宗教学B:密教美術の世界

第11回 マンダラとは何か


以前、口から花を出すヤクシャのスライドを見て、先生が「ボッティチェリのプリマヴェーラにも口から花を出す神がいる」とおっしゃっていたとき、そんなのいたかな?と思っていたけれど、今日見てみると本当にいた。それほど違和感がなかったのか、それとも違う女神ばかりを重点的に見ていたのか、今まで気がつかなかった。授業ではマンダラの構造について詳しくやりましたが、マンダラの各部の「色」にも何か意味があるのでしょうか。光背は炎のように見えたし、緑色の皮膚をした仏もいましたが・・・。先週のスライドのウダヤギリの仏塔の四如来をあえて平面に表せば、マンダラのようになるのだろうと思った。仏塔とマンダラのつながりが少し理解できた。
よく見たことがある絵でも、細部まで注意深く見ることで、あらたな発見があることがよくあります。その一方で、知識が増えることで、同じ作品がまったく違った作品のように見えることもあります。美術史研究において、「見ること」と「知ること」は、たがいに交差しながら、継続して進んでいくのが一般的です。ボッティチェリのプリマヴェーラ(春)は、日本人であれば、歴史の教科書などで一度は見たことのある作品ですが、そこに何が描かれているかは、あまり知られていないのではないでしょうか。この作品はヨーロッパにおける美術史研究の出発点にも位置する作品で、膨大な研究がこれまで発表されています。小説でも辻邦生氏の『春の戴冠』のような作品で取り上げられ、その制作の背景も詳しく書かれています。これらを読むと、絵画を理解するためには、見ることに加え、さまざまな知識が必要であることがよくわかります。マンダラの色については、複数の人から質問がありました。授業で紹介しているマンダラのうち、チベットのものは、たいてい、中央と四方で色が塗り分けられていますが、これは仏の身体の色に対応しています。マンダラのモデルである須弥山の色が塗られているという解釈もあります。須弥山は理想の山なので、四面がそれぞれ異なる宝石でできていると説かれ、その色が反射しているのです。日本のマンダラはこのような明確な塗り分けはないように見えますが、何色を塗るかが厳密に定められているのは、チベットと同様です。仏塔とマンダラの関係についてのコメントはそのとおりで、それだからこそ、マンダラを取り上げる前に、仏塔、そしてそのモデルである宇宙の構造のお話をしたのです。突然、「マンダラは宇宙である」と言っても、おそらく理解不可能だと思いますので。

サイコロの話は、今まで当たり前だと思っていたことを考え直させるような話でおもしろかった。絵の見た目のそっくりさを表現するのではなく、本質を表現したというマンダラやピカソの絵の見方が、多少理解できたような気がする。でも、マンダラの構造の話はむずかしかった。マンダラを立体的に表すことによって、情報量が少なくなるということはおもしろいなぁと思った。チベットの人はそれを感じつつ作ったのでしょうか。
サイコロの話は「絵とはありのままを描いたものである」という通念を壊すために、よく用います。もちろん、この場合は「ありのまま」というのは、視点をひとつに固定した遠近法にもとづく絵という意味に相当しますが、これに続いて、子どもの絵をお見せすることによって、「ありのままに描いた絵」というのが、必ずしもわれわれが写実的に描いた絵ではないことを実感していただければいいのです。マンダラの話はむずかしかったかもしれませんが、前回の話はまだ前半で、今回の後半とセットで「マンダラとは何か」という疑問に答えを示します。それによって、前回の話も理解しやすくなるのではないかと思います。チベットの立体マンダラについては、私は授業で批判的なコメントをしましたが、チベット人にとってのマンダラの表現として、もちろん、重要な価値を持っています。立体マンダラを通して、チベット人にとっての「聖なるもののイメージ」を知ることができるからです。

マンダラの形式が幾何学的になるのは、何の影響からでしょうか。国外の数学というわけではないでしょうし。
マンダラは徹頭徹尾、幾何学的な構造をしています。これはちょうど、須弥山を中心とした仏教の世界観が、きわめて幾何学的であったことと対応します。インド人にとって、宇宙のような聖なる空間は、円や正方形のようなバランスの取れた形をとり、しかも、単純な数字によって表現できるものだったのです。われわれ日本人にとって、聖なる空間とは異界や桃源郷のような、茫漠とした、あいまいな領域のようなものですが、その対極にあるのが、このようなインドの「聖なる空間」なのです。「聖なる空間」が幾何学的な構造をするのは、インドではマンダラだけではなく、寺院や儀礼の空間なども同様です。いずれも「神の家」や「神の活動領域」を表し、その点で、マンダラも同じ機能を持っています。なお、インドは古代より数学や天文学が発達した国で、日本人が縄文時代で狩猟や採集生活を送っていた頃に、高等数学を駆使して測量や天体観測をしていました。最近、インドはIT大国とも呼ばれるようですが、何千年もの蓄積があるのです。

