその伝統が伝えられた。本論文はこのバリ儀礼について、サンスクリットの密教文献から詳細な情報を取り出すとともに、ヒンドゥー教の諸文献に見られる同種の儀礼との比較を通じて、その歴史的な意義や、儀礼体系における機能を考察した。


「インド後期密教の儀礼文献の構成」『南アジア・東南アジアにおける宗教、儀礼、社会    「正統」、ダルマの波及、形成と変容』(Monumenta Serindica No. 26)石井 溥編 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 1995年3月 pp. 19-34。

 すでに失われた密教儀礼の世界を再構築するときに、その情報源となる儀礼文献がいかなる法則で著されているかを、サンスクリット文献から明らかにした。密教のイニシエーションをあつかいながら、一方では純粋にマニュアルとして作られた文献と、統合的な解説書として作られた文献の二つを比較して、情報の取捨選択の基準や、項目の配列などに、文面には現れない著者自身の記述のルールが存在していることを実証した。


「インド密教におけるプラティシュター」『高野山大学密教文化研究所紀要』第9号 1995年12月 pp. 27-65。

 プラティシュターとは神像(イコン)や寺院などが完成したときに行われる儀礼で、仏教とヒンドゥー教の別なく、古くよりインド世界で広く行われ、現在でもその伝統が受け継がれている。本論文は密教文献に説かれるこのプラティシュターの儀礼を紹介し、ヒンドゥー儀礼との比較も行った。さらに、弟子のイニシエーションである灌頂との構造上の対応を指摘し、灌頂儀礼の形成にプラティシュターが関与したのではないかという問題提起を行った。


「インド密教におけるプラティシュターの構造」『印度学仏教学研究』第44巻第2号 1996年3月 pp. 159-163。

 上記論文と同じく、プラティシュターと呼ばれる儀礼をあつかい、その概要を示すとともに、とくに儀礼の構造について考察を行った。


「パーラ朝の文殊の図像学的特徴」『高野山大学論叢』 第31巻 1996年3月 pp. 55-98。

 ベンガル・ビハール地方を中心に栄えたパーラ朝美術に関する研究成果の一部。菩薩のグループの中で、観音についで人気のあった文殊をとりあげ、その図像学的特徴について考察した。ポスト・グプタ期以来の造像の伝統とともに、この時代には密教系の文殊が登場し、文献上の記述にもよく合致する作例が多数出土していることが明らかになった。


「マンダラの形態の歴史的変遷」『マンダラ宇宙論』(立川武蔵編)法蔵館 1996年9月 pp. 143-173。

 1995年に国立民族学博物館で行われた「アジア・太平洋地域における民族文化の研究」第6回シンポジウム「マンダラと自己」において発表した内容をまとめたものである。インド密教史の中のマンダラの形態上の変化をたどり、そこに見られる一貫した形態的特徴が、マンダラを用いた実践に深く関与していることを明らかにした。


「『完成せるヨーガの環』第11章「ヴァジュラフーンカーラ・マンダラ」訳およびテキスト」『高野山大学創立百十周年記念 高野山大学論文集』高野山大学 1996年9月 pp. 101-124。

 上述の論文に続く、一連の和訳研究と、サンスクリット・テクストとチベット訳テクストのクリティカル・エディションのひとつ。母タントラ系のマンダラである「ヴァジュラフーンカーラ・マンダラ」は、結界法において勧請されるマンダラとしても重要である。その中尊は降三世明王の名としても知られ、わが国にも多くの作例が残されている。ここに含まれる図像学上の情報は、日本の図像研究にも有益である。


「『完成せるヨーガの環』の成立に関する一考察」『密教図像』第15号 1996年10月、pp. 28-42。

 13世紀に著されたマンダラ理論書『完成せるヨーガの環』は、これまでも多くの研究者によってとりあげられてきたが、本書に含まれる約30種のマンダラの配列の基準については、明確な説明がなされてこなかった。本論文では、同じ著者によるマンダラ儀軌書『ヴァジュラーヴァリー』を視野に入れることで、この問題を解決し、あわせて、本書が執筆されたときに参照された文献も示し、文献成立の背景を明らかにした。


「オリッサ州立博物館の密教美術」『高野山大学密教文化研究所紀要』第10号 1997年1月、pp. 29-70。

 インドのオリッサ州ブバネシュワル市にあるオリッサ州立博物館に収蔵されている密教図像の研究。主要な作品について、図像学的な特徴と類型との比較を行い、各作品の美術史上の重要性を明らかにした。あわせて、カラー図版4点、白黒図版40点を掲載し、研究者の便をはかった。文部省科学研究費による「オリッサ州カタック地区の密教図像の研究」の成果の一部。


「ペンコルチューデ仏塔第5層の『金剛頂経』所説のマンダラ」『チベット仏教図像研究   ペンコルチューデ仏塔(国立民族学博物館研究報告別冊 第18号)』(立川武蔵・正木晃編)1997年3月、pp. 269-318。

 チベットのツァン地方にある高名な寺院ペンコルチューデに関する総合的な図像研究のひとつ。仏塔の第五層の壁画に描かれた『金剛頂経』を典拠とする40種のマンダラについて、図像学的な特徴と各マンダラの尊格構成を明らかにし、典拠である『金剛頂経』とその注釈書『タットヴァ・アーローカ・カリー』との対応を示した。40種のマンダラすべてについて尊名比定を行ったのは、本稿が世界ではじめてである。


「インドの密教美術とピヤン・トンガ遺跡」『西西蔵(チベット)石窟遺跡』頼富本宏監修 集英社、1997年11月 pp. 117-124。

 西チベットのピヤン、そしてトンガと呼ばれる地に、90年代前半に発見された石窟壁画の研究報告書の一部。本稿では、壁画に見られるインド的要素を、尊像の種類、建築の構造、装飾モチーフという3点から探索し、さらに、壁画に描かれたマンダラの比定と、その密教史上における重要性を指摘した。この石窟群の壁画がまとまって発表されたのは、本書がはじめてである。


