ヒマラヤと東南アジアの仏教美術

5月30日の授業への質問・感想


東方正教のイコンは、昔からのものと全く同じ絵でなければならないそうなのですが、仏像はその仏を表すもの、動物、印などを描き、著しく逸脱していなければ、好きなように描いてよいのでしょうか。
基本的には、ギリシャ正教のイコンと同じように、規定に従って描かれます。画家の裁量にまかされているのは、きわめてわずかで、画家が自分のオリジナリティなどを発揮できる余地はほとんどありません。それでも地域や時代によって、作風が大きく異なるのは、このようなイコンであっても、ゆるやかな変化があるからです。それは、ギリシャ正教も同様で、すべて同じように描かれているように見えても、実際はさまざまな変化が見られます。そもそも、ギリシャ正教のイコンは、初期のキリスト教美術の中から生まれたもので、そこでも多様なイコンが見られます。図像学のことをイコノグラフィー(iconography)とかイコノロジー(iconology)と言いますが、それはこの学問がキリスト教のイコン研究からはじまったことによります。仏教の図像学の対象をイコンというのはおかしいような気もしますが、規定どおりの描かれた宗教的な芸術作品であるという点では、まさにイコンなのです。

中央チベットの阿弥陀のところで、最も低い壇のところに、明らかにまわりの仏とは違う髪の長い二人組がいますが、何ものですか。忿怒尊はなぜに怒っているのですか。仏といえども人を踏みつけてよいんですか。
タンカの背景となる部分の中で、最も下の壇には世俗の人が描かれることがあります。多くはそのタンカの制作を依頼した施主とその関係者で、中央に描かれた仏を拝んでいるように描かれます。この作品の場合も、それに当たると思います。タンカを制作するのは、それによって功徳を積むわけですから、その姿が絵の中に永遠にとどめおかれることになります。このように、仏像の下の部分に帰依者を描くスタイルは、すでにインドでも見られ、先週、紹介したパーラ朝の彫刻の台座部分に、帰依者が供物とともにしばしば描かれています。また、エローラなどの西インドの石窟寺院では、大きな仏像の足元に、合掌する人物の像が何人も並んで置かれています。仏のような聖なるイメージの一部に、われわれの世界に属するこのような人物を加えることは、作品を解釈する上で重要なことだと思います。忿怒尊は密教に多く見られる仏の種類で、日本では明王のグループに相当します。密教的な解釈では、仏の教えにしたがおうとしない「悪しき者たち」を救済するために、このような姿をとるといわれますが、インドで密教が流行した時代の「聖なるもののイメージ」として、忿怒形が流行したことが予想されます。ヒンドゥー教でもシヴァ神のように、これによく似た神がいます。多くの忿怒尊が踏みつけているのは人ではなく、ヒンドゥー教の神です。仏教の仏がヒンドゥー教の神などを踏んでいるのは、複雑な要因があります。以前に書いた『インド密教の仏たち』の中の第7章で、この問題を扱っているので、参照して下さい。

仏のイメージを聞かれると清貧という言葉がまず浮かぶので、装身具を付ける仏というのは、少し驚きでした。キリスト教で言うと、ステンドグラスのような効果を見る人に与えているのでしょうか。
日本の仏像の多くは質素な印象を与えるので、清貧というイメージが浮かぶかもしれません。しかし、日本の仏像の中でも菩薩像などは、それなりに豪華な姿をしています。仏の世界では、すでに悟りを開いた仏は、世俗の栄華と無縁ですから、衣だけを身にまとった簡素な姿ですが、その前の段階である菩薩は、逆にありとあらゆる装身具を身につけています。これは、菩薩のモデルである出家前の釈迦が、王子であったことにもよります。また、インドにおいては世俗の世界と聖なる世界は著しい対比をなし、そのイメージも身体を飾るか飾らないかという点で正反対の方向を示しています。このようなイメージの対比が、梵天と帝釈天、弥勒と観音のように、それぞれ逆となるイメージを持った対となる存在を生み出します。密教では、本来、清貧な姿を持つ仏に、菩薩のイメージを与えるという複雑な状況があり、先週、紹介した五仏の宝生や阿弥陀もそれに該当します。ステンドグラスについてはよくわかりませんが、単なる装飾的な効果だけではありません(ステンドグラスも単なる装飾ではないのですが)。

馬や孔雀などのシンボルで、仏の区別ができるのはおもしろいと思いました。アチャラやマハーカーラのように、額に目がついているものがありますが、なぜでしょうか。
額の目は仏教の忿怒尊に一般的で、ヒンドゥー教のシヴァ神とも共通します。目が三つあるというのは、単に視覚器官がひとつ多いというだけではなく、特別な力がそこに込められているのでしょう。額の中央という場所も、エネルギーが集約するスポットになります。関係あるかどうかわかりませんが、仏もこの部分には白毫という毛のうずがあり、光を放射したりします。ちなみに、視覚についてのインド人の理論では、目から一種のエネルギーを放射し、それが対象と結びつくことで、われわれは知覚することができると言います。「見ること」とはエネルギーを当てることなのです。

