宗教学B:密教美術の世界
第13回 仏教の仏と異教の神
前回は講義の最終回なので、授業全体への感想も多く見られました。今回は原則として、全員のコメントを掲載しました(掲載不可にチェックを入れた方のものは省いてあります)。その分、質問への回答は最小限になりました。
教科書のまとめの問題でちょうどまとめた章(シヴァとパールヴァティーの子どもとかの話)がたびたび出てきておもしろかったです。やっぱり事前に読んだりして、予備知識があると楽しいです。仏教はヒンドゥー教の仏をよく像に取り込んでいますが、その逆はあったのでしょうか。結局、そうしたことで、余計に仏教はイメージ戦略において陥落して行くんですけど、ヒンドゥー教自体、シヴァやパールヴァティーがおとしめられたりして黙ってるっていうのも何だか変な気がしたので。
前回の話は、教科書を読んでいる人には、すでにおなじみの内容だったはずなので、理解してもらえてよかったです。最後に「教科書の内容は、前回までの話を前提にして書かれている」という私の話を聞いて、愕然とした方もいたかもしれませんが、それは少し言いすぎで、教科書の内容は、基礎知識がなくても理解できるはずです(それでも、原稿をはじめに見た編集の人は、少しむずかしいと言っていました)。後半部分の質問ですが、ヒンドゥー教と仏教の関係は複雑です。おそらく、ヒンドゥー教側は、自分たちの神々が仏教徒によってひどい扱いを受けていることをを知っていたでしょうが、相手にしていなかったとのではないかと思います。それほど、当時のインドではヒンドゥー教の優勢は決定的だったようです。
仏教の仏たちとヒンドゥー教の神々の相関関係を見て、他の宗教も関係しているものはあるのだろうかと思った。
インドの宗教としては、ジャイナ教がありますが、直接の相関関係はほとんどありません。また、当時はイスラム教が入ってきていますが、ご存じのように、イスラム教は偶像崇拝を完全に否定するため、神々のイメージの上で関係を持つことは不可能です。これらの主要な宗教の他に、民間信仰や特定の部族や社会階層の信仰する宗教などがあったことが知られていて、それらとは密接な関係があります。
以前に何回か見たスライドということで、違った解釈もできた気がします。今まで知らなかった仏などの世界がこの授業で知れました。
十数回の講義を通して、密教の世界観の壮大さと奥深さをすごく感じた。
文殊のような優しそうな顔の神から不動明王が生まれたなんて驚きだった。イノシシに載った摩里支天の絵を見て、すごく乗り物と仏の大きさがアンバランスだと思った。あと、足に敷いている白いものは何か気になりました。足元が汚れないようにしているのですか。
足の下の白いものは月です。密教の仏たちはしばしば月の中や、月の上に乗った状態で瞑想されます。
仏教がヒンドゥー教や他の信仰の神々を取り入れていた点が、民衆の信仰によって、対象に対して左右されやすい当時の仏教の問題点であったように思えた。結局、自身のイメージの源泉たる他の信仰の神々を殺すという矛盾は、このようなイメージ戦略の失敗が大きいのだと思った。
今日見た「ガネーシャ」や「シヴァとパールヴァティー」の絵が、変だけど細かくておもしろいと思いました。
仏教とヒンドゥー教では、シヴァなどの扱い方の違いがずいぶん違っていて驚きました。仏教とヒンドゥー教は対立していたんですか。
摩里支天の顔はよく見覚えがあった。実家にも似たようなものが飾ってあった。仏教の幼稚園だったからなつかしい像の形もあった。
やっぱり、ちょうど週一回の講義で、こんなにたくさん、いろんな神や仏たちが出てきても、ぜんぜん覚えられない・・・。まとめみたいなのを見ても・・・かなり分からない・・・。
千手観音などは複数の手を持っているのも理解できるのですが、他の国の殺戮の神々が同じような多くの手を持っているのは、その強さの誇示なのでしょうか。
強さの誇示もありますし、グロテスクを表す場合もあるでしょう。千手観音は救済の能力を表します。
いろいろ動物が出てきましたが、その動物にも、どれが強いとか、上下関係みたいなものはあるんですか。
基本的にはないでしょうね。ライオンや象が有力な仏の乗り物になることはあります。
ガネーシャ・・・たしか「印度屋」においてあった気がします。人気なんですね。なぜか5円玉とかがおいてあったのですが、何か意味あるんでしょうか。あと、首から花輪をさげてた気もします。シヴァとパールヴァティーの子がとつぜん「象」というのは驚きました。神さまだから、そういうのは関係ないんでしょうか。乗り物ならまだしも、本人だし・・・。
