マンダラとは何か


 「マンダラ」ということばを聞いたことがありますか。日本密教の聖地高野山では、いたるところでマンダラに出会います。海抜およそ800メートルに位置する高野山は、周囲を山に囲まれた盆地です。その中心は大伽藍とよばれ、さまざまな建物が建てられています。伽藍の中でもひときわ高くそびえる大塔は、高野山のシンボルともいわれていますが、この中には巨大な5体の仏像が安置され、その周囲に描かれた仏たちとともに、立体的なマンダラを構成すると言われています。また、金堂の中には金剛界マンダラと胎蔵マンダラと呼ばれる2種のマンダラが向かい合わせにかけられています。多くの寺院の宝物を保存する霊宝館にも、たくさんのマンダラが収蔵され、展示されています。そして、周囲を8つの峰々に囲まれた高野山そのものが、地上に現れたマンダラ世界として、弘法大師空海によって、修行の場として選ばれたのです。
 「マンダラ」ということばは、日常生活の中でもときどき耳にします。新聞や週刊誌などでも「人間マンダラ」とか「世相マンダラ」のような使われ方をしています。そのような記事を見ますと、たいてい、複雑な人間関係や社会のさまざまな出来事が取りあげられています。そのため、多くの人が「マンダラ」とは混沌としたものを指すと考えているようです。しかし、本当はマンダラとは混沌とはまったく正反対のものを意味しています。
 また、マンダラを絵画の一種と考えている人も多いようです。密教美術のひとつで、たくさんの仏様の姿を小さく描き、これを幾何学的に配した細密画のようにとらえられています。たしかにマンダラは仏教絵画の1ジャンルとしてもあつかわれますが、単に鑑賞するためだけに制作されたものではありません。また仏像のように礼拝を主要な目的とした美術品とも、少し性格が異なります。
 マンダラはインドの密教徒によって生み出されました。釈迦によって紀元前5世紀に開かれた仏教は、インドでは13世紀の初めには滅亡してしまいました。このインド仏教の歴史の最後の数百年は密教の時代でした。インドの地から姿を消した密教は、その後、周辺諸国で生き続けました。わが国には中国を経由して伝えられましたが、その他にも北ではチベットやネパール、南ではスリランカや東南アジアの国々にも密教の教えは広がりました。マンダラの伝統はこれらの国や地域でも受け継がれ、多くの遺品が残されました。
 チベットの寺院の壁画に描かれたマンダラや、タンカと呼ばれる絵画のマンダラは、写真集などでよく目にします。チベットでは砂マンダラと呼ばれるマンダラの伝統も伝えられています。5色の砂を用いて、壇の上にマンダラを描きますが、描くといっても砂を少しずつ落とすので、専門の僧侶たちが何日もかけて制作します。ネパールにもマンダラは残されています。マンダラを描く絵師が現在でも彼らの伝統を守り続けています。東南アジアの国々ではジャワ島のボロブドゥールが有名です。ここでは巨大な寺院そのものが、マンダラに描かれた仏たちの世界を地上に再現させるために、綿密なプランのもとに建造されています。
 ところが、マンダラの発祥の地であるインドには、現在、マンダラはただひとつとして残されていません。インドの密教徒たちは、チベットに伝わる砂マンダラのようなものを作っていたことが文献に記されていますが、これらは現存しません。インドの密教遺跡には、マンダラを意識したと考えられる仏塔がありますが、これもマンダラそのものではありません。じつは、空海とその後継者たちによって伝えられたわが国のマンダラは、現存する世界最古のマンダラなのです。
 インドで生まれ、アジアの諸国に伝わるこれらのマンダラは、次の三つのことばで説明することができます。(1)宇宙の縮図、(2)悟りのための補助手段、(3)儀礼の装置です。
 第1の「宇宙の縮図」とは、マンダラが仏たちの世界をかたどった見取り図であるということです。古代のインドの人たちは、宇宙が巨大な山を中心として出来ていると考えていました。この山は須弥山と呼ばれ、その頂には、帝釈天の住む巨大な宮殿が建てられています。マンダラの全体はこの須弥山の山頂を中心に、宇宙全体を眺めた姿です。もちろんマンダラの場合、宮殿にいるのは帝釈天ではなく、大日如来などの仏や菩薩たちです。しかし、地上の帝王である帝釈天の贅を尽くした宮殿のイメージは、マンダラの中にもふんだんに用いられています。
 第2の「悟りのための補助手段」というのは、密教独自の実践法に関係します。インド密教の修行者たちは、自分自身と仏とが本質的には同一であると悟ることが、究極の目的であると考えました。これは、悟りとは大宇宙である世界全体と、小宇宙である自分の身体とが一致することであると言い換えることもできます。なぜなら、彼らにとってこの世界は最も根元的な仏から現れたものだからです。そのため、密教の行者たちは全世界がひとりの仏から顕現していくプロセスや、逆に全世界が仏に収斂するプロセスをたどり、最終的には自分自身がその仏と合一するという独特の瞑想を行いました。マンダラに現れた宇宙の縮図は、この瞑想を行うための見取り図で、これを手がかりに行者は瞑想を繰り返したのです。
 マンダラを説明する第3のことばは「儀礼の装置」でした。密教の行者たちは密教の実践を行うために独特の入門儀礼を受けることが課せられました。この儀式は「灌頂」と呼ばれます。灌頂では儀式に先立ってマンダラが準備されます。チベット密教ではすでにふれた砂マンダラが作られます。これはインド以来の伝統です。わが国では敷マンダラと呼ばれる布のマンダラを、儀式を行う道場の床に広げます。密教における究極的な目標が、仏と行者の本質的な同一性の理解であることはすでに述べましたが、灌頂とはこのことをこれから密教の修行を始める者に宣言し、それを自覚させるための儀式です。灌頂が授けられる者は、儀式の中でマンダラに対面し、師匠から自分自身がその中央に位置する仏と本質的には同一であることを説明されます。
 このようにマンダラは単なる観賞用の絵画や礼拝対象ではなく、密教独自の実践と深く結びついているのです。
(「心の時間」CATV スカイパーフェクト 平成10年放映の「曼荼羅について」第1回台本)