マンダラと儀礼
先日、テレビの情報番組を見ていたら、京都の古寺に残る平安時代のマンダラが紹介されていた。キャスターが原稿を読み終わったところで、出演していたゲストが「マンダラって何ですか」と、隣にいた別のゲストに尋ねた。これは台本にはなかったようで、聞かれた方のゲストは「そんなことも知らないのか」という表情を浮かべた後、自分でも説明できないことに気がついて、一瞬、言葉に詰まった後、「少しずつ違う仏がたくさん並んでいて、見ると厳粛な気持ちになるもの」と答えていた。
マンダラを実際に見たり、そのことばを聞いたりすることが最近増えてきたが、マンダラが何であるかを説明できる人は少ない。しかし、密教の入門書のたぐいによくある「マンダラとは仏の世界の縮図であり、悟りの境地を表したもの」という知ったかぶりの説明をするよりは、このゲストの答えの方がまだよい。
いったい「仏の世界」や「悟りの境地」を見たことのある人がどれだけいるのだろうか。縮図というのであれば、それはどのようにオリジナルを縮小しているのだろうか。誰も見たことのない情景を描いていると説明されても、肯定も否定もできない。そして「マンダラとはむずかしいけれどありがたいもの」という通念だけが、一般に浸透している。
「マンダラはわれわれの心を表している」という説明もよく聞くが、これもあやしい。この場合の心とは、感情や潜在意識におそらく相当するが、仏教ではこのような心的な作用は、悟りを妨げるものと見なされている。ここでは詳しく述べる余裕はないが、この説明は心理学者のユングによるかなり強引な解釈に由来する。
マンダラはインドの密教の中で生み出され、その起源はおそらく仏たちの群像のようなものであった。仏たちを一体ずつ作って、規則的に配置したり、一枚の石板に複数の仏たちを浮彫で表した。このような作品が、実際にインドにもいくつか残っている。白い布に描くという記述も密教経典にはあるが、残念ながらインドには現存しない。
このような原初的なマンダラは、仏像や仏画と同様に、それを拝むことによって功徳が得られると考えられた。しかし、平安初期にわが国にもたらされたマンダラや、チベットやネパールの伝統的なマンダラは、それとは別の、そしてより重要な機能を持っている。それは灌頂という密教儀礼で用いられる一種の装置としての機能である。
灌頂は師から弟子に対して行われる入門儀礼であるが、師はこの儀式において、弟子に対して「おまえは仏になることができるのだ」という自覚を与える。儀式の中で弟子が目にするマンダラは、自分がなるべき仏のすがたと、その周囲の様子、つまり「仏たちの居住空間」を表したものなのだ。このことは、日本のマンダラよりもチベットやネパールのマンダラの方がわかりやすい。
マンダラで仏たちを取り囲む四角い枠は、壁や門などで構成された居城を表す。マンダラはこの建造物の平面図や立面図を一つにまとめたものなのである。しかも、その内部が見えるような透視図にもなっている。一方、内部の仏たちは、中央の仏から外に向かって放射状に配置されている。これも立体的な構造を平面に置き換えた結果であるが、それはとりもなおさず、中央の仏となった弟子の目に映る周囲の情景である。そして、仏たちは一体ずつ密教図像学の伝統にしたがって描かれている。
このように、マンダラは密教の歴史とそこで行われてきた儀式に密接に関連している。そして、それは儀式の中で主体的に関わるものに対してのみ、仏の世界を開示する模式図となる。マンダラを見るだけで、簡単に「わかって」もらっては困るのである。
(中日新聞2004年5月2日付)
*掲載紙には五護ダラニマンダラの図版が掲載されたが、著作権上、上記のマンダラに差し替えた)