「パーラ朝の金剛手・金剛薩○の図像学的特徴」『密教図像』第16号 1997年12月 pp. 35-58。

 一連のパーラ朝の仏教美術研究の成果のひとつ(参考 Nos. 7, 29, 37)。本稿では菩薩の中に含まれる金剛手と金剛薩睡をとりあげた。密教が栄えた地域をパーラ朝の版図であったベンガル・ビハール地方と、その南に位置するオリッサ地方に二分し、それぞれの地域から出土したこの2尊の作例から、オリッサの金剛手に独自の図像上の伝統があること、そして、それは西インドとの結びつきが想定されることを指摘した。


「パーラ朝の弥勒の図像学的特徴」『高野山大学密教文化研究所紀要』第11号 1998年3月 pp. 1-38。

 一連のパーラ朝の仏教美術研究の成果のひとつ。重要な菩薩のひとりである弥勒をとりあげ、現存する作例から図像上の特徴の確定を行った。弥勒の場合、他の菩薩と異なり、仏の脇侍として表現された例が多く、その中でもベンガル地方の作品には、他の地域とは異なる特徴が顕著であることが明らかになった。一連のパーラ美術研究を通じて、インドの密教美術の地域性が浮彫にされた。


"The Synopsis of the Consecration Ceremony in the sNgags-rim chen-po (Chpaters V-X)". Mikkyo Bunka(密教文化), Vol. 199/200, March 1998, pp. 1-19.

チベット仏教の最も重要な人物であるツォンカパ・ロサン・タクパの主著『真言道次第』の研究。灌頂儀礼をあつかった同書の第5章から第10章のシノプシス全体を示し、密教儀礼に対するツォンカパの立場や見解を明らかにした。テクストには、北京版とタシルンポ版の2版を使用し、海外の研究者の便宜を図って、英文で執筆した。


「密教儀礼の成立に関する一考察  アビシェーカとプラティシュター」松長有慶編『インド密教の形成と展開』法蔵館、1998年7月、pp. 305-328(初出は松長有慶代表『大乗仏教における密教の形成過程の研究』平成7〜9年度科学研究費補助金 基盤研究B研究成果報告書、1998年3月 pp. 151-165)。 

 「大乗仏教における密教の形成過程の研究」という課題のもとで行われた共同研究の成果の一部。「密教儀礼の形成」をテーマに研究を行った。とくに灌頂儀礼をとりあげ、その起源が大乗仏教に見いだされないことと、従来言われてきた「古代インドの国王即位式に範をとった」という説を否定し、プラティシュターと呼ばれる聖別式に直接結びつきを持ち、ヒンドゥー儀礼のプラティシュターの影響を強く受けて成立したことを明らかにした。


「ツィンマーマン・コレクションの「ヴァジュラーヴァリー四曼荼羅」: チベットにおけるマンダラ伝承の一事例  」『美術史』第145冊 1998年10月 pp.64-81。

 15世紀にチベットのツァン地方で制作された「ヴァジュラーヴァリー・マンダラ集」と呼ばれる14輻からなる絵画の研究。この作品がサキャ派の名刹ゴル寺に関連を持ち、制作を指示したゴル派の創設者の意図が強く反映されていること、作品の典拠となったインドの文献とはマンダラの配列の順序が異なり、その背景にはチベット人によるマンダラ受容の歴史があることを明らかにした。


「オリッサ州カタック地区の密教美術」『国立民族学博物館研究報告』第23巻第2号、1998年12月 pp. 359-536。

 インドのオリッサ州カタック地区における仏教遺跡の現地調査をふまえ、主要な遺跡の最新の現状を伝えるとともに、各遺跡からの出土品の傾向、尊像の種類ごとの出土状況と、それぞれの図像上の特徴の確定を行った。さらに、ベンガル、ビハール地方の密教美術との比較によって、この地域の作例の独自性を明らかにし、インドの密教美術の構造的な理解を可能にした。後半には「オリッサ州出土仏教図像作例リスト」として、現存する600点近くの作品について、網羅的なリストを示した。さらに、160点のモノクロームの写真図版を添付することで、図像資料集としても活用されることをめざした。


「集会樹の造型と儀礼」『印度学仏教学研究』第47巻第1号 1998年12月 pp. 194-200(横組)。

 チベットの密教美術の独特の形式である集会樹(tshogs shing)に関して、その図像内容の解明と宗教美術としての特質を明らかにした。ボストン美術館所蔵の釈迦を中心とした集会樹をとりあげ、画面に登場する尊格や人物の比定の解明、それぞれの図像上の特徴の解明を行った。そしてほとんどの尊容に既存の図像集からの転用が見られることを示すとともに、画面上の配列にも、チベットのタンカ一般と共通性が認められることを明らかにした。


「『アビサマヤ・ムクター・マーラー』所説の108マンダラ」『高野山大学密教文化研究所紀要』第12号 1999年2月 pp. 1-93(横組)。

『アビサマヤ・ムクター・マーラー』は12世紀から13世紀にかけて、北インドで活躍した密教行者ミトラヨーギンが著したマンダラ観想法の書。同書にはこれまでほとんど知られていなかったこの時代のマンダラに関する重要な情報が多数含まれている。本論文は同書の概要を明らかにするとともに、現存する同書のチベット訳テキストにもとづいて、108種類のマンダラのすべての名称と各マンダラを構成する尊格名などを示した。


「ミトラヨーギン著『アビサマヤ・ムクター・マーラー』所説のマンダラ」『密教学研究』第31号 1999年3月 pp. 55-88。

西暦1200年頃に編纂されたマンダラ観想の集成書『アビサマヤ・ムクター・マーラー』について、作者ミトラヨーギン、文献の概要、成立の背景、後世のチベット密教に与えた影響などについて論じた。とくに、この文献に先行し、同書に大きな影響を与えたアバヤーカラグプタの『ニシュパンナヨーガーバリー』との関係を明らかにした。平成11年度日本密教学会賞受賞論文。


