源流としてのインド



 観光でインドを訪れる日本人は、各地の遺跡や博物館で数多くの仏像に出会う。しかし、それはガイドブックで見慣れたものばかりではない。その中にはかなりの数の密教の仏像も含まれているが、ほとんどの観光客はその前を素通りししてしまう。ガンダーラの仏像やアジャンターの壁画ほど、一般の日本人にはなじみがないからだ。
 実際、インドに膨大な数の密教の仏像が残されていることは、専門家を除いて、わが国ではほとんど知られていない。とくに、八世紀以降北東インドを支配したパーラ朝という王朝下で作られたものが多いため、パーラ朝美術とも呼ばれている。従来、インド美術史においてパーラ朝の密教美術は、迫力に乏しい、装飾過多である、形式主義に堕しているといった低い評価しか与えられていなかった。しかしたとえばパトナ博物館が所蔵する弥勒像(写真)のように、優美で洗練された作例も豊富に残されている。
 パーラ朝の仏教美術は、日本の密教美術の源泉でもある。密教では釈迦以外にも大日如来や降三世明王のようなさまざまな仏たちが登場する。観音や文殊に代表される菩薩と呼ばれるグループにも、多くの種類が生み出された。女性の仏が現れるのも密教美術の特徴の一つである。日本の密教美術を彩るこれらの仏たちの原型を、パーラ朝の美術の中に見いだせるのだ。
 しかし、その一方で同じ密教美術でありながら共通しない点も多い。たとえば、代表的な密教絵画であるマンダラは、彩色画の形ではインドでは現存しない。また、日本の密教寺院が多く安置する不動明王や愛染明王は、ほとんどインドには作例が残されていない。信仰や礼拝の対象として人気のあった仏に、日本とインドではかなりの違いがあったらしい。はるかな隔たりがあり、文化も風土も異なる二つの国で、同じ姿の同じ仏が信奉されたことの方が奇跡に近いのだ。
 現在、インド美術の研究者の間では、パーラ朝美術の再評価が進められているが、アジア的な視点からの総合的な研究はまだ始まったばかりである。(2001年10月〜11月 共同通信社配信の各紙)