宗教学B:密教美術の世界

第8回 画一化するイメージ


古代インドには、カースト制があったと習ったのですが、釈迦は貴族出身ということで、人々に教えを説くときにも、人々の心の中に、「偉い方のおっしゃることだから」という思いがあって、結果的に仏教の普及の一因になったのでは?とふと思ったのですが、釈迦はみずからの出身を隠して説法したという文献は残っていますか。
そういうことはなかったようです。釈迦は王族の出身なので、クシャトリヤ階級に属します。釈迦に相当する「シャーキャ」というのは、彼が所属している部族の名前で、「ゴータマ・シッタールダ」というのが本名です。おそらく、シャーキャ族という名前を聞けば、近隣の人々はすぐにその出自がわかったでしょう。クシャトリヤの上にはバラモン(ブラーマン)階級、すなわち僧侶階級がありますが、釈迦の説いた教え、すなわち初期の仏教は、このバラモンを強く意識したものです。たとえば、仏教の基本的な教えに「無我」がありますが、これはバラモンの哲学の重要な概念である「アートマン」を否定するものです。また、「スッタニパータ」(『ブッダのことば』のタイトルで岩波文庫にあります)のような古層に属する仏典には、バラモンに対する批判的な言葉を釈迦が繰り返し説いていることが記されています。仏教が成立した社会的な背景を考えた場合、ガンジス川流域における都市の成立と、それにともなう商工業者などの新興勢力が重要な役割を果たしたといわれています。身分としては必ずしも高くはない彼らが経済力を蓄え、伝統的な階級制度を前提としない教えである仏教やジャイナ教を支持したのです。

修行の中の「見仏」とは何ですか。また、他にはどんな修行をしていたのかと思いました。
見物とは読んで字の如く、仏を見ることです。観仏ともいいます。釈迦が涅槃に入って以来、人々は仏の姿を見ることができませんでした。しかも、将来においても、弥勒という未来仏が出現するまでには気の遠くなるような時間が必要です。仏教とは仏に対する信仰を基本としますから、その仏を実際に見ることは、無理とはわかっていても、何とか実現したいと思ったはずです。あるいは、釈迦は涅槃に入ってしまっても、永遠の存在であるならば、何らかの方法で仏にまみえることも可能と考えたでしょう。仏教の僧侶たちは、このような意識のもと、仏の姿を瞑想の中で見ることを追求しました。そのときのポイントとなったのが、以前に紹介した三十二相八十種好です。身体的特徴を確認しながら、仏の姿を組み立てていくわけです。このような瞑想法はインドですでに行われていましたが、中央アジアで流行し、さらに中国や日本にも伝わっています。たとえば、日本で平安時代に流行した浄土教では、臨終に際して阿弥陀如来が極楽浄土から迎えにやってくること、すなわち来迎を一心に祈ります。そして、高僧や生前に功徳を積んだ人は、実際に阿弥陀の来迎があったことを、多くの文献が伝えています。その真偽はともかく、仏の姿を見ることへの強い願望が、仏教の歴史の中で、一貫として存在するのです。仏教の修行については、簡単には説明できないので、省略しますが、たとえば、大乗仏教では六波羅蜜といって布施、持戒、忍辱(にんにく)、精進、禅定、般若という六項目が基本となります。

マンダラと仏像はどちらの方が格が高いのですか。また、マンダラのようにたくさんの仏像が同じ場所におかれている場所は世界中にありますか。
マンダラは仏たちの集合図なので、どちらかが格が高いと言うことはできません。マンダラのように仏が配置されている例は、仏教、とくに密教が伝播したところにはいろいろ見られます。たとえば、インドネシアのジャワ島にある有名な遺跡、ボロブドゥールは、巨大なピラミッド型の建造物ですが、全体は仏教の世界観に基づいて作られ、とくに上層部はマンダラの配置を参考にしています。また、チベットのギャンツェというところにあるペンコルチョルテンという仏塔は、建物の内部に10万とも100万とも言われる膨大な数の仏たちが含まれますが、その全体がマンダラと同様、仏たちの世界を表現しています。規模は小さいですが、日本の仏塔にも、内部に五仏を安置したものが多くあり、これもマンダラの主要な仏五尊に相当します。

高校生の頃に資料集ではじめて曼荼羅を見て、とてもきれいだと思いました。それ以来、曼荼羅を見ることが好きですが、実物は見たことがありません。どのくらいの大きさのものか見当がつきませんが、実物大はどれくらいなのでしょうか。
曼荼羅を見るのがお好きということであれば、この授業は格好の内容となります。だんだん、曼荼羅の話になっていきますから。曼荼羅の大きさはいろいろです。たとえば、空海が中国からもたらした曼荼羅は、一辺が五メートルほどもある巨大なものです。これをつり下げるためには、かなり天井の高い寺院が必要です。この曼荼羅は現存しませんが、それをほぼ同じ大きさで写したものが、京都の国立博物館にあります(正確に言えば、オリジナルを転写したものを、さらに転写したものです)。しかし、このような巨大なマンダラはどちらかといえば少なく、現存している日本のマンダラは、むしろ、一辺が2〜3メートルのものが大半です。マンダラはチベットやネパールにも残されていて、そこでは絵画の他に壁画や天井画としても描かれています。この場合も、大きさはさまざまで、天井や壁全体を使った大規模なものから、一辺数十?の小さな絵画まであります。曼荼羅の実物は密教系の寺院に行けば見られることがありますが、文化財として重要なものは、京都の東寺や和歌山の高野山、あるいは上記の京都などの博物館で所蔵されています。いつも展示されているわけではありませんが、仏教美術の展覧会をチェックしていれば、けっこうその機会はあります。