宝生の目が伏し目がちというのを聞いて、座禅をするときの半眼を思い出しました。何か関係があるのでしょうか。大英博物館に行ったことがあるのですが、インドとか仏教系のものはあまり記憶がなく・・・。この授業を受けてから行ったら、おもしろかっただろうなと思います。残念。
仏像の目が半開きであるのは、日本でもしばしば見られますが、仏が瞑想によって悟りの境地に入っていることを示すのに、効果的だったのでしょう。インドではガンダーラやマトゥラーで制作された初期の仏像では、目ははっきり見開いていることが一般的でしたが、グプタ朝のサールナートでこのような伏し目がちの目が流行し、そのあとを受けたパーラ朝でも維持されています。チベットやネパールの絵画で、このような表現が見られるのもインドにその起源を求めることができます。大英博物館は一般の観光客は正面の南口から入るので、ギリシャやエジプト、アッシリアなどの古代の有名な展示品を見るだけで終わってしまいます。インド、中国、中央アジア、日本などのアジアの名品の展示室は、反対の建物の北の方にありますので、展示室の見取り図をよく見て行かなければなりません。これらのアジア関係の展示室には、あまり観光客はいませんが、ガンダーラやアマラヴァティーの彫刻、敦煌の絵画などの名品揃いで、チベットやネパールの美術もいいものがあります。また機会があれば、ぜひそちらにも行ってみて下さい。なお大英博物館には北口もあるので、そこから入ると簡単に行けます。その場合、地下鉄の駅はRussell SquareかGoodge Streetの方が便利です。

中央チベットの様式が何となくわかってきました。とくにはじめに見た宝生の作品は、細かいところも丁寧で、それぞれが意味を含んでいるということに驚きです。ですが、上の八大菩薩が左右対称になっていて、色やポーズが左右で全く同じという点が、今まで見てきたインド作品のポーズでどの仏がわかるということから考えると、少しいいかげんなのかと思ってしまいました。
八大菩薩はほとんど同じ図案で描かれて、左右の違いも画像を反転しただけのように見えます。各尊の違いは身体の色と、手に持っているもの(花の上に載ったもの)にしか現れませんが、じつはこのような表現方法はすでにインドでも見られます。密教が流行した時代には仏の数が爆発的に増え、しかも八大菩薩や十六大菩薩のように、同じ種類の仏を何尊もまとめたグループが現れます。その場合、個々の仏の特徴は手にするシンボルに集約され、それ以外は全く同じ姿をとることが多いのです。私はこれを「仏の多様化」と同時に進行する「個性の消失」と呼んでいます。チベットのタンカもその流れの中にあります。

インドの彫刻の特徴が、中央チベットの絵画に見られることに驚いた。彫刻は絵画より持ち運んだりしにくそうなので、影響しにくいようにも思うのだが。
たしかに石像などの彫刻作品は、移動するのは困難でしょうが、実際は遠く離れた地域で共通の様式が現れます。作品は移動できなくても、それを作る人は移動することができるのですから、インドの工匠がネパールやチベットに移動したり、逆にこれらの地域からインドに行って学んだりした者たちがいたのでしょう。実際の作品が移動しなくても、視覚に焼き付けてそれを伝えることが可能ですし、芸術家といわれる人たちは一般に、そのような能力が優れているものです。もちろん、絵画やブロンズの形で伝えることもしばしばあったと思われます。

・いつも赤や青で取り巻きたくさんの派手な図が多いのですが、今日は装身具のない、質素な仏像を見て、とても落ち着きました。やはり日本人として抱いている「仏」像はこの感じです。
・チベットの仏が若い姿で描かれているのに、たいへん驚きました。神や仏というと、ひげを生やした年をとった姿がイメージとしてあったのですが、若い姿でも(ネパールでは子どもみたいな顔つきでも)信仰の対象となったのですね。むしろ若さに意味があったのでしょうか。
たしかにチベットやネパールの仏を見ると、日本の仏像や仏画のイメージとはかけ離れ、その後に日本のものを見るとほっとします。知らず知らずのうちに、日本人的な仏のイメージにわれわれが慣れているからでしょう。逆に、チベットやネパールの人たちが日本の仏像を見ると、何と寂しげな地味な姿かと思って、物足りなく思うかもしれません。文化というのはそういうものですし、だからこそ、異文化を知ることが自分の文化を知ることにつながるのです。仏像について言えば、単に日本のものとは違うというだけではなく、なぜ同じ仏を表していながら、このような違う印象を与えるのか、彼らにとって「聖なるもの」のイメージとして何が重要であったのかなどを考えてみて下さい。

インドとチベットの間の共通点がおもしろかったです。中央チベットのアチャラは「おふどうさん」と言っていましたが、不動明王のことでしょうか。日本の不動明王は怖い顔だけど、チベットのは少し愛嬌のある顔つきだと思った。
アチャラは不動明王のことです。日本では不動は明王の中でもとくに人気が高く、密教系の寺院に多くの作品が残されています。修験道でも信仰されていて、護摩と呼ばれる儀礼とも密接な関係があります。不動はインドに起源があるのですが、インドの作例はきわめて少なく、その姿も、日本の不動とは異なり、授業でも紹介したような、駆け出そうとするポーズが一般的です。ネパール、チベットもこの流れを汲んでいて、日本に伝わる不動とは系統が異なるようです。不動は一昨年の授業(仏教文化論)で取り上げています。私のホームページの授業の項には、そのときの質問と回答が掲載されていますので、参照して下さい。



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