仏教文化論 仏教の信仰と美術
弥勒・文殊・普賢

2006年10月12日の授業への質問・回答


とても初歩的な質問で申し訳ないのですが、弥勒菩薩といった名前は、仏教における位の名前か、実在した人(?)の名前か、上記のことばや観音などはよく聞いたこともあるし、仏像も見たことがあるのですが、その実態がわかりません。地位か名前か・・・。できれば教えていただきたいと思います。半跏思惟像のコーティングがはがれたのは、意図的なのか、保存状態のせいなのか、どちらでしょうか。
「初歩的な質問」ではなく、とても大事な問題です。菩薩は普通名詞で、「悟りを求めるもの」という意味で理解されていますが、これについては今回の授業でくわしくお話しします。一般には「位を表すことば」と理解していただいてけっこうです。「弥勒」や「文殊」「観音」などの、「菩薩」の前に付くのが、それぞれの固有の名称です。ただし、菩薩の名称はよくわからないものが多いです。弥勒の場合、釈迦の弟子に同名の者がいたことが文献に残っています。その場合、固有名詞ですが、「弥勒」の原語の「マイトレーヤ」が「慈悲」の意味を持つことから、普通名詞とも理解できます(弥勒は「慈氏菩薩」とも訳されることがあります)。「観音」は「観自在」とか「世自在」と訳されることがあります。「観音」と訳した場合、「音を見る」という意味になるので、何とも変なことばです。菩薩以外の位を表すことばには、「悟ったもの」を意味する「仏」(如来なども同じです)、忿怒の姿をとったほとけである「明王」、ヒンドゥー教などの異教の神を起源とする「天」などがあります。女性の仏のグループも、密教の時代には登場しますが、位を表すことばはありません。なお、広隆寺の半跏思惟像のコーティングですが、授業では漆と言いましたが、後で調べたら金箔でした。訂正しておきます。意図的にはがしたのではなく、だんだん剥落したのでしょう。

弥勒菩薩にせよ、何にせよ、なぜ仏教は仏像を作り出すのですか?釈迦入滅後、数百年は仏像が作られることもなかったと聞いたことがあります。それがなぜ?すべての人が菩薩であり、在家と出家を分けない大乗仏教が、なぜ仏像という信仰対象を必要とするのか、よくわかりません。すべての人が菩薩となりゆくなら、特定の○○菩薩という信仰の対象は何がどう偉いんですか。
「すべての人が菩薩」と「特定の○○菩薩」との違いについては、今回の授業で取り上げます。インドの仏教美術の歴史において、仏像誕生は画期的な出来事で、その理由もいろいろ考えられています。信仰の対象として何らかのイメージ(イコン)が必要であるのは、多くの宗教に共通しています。問題はそれをわれわれと同じ人の姿で表すかどうかです。イスラム教のように、いわゆる「偶像崇拝を禁止」している宗教は、世界にたくさんありますが、それは信仰の対象がないのではなく、それをわれわれのような人間の姿で表すことを拒否しているのです。インドで仏像が誕生した理由としては、たとえば次のような説があげられます。インドでは仏像は紀元前後に現れましたが、その背景として、当時のインドを支配していたクシャーン朝が、北西インドから侵入した異民族であったことが重要です。彼らは非常に強大な王をいただき、その肖像彫刻を作る伝統を有していました。その一方で、仏教では早くから仏のイメージを王のイメージと重ねる伝統がありました。この両者がそろったことで、仏教において仏を人(すなわち王)の姿で表すことが可能になったのです。なお、仏像誕生の背景や、仏のような「聖なるもの」のイメージをどのように表現するかについては、最近「マンダラの表現方法とその意味」という文章の中でくわしく書きました。私のHPの「仕事」の「一覧と要旨」の最後のところに、pdfファイルをアップしておきましたので、関心がある人はダウンロードして読んでみてください。URLは以下の通りです。
http://web.kanazawa-u.ac.jp/%7Ehikaku/mori/works/ichiran.html

授業を聞いていてよくわからなかったのですが、部派仏教の中の上座部と大衆部も、ともに小乗仏教なのですか。それとも上座部だけが小乗仏教なのでしょうか。
いずれも小乗仏教です。もちろん自称ではありませんが、大乗の者たちからは、そのように呼ばれました。部派仏教の時代になると、仏教は保守的な立場を守る者と、進歩的(あるいは頽廃的?)な立場をとる者とに、大きく二分します。これを「根本分裂」といいます。これが上座部と大衆部です。さらにこの二つは内部分裂を繰り返し、最終的には18に分かれます。これを「枝末分裂」といい、全体を「小乗十八部派」と呼びます。仏滅後二百年あまりのころのアショーカ王の時代には、ほぼこの分裂が終わっていたといわれます。大乗仏教はこのような部派の分裂とは別のところで発生し、たちまちのうちにインド仏教の中の重要な位置を占めたようです。大衆部の考え方の中には、大乗仏教に通じるものもあるのですが、大衆部から大乗仏教ができたわけではありません。大乗仏教の成立は仏教史の大きな謎で、かつては仏塔崇拝の在家信者の集団が、その成立に大きく関わったという説が有力でしたが(平川彰説)、最近はそれに批判的な研究者も増えています。

