宗教学B:密教美術の世界

第12回 マンダラと儀礼


今まではマンダラを外から見ていたから、不思議な向きを仏たちが向いているなと思ったけれど、本当の見方は中心から見ることだとわかって、とても納得した。「灌頂の儀礼を行うダライラマ14世」のスライドの後ろにいた仏は、たくさん手があって、その手が何本かまとめて色分けされていたが、方位などを司る仏なんだろうか。複数の仏が合体したようなものなんだろうか。
手がたくさんある仏はカーラチャクラという名前の仏で、時輪(じりん)と訳されることもあります。インドの後期密教の代表的な仏のひとりで、『カーラチャクラタントラ』という経典に説かれます。日本の密教にはこの経典は伝わっていません。スライドで紹介した灌頂の儀礼は、この経典に説かれる方法で行われたもので、マンダラもカーラチャクラを中尊としたマンダラが準備されました。前回のスライドの中の、マンダラ製作のプロセスで紹介したマンダラです。授業でも少しふれましたが、この灌頂は、ダライラマが行ったきわめて大規模なもので、欧米のチベット仏教徒(そういう人もいるのです)も参加することができました。『カーラチャクラタントラ』には、低レベルの灌頂と高レベルの灌頂の2種類が説かれていて、そのうち、前者の低レベルの灌頂が行われました。いわば、アマチュア向けの灌頂です。日本でも結縁灌頂(けちえんかんじょう)と呼ばれる、同じような在家向けの灌頂があります。なお、カーラチャクラには腕が24本、顔が4つありますが、別に合体したわけではありません。多面多臂はこの時代の仏たちの一般的な特徴です。前回の授業でお見せした砂マンダラと灌頂の写真は、以前、私が翻訳した『曼荼羅大全』(東洋書林)という本から取ったものですが、そこにはカーラチャクラのマンダラや灌頂についての詳しい説明があります。

灌頂でも、以前、授業であった「釈迦と王のイメージが似ている」ということが、関係しているような気がして感心した。マンダラが弟子を仏にする儀式で使われるということだが、かなり修行した人でないと、自分が仏の世界の中心にいるなんて実感できないのだろうと思った。
「釈迦と王のイメージが似ている」というのは、まさにそのとおりで、仏像誕生の背景や、須弥山を中心とする世界観ともつながります。このほかにも、この授業で取り上げたトピックは、それぞれ複数の問題にかかわります。これについては、今回の授業の最初に、まとめて紹介するつもりです。仏の世界の中心にいることの実感は、もちろん、むずかしいと思います。実際、日本やチベットの密教では現在でも灌頂が同じような方法で行われていますが、はたして、その中の何人が、そのような実感を持っているか疑問です。しかし、儀礼とは意味が分かっても分からなくても、定められた方法で行うものなのです。

マンダラを作るために儀礼さえ必要だとは思いもしなかった。ただの美術品だと思っていたのに・・・。仏教はわずらわしい儀礼が多すぎる気がする。宗教はだいたいこのようなものなのだろうか。
マンダラを作ることも儀礼であることは、インドの宗教儀礼を考えると、むしろ一般的なことです。古代インドで行われていたヴェーダ聖典にもとづく儀礼は、儀礼の場所を作ることからはじまります。その多くは、宇宙を模した儀礼空間で、現実世界の中に宇宙の構造を再現することは、マンダラの製作と同じです。儀礼が終了すると、そのような儀礼の場が壊されることも、灌頂の後でマンダラを壊すことと一致します。「マンダラを最後に壊してしまうのはもったいない」という感想が多く見られましたが、壊すことも儀礼の一部なのです。壊さなければ「宇宙の創造」という、つぎの儀礼のはじまりができませんから。いずれにせよ、マンダラとは単なる美術品ではなく、密教の儀礼や実践に深く結ぶついたもので、マンダラの構造や意味は、そのような儀礼や実践を抜きにしては理解できないというのが、授業の主題のひとつです。儀礼がわずらわしいのはたしかですが、儀礼を行うことで、マンダラが持っていたそのような機能や意味が、明確になっていきます。儀礼は宗教を構成する要素のひとつですが、宗教によってその位置づけや重要性は異なります。たとえば、同じ仏教でも浄土教系の宗派は、儀礼に対して比較的、距離を置いています(まったくないわけではありません)。禅宗も座禅という実践方法を重視する分、それ以外の儀礼や行法にはあまりウエィトを置いていません。これに対し、密教は仏教の中でも、最も儀礼を重視する立場をとります。儀礼の比重は宗教によって異なるということです。ただし、いずれの場合も、儀礼をもったく持たない宗教というのはありえないでしょう。宗教とは個人の問題であり、伝統的なしきたりや、集団で行う行為には意味がないという考え方もありますが、宗教が存在するためには、儀礼が不可欠であることは、仏教以外の宗教を見てもわかります。