仏の大量生産ということにどうも抵抗があります。いくら受容があったとしても、大量生産するものではないと思ってしまうのですが・・・。ものではないし。あと、大量生産によって価値(?)が下落したりした仏はいますか。ありがたみが減ったというか。
大量生産ということばは、理解しやすいように用いたたとえです。実際に工場でせっせと作られたわけではありません。もともと、仏の種類が増えたのは経典などの文献の中だけの話で、寺院や僧院に安置された仏の種類は、意外なほど少ないことは、授業でも紹介したとおりです。文献の中では名前さえ変えれば、つぎつぎと新しい仏を登場させることが可能であったことを、イメージとして「仏の大量生産」と呼んだのです。しかし、「価値が下落」という経済的な(?)視点はおもしろいです。仏の種類が増えれば増えるほど、それぞれの仏のありがたみはたしかに経るかもしれません。その結果として、もうワンランク上の特別の仏を登場させたり、仏はたくさんいるけど、われわれに直接働きかけてくれるわけではなく、むしろ菩薩の方が身近な存在であるという発想が生まれたりします。

密教や明王のイメージは、日本にも早くから伝わったのに、画一化が日本で進まなかったのは、チベットなどと比べて、仏教がそれほど栄えなかったからですか。
仏のイメージの画一化は、インド密教では時代が進むほど加速していきます。それは、マンダラの規模の拡大とも関係し、膨大な数の仏が生み出され、それぞれが固有のイメージが必要とされたからです。イメージ全体をそれぞれ作り出すだけの余裕がないため、それは部分的なものにとどまらざるをえなかったのでしょう。日本に伝えられた密教は、まだこのような段階には至っていないため、明王に見られるように、それぞれのもつ固有の特徴は、身体的な特徴など全体に見られます。このような明王までもが画一化したのは、その後の段階なのです。日本に伝えられたこのようなイメージは、文献や作例として忠実に伝承されたので、変化することはあまりありませんでした。また、インドの後期の密教のように、あらたな仏を生み出すこともなかったので、画一的なイメージに頼る必要もなかったのです。もちろん、日本固有の仏もいくつかいますし、たとえば神道などの別の宗教から取り入れられた神もいますが、その数は、仏の世界全体から見ても、さほど多くはありません。

イメージの画一化が進んでいったということは、密教が行き詰まり、その時代から衰退していったのですか。イメージの画一化によって、仏を大量化することの意味はあるのですか。増加することの意味が分かりません。
後半の質問については、ひとつ前の回答を参照して下さい。前半についてですが、授業でもお話ししたように、ポジティヴな面とネガティヴな面があります。ポジティヴな面としては、仏の世界全体を把握するのが容易になりますし、それは、何十、何百という仏を含むマンダラを描いたり、瞑想したりするときに威力を発揮したでしょう。このことを授業では学校や軍隊を例にとって、「管理の効率化」のような説明をしました。しかし、全体としてはネガティヴな面の方が強かったのではないかと思います。それは、教科書の最後の方の章でも取り上げている問題でもありますが、インドにおける「聖なるイメージ」のオーソドックスな作り方から逸脱しているように見えるからです。実際の作品としては、仏像の種類はそれほど多くはないことや、このような画一化されたイメージが比較的限られているということは、一般の人々のレベルでは、仏の種類の増加とその結果として生じた画一化が、受け容れられていなかったことを示しているのでしょう。人々の信仰を失った宗教が勢力を失い、衰退していくことは自然な流れなのです。

八大菩薩の作品では、人間と同じ大きさのものがあったり、奈良の大仏のように、人間よりもはるかに巨大なものがあったりと、仏像にはさまざまな大きさのものがあるが、仏教では神々の大きさは決まっていないのか。
決まっている場合もありますし、決まっていない場合もあります。われわれから超越した仏のような存在は、一般に巨大なものとしてとらえられています。奈良の大仏については今回取り上げますが、あれほど大きな姿をしているのは、この仏が宇宙全体にも匹敵するからです。あるいは、タリバンによって爆破されたアフガニスタンのバーミヤンの大仏もとても大きく、高さだけでも奈良の大仏の3倍ほどありました。このような巨大な仏は、中央アジアや中国にもしばしば見られます。いずれも、宇宙的な規模を持った仏たちです。しかし、仏が宇宙と同じ大きさであるといっても、その大きさを表現することはできません。このことは授業で紹介した「聖なるものは表現されることを拒む」という考え方に一致するものです。ちなみに、インドには大仏のような巨大な仏はほとんど存在しません。このこともインドにおける「聖なるものの不表現」の例としてとらえることができるでしょう。

マンダラのお話の中で、「たいていは4の倍数・・・」とさらっと言っていましたが、4の倍数にすることに何か意味はあるのでしょうか。
4の倍数というのは、マンダラの四方に対応するからです。マンダラを見ると、上下左右が対称形になっていることがわかるはずです。これは東西南北の四方に対応するのですが、各方角にバランスよく仏を配置していくと、ひとつのグループは4ないしはその倍数となるのです。なぜ、マンダラがこのようにシンメトリーな構造をしているかについては、今回からの「仏教の世界観」から順に説明していく予定です。


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