くだらない質問かもしれませんが、マンダラは今でも職人さんみたいな人が作っているのですか。買えたりするのですか。マンダラは解説を聞くととても興味深くおもしろかった。はじめてマンダラが美しいと思えた。
別にくだらない質問ではありません。マンダラは基本的に仏画師が描きます。日本にはそのような技術を持った方たちが、今でもかなりいらっしゃいます。もちろん、買うことができますが、オリジナルの作品は相当、高価です。ネパールやチベットに行くと、骨董品として、土産物屋でマンダラが売られています。中には本当に古いマンダラが売られていることもありますが、ほとんどが最近描かれたものです。しかも、伝統的なマンダラではなく、描き手が適当にデザインした「偽マンダラ」もたくさん出回っています。この授業で「正しいマンダラ」を見ておくと、そのようなものにだまされることがないかもしれません。平安時代などの日本の古いマンダラは、本当に美しいです。中学や高校の歴史の資料集などには、ぼやけた写真の曼荼羅がよく掲載されていますが、それを見ていても、すこしもその魅力はわからないでしょう。授業でときどき紹介する東寺の「西院本」も日本のマンダラの傑作のひとつです。この作品は平凡社から『教王護国寺 伝真言院両界曼荼羅』というタイトルの写真集も出版されています。たしか百万円ぐらいする本ですが、細部の写真がたくさん含まれ、息をのむような美しさです。

マンダラの製作に仏教の組織としての、布教を含めた何らかの意志が介在していたとすると、その構図の設定などの作業には、組織内の上位クラスの人間もかかわって、大がかりな作業になっていたのでしょうか。それとも、宗教観に長けた誰かが、単独(少人数)で作成していたのでしょうか。
マンダラをどのように描くかは、経典に規定されていますので、そのイメージは、経典の制作者たちによって作られたことになります。ただし、実際のマンダラは、全体の構図などはほとんど同じであるため、それを説明するテキストは、多くの経典で共通しています。マンダラを説明する定型句があり、それをほぼ踏襲していたようです。マンダラの種類によって異なるのは、マンダラ内部の仏たちのイメージで、これにはおそらく経典制作者や、その関係者の意図が介在したでしょう。その中には、宗教的な霊感をそなえた人物もいたでしょう。しかし、これらはあくまでも想像の域を出ず、実際に膨大な数の密教の経典が、誰によって、どのような状況で作られたかは、よくわかっていません。

マンダラにこんなに細かい設定があるなんてと驚きました。昔、神社とかの鳥居や柱が赤いのは、悪いものを近づけないために、血の色をしていると聞いたことがありましたが、マンダラが赤っぽい色をしているのと、何か関係しているのかなぁとふと疑問に思いました。昔、資料集とかで見たマンダラも、暖かい色(赤系)でしたし・・・。神聖な色とか?
神社の赤いのは朱塗りだと思いますが、たしかに魔除けの役割があるかもしれません。でも、血の色をしているから赤いというのはあまり聞いたことがありませんので、それを話した方の思いつきの可能性もあります。授業で紹介したマンダラで、赤っぽいのは、チベットのものだと思いますが、これは、この作品が作られた時代の様式に固有の特徴で、すべてのマンダラが赤っぽいわけではありません。このマンダラについては、学期のはじめに読んでもらった新聞の記事でも紹介しています。日本のマンダラは必ずしも暖色系ではないのですが、胎蔵マンダラの中心部分は、蓮華の花で構成されているので、その部分は赤が基調になっています。