忿怒の表情をした姿の仏像が多く残されているのは、なぜなのでしょうか。柔和な表情をした姿からの方が、信仰を得られるような気がするのですが。神々の乗り物となる動物は、どのように選ばれているのでしょうか。仏教はヒンドゥー教の神々の影響を多大に受けたことから、衰退したのでしょうか。それとも、仏教が衰退してきて、復興させようと、ヒンドゥー教の神々を取り入れたのでしょうか。
はじめの質問の忿怒形の仏については、日本でも明王の信仰がさかんであることを見てもわかるように、けっして柔和なイメージだけが「聖なるもののイメージ」ではないということでしょう。インドの伝統を受け継いだチベットでは、さらにエスカレートした姿の忿怒尊がたくさんいます。最後の質問の、仏教の衰退とヒンドゥー教のイメージの借用は、どちらのケースもあったようです。
たくさんの仏像を見れておもしろかったです。イメージの伝来っていうのを、あらためて感じました。シヴァの首飾り(森による注・ここに丸顔のイラストがありました)、かわいくないと思いますよ(笑)。
マーリーチーの台座とスーリヤの台座の動物が、両方とも同じ動物でもいいという認識が、なぜ生まれたのか不思議だった。
太陽神が世界に目を向けて、悪を罰するというのはよく納得できる。太陽が世界を照らすイメージと合って、なるほどと思った。
マンダラっていいね。
ガネーシャは新鮮みがあった。象はネズミの上にのっていると言ったが、象とネズミはどのような関係があるのか。
わずか半年という短い時間で、密教美術が理解できたということはない。しかし、これをきっかけに、自分の世界が広がったと思う。仏教はもちろん、ヒンドゥー教まで足を踏み入れたが、人間の世界の奥深さを知れたような気がする。
以前に仏教系の大学に通っていて、仏教に少し興味があったので、講義をとりました。むずかしかったですが、今までのイメージと変わる部分も多く、奥が深いなと思いました。
最後のマーリーチーのスライドで、猪と馬を取り替えてしまっていいと考えられたのは不思議。イメージされるものはまったく違うイメージしか思い浮かばないのに、どうしてそうなるのか。
少し説明が足りなかったようです。実際のマーリーチーの作例に、台座にイノシシのかわりに馬が現れるのは、あきらかにスーリヤのイメージが影響を与えているという程度のことです。文献の記述では、マーリーチーが馬に乗ることは現れませんので、作品を作る人の中では、馬と猪は交代可能だったということになります。
今日はまとめで、今までで授業でやったことがつながっていることが、だいたい分かった気がする。いろいろ忘れていることも多かった。
生首の首飾りをしていた像が、グロテスクでした。
インドの像は、牛にのったり、象に乗ったり、亀のようなものに乗ったりしていておもしろい。
人間の首を飾りにしているシヴァが、カーリーの下敷きにされているのは、上には上がいるという感じでおもしろかった。
ガネーシャの像のキーホルダーなどを、私もどこかで見たことあるような気がしました。仏教は奥深いとあらためて実感しました。
仏教について知るためには、仏教だけではなく、ヒンドゥー教などについてもよく理解することが必要であると知り、とてもスケールが大きいと思いました。今日、以前見たことのあるスライドの説明を聞いて、教科書の内容を思い出しました。
シヴァ神が生首を首からぶら下げているのが怖かったです。マーリーチーやスーリヤの台座に、イノシシが使われていますが、インドの人たちはイノシシに乗って行動していたのでしょうか。
イノシシは実際には乗り物としては使われなかったでしょう。神さまの乗り物には牛や馬など、実際に乗れるものもありますが、孔雀やネズミなど、それができないものもたくさんあります。これらの動物は乗り物というよりも、その神の従者であったり、出自を表す動物だったりします。
シヴァがパールヴァティーに一目惚れという話でしたが、私の知っている話では、最初、シヴァとサティが夫婦で、サティが亡くなって、パールヴァティーはその生まれ変わり、パールヴァティーがシヴァを好きになったということでした。やはり神話にも、いろいろな説があり、何通りかの話があるのですね。
ヒンドゥー教の神々は家族を構成するという話をしましたが、もともとこれらの神は単独で信仰されていたようです。中世のインドで、シヴァとヴィシュヌを中心とした神々の体系が構築されたときに、既存の神々を家族として包摂していったのです。そのため、シヴァの妻にはさまざまな女神が現れます。