「灌頂儀礼」立川武蔵・頼富本宏編『シリーズ密教 第1巻 インド密教』 春秋社1999年5月 pp. 194-208。

 インド密教の総合的概説書の分担執筆。密教の最も重要な儀礼である灌頂について、成立の教義的背景、歴史的変遷、儀式の概要などを明らかにした。とくに、灌頂の起源については、大乗経典に見られる菩薩思想と、それと結びついた王権儀礼が重要な役割を果たしたことを指摘した。また、インド密教の歴史の中で、各時代の灌頂の独自性と、それを貫く連続性を示した。


「マンダラの形と機能」立川武蔵・頼富本宏編『シリーズ密教 第2巻 チベット密教』 春秋社 1999年8月 pp. 135-160。

 チベット密教の総合的概説書の一部。インドで成立したマンダラの形態と機能が、チベットにおいてどのように受け継がれ、独自の展開を示したかを明らかにした。チベット美術史の代表的なマンダラとして、ラダックのアルチ寺三層堂、ギャンツェのペンコルチューデ仏塔、ゴル寺の『タントラ部集成』のマンダラ集などを取り上げ、儀礼や実践との結び付けを次第に薄め、装飾性が重視されていったことなどを指摘した。


「オリッサ出土の四臂観音:密教図像の成立に関する一考察」『高野山大学密教文化研究所紀要別冊(密教の形成と流伝)』第2号 2000年1月 pp. 119-145。

 東インドオリッサ州の密教美術に関する一連の研究のひとつ。この地から出土した四臂観音について、とくにウダヤギリの作品を取り上げ、図像学的考察と様式史的分析を行った。その結果、この作品は『不空羂索神変真言経』に説かれる「補陀洛山の観音」に近い内容をもっていること、様式的には東インドや東北インドよりも、西インドの石窟寺院の作品群に密接な関係を持つことを明らかにした。


「インド密教における成就法と儀礼」『高野山大学論叢』第35巻 2000年2月 pp. 23-43(横組)。

 密教の代表的な実践法である「成就法」(サーダナ)について、その具体的な内容と意味を、インドの密教文献にもとづいて明らかにした。そして、成就法の構造が、インドにおける宗教儀礼の基本的な枠組みを踏襲していること、また、成就法そのものが、儀礼の文脈を離れては理解し得ないことを指摘した。


「青海省同仁県のポン教寺院」『高野山大学密教文化研究所紀要』第13号 2000年2月 pp. 1-86(横組)。

 ポン教研究はチベット学の中でも未開拓な分野で、世界的にも研究の蓄積がほとんどない。この論文は未発表のポン教の造形作品の図版を多数収録し、その図像体系を解明するための基礎的な研究に位置づけられる。さらに寺院内のプランと絵画や彫刻の配置から、寺院構造の象徴的な意味の解明も行っている。写真図版112点所収。


"The Bon deities depicted in the wall paintings in the Bon-rgya monastery", S. Karmay & Y. Nagano eds. New Horizons in Bon Culture in Tibet, Senri Bon Studies 2, Ethnological Reports 15, National Museum of Ethnology, July, 2000, pp. 509-549.

 所収書は1999年に国立民族学博物館で行われた国際シンポジウム「ポン教研究の新地平」の報告集。このシンポジウムは、近年、欧米において研究の進展の著しいチベットのポン教について、人類学、歴史学、宗教学、言語学などの立場から、内外の研究者20余名が集まって行われた。当該論文は、中国の青海省におけるフィールドワークをふまえ、ポン教寺院の概要と、寺院内部にある造型作品の内容、寺院構造のシンボリズムなどに関するものである。


「解体されるマンダラ: タンカの画面構成に関する一考察」『加藤純章博士還暦記念論集 アビダルマ仏教とインド思想』春秋社 2000年10月、pp. 373-386。

 チベットの仏教絵画に見られる画面構成の原理の変化を、実際の作例をもとに通時的視点から明らかにした。タンカと総称されるチベットの仏教絵画は、単なる情景画や肖像画ではなく、チベット仏教の実践や造型の伝統に根ざした独特な法則によって支配されている。このような原理や法則を、マンダラとの形式上の比較を通じて明らかにし、宗教美術の表現形式とそれが意味するものについて考察した。


「時輪マンダラの墨打ち法」『高木しん元博士古稀記念論集 仏教文化の諸相』山喜房仏書林 2000年11月 pp. 345-364。

 インド密教の最終的段階において成立した『時輪タントラ』には、壮大な規模を持った時輪マンダラが説かれている。これは、インドにおけるマンダラのひとつの完成形態を示すとともに、後世のチベット密教における最重要のマンダラのひとつと見なされた。独自の構造を持つため、従来、未解明であったこのマンダラの構造を、サンスクリット文献から再構築し、各部の名称や象徴的な意味を明らかにした。さらに、これ以前のマンダラとの構造上の比較も行った。


「仏教における殺しと救い」立川武蔵編『癒しと救い:アジアの宗教的伝統に学ぶ』 玉川大学出版部 2001年2月 pp. 154-171。

 本書は国立民族学博物館で行われた共同研究「癒しと救いの民族学的研究」の成果として刊行された。宗教学、人類学、歴史学、社会学等にまたがる学際的視点から、現代社会における宗教の果たす役割を考察する。担当した第8章では、仏教の文献に「死による救済」がしばしば見られることを指摘した上で、とくに鬼子母神とアングリマーラに関する伝説を取り上げ、その意義を分析した。


「『ヴァジュラーヴァリー』所説のマンダラ:尊名リストおよび配置図」『高野山大学密教文化研究所紀要』第14号 2001年2月、pp. 1-117(横組)。

 インド後期密教のマンダラ関連文献として重要なアバヤーカラグプタの『ヴァジュラーヴァリー』には26種のマンダラが説かれ、それらには合計すると2千以上の尊格が含まれるが、そのサンスクリット名とチベット名、マンダラで表される場合のシンボルを、サンスクリット写本等から抽出して提示した。配置図も同書所説のマンダラの形態にしたがって復元したものである。


「仏教学と図像研究」『日本仏教学会年報』第66号 2001年5月、pp. 195-209(日本仏教学会編『仏教をいかに学ぶか: 仏教研究の方法論的反省』平楽寺書店 2001年10月 pp. 195-209に再録)。