以前「セブン・イヤーズ・イン・チベット」という映画で、砂マンダラを見ましたが、余りもの細かさに感動して、どうやって作るのだろうと思っていました。今日は砂マンダラ作りの様子が見られて満足です。誰にでも作れるものではないと思うのですが、砂マンダラを作るのを専門にする僧がいるのでしょうか。灌頂の儀礼は弟子が仏になる儀礼と聞いて、なんておそれ多いと思いました。まわりを仏に囲まれるというのは、たいへんな気分でしょうね。
「セブン・イヤーズ・イン・チベット」の中で砂マンダラを見たという方が、これまでの授業でも何人かいらっしゃいました。私は見ていないのですが、この映画の原作はドイツ人の探検家ハンリヒ・ハラーのチベット滞在の記録で、若き日のダライラマ14世との交流などもつづられています。翻訳も『チベットの7年』というタイトルで白水社から刊行されています。じつはこの本のタイトルは、日本人としてはじめてチベットに入国した河口慧海という僧侶の冒険記『西蔵(ちべっと)旅行記』の英訳Three Years in Tibetを真似したものです。こちらも大正時代にベストセラーになった本です。本学には中央館地階の暁烏文庫に、貴重な初版本が所蔵されています。砂マンダラを作る僧侶は、僧侶の階級の中では下の方に位置します。多くの僧侶は修行の過程で、砂マンダラの製作も担当するので、おそらく、とくに専門の僧がいるわけではないでしょう。

灌頂儀礼を繰り返していけば、本当に多くの仏が生まれると思います。五仏など、既存の仏たちも、同じように灌頂を受けたりしたのでしょうか。
資料集に入れておいた文章でも紹介していますが、大乗経典では、灌頂を具体的に行う方法よりも、仏となったものたちが、すでに灌頂を受けているという文脈で、灌頂が言及されます。灌頂とは仏となるために必要条件としてとらえられていたのです。その一方で、弟子に対して実際に灌頂が行われていたという記述は現れず、実際の儀礼というよりも、理念的なものだったようです。大乗仏教や密教の時代には、無数の仏が登場しますが、そのすべてが灌頂を受けていたことになります。

国王即位の儀式として灌頂を行うなら、そのとき、マンダラは使うのか?使うのなら、国王となった人物は、マンダラに描かれている中尊を自分に重ね合わせて、たくさんの人に囲まれている王としての地位を、自覚したりするのだろうかと思った。
国王即位の儀式として灌頂を行う場合は、マンダラを使われなかったようです。王が世界全体に君臨するということは、儀礼の中でさまざまな方法によって王自身が自覚したり、あるいは儀礼に参加する人々に周知させたりしますが、その場合、マンダラは用いられませんでした。授業では国王即位儀礼が灌頂のモデルであると説明しましたが、じつはこれはわかりやすいように簡略化した説明です。実際は、密教儀礼の灌頂にとって、国王即位儀礼は理念的なモデルなのですが、実際の方法のモデルではありません。広く流布している密教の入門書などでは、たしかに「灌頂は古代インドの国王即位儀礼に範をとったもの」と一般に説明されています。しかし、実際に古代インドの国王即位儀礼を調べても、密教の灌頂との共通点はほとんどありません。その間をつなぐものとして、仏像などの完成式があるのではないかと私は考えていますが、このことは『マンダラの密教儀礼』という著作で詳しく説明しましたので、関心のある方は見ておいて下さい。

講義中、マンダラのスライドを見せてくれたとき、先生は「日本のものは撮らせてもらえません」とぼそっとおっしゃっていましたが、なぜ日本のものは撮らせてもらえないのでしょうか。
灌頂の儀礼というのは、密教儀礼の中でもとくに重要なもので、非公開で行うことが定められています(密教とは秘密の仏教だから、そう呼ばれるです)。結縁灌頂という在家向けの灌頂は、まれに写真や映像で見ることがありますが、これも本当は公開してはいけないものです。灌頂を公開しないというのは、インドで成立した密教の経典にもはっきりと記されていて、そればかりではなく、灌頂の中で行われたことは、一切、口外してはならないとあります。もし、漏らしたら、誓いを破ったことになり、地獄に堕ちるとまで書いてあります。以前、灌頂についての紹介を書いたときに、挿絵に使う写真が撮れないか高野山の知り合いに尋ねたことがありますが、とんでもないという返事でした。