今さらな疑問ですが、神々はみんなさまざまな装飾品を身につけているが、仏とは質素なものというわけではないのかなと思った。結婚とかもしているが、神である彼らも、人間のように欲があるのかなと思った。
ヒンドゥー教の神々は仏ではないので、質素ではなくてもいいのです。仏は基本的に質素ですが、密教の時代には菩薩形の大日如来のように、装身具で飾られた仏も登場します。インドの神話に登場する神々は、とても人間的です。欲もありますし、失敗もします。その一方で、そのような神とは別の次元の、完全無欠で、全知全能の神も登場することもあります。
はじめはよく分からなかったけど、何となく仏教について分かったような気がする。
仏教の関係図を見て、つながりがよく分かりました。
神々の世界にも、さまざまな上限関係があるのに、たいへん驚いた。
日本の仏像が紹介されていたが、ヒンドゥー教のイメージがわかりやすい仏像は、そうではない仏像と比べて、かなり雰囲気が違っていておもしろかった。動物が像の中に現れるとハデに感じた。私はこちらの方の像が好きでした。授業では、今まで断片的にとらえていた密教のイメージが、まとまってとらえられておもしろかった。
『インド密教の仏たち』で、文章中に登場したが、写真では紹介されなかった神々を、今日はスライドで見ることができ、ガネーシャが象頭であるなどあらたな発見があった。インドの神々も、仏教の神々も、類似したイメージを持つのに、インドで仏教だけが衰退してしまったのは、皮肉に思えた(他の国では重要な宗教であるが)。「仏教の神々とヒンドゥー教の神々がきっちりとわかれたもの」だという先入観が、はじめの頃の授業に理解できないというか、違和感をしばしば感じてしまった理由だと思った。今日の講義は教科書の予備知識が役立った。
半期の授業を通して、それまでの先入観に代わって、新しいものの見方を習得してくれたようで、よかったです。
仏教の仏たちを考えるときに、ヒンドゥー教の神々についても考えなければならない、つまり、ものごとを考えるときには、一つだけのものを見ていてはいけないんだと思いました。この半年(もないけれど)の授業を通して、密教への考え方、接し方、見方が変わったような気がします。
そうですね。複数の視点を持つことが、学問をする上では重要なのです。
「作品から解釈へ」「解釈から作品へ」というのは、なるほどだと思った。あたらしい見方ができそうだ。
仏教とヒンドゥー教のつながりがこれほど深いものであるとは知らなかった。むしろ、ヒンドゥー教が中心となっている気さえした。それなのに、仏教の像はヒンドゥー教の神を踏みつけにしていることに対して、仏教の愚かな一面を見た気がする。
「愚か」とまでいうのは、少し酷なような気がしますが・・・。
最初は変な像だと思っていたが、だんだんと像を理解できるようになった。何で動物を乗り物にしているのか分からない。
シヴァには多数の信仰があると先生はおっしゃってましたが、シヴァは'破壊者であるともおっしゃいました。それで、シヴァの信仰とは破滅系のものなのでしょうか。教科書でモノクロのものが、今回カラーで出てきたりして、自分が思っていたものより、色鮮やかでびっくりしました。半年の間で、また新しいことを知ることができて、とてもよかったと思います。ありがとうございました。
色がたくさんあって、きれいで楽しかった。インドでは奥さんが夫を踏みつぶすなんて図も許されるみたいだけど、日本ではだめだろうなぁと思いました。
ガネーシャがシヴァとパールヴァティーの子ということで、神々もわれわれと同じように恋愛することに、とても親近感を持ってしまいました。今まで神といえば、崇拝の対象で、遠い存在だという考えがあったので・・・。
他の宗教の神を踏みつけている像があると教科書を読んで知っていたが、実物を見て、さらにショックを受けました。
インドの神で、女性神なのに、武器や生首を持って魔神を殺すということが、同じ女性として頼もしい感じがする。日本で残酷な女性神というものはあまり見られない気がするが、それはインドと日本の女性観の違いなのかと思った。
ガネーシャの愛嬌のある姿を見て、ババールを思い出した。「象のババール」という象の王様のアニメは、ガネーシャが関係があるのかなと思った。関係はないけれど、やはり、象という大きなイメージが、どちらの場合も王として、神として象を選ばせたのですかね?