「色即是空 空即是色」で有名な「般若心経」は、空を体得するものであるが、般若といえば、同時に般若面のイメージを持つ。前者と後者はおおよそ共通しているとは言い難いように思えるが、おそらく後からできたであろう後者のイメージはどこから来たものなのだろうか。
般若と般若面については、別の方からも同様の質問がありました。これについては私も知識がありません。能などにくわしく、ご存じの人がいれば教えてください。「般若心経」は「空」の哲学を説いている経典としてよく知られていますが、じつは「陀羅尼経典」の一種で、最後あげられている「ギャーテー、ギャーテー・・・」という一説が最も重要なのだそうです。

今まで密教の多神教的側面と、初期仏教の釈迦の人間的側面を同じものに考えて、なじめずにいたのですが、今回の授業の中で、大乗仏教の特徴の説明を受けて、ようやく少し腑に落ちた気がしました。
たしかに同じ仏教でも、初期仏教と密教とではまったく違います。そのつなぎとして大乗仏教が位置しますし、とくに菩薩をどのようにとらえるかは、その場合のポイントになります。菩薩を説明しようとすると、仏教とは何かという全体から説明しなければならないのです。

聞き逃してしまってのですが、弥勒の持つ水瓶は何を表しているのですか。またなぜ水瓶を持たなくなったのでしょうか。
まだ水瓶の意味は説明していないので、聞き逃したわけではありません。弥勒のイメージについては来週あたりにくわしく取り上げますが、インドのバラモンや行者が持っている携帯用の水瓶がそのもとです(ペットボトルのようなかんじ)。「つぼ」と言いますが、水をたくさん蓄えておく大きな丸い壺ではなく、縦長の細い容器です。弥勒と水瓶の結びつきはガンダーラから現れ、強固に維持されるのですが、密教の時代には「龍華」という植物が、弥勒の新しいシンボルとして流行し、水瓶は次第に姿を消していきます。

仏像のスライドで、女性的なものが多かったのを見て、「慈悲」のイメージはやはり昔から女性らしい「優しさ」をうつしていたのかなぁと思いました。水月観音を少ししか見られなかったが、スライドの中でもとりわけ美しい像だと思った。何のために、何を象徴として作られたものか知りたいです。
「慈悲のほとけ」といわれる観音が、しばしば女性的なイメージをそなえているのは、女性と慈悲の結びつきが自然だったからではないかと、私も考えています。べつに男性に慈悲がないわけではないのですが・・・。東慶寺の水月観音は、私の授業でときどき紹介するですが、とても人気が高い作品です。日本の仏像にしては自然なスタイルと写実的な表現、少女の雰囲気をそなえた表情などが印象に残るようです。制作は南北朝で、このころの中国の仏像・仏画の影響を強く受けています。とくに、禅宗では水墨画などの絵画で描かれることが多く、その立体的な表現とも言われています。水月観音は中国で成立した変化観音の一つで、楊柳観音(ようりゅうかんのん)と同一視されることもあります。楊柳観音は朝鮮半島で流行し、日本にも多くの作品が伝えられています。水月観音を含め、前回のスライドはゆっくりお見せできなかったので、今回の授業の前に、流しておきます。

菩薩はすべての人がなりうるならば、当然、女性的な菩薩(観音)があってもふしぎではないのに、先生は菩薩は男性が基本みたいに言っていました。そのあたりの流れを次週聞きたいです。
「菩薩」ということば自体が男性名詞なので、女性の菩薩というのは、言語的にもおかしいのです。「だれでも菩薩」の場合は、理論的には女性も菩薩になりますが、女性のままでは悟りを得ることができないので、男性に姿を変えます(ひどい話ですが)。『法華経』の有名な「変成男子」(へんじょうなんし)は、その代表的な例です。

なぜ去年はパワーポイントのプリントはカラーだったのに、今年はモノクロになったのですか。
二年連続の受講、ありがとうございます。たしかに去年の仏教文化論の資料はカラーでした。昨年度末に会計課から通知のあった比較文化のコピー代が、予想をはるかに超えていて、主任の島教授が困惑していました。昨年はカラーコピーの料金をはっきり知らなかったのですが、最近コピー機のところに「カラー18円、白黒4円」という掲示があり、ひるんでいます。なお、授業でお見せしているパワーポイントは、個人で利用する方には自由にコピーをしてもらっています。希望者はCDかメモリースティックなどを準備して、研究室に来てください。


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