 仏教学における方法論をテーマとする論文集。仏教学と図像研究の連携によって、いかなる成果が可能であるかを論じた。歴史研究において図像資料が果たす役割が重視される傾向にあることをふまえ、従来までの仏教美術史研究や仏教学では、それぞれの孤立的な研究では限界があることを指摘した。その上で、図像資料を広い意味で「テキスト」とみなすことの有効性を、具体的な例を挙げて論じた。


「ボストン美術館所蔵「カーラチャクラと諸尊図」」『金沢大学文学部論集 行動科学・哲学編』第22号 2002年3月、pp. 85-104。

標題の作品が、アバヤーカラグプタによって著されたマンダラに関する二著作と密接な関係を持った作品であり、同じくこれらの文献にもとづくチベットのサキャ派のマンダラ集や、『五百尊図像集』と呼ばれる木版画のセットと比較して、より二著作に近い内容をそなえていることを明らかにした。その結果、チベットにおけるマンダラの伝承の中で、重要な位置を占める作品であることを論証した。


「インドの不空羂索観音像」『佛教藝術』262号 2002年5月、pp. 43-67。

 不空羂索観音は代表的な変化観音でありながら、主要な経典や儀軌類に見られるその図像は多様で、インドの作例を文献からこの観音に同定することは困難であった。この論文では不空羂索という名称の本来の意味、新出の原典を含む経典の記述、主として羂索を持物とする東インドの作例を再検討し、羂索の有無のみによる比定の限界と、当時の宗教実践を視野に入れた考察の必要性を指摘した。


"The Kalacakra and Tantric Deities Preserved in the Boston Museum of Fine Arts", Buddhist and Indian Studies in Hounour of Professor Sodo Mori. Hamamatsu: Kokusai Bukkyoto Kyokai, 2002, pp. 267-284.

上記「ボストン美術館所蔵「カーラチャクラと諸尊図」」の英語版。


「ヴァーストゥナーガに関する考察」『東洋文化研究所紀要』第142冊 2003年3月、pp. 219-263。

 ヴァーストゥナーガとは「敷地のナーガ」を意味する。インドで寺院などの宗教的な施設を建築するときに、建築儀礼の一部として、建築予定の敷地にヴァーストゥナーガは描かれる。密教儀礼ではマンダラを製作するときにも、これからマンダラを描く地面にこのナーガは描かれる。これはマンダラが仏たちの住む「家」であり、その製作方法が、インドにおける伝統的な寺院建築儀礼を踏襲しているためである。
 密教の儀礼文献の中でヴァーストゥナーガを説くものに、アバヤーカラグプタの『ヴァジュラーヴァリー』、ジャガッドダルパナの『阿闍梨所作集成』、クラダッタの『所作集』がある。また、タターガタヴァジュラ、ディヴァーカラチャンドラ、ラトナラクシタ、プラジュニャーラクシタ、ドゥルジャヤチャンドラの儀軌・注釈書類にも、ヴァーストゥナーガの儀礼に関する記述が含まれる。さらに、ヴァーストゥナーガの儀礼は一部のヒンドゥーの建築書でも言及されている。『シルパプラカーシャ』や『ヴァーストゥヴィドヤー』などがそれである。
 一方、ヴァーストゥナーガの儀礼はネパールやチベットでは伝統的な建築儀礼の一部として、現在に至るまで行われている。
 本稿ではこれらの文献や図像資料に含まれるヴァーストゥナーガの儀礼を紹介するとともに、資料間に認められるおもな相違点を指揮する。とくに、密教文献とヒンドゥーの建築書との間に見られる儀礼の目的の相違を、実質的な建築儀礼から、形式化されたマンダラ製作儀礼への変化から説明する。


「集会樹にみられる宗教実践とイメージ」『金沢大学文学部論集 行動科学・哲学編』第23号 2003年3月、pp. 63-98(「集会樹にみられる宗教実践と美術」『宗教美術における視覚的イメージの機能と使用方法: 仏教・キリスト教美術の比較研究』平成12・13年度科学研究費補助金基盤研究B(1)研究成果報告書・宮治昭代表 2002年3月、pp. 59-92を一部改訂)

ツォクシン(集会樹)とはチベット仏教絵画の形式のひとつで、巨大な木を背景に尊格や祖師たちの姿を描く。本論文は、ツォクシンの種類や形態を明らかにした上で、この作品がチベット仏教の儀礼や実践と密接な関係を有していること、その図像には既存の絵画作品や図像集のイメージが転用されていることを明らかにした。さらにマンダラとの比較から、チベットにおける世界表象の独自性を指摘した。


「密教文献に説かれるヴァーストゥナーガ」『高野山大学密教文化研究所紀要』第16号 2003年3月、pp. 21-49。

建築儀礼やマンダラの制作儀礼に登場するヴァーストゥナーガ(敷地のナーガ)に関する基本的な資料を集成した。『ヴァジュラーヴァリー』『阿闍梨所作集成』『所作集』五種のマンダラ儀軌について、サンスクリット・テキスト(一部は現存せず)とチベット訳テキストの校訂テキストを提示した。これによって、インドの密教文献に説かれるヴァーストゥナーガの情報が、ほぼ網羅された。


「空海の芸術観:芸術と儀礼」『密教の聖者 空海』高木しん元 岡本圭真編 吉川弘文館 2003年11月 pp. 184-200。

本書は日本仏教史上の重要な僧侶を取り上げた「日本の名僧」シリーズの一冊で、空海をあつかう。その第八章に相当する本論は、空海がもたらしたマンダラをはじめとする密教芸術が、いかなる意義を有するかを紹介する。とくに、東寺講堂、高野山、神護寺などに見られる儀礼空間が、密教美術と密接な関係にあることを明らかにし、そこに空海の芸術観の独自性があることを指摘した。