多数の視点をひとつの絵に同時に表すということは、一点から見たものを描くことになれてしまっている私には、すごく不自然な感じがしました。でも、綱引きの絵を描いた子など、子どもにとっては、自然と受け容れることができるものなのかなぁと思った。見えるものすべてを表そうという方が、被写体に対する誠実さを感じると思った。
「被写体に対する誠実さ」というのは的確な表現だと思います。今回の授業でも紹介しますが、マンダラによって表された「仏の世界」を、儀式に参加するものはありありと見る必要があります。そのときに、壁や柱によって隠れているからと言って、その部分は見えなくてもよいということは許されません。見えるものをすべて表すためには、おそらくマンダラのような描き方が最も合理的だったのでしょう。その意味で、マンダラとは情景図ではなく、一種の設計図なのです。家を建てるときに、平面図や立面図などの図面に欠けているところがあっては、大工さんは困ってしまいますから。

近代の西洋画家は、東洋の絵画に影響を受けたということを耳にしたことがあるますが、一つのものをさまざまな視点から見たものを一枚の絵にするピカソのキュビズムは、実はマンダラをヒントにしたかもしれないと思ったりした。そのような手法は、マンダラよりもっと以前からあったんですか。
東洋の絵画の影響としては、印象派の画家への日本の浮世絵の影響が有名ですが、ピカソの場合は、アフリカなどのそれ以外の地域の民族芸術のようなものの存在が、よく指摘されます。ピカソがマンダラを見た可能性は、まったくないとは言い切れませんが、おそらくなかったでしょう。キュビズムのような手法がマンダラ以前からあったかということですが、むしろ、われわれが親しんでいる遠近法にもとづいた絵画が出現したのが、ルネッサンス以降の限られた時代だったということのようです。

外から見た立体を平面に見えたとおり描写されているとは知らなかったので、驚いた。いつも模様だと思っていたものが、立体を想定して考えると、それが壁であったりと、見る人によって、どんな立体が想像できるかが異なるのが、おもしろいと思った。視点をどこに置くかが、何か意味を持っているのかと疑問に思った。
コメントにある「見る人によって想像される立体が、必ずしも同じではない」ということが、私自身のマンダラ理解のヒントになっています。本来、「悟りの境地」や「仏の世界」を表したものであったとしても、実際に目にするマンダラが、その見取り図であるならば、そこからイメージされる立体的なマンダラは、イメージする人によってそれぞれ異なることになります。そのような不統一なイメージが「悟りの境地」などであるはずはありません。「視点をどこに置くか」という疑問については、今回、説明しますが、大きく分けて、外周部は全体を鳥瞰するような位置、すなわち、はるか上空から見ていて、楼閣は真横から水平方向に見ています。これに対し、楼閣内部の仏たちは、中心から外に向かって見ています。とくにこの点は、マンダラにかかわる儀礼から説明することができます。

・私の理解が悪いのか、マンダラの見方がまだわかりません。古代インド人は多くのものを表現するために、大きな労力を費やしてマンダラを描いたのだと思いました。立体マンダラに先生は批判的なようですが、私はおもしろいと思います。平面のみだとわかりづらいし、チベット人もそう思ったのかもしれない。立体ではすべてを表現できないかもしれないけれど、理解を助けると思います。
・「見えぬけれどもあるんだよ」って、金子みすずみたいですが、昼間の星とか、お守り袋の中身とか(開くとバチがあたるといわれる)見えることが重要ではなく、あるということが重視されるのだから、立体で中身が見えなくても、問題ない気がします(中身があるなら)。しかし、ドールハウスチックで、平面のものより、安っぽく感じられました。でも設計図というなら、それをもとに立体にしてみたくなるのもわかる気がします。
立体マンダラについては、このほかにも何人かの方がコメントしていましたが、そのうちのお二人のものを紹介しました。いずれも、ごもっともだと思います。私が立体マンダラにこだわるのは、例の「マンダラは仏の世界である」という無責任な説明にかかわるからです。われわれが目にする絵画のマンダラは、そのような仏の世界(あるいは悟りの境地)を「仮のすがた」で表したものにすぎないと、しばしば説明されます。そのため、それを立体に表現した立体マンダラは、本来の仏の世界を表したものと、勘違いされるおそれがあります。実際、マンダラの展覧会などで、チベットの立体マンダラを見る人たちのほとんどは、「これがマンダラの本当の姿なのだ」と納得しているようです。しかし、立体マンダラはあくまでもチベット人による解釈のひとつであり、けっして「本当の仏の世界」ではないことは、繰り返し述べているとおりです。中身が見えないことを積極的に評価することは、たしかに必要な場合もありますが、マンダラのような、いわば実用的な図では、それはおそらくマイナスとなるでしょう。



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