書評:石澤良昭『アンコール・王たちの物語』(NHK出版、2005年)

 中国の雲崗や龍門、インドネシアのボロブドゥール、インドのエローラ、アフガニスタンのバーミヤン…。アジア各地には、巨大な宗教建造物が残されている。
 カンボジアのアンコール遺跡も、その一つ。約三百平方キロメートルの広大な空間に、アンコールワットやバイヨンなどの大伽藍(がらん)や王宮が点在している。
 これらが、世界で最も壮大にして優美な石造建築であることに、異を唱えるものはいない。しかし、誰が、何のためにつくったのだろうか。
 著者はアンコール遺跡研究の第一人者として、その調査と復興に半世紀近く携わってきた。現地で発掘された碑文や遺品から、アンコール王朝の二十六人の王たちを生き生きと描き出すことで、本書は、この巨大な文化遺産を生み出した背景を明らかにする。
 アンコールの王たちは、そのほとんどが武力によって王位を簒奪(さんだつ)した者たちだった。そして彼らのいずれもが都城、王宮、寺院の造営を、国家事業として押し進めた。その背景には、インドに起源を持つ宗教と政治の密接なつながりがあった。
 都城は宇宙をかたどり、王宮や寺院は、その中央にそびえる須弥山(しゅみせん)に他ならない。さらに寺院は国家を鎮護する役割を担い、王権儀礼の場となった。
 アンコールの遺跡には、かんがいなどの水利施設となる巨大な貯水池もつくられたが、これらも須弥山を取り囲む大海に相当する。アンコールの諸王は「神なる王」として、この宇宙に君臨したのだ。
 著者が、アンコールの基層文化を「水と大地の崇拝」と定義しているのは興味深い。現在、アンコールの遺跡は熱帯特有の巨木が生いしげり、かなりの崩壊が進んでいる。ここでは、自然が文化や伝統を押しつぶすのだ。
 アンコールの諸王は、大地から切り出した石によって文化を築き上げ、水利施設によって水をコントロールし、生産力を高めた。
 王たちの偉業は、まさに世界創造であった。自然の猛威を前になすすべも持たない大伽藍を、再び往古の姿へとよみがえらせようとする著者に、そのイメージが重なる。
(2005年9月〜10月 共同通信社配給の各紙読書欄)

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