インド・ラダックの遺産

 ラダック地方はインド北部のジャンムー・カシミール州の、さらに北端に位置する。政治的軍事的な理由から、この地はおよそ三〇年前の一九七四年まで外国人に対して門戸を閉ざしていた。インド国内にありながら、ラダックがチベット文化圏に属し、きわめて古い創建の仏教僧院がいくつも残されていることは、今世紀のはじめから欧米の研究者の間ではよく知られていた。ラダックは東洋学者や美術史家の垂涎の的であり、開放以降はその渇を癒すが如く、日本を含め各国から多くの調査隊がこの地に殺到した。そして出版物や映像を通して伝えられた「秘境ラダック」のイメージ、すなわち、荒涼とした大地の中に峻立する僧院と、その中に描かれた極彩色のマンダラやグロテスクな仏の姿が、枯淡とした仏像を見慣れた日本人の目を驚かせた。
 ラダック仏教の調査や研究は七〇年代後半から八〇年代前半にピークを迎える。重要な研究成果はほぼこの時期に集中的に出版されている。本格的な学術調査隊が派遣されたという話も聞かなくなって久しい。ラダックの開放から四半世紀以上の歳月が流れ、この地の僧院やそれを取り巻く環境も変化した。今夏、ラダックを訪れた私の目に映ったのは、観光地化した僧院と、ヨーロッパや日本から訪れるツアー客の群であった。
 今回の調査の目的は、ラダックの現状を知ることにあったが、ラダック研究がけっして過去のものではないという思いを強くした。これまでに写真などが発表されている作品は、全体から見れば一部にすぎず、しかも詳しい研究がなされているのはさらにわずかであることを知ったからだ。たとえば、有名なアルチ寺には、これまで見すごされてきた小さな建造物に、ラダックでも最古層に属するマンダラが壁画として描かれていた。アルチの隣村のサスポール村にある石窟寺院も印象深い。五、六人も入れば狭苦しさを感じる程度の小さな石窟であるが、その壁面はマンダラの仏たち、釈迦と十六羅漢、チベットの高僧、成就者、菩薩、忿怒尊などの姿でびっしりと埋め尽くされている。チベットの仏教絵画のあらゆる形式が凝縮されたような空間であるが、このような例は中央チベットでも見ることはできない。釈迦の生涯の重要なシーンを描いた仏伝図が、いくつかの寺院に残されていることを知ったのも収穫であった。仏伝図はインドやチベットはもちろん、ガンダーラから中央アジア、そして中国や日本でも好まれたテーマである。仏教美術の比較研究としては恰好の題材なのだ。
 チベットの仏教美術研究は、この三〇年の間にめざましい進歩をとげた。その研究対象は、近年ではラサやギャンツェなどの中央チベットや、あるいはラダックよりもはるかに辺境に位置する寺院へと広がりを見せている。これらの成果をふまえ、チベットの仏教美術全体からラダックの持つ意義をもう一度とらえ直すべき段階に来ているような気がする。ラダックの仏教美術の豊穣さと、それがもたらす大きな可能性こそが、今回の調査で得られた最大の収穫だった。(2003年12月 共同通信社配信の各紙)