「金剛界マンダラのヒンドゥー神」『小野塚幾澄博士古稀記念論文集 空海の思想と文化』ノンブル社、pp. 523-543。

 日本密教で最も重視されるマンダラのひとつ金剛界マンダラには、ヒンドゥー教に起源を持つ神々のグループが含まれる。このマンダラの典拠となる『金剛頂経』に対して著されたアーナンダガルバの註釈書には、これらの神々の具体的な説明が含まれる。本論文は同書のチベット訳テキストから、それを抽出して示した上で、ヒンドゥー教の神々の体系の中では、それらが特異な組み合わせであることを明らかにした。


「『ヴァジュラーヴァリー』「墨打ちの儀軌」和訳(上)」『金沢大学文学部論集 行動科学・哲学編』第24号 2004年3月、pp. 71-117。

 アバヤーカラグプタの『ヴァジュラーヴァリー』には26種のマンダラの制作方法が説かれている。これらは12世紀のインドで流布していた主要なマンダラと考えられる。同書の「墨打ちの儀軌」すなわちマンダラの輪郭線を引く方法を解説した部分を、サンスクリット・テキストとチベット語訳テキストにもとづいて、詳細な訳註をくわえて翻訳を行うことで、当時のマンダラの具体的なイメージを再現した。前半部分は26種のマンダラに共通する部分が取り上げられている。


「チベットのポン教における聖なるものの形」頼富本宏編『聖なるものの形と場』法蔵館 2004年3月、pp. 423-451。

日本文化研究センターで開催された共同研究「聖なるものの形と場」の成果のひとつ。担当箇所では、チベットの土着の宗教とされるポン教を取り上げ、ポン教の神々の体系と、その具体的なイメージを明らかにした。ポン教の美術研究はわが国ではほとんどなく、海外でも限られている。本研究ではポン教における聖なるもののイメージの体系を明らかにするとともに、仏教美術との対比から、ポン教美術の持つ独自性も示した。


"The Vastunaga ritual described in Tsong-kha-pa's sNgags-rim chen-po", Hino S. and T. Wasa eds. Three Mountains and Seven Rivers: Prof. Musashi Tachikawa's Felicitation Volume. Dellhi Motilal Banarsidaass, pp. 843-856.

 建築儀礼やマンダラの制作儀礼に登場するヴァーストゥナーガ(敷地のナーガ)を、チベット仏教のゲルク派の開祖ツォンカパ・ロサン・タクパが、その主著のひとつ『真言道次第』において、どのようにとらえているかを明らかにした。ツォンカパはヴァーストゥナーガに関する儀礼の多様性を、さまざまな文献をあげて示すが、そこから標準的な方法を抽出しようと努力していたことがわかる。該当個所の翻訳と校訂テキストを含む。


「インド密教における聖地と巡礼」『東洋文化研究所紀要』第144冊 2004年12月 pp. 177-232。

 インド密教においていかなる聖地があり、人々がそれをどのように巡礼したかを総合的に論じた。この分野での従来の研究が、文献の記述に依存し、それを現実のものと見なしてきたことを批判的にとらえ、実在しない聖地やフィクションとしての儀礼という視点を導入することで、文献に見られる理念的な記述と、現実の社会における聖地と巡礼のあり方に明確な乖離があることを指摘した。

This article investigates into the sacred sites and the pilgrimage, which include both existent and fictitious ones, belonging to the Tantric Buddhist period (ca. 6 - 13 century) in India.
One of the most famous and significant listings of the sacred sites should be the “twenty-four pithas” elaborated in the Buddhist canons of Mother Tantra class. “Pitha” means the sacred site where the tantric practitioners visit, and it is a common term found in both the Hindu and the Buddhist texts. It is noteworthy that the order of the pithas in the different Buddhist texts do not accord with each other, although they shares the same sites. It is also important that the similar list can be found in the Hindu Tantric texts, and, through careful comparison, the Buddhist’s copying can be proved. These facts lead to the conjecture that the “twenty-four pithas” are not necessarily the existent sacred sites and that their pilgrimage is not real.
Some Buddhist canons recommend the pilgrimage of the eight sites that are connected with the eight great events of Sakyamuni, such as his birth, enlightenment, first sermon and nirvana. The scenes of these legends are widely represented in the reliefs of the Gupta and the Pala periods. However, most of these eight great sites had already become devastated by the time of Tantric Buddhism and had lost their positions of pilgrimage sites, according to the records of Chinese pilgrim monks, such as Xuanzang.
In the period of Tantric Buddhism, Bodhgaya is one of the limited sites where the pilgrims could actually visit. A Tibetan monk, Dharmasvamin is reported to visit this traditional Buddhist site in the first half of the thirteenth century. His biography shows that the pilgrims worshipped the miraculous statues and the famous relics there. The inscriptions found in Bodhgaya indicate that the pilgirms, who came from various areas of India including Sri Lanka, Kashmir, Konkana etc., donated a sculpture or facility to the monastery depending on their financial possibility to accumulate the merits. These activities are not particular to Tantric Buddhism, but common to non-Tantric Buddhism.


「仏教の空間論への視座」『論集』第31号 2004年12月、pp. 1-17.

 本論文では仏教の歴史の中で、人々がどのように空間をとらえ、表現し、体験してきたかについて、いくつかの事例を示しつつ、その大まかな見取り図を提示した。それらの前提として、インドと日本の思想において、空間がどのようにとらえられていたかについてもふれた。その結果、空間と時間の関係、美術における説話図と礼拝像の関係、インドと日本との相違、理念的な空間と現実の空間との関係などが抽出された。

The religious space, i.e. the sacred space is one of the most important elements that constitute religion. People encounter the sacred space in the religious architectures such as temple and cathedral, and they positively take part in it in the stages of ritual and ceremony. The pilgrimage of sacred places forms the wider sacred space. The sacred space is sometimes reflected to the structure of city, nation and the universe. The sacred visual arts, especially paintings, represent the sacred space in the way different from that of the profane arts.
This article presents the provisional scheme of the studies of sacred space in the history of Buddhism, especially from the viewpoint that how people recognized, represented and experienced the sacred space. I also mention its philosophical background in India and Japan. I conclude to indicate the following points that should be emphasized: the relationship between space and time, the relationship between the narrative art and the religious icon, different attitudes toward the sacred space between India and Japan, the discordance between the ideal space and the real one.


