解体されるマンダラ


 今ご覧いただいているのは西チベットのラダック地方のマンダラです。ラダックを含むインドのカシミール州が外国人に開放されたのは、今からおよそ20年のことです。荒涼とした大地に点在するチベットの仏教寺院の中に、極彩色のマンダラが発見されたことは、世界中の人々に大きなおどろきを与えました。青色を背景に優美な仏や菩薩を描いたこれらのマンダラは、11世紀にもさかのぼるきわめて古いマンダラだったのです。
 今日はチベットのマンダラをとりあげて、その特徴や形態の変化についてお話ししましょう。
 ラダック地方の中でもとくに有名な寺院がアルチ寺です。ここにはわが国にも伝わる金剛界マンダラの傑作が、壁画として数多く残されています。これらのマンダラは大きな円で囲まれ、さらに正方形の枠の中にたくさんの仏たちが含まれています。彼らはすべと同じ向きに描かれていますが、マンダラを生んだインドでは、このような描き方は正しい方法ではありません。
 インドではマンダラは地面の上に作られ、そこに含まれるすべての仏は中央の仏を取り囲むように、放射状に描かれます。これはマンダラを瞑想する密教の行者のための配慮です。マンダラを瞑想する行者は、中央の仏と精神的に一体となり、自分自身から周囲の仏たちを生み出していきます。マンダラはこのための見取り図で、瞑想をするものにとっては、自分自身が中心となっている方が都合がいいのです。
 ところがアルチ寺の壁画のマンダラは、水平の地面ではなく垂直の壁に描かれてます。そのため、重力の支配する世界をそのまま壁面に表現することが可能となり、仏たちはすべて頭を上に向けた自然な状態で描くことができます。しかし、そのためにマンダラが本来そなえていた、瞑想のための工夫は生かされていません。「見るもの」と「見られるもの」という対立は、マンダラに描かれた世界と瞑想によって一体となろうとする行者にとって、妨げになるからです。アルチ寺の場合、瞑想のための配慮よりも、寺院の壁を装飾することにウェイトが置かれているのです。
 アルチ寺のマンダラの中に、下の部分に16尊の菩薩の姿を描いたものがあります。この16尊の菩薩は、本来は金剛界マンダラの中に含まれるものたちです。彼らの上に描かれているのも金剛界マンダラですので、それと密接な関係にあるこれらの菩薩たちを、マンダラから切り離して描いたと見ることができます。
 ラダックの東方でインドとの国境に近いピヤンとトンガというところに、最近、大規模な石窟遺跡が発見されました。このうち、トンガ遺跡にはアルチ寺などとほぼ同時代に描かれたマンダラの壁画があります。そのうちのひとつで、法界語自在マンダラと呼ばれる大規模なマンダラの壁画に注目してみましょう。
 このマンダラは全体が四重の楼閣で構成され、その中に二百尊以上の仏たちが含まれています。とくに、一番外側の第四重の楼閣には、百尊あまりの雑多な神々がいます。これらの神々は、第三重までの楼閣を取り囲むように描かれるのが一般的で、帯状に一列に並びます。しかしトンガ遺跡の法界語自在マンダラでは、これらの第四重の神々は一列には並ばないで、三重までを囲む円の外側に、水平に何列にもわたって描かれています。その数から見て、おそらく第四重の神々がすべて描かれているのではないようです。主要な三重までの楼閣を描き、残りのスペースを埋めるために、第四重の神々の一部が動員されているようにも見えます。
 これらは、マンダラを壁に描くときに実際のスペースにあわせて、マンダラの形態を柔軟に加工している例です。マンダラのために寺院やその壁があるのではなく、それらを飾るための素材として、マンダラが自由に用いられているのです。
 それでは、マンダラを解体して仏たちを取り出すときには、何か決まったルールがあるのでしょうか。
