マンダラを読み解く
きょうはマンダラの構造についてお話ししましょう。
いまご覧いただいているのは、チベットのマンダラです。全体が円で囲まれて、その中に正方形の枠のようなものが描かれています。マンダラの仏たちはその中に上下左右が対称になるように配されています。中心におかれているのはマンダラの中尊で、他の仏たちよりも大きく描かれています。そして、中央から遠い仏ほど、その大きさは小さくなっています。これらのまわりの仏たちは、不思議なことに、下のものは上下が逆転し、左右におかれたものは横向きに描かれ、頭を上に向けていません。日本のマンダラでは、マンダラの仏たちはすべて同じ向きで描かれますが、マンダラを生み出したインドでは、このマンダラのように、中央の仏から放射状に周囲の仏たちを描いていました。どうしてこのようなおかしな方法で描いたのでしょうか。また、マンダラ全体の円や正方形は何を表しているのでしょうか。
ここにサイコロのかたちをした積み木があります。これの絵を描けといわれた場合、どのような絵を描きますか。おそらく私たちの大半は、ご覧いただいているような絵を描くでしょう(図1)。しかし、この絵の場合、表されていない部分があります。裏側と下、そして向かって左側の三つの面は、この絵では見ることができません。もしこれらの見えない面に、たとえば何か模様があったとしても、それはこの絵からはわかりません。また、絵に描かれた三つの面は、上の面と向かって右の面も、本当は正面と同じ大きさの正方形であるはずなのに、ゆがんだかたちで表されています。あるいは、この積み木の中に何か入っていたとしても、それは外からは見えないため、絵の中に表現することができません。
このように、立体的なものを平面に置き換える場合、そこに描かれているのは、対象のきわめて限られた要素でしかありません。それは、絵を描くということが、あるひとつの視点から見たすがたを表現することと理解されることが多いからです。
私たちが見たり描いたりする絵は、多くの場合、遠近法によって支配されています。しかし、このような知識を持たない小さなこどもたちは、独特な表現で絵を描きます。たとえば、建物を描いたときに、正面だけではなく、側面や、場合によっては見えないはずの裏側や屋上まで、正面に続けて描きます。ちょうど、紙の箱を開いたように描くことから、このような方法を展開描法と呼ぶことがあります。また、建物の中にいる人物を描くときに、建物の枠だけを描き、その中に人物を並べることもよく目にします。建物の外からは見えないはずの人物が見えることから、からだの内部を見るレントゲンになぞらえて、レントゲン描法と呼ばれることもあります。
人物表現も独特です。家族のような複数の人物を描くときには、自分自身がしばしば大きく全体の中心におかれ、それ以外の人物は、両親のような身近な人物ほどその近くに大きく描かれ、普段あまり会わないような人物は、描かれたとしても、隅の方に小さく現れるにすぎません。客観的な情景ではなく、こども自身の心理的な距離を反映した、主観的な光景が描かれているのです。
こどもの絵に見られるこのような独特な表現方法は、マンダラの構造を考える場合に役に立ちます。
マンダラの全体は、大きく三つの部分に分けることができます。マンダラの全体を取り囲む外周の円の部分と、マンダラの仏たちの住む宮殿を表した正方形の部分、そしてその内側です。
マンダラの外周部は三重の帯でできていますが、これは宇宙全体を表しています。一番外側の帯は炎のかたちが描かれています。この宇宙を取り囲む炎で、そこが黄色、白、赤、青の四色で塗り分けられているのは、宇宙を支える地、水、火、風の四大元素を象徴しています。
その内側の細い帯には、金剛杵という一種の武器が描かれています。金剛杵とはヴァジュラとも呼ばれ、インドではもともと帝釈天の持つ武器でしたが、仏教にも取り入れられ、悟りの堅固さの象徴ともなります。ここに描かれた金剛杵は、実際は宇宙全体をすっぽりと包み込むバリヤーのようなものと考えられています。仏たちの世界を守る結界の役割を果たしているのですが、実際にそのすべてを描いたのでは中が見えませんので、一部だけを帯のように描いたのです。
外周部の一番内側は、いろいろな色で塗り分けられた楕円形が連なっています。これは蓮の花びらを表しています。マンダラを生み出した仏教徒のイメージする宇宙は、巨大な蓮の花でできていたのです。仏たちの住む宮殿は、そのハチスの部分におかれ、その周囲を花弁が取り囲んでいます。このような宇宙のイメージは『華厳経』などの経典に詳しく説かれています。
マンダラを構成する第二の部分である宮殿は正方形をしています。正方形は厚みを持ち、宮殿の外の壁を表しています。また、この壁の中央には、凸という字のようなくぼみが作られていますが、これは宮殿の四方に門があることを示します。
四つの門の外側には、水平の帯をいくつも重ねたようなものが描かれています。これは、建物の入口の前に建てられたトーラナと呼ばれるものです。ちょうど、神社の鳥居のようなものを想像して下さい。ここに描かれているトーラナのすがたは、トーラナを外側から見たかたちです。マンダラの外周部に近い部分が実際のトーラナの上部になり、宮殿寄りになるほど、トーラナの下の部分となります。トーラナを支える二本の柱は、宮殿の内部の門の左右に描かれています。トーラナの端に描かれる二頭の鹿と法輪は、実際はトーラナの頂上におかれています。宮殿全体が正方形で描かれているのは、宮殿を上から見たかたちですが、トーラナの部分は宮殿を真横から見たかたちなのです。同じことは、宮殿の外壁の部分についても当てはまります。この部分はいくつもの層に分かれていますが、宮殿全体の外側の壁が、上から下にこれらの部分からできていることを示しています。その回りにおかれた壷や樹木や旗なども、実際は宮殿の外壁の上に飾られた装飾品です。
このように、仏たちの住む宮殿は、こどもの絵に見られるように、その外観のすべてが平面化されて描かれているのです。
マンダラの宮殿の内部は、実際は外からは見ることができないはずですが、これもレントゲン描法のように、内部の仏たちのすがたがはっきりと描かれています。しかし、はじめににお話ししたように、中尊は頭を上に向けて描かれていますが、回りの仏たちは、中央の仏に足を向けたように坐っています。これはマンダラの瞑想に関係があります。
マンダラは単なる絵画ではなく、インドの密教の修行者たちの瞑想の対象でした。瞑想の中で修行者たちは、マンダラの中央の仏と一体となり、その仏そのものとなって、自分の回りに、それ以外の仏たちを生み出していきました。マンダラの周囲の仏たちは、中央の仏の分身でもあるのです。そして、これらの仏たちは、皆、中央の仏の方を向いて、取り囲むように坐ります。マンダラの宮殿の中に描かれた仏たちが、すべて正面向きで表され、中央の仏を中心に放射状に描かれるのは、中央の仏の視点から見たすがたであるためです。そして、周囲の仏ほど小さく描かれるのは、中央の仏からの隔たりが表現されているからです。
このように、マンダラの内部に表現されているのは、客観的な仏たちの世界ではなく、中央の仏と一体となった密教の修行者自身が目にする光景です。そして、マンダラ全体も仏たちの世界の単なる見取り図ではなく、その世界全体をできるだけ詳しく表現するために、さまざまな視点から眺め、そこから得られた視覚的情報を盛り込んだ、一種の設計図であるということができるでしょう。
(「心の時間」CATV スカイパーフェクト 平成10年放映の「曼荼羅について」第2回台本)