「見ること」による救済
チベットの死生観


 チベットの宗教や文化は、しばしば死のイメージと結びついている。しかし、それは単なる死ではなく、自己あるいは他者の救済へと至るためのなかだちとしての死である。
 チベットの奇習のように紹介される鳥葬は、死体を解体して鳥に食べさせるという、世界でも他に類を見ない葬送の方法である。すでに魂の抜けた死者の身体を、鳥類に布施として与えるという仏教的な解説が与えられているが、鳥を介して死者の魂を天へと送ると説明されることもある。もっとも、実際は火葬のための薪が入手しがたいという地理的な条件の中で始められたともいわれ、高僧や裕福な家のものは火葬されることが多い。また、鳥葬や火葬の他に土葬、水葬、風葬の習慣もある。
 ダライラマやパンチェンラマに代表されるいわゆる「活仏制度」も、死と救済を前提としたシステムである。観音菩薩などの仏たちが、われわれ生類を救済するため、高僧の姿をとって何度も生まれ変わる。「活仏」に相当するチベット語は「トゥルク」で、仏が現実の世界に出現するための「転生者」を意味する。このような高僧が亡くなるとあらたな転生者探しがはじまり、そのために託宣、占い、予言、夢、瑞兆の検証などさまざまな方法が動員される。
 いわゆる「チベットの死者の書」も、このようなチベットと死というコンテキストでしばしば取り上げられる。「死者の書」というタイトルは、死後の世界での魂の遍歴をイメージさせるが、実際は死者の救済を説く経典で、本来の名称は「バルド・トェドル」(中有における聴聞による解脱)という。輪廻転生の中で死者が次の生をうけるまでの中間状態を表す「中有」(日本では「中陰」ともいう)のあいだに、この経典を僧侶が唱えることで、死者が再生をまぬかれ、仏の世界に生まれることを願う。一般に七週間すなわち四九日というのがこの中有の期間と考えられ、そのあいだに仏の救済にあずかることがこの書の主題である。輪廻思想ではすべての生類は天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄の六つの世界(六道)を無限に生まれ変わっている。仏教における悟りや救済は、このような輪廻という苦難の大海からの脱出であり、これを解脱という。
 「チベットの死者の書」は付属の願文をのぞくと、全体が三つの部分からなる。これは、中有の期間全体を、死の直後の「死の瞬間の中有」と、はじめの二週間の「存在そのものの中有」、そして最後の五週間に相当する「再生の中有」の三つに区切り、それぞれの期間に死者の眼前に展開される光景や、解脱の方法が説かれるためである。はじめの部分は「死の瞬間の中有における光明のお導き」とも呼ばれ、死の直後にあらわれる光明を手がかりに、仏と一体化して解脱する方法が示される。ヨーガの瞑想にたけた者や善業をつんだ者などのための解脱の方法として紹介される。第二の「存在そのものの中有」においては、柔和な姿をした四二の仏たちと、恐ろしい形相の五八の神々がつぎつぎとあらわれ、輪廻からの脱却をいざなう。ここは「死者の書」の中心的な部分で、大日如来などの仏が眷族をひきつれて光明とともに登場するドラマチックな光景がくりひろげられる。最後の「再生の中有」では、これまでの方法でも解脱がかなわなかったものたちのために、再生への入胎を避ける方法と、さらにそれにも失敗した場合、六道の中の上位の世界に生まれ変わるための手段が示される。
 「チベットの死者の書」の全体をつらぬいているのは、死者の視覚体験である。「死の瞬間の中有」ではまばゆい光明が現れ、「存在そのものの中有」では強烈な光をともなって、仏たちがつぎつぎと死者の前に登場する。「再生の中有」でも具体的なイメージを手がかりに、再生や悪い生まれ変わりを避ける方法が示される。また、死者が見るという幻影が随所で説かれ、これを実体のないものと知ることで救済されることが強調される。
 五感の中でとくに視覚を重視するのは、「死者の書」の中核をなす「存在そのものの中有」でとくに顕著である。そこではさまざまな仏が死者の現前に現れるが、彼らはあまりにまばゆい光明を放っているため、死者はひるんでしまう。その時、弱々しいが魅惑的な光が別の方角からさしこんでくるため、それにひきつけられると、天や人などの六道へと至り、ふたたび輪廻の中に引き戻されることになる。強烈な仏の光を受け入れることができた者のみが、その仏によって救済されるのだ。
 わが国でも平安時代後期にさかんとなった浄土信仰では、同じように「見ること」を強調する。平安貴族や僧侶たちは、死に臨んでは極楽への往生を願い、阿弥陀の来迎をひたすら念じた。「臨終行儀」と呼ばれる死を迎える儀礼では、死にゆく者の周囲にはともに往生を願う人々が集まり、さらにそこには阿弥陀が来迎する様子を描いた仏画や彫像も置かれる。阿弥陀の来迎を見ることは、死にゆく者ばかりではなく、まわりの人たちとも共通する願いであった。そして、当時の文献や絵巻は、来迎の視覚体験が、実際にこれらの人々によって、しばしば共有されたことも伝えている。死者の枕辺に置かれた来迎図や阿弥陀像は、彼らの視覚体験のモデルとなるイメージなのである。浄土信仰の実践の基本である念仏は、鎌倉時代以降、阿弥陀の名号を唱えることが強調されるが、本来、仏を念じることは見仏や観仏という「仏を見ること」であった。「見ること」による救済は、けっして遠いチベットのことだけではない。
 チベットの仏画を見ると、一般の日本人は毒々しいまでの鮮やかな色づかいに驚かされる。しかし、それを生み出したチベットでは、日常生活における視覚体験はきわめて限定的で素朴なものであったであろう。たとえ画像であっても彼らにとって仏を見ることは、非日常的な強烈な体験であった。照明設備や映像機器などに囲まれて、つねに視覚を刺激されることで逆に麻痺してしまったわれわれは、むしろ貧弱な視覚体験しかできないのかもしれない。特別なものや非日常的なものを見ることは、本来、人間の根幹にかかわるもっと切実なものだったはずだ。それは平安時代の日本人でも同じである。「チベットの死者の書」の中で死者の前でくりひろげられる光景は、「見ること」がそのまま死者の救いであることをわれわれに強く印象づける。
(『PSIKO』第30号 2003年3月、pp. 40-43)