宗教学B:密教美術の世界

第7回 日本密教の源流


五劫思惟阿弥陀如来坐像、あれは絶対アフロです!! パンチパーマとかは阿弥陀がモデルなのでは・・・。菩薩たちは修行中とのことですが、修行が終わって仏になるときの名前は決まっているのですか?また、仏には絶対なれるのですか。
そうですね。アフロというのがぴったりです。五劫思惟阿弥陀は鎌倉時代頃に中国から日本に伝わり、いくつかの作例が残されています。髪型も特異ですが、全体に童女のような雰囲気があり、授業で紹介すると、たいてい好評です。美術史的に言えば、宋代の中国仏教美術の写実主義のひとつのあらわれですが、理屈なしに楽しめる作品です。菩薩は菩提薩☆(☆は土へんに垂)というのが正式で、菩提すなわち悟りに向かって決意を持つものというニュアンスの言葉です。もともとは悟りを開く前の釈迦に対して用いられた呼称ですが、大乗仏教の時代になると、仏教の修行をするものであれば、だれでも菩薩と呼ばれるようになります。これと平行して、授業でも紹介したように、仏の種類が増えるので、世界には無数の仏と、その予備軍である無数の菩薩が存在することになります。悟りをめざして修行すれば、あなたも私も菩薩になるわけで、いずれは仏になれることになりますが、それほど簡単ではありません。誰でも菩薩ではあるけれども、そこから仏になるためには無限に近い時間が必要であるからです。また、自分は悟ることができても、他にまだ悟ることができないものが一人でもいたら、その人が悟るのを助けてから、自分はその後で仏になるのが理想の菩薩なのです。衆生救済のために無限に輪廻し続けなければなりません。このような悠長なことには我慢ができない人のために、即身成仏、すなわち現世で悟りを開くことを説く密教が現れます。さて、菩薩と仏の名前ですが、決まっているものもあれば、決まっていないものもあります。弥勒はそのまま悟りを開いても弥勒ですが、観音は蓮華王という名前の仏になると説く経典があります。

日本の薬師は阿弥陀の像は、インドよりもガンダーラの像によく似ていると感じた(とくに衣装が)。今日のスライドの最初に、「神々の世界」というのがあったが、仏や菩薩は「神」とは別物だと思っていたので、「あれ」と思った。救済に働くのが菩薩や忿怒尊なら、少なくとも仏は他の宗教で言う「神」ではないと思うのですが。
様式の共通点に着目されたのはいいことです。たしかに衣装の表現方法は、神護寺の薬師はガンダーラの仏像に似ていますね。どちらも襞(ひだ)をゆったりと取り、少し厚みのある衣装で、衣紋が流れるように表現されています。顔つきはガンダーラの仏像は彫りが深くて、鼻が高いなど、薬師像とはかなり異なりますが、薬師像の堂々とした面貌が異国風の印象を与えるのもたしかです。これからも個々の作品の細部の表現に注目して下さい。さて、仏教の仏たちを「神」と呼ぶことについてですが、たしかに違和感があると思います。まとめて「仏たち」と言ってもいいのですが(私の本のタイトルではそうしました)、仏というのは狭い意味では、悟りを開いたものを指すので、菩薩や明王、天は含まれなくなります。「聖なる存在」とか「超越的な存在」というような、宗教学的な用語もありますが、わかりにくいし、冗長なのであまり使いたくありません。一般には「神」という言葉からはキリスト教やイスラム教の神を連想しますが、もう少し広い意味でとらえて下さい。ちなみに「かみ」という言葉は、「恐ろしいもの」とか「むやみに近づけないもの」という意味だったそうです。宗教学者や民俗学者によっては「カミ」とカタカナ書きをして、日本のやおよろずの神を指すこともあります。