「『ヴァジュラーヴァリー』「墨打ちの儀軌」和訳(下)」『高野山大学密教文化研究所紀要』第18号 2005年2月、pp. 1-57(横組).

 アバヤーカラグプタの『ヴァジュラーヴァリー』に含まれる「墨打ちの儀軌」に関する和訳研究の後半。前半が26種のマンダラに共通する部分であるのに対し、後半は各マンダラの固有の輪郭線を扱う。前半と同様、サンスクリットテキストとチベット語訳テキストにもとづき、詳細な訳註を含む翻訳を行った。インドのマンダラの実態を知るための基本的かつ最重要の資料となる。


「『ヴァジュラーヴァリー』「彩色の儀軌」和訳」『金沢大学文学部論集 行動科学・哲学編』第25号 2005年3月、pp. 91-127.

 アバヤーカラグプタの『ヴァジュラーヴァリー』に含まれる「彩色の儀軌」に関する和訳研究。「墨打ちの儀軌」において示された26種のマンダラについて、その彩色方法と、各マンダラの内部に描かれる仏たちのシンボルが明らかにされている。これによって、インド後期密教の時代に流布していた主要なマンダラを、正確に復元することが可能になる。


"The Installation Ceremony in Tantric Buddhism", In. S. Einoo & J. Takashima eds., From Material to Deity: Indian Rituals of Consecration. Japanese Studies on South Asia No. 4. Delhi: Manohar, March 2005, pp. 199-240.

インドの宗教儀礼に関する学際的研究をおこなった成果報告書。神像の完成儀礼(開眼作法)であるプラティシュターを取り上げ、ヴェーダ学、ヒンドゥー教研究、仏教学、タントラ研究などからのアプローチを行った。担当した章はインド密教におけるプラティシュターを主題とし、インド後期密教の代表的な儀礼文献『ヴァジュラーヴァリー』を材料に、密教のプラティシュターの内容と特徴を明らかにした。インドの他の宗教と共通する要素が含まれるとともに、仏教的な解釈が加えられていることを明らかにした。


「感得像と聖なるものに関する一考察」『真鍋俊照博士還暦記念論集 仏教美術と歴史文化』法蔵館 2005年10月、pp. 27-46. 

黄不動の名で知られる園城寺の不動明王画像を取り上げ、その特徴、制作の歴史的背景をふまえ、感得像が持つ美術史的、宗教学的意味を明らかにした。特定の作品が感得像として存在する意義は、その図像的特徴の独自性にあるのではなく、正統的な図像との間にある差異が重要であることを指摘し、そこに作品の聖性が宿ることを理論化した。


「マンダラは心を表しているか:ユングのマンダラ理解に関する一考察」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化』法蔵館 2005年11月 pp. 77-96. 

仏教のマンダラをヨーロッパ世界に紹介した精神分析医C. G. ユングを取り上げ、その著作から彼のマンダラ理解を明らかにした。とくに、ユングがマンダラについての理論を構築するために参照した、東洋学や仏教学の先行研究と彼の著作を比較することで、ユングの解釈がきわめて特異であることを示した。ユングのマンダラ理解は、イタリアの東洋学者トゥッチを介して、わが国にも大きな影響を与えていることも指摘した。


「アバヤーカラグプタの密教儀軌三部作と『阿闍梨所作集成』:インド密教儀礼の集大成」松長有慶編『インド後期密教(上)方便・父タントラ』春秋社 2005年11月、pp. 187-224. 

インド後期密教の代表的な学僧アバヤーカラグプタによる儀礼文献三部作と、その影響を受けて成立した『阿闍梨所作集成』について詳細な解説を行った。それぞれの文献についての最新の情報を示すとともに、インド密教史における位置づけや重要性を明らかにし、さらにチベット密教に与えた影響を考察した。


「『ヘーヴァジュラタントラ』:聖と性の饗宴」松長有慶編『インド後期密教(下)般若・母タントラ』春秋社 2006年1月、pp. 47-90. 

母タントラの代表的な経典のひとつ『ヘーヴァジュラ・タントラ』の経典の内容、歴史的位置づけ、思想の特徴などを解説した。とくに、この経典にふくまれる儀礼や実践に関する情報を網羅的に紹介し、その特徴を解明した。同経典が母タントラの根本経典として位置づけられることの理由をさまざまな観点から検証した。付編として主要なマンダラの見取図を加えた。


「両界曼荼羅の世界」生井智紹編『高野山大学選書 第2巻 真言密教の新たな展開』小学館スクウェア 2006年9月 pp. 86-105. 

金剛界と胎蔵界の2種の曼荼羅、いわゆる両界曼荼羅をとりあげ、それぞれの構造と教理的な意味、日本における両界曼荼羅の系譜、アジア各地の主要な両界曼荼羅などを明らかにした。とくに、アジア全域を視野に入れることで、日本における曼荼羅理解の独自性が浮彫にされ、それを生み出した自然観やコスモロジー、死生観などとの関係が明らかになった。


「エローラ第11窟、第12窟の菩薩群像」『金沢大学文学部論集 行動科学・哲学編』第27号 2007年3月、pp. 99-134. pdf file :

西インド、マハーラーシュトラの代表的な仏教遺跡であるエローラ石窟に関する研究成果の一部。第11窟、第12窟に残されている菩薩群像の浮彫を取り上げ、そのあらたな解釈を試みた。従来、これらの菩薩群像は密教のマンダラを意識した配列と紹介されることが多かったが、歴史的にも、作品の配置、図像上の特徴からも、そのような解釈が適切ではなく、むしろ大乗経典や陀羅尼経典に見られる神変を背景にした作品であることを明らかにした。


「ネパールの大日如来」『大日如来の世界』春秋社 2007年11月、pp. 65-87。


「チベットの大日如来」『大日如来の世界』春秋社 2007年11月、pp. 89-122。


「チベットにおける『ヴァジュラーヴァリー』所説のマンダラの作例と系譜」宮治昭先生献呈論文集刊行委員会編『汎アジアの仏教美術』中央公論美術出版社 2007年12月、pp. 150-171。pdf file


