金剛界マンダラというシステム


 わが国で最もよく知られているマンダラのひとつに金剛界マンダラがあります。「金剛の世界」と名づけられたこのマンダラは、大日如来を中心に置き、独自の方法で仏の世界を表したものです。今日はこの金剛界マンダラを理解するためのシステムについてお話ししましょう。
 今ご覧いただいているのは、日本の金剛界マンダラです。全体は縦横それぞれ三等分され、九つの部分からできています。そのため、このような形式のマンダラを「九会曼荼羅」と呼びます。九つの部分のうち、下の六つはいずれも同じ構造ですが、中に小さく描かれている仏たちの姿は、各部分で異なります。また仏の姿ではなく、法輪や金剛杵などのさまざまなものが描かれている部分もあります。上の三つの部分は、向かって左は5人の仏、中央は一人の仏、そして向かって右には9人の仏がそれぞれ描かれています。
 金剛界マンダラは、インド密教の中期にあたる7世紀頃に誕生しました。インドで生まれたマンダラの中でも、金剛界マンダラはとくに重要視され、インド密教の伝統を受け継いだチベットやネパールでも数多く制作されました。日本へも中国を経由して9世紀に伝えられました。
 しかし、日本以外の国や地域で作られた金剛界マンダラで、このような九つの部分から構成された作品は存在しません。たいていはひとつだけのマンダラで、これは九つの中央の部分に相当します。そしてこれが基本となって、さらに27種類のマンダラが作られます。日本の金剛界マンダラは、この28種類のマンダラの一部を取り出して、組み合わせたものです。それでは、なぜこのように多くのマンダラがあるのでしょうか。
 金剛界マンダラは大日如来を中心とした37の仏たちで構成されています。これらの37尊をすべてそのままの姿で描いたマンダラが、基本となるマンダラで、「大マンダラ」と呼ばれます。そしてこの大マンダラから、まず5種類のマンダラが作られます。5種類のうちのはじめの三つは、仏たちの持つさまざまな機能に焦点をあて、それを象徴的に表したものです。具体的には、仏の救済者としての側面を強調した「三昧耶マンダラ」、仏の智恵を象徴した「法マンダラ」、仏の活動を表す「羯磨マンダラ」の3種類です。それぞれ表現方法に特徴があり、たとえば三昧耶マンダラでは仏たちはシンボルで表現され、法マンダラでは智恵を象徴する金剛杵とともに描かれます。しかし、いずれも37尊で構成されていることは、大マンダラと同じです。
 残りの2種類のマンダラは「四印マンダラ」と「一印マンダラ」と呼ばれ、基本となる大マンダラを簡略化したマンダラです。四印マンダラは中央の大日如来を中心とする5尊のみで構成され、一印マンダラは1尊だけのマンダラです。
 以上の6種のマンダラは、総合的なマンダラに相当する大マンダラと、仏たちの機能を強調した3種のマンダラと、段階的に簡略化を進めた2種類のマンダラとにまとめることができます。
 さらに、この大マンダラから一印マンダラの6種のマンダラを一組にしたものが、全部で四セットあります。なぜ四セットかというと、仏たちのグループが四つあるからです。
 大乗仏教から密教の時代にかけて、数多くの仏たちが登場するようになると、彼らをいくつかのグループに分類するようになります。初期の密教の時代には、仏部、金剛部、蓮華部という三つの部族が主流でした。それぞれ代表となる仏がいて、仏部では釈迦、金剛部は金剛手、蓮華部は観音でした。このうち、釈迦は時代が進むと大日如来と交代します。金剛界マンダラが生まれた時代には、これらの三部に摩尼部という部族が加わり、四つの部族となります。摩尼というのは宝石のことで、部族の代表には虚空蔵という菩薩が選ばれました。
 これらの四つの部族はそれぞれが大マンダラ以下の6種のマンダラを持ちます。マンダラ内部のメンバーは部族ごとに異なりますが、構成する仏たちの数や位置はすべて同じです。また、三昧耶マンダラであればシンボルで表すといった表現方法も、四つのグループで共通です。
 このように、四つのグループがそれぞれ6種類ずつのマンダラを有するため、全体で24種類のマンダラができあがります。しかし、まだ28種類には4つ足りません。
 残りの4種類のマンダラは、金剛部に属するマンダラです。このグループのみは6種類ではなく10種類のマンダラがあるからです。
 金剛部のマンダラに登場する金剛手をはじめとする仏たちは、手には武器を持ち、恐ろしい姿で描かれています。彼らは、仏教の教えにしたがわない異教徒たちを改宗させるために、このような姿をとっているのです。異教徒とは大自在天という神に率いられたヒンドゥー教の神々です。金剛部の代表である金剛手は、これらのヒンドゥー教の神々、すなわち三世の神々を制圧したたことから、降三世明王とも呼ばれます。
 金剛手によって仏教に改宗したこれらのヒンドゥー教の神々は、あらたに仏教の仏として生まれ変わります。そして、仏教の仏と同じように、マンダラを構成します。彼らのマンダラも、やはり基本に大マンダラがあり、これに三昧耶マンダラ、法マンダラ、羯磨マンダラが続きます。ただし、四印マンダラと一印マンダラはありません。三世の神々で構成されるため、この4種のマンダラは「三世輪のマンダラ」と総称されます。
 前にあげた四つの部族の6種のマンダラ24種類に、この三世輪のマンダラを加えて、28種類のマンダラが、こうしてできあがります。
 わが国の九会のマンダラには、この28種類のうちのはじめの8種類が描かれています。中央には基本となる仏部の大マンダラを置き、これを取り囲むように仏部の残りの5つのマンダラが配されます。右上のマンダラのみは金剛界のマンダラではなく、『理趣経』という経典にもとづくマンダラです。なぜこのマンダラがここに置かれるようになったかは、よくわかっていません。残りの右の列の二つのマンダラは、金剛部の大マンダラと三昧耶マンダラです。別の見方をすれば、仏部と金剛部のはじめの二つのマンダラがそれぞれ隣り合って並んでいます。
 金剛界の28種類のマンダラを生み出した人々は、このように仏たちの世界を表現しました。私たちは「仏の世界」というと、極楽浄土のような情景を連想します。しかし、マンダラに描かれた仏の世界とは、仏たちを雑然と配した情景図ではありません。それは、不要なものを排除し、整然としたシステムでつらぬかれた、精緻な概念図なのです
(「心の時間」CATV スカイパーフェクト 平成10年放映の「曼荼羅について」第5回台本)