マンダラは今まで、仏の世界を描いた芸術品だとばかり思っていましたが、今回の授業で、儀式に使われていたことがわかりました。こうした、マンダラを利用した儀式は、今ではどのような国によって行われているのでしょうか。また、授業で灌頂の過程のくわしい紹介がありましたが、これは書物などによって伝えられているのでしょうか。
マンダラを使った儀礼である灌頂や仏像などの完成式は、チベットや日本で今でも行われています。いずれも伝統的な方法を忠実に伝えています。ネパールでも同じような儀礼がありますが、灌頂が入門儀礼ではなく、人生の節目に行われる通過儀礼になっています。授業で紹介した灌頂のプロセスは、インドの密教経典や儀礼の解説書に書いてあります。とくに私は800年ほど前にサンスクリット語で書かれた儀礼の解説書をおもに使っています。この文献にはマンダラの描き方などの情報も含まれていて、当時のマンダラや灌頂について、豊富な情報を与えてくれます。前の質問にも答えたように、現在の日本密教の灌頂儀礼を調査することは、私のような一般人には不可能なのですが、その起源となるインド密教の文献から、詳しい内容を知ることができるのです。けっこうおもしろい作業ですよ。

今日の講義ではとばされてしまったのですが、ヴァーストゥナーガの絵は何だったのでしょうか。とても奇妙な絵で気になります。マンダラの儀礼の構図はわかりやすかった。
ヴァーストゥナーガはマンダラ製作儀礼の中で登場する図で、実際はマンダラを作る土地に描かれます。本来は、建築儀礼で用いられた図案で、ヴァーストゥは家などの敷地、ナーガは龍です。中央に立っているのがこのナーガで、碁盤目の升目にしたがって、その位置や形が定められています。これも、建築儀礼がマンダラの製作儀礼に転用された例のひとつです。ナーガがこれらの儀礼において持つ意味や機能が、たいへん興味深いのですが、詳しくは上記の『マンダラの密教儀礼』の中で説明してありますので、参照して下さい。また「ヴァーストゥナーガに関する考察」『東京大学東洋文化研究所紀要』第142冊 2003年3月、pp. 219-263という専門の論文も発表しています。

マンダラを作るのに、儀式がとてもたいへんだなと思った。それだけ崇高なものなんだと思う。儀式で「プルブを打つ」とあったけど、仏を打つということに驚いた。しかも、先生の丑の刻参りというたとえがおもしろかった。
プルブはチベット語で、例の金属製の杭を指す言葉です。サンスクリットではキーラといい、日本では「けつ」(きへんにまだれと朔という字です)といいます。キーラを打つときには、阿闍梨は自分自身が降三世明王のような忿怒尊になって行います(もちろん、瞑想の中の話ですが)。左手に持ったキーラを右手に持った金槌で打ち、それによって、儀式の場に侵入するような悪鬼や魑魅魍魎を串刺しにしてしまいます。丑の刻参りというのは単なるたとえではありません。実際に密教経典には、粘土や紙で人型を作り、それに特定の人物の名前などを書いて、キーラを打てば、呪殺することができるという儀礼が説かれていますし、それ以前から、キーラを地面に打つことで、呪術的な効果があることが、いろいろな文献に登場します。密教儀礼は、このような民間信仰も取り入れて成立しているのです。

仏像を仏にするために開眼供養を行いますが、修復のために解体するときには、仏を仏像にするための儀礼はあるのですか。
あります。修理のために解体するときには、仏像から仏を抜き出し、完成したときには、開眼供養と同じように、完成式をします。日本では「魂を抜く」とか「魂を入れる」ということが多いようです。このほか、展覧会などに出品するために移動するときにも、いったん、中の仏を抜き出し、展示室で再び入れることも行われます。われわれは展覧会で何気なく仏像を見ていますが、その前には、しっかり「入魂」が行われているのです。

王(菩薩)が雲から落ちてくる雨(=甘露)を受ける絵を見て、なぜか幼稚園のころ、像に甘茶をかける儀式を思い出しました。単に「甘」のつながりなんですけれど。甘茶にしろ、甘露にしろ、仏教は甘いのが好きなんでしょうか。
単なる「甘」のつながりではなく、しっかり関係があります。像に甘茶をかけるのは灌仏会(かんぶつえ)といって、釈迦が生まれたことを祝う行事で、釈迦が誕生直後に龍王から灌水を受けたことを再現しています。資料集の文章でも説明していますが、この灌水が灌頂のモデルとも見なされるのです。釈迦はその前世において長いあいだ修行をしてきたのですが、釈迦として生まれたことで、悟りを開き、法を説くところまで、ついにたどり着いたのです。それは、灌頂の儀式における最終段階に至った菩薩と同じです。そのため、灌頂の儀式では、阿闍梨が弟子に向かって、「釈迦が誕生直後に灌水を受けたように、私はあなたを灌水するのです」という意味の言葉を伝えます。なお、甘露はアムリタというサンスクリットに対する伝統的な訳語です(吉元ばななに同名の小説があります)。「甘い」という意味はもともとなく、「不死の霊薬」を意味します。



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