「『サーダナマーラー』「仏頂尊勝成就法」和訳及びテキスト」『加藤精一博士古稀記念論文集 真言密教と日本文化(下)』ノンブル社 2007年12月、pp. 137-158。pdf file


「初期パッラヴァ朝におけるヒンドゥー石窟の彫刻」『金沢大学文学部論集 行動科学・哲学編』第28号 2008年3月、pp. 173-205. pdf file


"The Vajraavalii Mandala Series in Tibet". Esoteric Buddhist Studies: Identity in Diversity, Proceedings of the International Conference on Esoteric Buddhist Studies, Koyasan University, 5 Sept.-8 Sept. 2006. Koyasan: Executive Committee, ICEBS, March 2008, pp. 223-241. pdf file


「『観仏三昧海経』「観馬王蔵品」における性と死」『北陸宗教文化』第21号  2008年7月、pp. 31-55. pdf file

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IV.調査報告

「ジャナ・バハにおける日常供養」Sambhasa 第10号 1988年6月 pp. 71-90。

 1987年に名古屋大学印度哲学研究室が行った、ネパールのカトマンドゥ盆地のネワール仏教に関する現地調査の報告の一部。ネパールの代表的な寺院であるジャナ・バハで行われた日常供養について、儀式の概要を写真図版を示しつつ報告し、その内容・起源などを考察した。


「カトマンドゥ市タン・バヒー寺の法界語自在マンダラ」『名古屋大学古川総合研究資料館報告』 第8号 1992年12月 pp.47-68。

 本論文は庭野平和財団より研究助成を受けた「ネパールにおける仏教儀礼の変容に関する研究」の成果の一部である。カトマンドゥ盆地の古刹タン・バヒー寺が所蔵する法界語自在マンダラについて調査報告を行った。マンダラの概要と美術様式上の主要な特徴を明らかにし、カトマンドゥ盆地の他の法界マンダラとの比較も試みた。写真図版30点あまりを用いることで、資料紹介としての役割も果たしている。


「「ヴァジュラーヴァリー・マンダラ集」第14番の概要」『高野山大学論叢』第33巻 1998年2月 pp. 55-72。

 15世紀にチベットのツァン地方で制作された「ヴァジュラーヴァリー・マンダラ集」の第14番目の作品に関する調査報告。作品全体の構成、保存状況、描かれている4種のマンダラの比定、作品に含まれるすべての尊名の比定、銘文の翻刻を行い、さらに4種のマンダラの典拠となるサンスクリット文献とチベット訳テクストとの対応を明らかにした。



「ネパール国立古文書館所蔵『百八観音白描集』」『密教文化』第206号 2001年3月 pp. 56-107(横組)。

ネパール国立古文書館(カトマンドゥ)が所蔵する『百八観音白描集』に関する研究。百八観音はネパールにおける変化観音のグループとして著名であるが、諸資料間で名称、配列、図像学的特徴などに異同がある。本論文では、現存する資料としてマツェンドラナート寺院の百八観音や、Bhattacharyyaが紹介する白描集などとの比較研究を行った。『百八観音白描集』の写真図版をあわせて掲載した。


「ラジャスターン州ジャガットのアンビカー寺院」『金沢大学文学部論集 行動科学・哲学編』第26号 2006年3月、pp. 121-143. 

インド、ラジャスタン州のジャガットにあるアンビカー寺院に関する報告。10世紀半ばに作られたアンビカー寺院は、建築史的にも美術史的にも、この地域を代表するきわめて重要なヒンドゥー教寺院として知られている。本報告では寺院の構造、主要な彫刻のモチーフ、図像上の特徴、配置プランを明らかにした。写真図版20点をあわせて掲載し、資料集としての役割も果たしている。この寺院に関する本格的な報告は、わが国はもちろん、世界的にもはじめてである。(掲載図版はアジア図像集成のPhoto Database→India→Rajasthan→Ambika Templeに含まれます)


『パーラ朝の仏教美術作例リスト』(『高野山大学密教文化研究所紀要』別冊3)高野山大学密教文化研究所 2006年3月、288頁.

6、7世紀以降、インドで流行したパーラ様式の仏教美術について、現存する作品を網羅するリストを作成した。各作品に関する基本的な情報として、名称、出土地・所蔵者、制作年代、法量、図像的な特徴などをデータベース化した。後半にはバングラデシュ国立博物館およびヴァレーンドラ博物館が所蔵するパーラ朝の重要な仏教彫刻の写真資料176点を掲載した。


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V.科学研究費補助金による研究成果報告

「青海省同仁県のポン教寺院」長野泰彦編『チベット文化域におけるポン教文化の研究』(平成8〜10年度文部省科学研究費補助金 国際学術研究・学術調査 研究成果報告書) 1999年3月 pp. 21-46。

 中国の青海省同仁県にあるポン教寺院に関する調査報告。チベット文化圏の東端に位置する同仁県には、チベット土着の宗教といわれるポン教の複数の寺院が存在し、現在でも活動を続けている。筆者は98年8月に現地を訪れ、寺院の概況と図像と儀礼に関する重点的な調査を行った。とくに寺院内の壁画に関して、尊名比定と図像上の特徴の解明をすすめ、さらに寺院のプランとの関係などを明らかにした。


「密教儀礼の成立に関する一考察:アビシェーカとプラティシュター」松長有慶編『大乗仏教における密教の形成過程の研究』平成7〜9年度科学研究費補助金 基盤研究(B)(2)研究成果報告書、1998年3月、pp. 151-165.