 今ご覧いただいているのは、チベットで人気の高いマンダラのひとつで、サンヴァラ・マンダラというマンダラです。多面多臂、つまり顔や手をたくさんそなえたサンヴァラを中心に62の仏たちで構成されています。サンヴァラ・マンダラの全体は四つの同心円の構造をとり、その外側をふくめ、五つの区画に分かれます。中心から順にABCDEと仮に呼んでおきましょう。
 中心のAにはサンヴァラと彼を取り囲む4人の女性の仏がいます。サンヴァラはパートナーをともなっています。BからDは、それぞれ8組16尊の仏たちを含み、いずれも八つの方角に一組ずつ配されています。一番外側のEには、単独の8尊の女尊がいます。
 チベットには、サンヴァラ・マンダラを構成するこれらの仏たちをマンダラから取り出して、一枚に描いた絵画が多く残されています。これはそのうちのひとつで、14世紀頃に描かれた作品ですが、中央にマンダラの中尊を大きく描き、そのまわりに小さな区画をつくって80近くの仏や人物を描いています。マンダラに含まれる仏たちは、アトランダムにおかれるのではなく、一定の規則に従っているようです。まず、Aの区画の4人の女尊は、ここでもサンヴァラの足元と光背の左右という、サンヴァラに一番近いところにいます。BからDの8組ずつの仏たちは、サンヴァラのまわりの2列の区画の内側に、それぞれまとまって置かれています。マンダラでは一番外側になるEの区画は、この絵画でも画面の左右の下の方という、サンヴァラからは一番遠いところとなっています。
 これ以外にも作品の上部には、インドやチベットの歴史上の人物で、サンヴァラの教えを伝えた者たちが描かれています。インド以来の教えの伝統が正しく受け継がれていることを示しているのです。また作品の一番下の段には、サンヴァラ・マンダラとは直接関係のない仏たちが置かれていますが、彼らはこの作品そのものを守る護法尊たちです。このような護法尊は、チベットの仏教絵画では、作品の主題にかかわらず、しばしば同じような場所に登場します。
 サンヴァラマンダラをもとにして描いた作品をもう一つ紹介しましょう。
 この絵では作品の中央のやや上にサンヴァラとそのパートナーが置かれています。そしてその足の下にピラミッド上の舞台が作られ、ここにマンダラの仏たちが並んでいます。マンダラの場合、サンヴァラの周囲に同心円状に広がっていましたが、この作品で上から下にAからEの仏たちが、横一列に並んでいます。上空の雲の中には、前の作品と同じように、サンヴァラの教えを伝えた人物が描かれています。また台の下にはたくさんの護法尊の姿も見えます。
 こうしてみますと、この作品も前の作品と同じように、マンダラから取り出された仏たちで画面が構成されていることがわかります。そして、マンダラで見られた中心から外へという方向が、ここでは、上から下へという垂直の方向に置き換えられています。さらにその上下にはマンダラにはなかった要素も加えられています。
 1枚の絵画ではなく、マンダラの仏たちで内部を埋め尽くした建物もあります。これは中央チベットにあるペンコル・チョルテンという仏塔です。およそ40メートルの高さを持ち、全体は8つの層からなっています。この建物の中には百近い小部屋があり、そのほとんどの壁面に、マンダラに現れる仏たちの姿や、マンダラそのものが描かれています。その数は2万とも10万とも言われますが、基本的に、上のフロアーに行くほど位の高い仏となっています。仏塔全体が仏教の仏たちの世界の全体像を表していることがわかります。ひとつひとつの部屋を回りながら、その内部を登っていく者たちは、仏たちの世界をみずからの眼と足でたどることができるのです。ペンコル・チョルテンの仏塔の中に作られた無数の小部屋や、そこに描かれたさらに多くのマンダラの仏たちは、仏塔全体をひとつの生命体にたとえるならば、それを構成する細胞のようなものなのです。
(「心の時間」CATV スカイパーフェクト 平成10年放映の「曼荼羅について」第3回台本)