「ぞうのババール」はフランスの児童文学者ブリュノフの古典的な絵本で、日本でも早くから紹介されています。アニメになったのは最近のことでしょう。プーランクという作曲家が、この物語にもとづいて音楽も作っています。地元のオーケストラ・アンサンブル金沢によるCDもあります。たぶん、いずれもガネーシャとは関係ないと思いますが。
鮮やかなのは、どこの国の影響なのでしょうか。この授業で芸術の不可解さを認識した。
今日は、日本の仏以外にも、ヒンドゥー教の神々を見たけれど、絵の色がきれいで、シヴァやヴィシュヌがとても人間らしく描かれていて興味深かった。ヴィシュヌやシヴァは同じ神ではあるが、性格が大違いで、どう考えても気が合わない間柄だと思った。帝釈天のところで、シヴァの「下克上」の話が出てきましたが、神々同士の争いというのは他にもないのでしょうか。
最初の方のスライドは配色がきれいだと思った。ただシヴァの身体が青くて、少し気持ち悪かったです。
今日の講義は最後のまとめだった。今までに見たことのあるスライドが何枚も出てきた。この講義を通して、少しは仏教のことが分かったような気がする。
仏教の神さまとヒンドゥー教の神さまとが、あらゆるとこでつながっていることにすごさを感じた。
シヴァは生首の首飾りを付けたり、蛇をたくさん体に巻いたり、'破壊の神らしい姿でした。美女といわれているパールヴァティーには、裏の顔もあったので、「きれいなバラにはトゲがある」のかと思いました。
もともといた神が合わさったり、違う面を見せたりするのがおもしろいと思いました。まったく違う神が取り込まれた背景には、仏教が広まっていったことと関係があるのでしょうか。
最初のうち、何が何だかよく分からなかったけれど、全体を通してみると、ちゃんと一貫したものになっていたんだなぁと思いました。まだ密教美術のことはよく分からないことがたくさんあるけれど、前よりも、どういうものなのか少し分かった気がします。
密教ではかなり昔から死を受け入れていたことが分かった反面、かなり恐ろしい神々が登場して困った。摩里支天がイノシシに乗っている様子を見ると、サーフィンのように思えてしまう。
シヴァなどの恐ろしい神々には驚かされた。仏教とヒンドゥー教の神に、これほどまで関係があるとは思っていなかった。
今までやってきたことが、仏教のほんの一部であり、まだまだ奥が深いというような話で驚いた。
教科書を読んでいて、いろんな仏や神のつながりがいまいち分からなかったんだけど、資料の39頁の図を見て、それぞれのつながりが少し分かった。
青色や赤色、黄色の鮮やかな神がとてもきれいだった。マヒシャースラヴァルディニーは、インドっぽい絵の雰囲気があった。仏教の仏とヒンドゥー教の神々との相関関係を見ると、インドと日本の仏教のイメージのつながりが分かった。神々に夫婦がいると聞いたけど、わたしたちみたいに結婚式をしたりするのかなぁと思った。今までの授業を通して、少しは密教美術について理解できた気がする。同じ作品を見ても、違う見方ができることにびっくりした。
神々や乗り物は高貴なイメージの動物が多いと思いました。犬や猫などの庶民的な動物に乗っている神はいないのですか。顔が動物になる意味がよく分かりませんでした。人間なのに顔だけ動物は変じゃないですか。
たしかに変ですね。でも日本でもキトラ古墳には獣頭の人物の壁画があります。犬や猫に乗る神は、インドにはいないようです。
今日の講義に「七母神」や「7頭の獅子」など「7」という数字がいくつか出てきたが、この数字は現代でも「ラッキー7」などという風に使われるように、何か幸運をもたらすような意味があったのだろうか。また、半年間お世話になりました。
ガルダの絵を見て、ペガサスのようだなぁと思いました。ガルダはどのような生き物ととらえられているのか疑問に思いました。
仏教の仏のイメージが、ヒンドゥー教の神々に由来していることが分かった。仏像の表す意味が、少し理解できるようになった気がする。
何よりもヒンドゥー教の神の多さに驚かされた。そして、ヒンドゥーの神と仏教の仏が結びつくのが不思議に思えた。たしかに授業がはじまった頃に比べ、作品の見方が変わったと思う。以前は意味のない訳の分からないものに見えていたものも、授業を受け、少しは意味が分かるものに見えてきた気がした。
インドの人の信仰が、シヴァ派かヴィシュヌ派に分かれるということを聞いて、多神教ならではという感じがしておもしろかったです。全体を通して、仏教の世界は複雑だなと思いました。
半年でさまざまな仏像や画像を見れて楽しかったです。今までまったく知らなかった世界なのでよかったです。