「大乗仏教における密教の形成過程の研究」という課題のもとで行われた共同研究の成果の一部。「密教儀礼の形成」をテーマに研究を行った。とくに灌頂儀礼をとりあげ、その起源が大乗仏教に見いだされないことと、従来言われてきた「古代インドの国王即位式に範をとった」という説を否定し、プラティシュターと呼ばれる聖別式に直接結びつきを持ち、ヒンドゥー儀礼のプラティシュターの影響を強く受けて成立したことを明らかにした。


『オリッサ州カタック地区の密教図像の研究』平成8〜10年度文部省科学研究費補助金 基盤研究(C)(2)研究成果報告書、1999年3月、88頁

 本書は東インドオリッサ州カタック地区から発掘された密教図像に関する研究成果報告書である。研究の目的は、この地の密教美術の様式や主題の全体的な傾向を明らかにすすとともに、仏や菩薩などの尊格ごとの図像上の特徴の確定と、他地域の出土品との比較による地域的差異の解明である。すでにその成果はいくつかの学術論文で公表したが、本書にはとくに不空羂索観音と八大菩薩に関する考察、ならびに作例リストと80点におよぶ写真図版を収録した。


「インドとチベットの密教における実践と美術」宮治昭編『宗教的実践の視点による仏教美術とキリスト教美術の比較研究』平成9〜10年度文部省科学研究費補助金 基盤研(B)(2)研究成果報告書、1999年3月、pp. 75-85.

「集会樹にみられる宗教実践と美術」宮治昭編『宗教美術における視覚的イメージの機能と使用方法:仏教・キリスト教美術の比較研究』平成12・13年度科学研究費補助金基盤研究B(1)研究成果報告書、2002年3月、pp. 59-92.

ツォクシン(集会樹)とはチベット仏教絵画の形式のひとつで、巨大な木を背景に尊格や祖師たちの姿を描く。本論文は、ツォクシンの種類や形態を明らかにした上で、この作品がチベット仏教の儀礼や実践と密接な関係を有していること、その図像には既存の絵画作品や図像集のイメージが転用されていることを明らかにした。さらにマンダラとの比較から、チベットにおける世界表象の独自性を指摘した。


『チベット仏教絵画の図像学的および様式史的研究』平成13・14年度文部科学省科学研究費補助金 基盤研究(C)(2)研究成果報告書、2003年3月、222頁.

チベットの仏教美術は千年以上の歴史を持ち、そのあいだに膨大な数の絵画が生み出されたが、その内容に関する理解や美術史的な分析はほとんど進んでいない。本研究では、チベット内外に残されている数多くのタンカと、チベット文化圏に残る主要な仏教寺院の壁画を対象に、画像データベースを構築した。それをふまえ、チベット仏教絵画の主要な作品に関して、図像学的な解釈と、様式上の特徴の解明を行った。


「明・清代のチベット系金銅仏」頼富本宏編『北京首都博物館蔵・中国現存金銅仏群の総合的研究』平成13〜15年度文部省科学研究費補助金 基盤研究(B)(1) 研究成果報告書、2004年3月、pp. 17-24.

中国に現存する金銅仏に関する総合的調査研究の成果の一部。明・清代に制作されたチベット系金銅仏を対象に、その主要な特徴を明らかにし、現存する作品の基本的なデータを提示した。チベット仏教美術の中国における受容のあり方を示し、チベット本土の作品との比較研究などの基礎作業にも位置づけられる。


「ラダック地方ヘミス寺の八十四成就者図」立川武蔵編『ヒマーラヤ地域における仏教タントリズムの基層に関する研究』平成14〜17年度科学研究費補助金 基盤研究(B)海外学術調査 研究成果報告書、2006年3月、pp. 23-52.

ヒマーラヤ地域に見られる仏教タントリズムについて、その基層文化をさまざまな分野から解明する共同研究の成果の一部。担当したのはラダック地方ヘミス寺が所蔵する成就者像の作品群で、各作品の名称、図像の特徴、過去の報告との相違などを明らかにした。2003年に07月にヘミス寺で撮影した写真資料93点を収録し、研究者の便も図っている。


「ナウラカ寺院の彫刻」(pp. 227-237)「バローダMS大学博物館」(pp. 284-291)「ジャガットのアンビカー寺院」(pp. 304-319)「サスバフ寺院の天井装飾」(pp. 324-330, 337-340)「初期パッラヴァ朝におけるヒンドゥー石窟の彫刻」(pp. 359-392)「チェンナイ州立博物館 ヒンドゥー教美術」(pp. 501-504)「タンジャブール・アートギャラリー」(pp. 505-512)「エローラ第11窟、第12窟の菩薩群像」(pp. 671-702)宮治昭編『古代インドにおける宗教的造型の諸相:寺院建築と美術の成立と展開』全2巻 平成14〜17年度科学研究費補助金 基盤研究(A)海外学術調査 研究成果報告書、2007年3月.


「シルプル遺跡の仏教彫刻:ミトゥナ像を中心に」『中インド新発掘仏教遺跡の総合的研究』平成17〜19年度科学研究費補助金 基盤研究(B)海外学術調査 研究成果報告書、2008年3月、pp. 49-65.


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VI.翻 訳

フィリップ・ローソン著『聖なるチベット : 秘境の宗教文化』(イメージの博物誌 25) 平凡社 1992年9月、101頁(共訳)。

 本書は「イメージの博物誌」シリーズの1冊として刊行された。同シリーズは従来までの細分化された固定的な人文学の諸分野を「イメージ」をキーワードに横断的にとらえ直す試みとして、高い評価を得てきた。著者Ph. ローソンは南アジア、東南アジアの宗教美術を専門とするが、チベット文化の高い精神性に着目し、その背景を文化史的、宗教学的に明らかにしている。


マルティン・ブラウエン著『曼荼羅大全: チベット仏教の神秘』東洋書林 2002年9月、279頁。

 本書はチベット仏教研究で知られる著者によるマンダラに関する概説書である。マンダラの持つ構造、思想的背景、コスモロジーとの対応、宗教実践や儀礼とマンダラとの関係、現代社会においてマンダラの持つ意義などがあつかわれている。とくにインドやチベット密教において最も重要な位置を占める時輪マンダラが、おもに取り上げられている点に特徴がある。


VII.学会報告(発表要旨)

「ツィンマーマン・コレクションの「ヴァジュラーヴァリー四曼荼羅」: チベットにおけるマンダラ伝承の一事例  」『美術史』第144冊 1998年3月 p. 239