菩薩が出世して如来になるということは、菩薩と如来の中に同一人物がいるのか。大日も菩薩のときがあったのか。
大日にも菩薩のときがありました。『金剛頂経』という重要な密教経典のひとつには、一切義成就菩薩という菩薩が悟りを開いて大日如来になるという話が現れます。このとき、仏の位についた大日如来は、世界を見渡したため、あらゆる方向に顔があるということで、授業でも紹介した四面の大日如来として表されることがあります。ただし、一般には大日如来は「法身」という特別な仏で、あらゆる仏の根源的な存在と見なされます。釈迦も薬師も阿弥陀も、大日如来が姿を変えて、現れたことになります。その場合は、悟りを開く前の菩薩という考え方は認められなくなります。

人々が救いを求める宗教の仏たち(神々?)を、ランクで区別できると思うと、俗世的な感じがするし、もし自分の信じる仏がランクの低い仏だったら、嫌な気がします。別に昔の人はランクなんて意識して信仰していたわけではないでしょうけど。また、何度か出てきたことがあるが、他教の神を踏みつけにする像など、僕のイメージでは神にあるまじき行為のような気がするんですが、昔の人々はそんな感覚は持たなかったのでしょうか。
ランク付けというのとは少し違うようです。むしろ、救済の対象であるわれわれに応じて、それに最もふさわしい姿をとって現れたと理解されることが多いようです。どちらかといえば、仏たちはそれぞれ固有の機能や能力を持っていて、分業体制で衆生救済にあたっていると見た方がよいかもしれません。このような「神々の役割分担」は、インドでは古代のヴェーダの神々から伝統的に見られます。また、悟りを開く前の菩薩の方が、悟りを開いた仏よりもランクが下なので劣っているという考えもなく、むしろ、自分の悟りを犠牲にしてまで、われわれの救済につとめてくれる菩薩の方が、大乗仏教以降は人気が高い場合があります。また、不動明王のように、頼りがいのある(?)仏も多くの信仰を集めました。異教の神を足の下に踏むことについては、授業で取り上げますので、それまでに、いろいろ考えてみて下さい。ひとつだけ言っておくと、インドの神々、とくにヒンドゥー教の神々も、足の下にいろいろなものを踏みつけています。仏教だけではないのです。

密教に関する語によく「金剛」という言葉がつくが、もともとはどういう意味なのだろうか。
金剛はサンスクリットでヴァジュラといい、もともとはインドラ(帝釈天)が手にする武器でした。リグヴェーダなどに現れるインドラは、手にしたヴァジュラでヴリトラという大蛇を退治し、ヴリトラが蓄えていた水を解放します。ヴァジュラは雨雲から落ちてくる雷をイメージした武器とも言われます。ヴァジュラの語は同じように武器として、あるいは堅固なものを表す語として、仏教の文献にも早くから登場します。密教ではとくにこの語を好んで用い、仏教の真理そのものを指す場合もあります。真理が堅固であることを象徴するのです。密教の仏たちはしばしば金剛を手にし、金剛によって守られ、金剛でできた世界に住んでいるとも説かれています。

京都の三十三間堂に行ったときに、たくさんの千手観音像に感動しました。それから何となく千手観音に興味があるので、密教美術とはあまり関係ないかもしれないけれど、授業で取り上げてほしいです。
昨年度の私の文学部での授業(仏教文化論)では、観音を取り上げ、半年にわたって詳しく紹介しました。ホームページにそのときの概要と、質問・回答が掲載されていますので、参照して下さい。三十三間堂は正式名称は蓮華王院といい、妙法院という天台宗の名刹の一部になっています。後白河法王の時代の創建で、一度、兵火に遭いましたが、鎌倉初期に再建されています。中の仏像もそのときのものが大半です。京都の観光の名所なので、いらっしゃった方も多いと思いますが、クローン人間のように並ぶ千体の千手観音に圧倒されます。中央には坐像の巨大な千手観音も安置されています。千体の千手観音には第〜号というようにすべて番号が振られているのは知っていますか。同じように見えますが、注意して比較すると、微妙に違うところがあり、その一部は誰が作ったかもわかっています。