密教ではヒンドゥー教の神々を仏教に取り入れて、仏が優位であることを示していましたが、最終的にインドから消えてしまったのが仏教だったのは皮肉だったと思います。密教の知識は今までほとんどありませんでしたが、この講義でずいぶんわかったつもりです。が、奥の深い世界なので、まだわからないことが多いです。
さまざまな地域の像や絵を見れて楽しかった。他教でも関係することがあっておもしろく感じた。はじめはただの仏像などとして見ていたが、いろんな注目すべき点があるのを知ったので、夏休みに京都の仏像を見に行きたいと思います。
恐くない不動明王がいるとは思いませんでした。仏像に興味がもてるようになったのでよかったです。
仏教の神さまはインドの他の神とも関係があるのだと思った。インドの神さまはおもしろいと思った。
仏教とヒンドゥー教のイメージに関係があることはわかったが、この二つの宗教の世界観はここまで同じなのか。違う宗教どうしなのに、共通点が出てくることが不思議だ。
仏教の世界は広いと思った。今まで習ってきた神よりも、もっと多くの神が存在するのだとわかった。
ヒンドゥー教と仏教はとても密接だったんだなと思いました。そういえば『インド密教の仏たち』を読んだときも、たくさんヒンドゥー教の神々の名前が出てきていたので、仏教の神を説明するには、ヒンドゥー教の神が不可欠であるんだと思いました。半年やって、前より全然、仏教の神について知ることができたと思います。ありがとうございました。
今までまったく縁のなかった世界だったので、仏像を通じて仏教を考えるというのはおもしろかったです。半年間ありがとうございました。
蛇が卵を丸飲みしているイメージがあるんですが、仏教では宇宙に浮かぶ卵と、蛇(龍)の関わりはないのですか。シヴァ神の蛇には'破壊の意味でもあるのかなと思ったりもしたのですが、別にシヴァ神に限らず、蛇のモチーフは多いので、どうなのかなと思いました。
同じ作品なのに、知識がつくと見方が変わり、装身具などの持物にも注意を払って作品を見るようになったのはよかったと思います。講義が今日で終わるのは少し残念です。
(今までの講義を通して)この講義を受けるまでは、正直「仏教って古くさい」というイメージがあったが、講義を通して、仏教の世界観やマンダラのことなどを知って、仏教の奥深さ(?)に驚いた。授業を受けたかいがあった。先生が仏教についてとても詳しく、すごいと思った。
教科書を理解するためには、いろいろな知識がわかってはじめて理解できるものだったんだなと思って驚いた。
神々夫妻の図像が仲むつまじいので和みました。その割に、像になると夫婦が一緒にいるものはないのですね。少し違和感があります。曼荼羅を説明するためだけに、これだけの予備知識がいるとは・・・。宗教の奥深さを垣間見た気持ちです。
今まで仏像やマンダラをゆっくり見たり、仏教の世界観を教えてもらったりすることがなかったけれど、半年間の講義を受けて、そういったもののことが、少しではあるけれど、自分なりにのみこめてきた気がする。仏教がヒンドゥー教なしには説明できないものであることもよくわかった。
まとめを見て、やっと全体の関連を少しだけ感じることができました。機会があれば、もう一度スライドをじっくり見たいです。
ぜひ見て下さい。希望者にはスライドのファイル(パワーポイント)を提供します。
異なる宗教間の神々の間に、複雑な関係があるというのは意外な感じがしたが、日本でも歴史を見ると、神道と仏教の境もあってないようなものであるのを思うと、「この世界を創造した神」を作り出したのは人間であるし、異教の神々に相関性があるのも、異教を信仰する人間同士に交流があれば、自然なことなのかもしれないと考えたが、実際はいかがなものなのだろうか。
インドの神さまたちが、宗教を超えてきれいに分類できないほど密接にかかわっているのがおもしろいし、すごいと思った。やっと教科書で言っていたことが何となくわかった。国によって神さまのあり方がさまざまで興味深かった。人間の考えることはおもしろい。
日本の仏たちを理解するには、ヒンドゥー教の神さまたちを理解していかなければいけないということがわかった。大威徳明王、ヴァジュラバイラヴァ、ヤマの関係を示す形がおもしろいなぁと思った。
最初のシラバスを見て、どんな講義なのかというイメージとは、実際はかなり異なっていました。しかし、仏教はヒンドゥー教と深く関係しているのだと思えました。
今までヒンドゥー教にはあまり興味がなかったけれど、仏教ととても関係していたり、神々に家族がいたりして、とてもおもしろく感じて、興味がもてるようになった。あと、この講義で仏たちや神々を拝むだけではなく、その美術作品を通して、いろいろな解釈があって、とてもおもしろかった。
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