愛染明王について。西洋の愛のキューピットと同じように弓と矢を持っているなんて驚きました。それぞれ独立して、弓と矢のシンボルが生まれて偶然に同じになったのですか。それともどっちかが真似をしたんですか。
独立しているわけではなく、インドからヨーロッパにかけて広く見られる共通した愛の神がいました。インドではカーマと呼ばれ、弓矢を手にした姿が早くから文学や神話に登場します。ちなみに「カーマ」というのは「愛欲」や「性欲」という意味の普通名詞ですが、金沢あたりではホームセンターの名前になっています(関係ないと思いますが)。ヨーロッパ世界ではギリシャやローマですでに弓矢を持った童子の姿であらわされ、しばしば目隠しもしています。矢が誰と誰にあたるかは、それを射る本人にもわからないわけです(つまり愛は盲目ということです)。このようなキューピッドの姿は、たとえばボッティチェルリの「春」などでもおなじみですし、製菓会社のマークにもなっています。

日本の仏像は何となく優しげなものが多くて、それもいいけれど、インドの仏像のすごく個性的な姿は見ていておもしろいと思います。長い期間、考えにふけっていて、螺髪が伸びてしまった仏像が、何だかとてもユーモアがあって、かわいい感じがしました。「護摩」という修行の様子をテレビで見たことがあり、本当にあつそうでした。あれは何のための修行なのでしょうか。
インドの仏像の個性的な姿は、これからも続々と登場しますので楽しみにして下さい。ヒンドゥー教の神の姿はさらに個性的です。これもまとめて取り上げます。護摩というのは密教の代表的な儀礼で、火を燃やし、そこに火の神や不動明王を招き、さまざまな祈願を行います。無病息災、家内安全、商売繁盛、さらには交通安全まで、その内容はさまざまです。修行の一環として行うこともあり、天台の回峰行の中で行う「千枚護摩供」などが有名です。その場合は、行者自身の煩悩を燃やすという意味づけも与えられています。

不動明王坐像がカラーで見ると色鮮やかでびっくりした。火炎に躍動感がありかっこいいと思った。本物を見てみたい。五台山文殊は、一体一体に動きがあるように見えるのですが、これは何かのある場面を表しているものなのですか。
本物は高野山の霊宝館でときどき展示されています。不動明王像は日本ではたくさんありますので、類似の形式のものもあちこちにあります。五台山文殊は「渡海文殊」とも呼ばれ、はるばる海をわたって仏教を伝えた姿と言われています。中国の五台山というのが文殊の聖地として信仰され、そこで形成された図像です。そのため、インドにはこのような姿の文殊は存在しません。逆に日本ではこの形式が人気を博し、現存するかなりの文殊が五台山文殊です。五台山文殊は従者も四人連れていて、善財童子、うてん王(字が表記できません)、仏陀波利、大聖老人です。彼らが文殊にしたがっていることにも、それぞれいわれがあります。全体で五人になることや、五台山という五つの峰がある地名も、いずれも文殊が「五」という数と関係があることによります。

不動明王坐像の仏像と鳥という組み合わせはめずらしい気がしました。火の鳥ということでしたが、やっぱり不死鳥といわれる部類の鳥なのかなと思いました。怒っている顔のイメージに合うので、赤い火の鳥なのかなと考えました。
不動の背景の火炎の中にいるのは迦縷羅(カルラ)という鳥で、インドのガルダという想像上の鳥の名に由来します。ガルダはヴィシュヌという神さまの乗り物としても有名で、インドネシア航空の会社名やシンボルマークにもなっています。不動の光背に迦縷羅が炎の形として現れるのは、日本で不動の姿に18種類の特徴を数えるようになってからで、平安時代の中期以降、不動のイメージとして定着します。火の鳥のような不死鳥とは少し違いますが、怒りのイメージと結びついているというのは、そのとおりです。



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