宗教学B:密教美術の世界

第6回 日本密教の源流


そもそもなぜこんなに多くの神が発生したのですか。また一般の人たち(当時のインドの人)は、神々の世界が図のような構成をなしていたことを理解していたのでしょうか。その日その日を生きるのに精一杯のはずの人が、こんなに理解できるとは思えないのですが。
神々の世界を表した模式図は、あくまでも私のイメージする神々の世界で、かつ、普通の人でもわかるように極力簡略化しています。当時のインドの人々が考えていた神々の世界とは、異なるでしょう。おそらく彼らにとって、身近の神や仏が個別に何尊か存在しているだけで、それぞれの関係や全体像は意識にのぼることはなかったと思います。異文化を対象に研究する場合、その文化に固有の体系や語彙によって説明する場合と、他の文化でも適用可能な普遍的な体系や語彙によって説明する場合のふたつがあります。ここでは後者の立場で、神や仏の世界を示したのです。ただし、当時の人々がまったくこのようなイメージを持っていなかったかと言えば、そうではなく、彼ら独自の世界観を有していたはずです。それはけっして「劣ったもの」でも「幼稚なもの」でもなく、われわれから見ても十分価値のあるものです。だからこそ、われわれは過去の人々の文化的な所産を学ぶ意味があるのです。現代人の方が古代や中世の人々よりも進んでいるというのは一種の妄想で、人間というのは数千年程度ではたいした進化をしていなし、ひょっとしたら退化しているかもしれません。

鬼子母神はよく祖母と一緒に大きなお寺にまつられているのをお参りに行って、お菓子をもらったりしていたので、なつかしかった。インドの方はカップルで仲良さそうで、日本の方は穏やかなお母さんらしくて、どちらも魅力的だった。鬼子母神の末っ子をさらって懲らしめたのは、どの仏さまでしたっけ。
お釈迦様です。鬼子母神の物語は仏教の説話の中でも有名なもので、人間の子を喰う鬼子母神が、500人いる自分の子どもの末の子を隠されただけで、気も狂わんばかりとなるというコントラストが、人間の性をよく表しているのでしょう(鬼子母神は人間ではなく夜叉となっていますが)。この神については教科書の第7章でくわしく取り上げていますが、第3章の文殊の章でも、少年神と結びつきの深い母神たちのひとりとしても登場します。この教科書の隠れたテーマのひとつに、「恐ろしい神は、救済する神でもある」というのがありますが、鬼子母神はその典型です。

孔雀明妃が女性であることに意味はあるのでしょうか。美しい孔雀は雄なのに、なぜはじめは女性の仏だったのですか。どうして男性になったのかも気になります。
孔雀明妃はもとの名称が「偉大な孔雀(マハーマーユーリー)」といい、女性名詞で表されます。インドの神や仏の名称はサンスクリットが多いのですが、サンスクリットには男性名詞、中性名詞、女性名詞の区別があり、男性の神であれば男性名詞、女性の神であれば女性名詞で表されます。ちなみに、中性名詞で表される神がいるか気になるかもしれませんが、ちゃんといます。ヴェーダ聖典に登場するブラフマン(梵天)は、男性、女性を超越した根本原理のようなものなので、中性名詞です。しかし、後世、ヒンドゥー教の神として信仰されるときは男性名詞「ブラフマー」となります。マハーマーユーリーは陀羅尼の代表的な仏なのですが、陀羅尼という言葉も女性名詞で、その仏たちも一般的に女性の仏として信仰されたようです(例外もあります)。質問中の「美しい孔雀は雄なのに」というのは、そのように言った覚えはないのですが、それはともかく、日本に伝わる途中で女性的なイメージが菩薩のイメージに変わってしまったようです。これは、日本では女性の仏のイメージが受容されにくいケースがあったためと思います。

インドの密教美術が日本に伝わって、似たような作品が生まれたように、ある国の宗教美術が他の国に伝わって類似作品が生まれるということはよくあることなんですか。
よくあることです。仏教の場合も、前回の授業で確認したように、インドからアジア各地に伝播し、それぞれの国で仏教美術が花開きましたが、それらを比較すると、ある部分はとてもよく似ています。もちろん、似ていない部分もありますが、何が似ていて何が似ていないかを考えることは、その国の文化のあり方を知る上で、有意義なことだと思います。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ギリシャ正教など、世界にはさまざまな宗教がありますが、そのいずれも美術や建築などの目に見える造型作品が、国境や民族を超えて伝播しています。

マーリーチーは女尊のようですが、何か特別な役割があるのですか。インドのマーリーチー立像の異形を見ろと、戦いのイメージが思い浮かぶのですが。
マーリーチーも陀羅尼の女神のひとりですが、インドではかなり有力な仏だったようです。教科書の第2章でも取り上げたように、大日如来や太陽神スーリヤ、ヴィシュヌなどとの関係も認められます。この時代の仏像の現存作例を調べると、マーリーチーの作例数がかなりの数にのぼることも、この仏の人気の高さを示すものです。ただし、インドで実際にどのような目的でマーリーチーが信仰されていたかはよくわかりません。「戦いの神」という性格もあったのかもしれません。日本では実際にそのような仏として、武士の間で信奉されたと伝えられています。マーリーチーとは「かげろう」を意味するので、その真言は敵の攻撃から身を隠す功徳があると信じられたそうです。金沢市の卯辰山に宝泉寺というお寺があり、そこのご本尊は摩里支天すなわちマーリーチーです。このお寺は金沢城の守護の役割を果たしていたそうです。宝泉寺のホームページには、マーリーチーなどについてのくわしい解説があります。

神々の世界のプリントを見て、グループのようなものがたくさんあるのに驚いた。また、インドと日本の比較ということだったが、インドから日本への仏のイメージ(姿)の伝達は、何を使ってされたのか気になった。日本の仏師は何を見て仏を作ったのでしょうか。イメージは言葉だけで伝えられたのでしょうか。
仏の世界に多くのグループがあるのは、とくに密教の特徴です。マンダラという神々の集合図があることも、これに関連します。これについては、今回取り上げます。イメージの伝達については、言葉だけでは不可能でしょう。インドから中国へは、おそらく絵画や彫刻の形で伝わったと考えられますが、運搬の便からすれば、とくに布に描いた絵画が多かったのではないかと思います。残念ながらこのような絵画はほとんど残っていませんが、そのようなものをもとに中国で作られたものが、わずかに日本に伝来しています。密教美術の特徴としては、このような実際の作品のイメージに加え、経典や儀軌などにも図像に関する情報が多く含まれ、イメージの伝播に重要な役割を果たしたことがあります。

蛇がなぜ象徴とされたかについての話がおもしろかった。以前、テレビで東南アジアのある国では、いわゆるニューハーフと呼ばれる人たちが、神聖なものとして崇拝されているということを耳にしたのですが、今回の講義で、その理由が分かりました。また、日本でも平安時代より女性の美の基準が豊かな髪の毛にあったとよく言われますが、それもまた、この思想が関係しているように思いましたが、実際はどうなのですか。
蛇の話のときに紹介するのを忘れましたが、二つの領域にまたがり、そのいずれにも収まらないようなことを「両義性」といいます。英語のアンビヴァレンス(umbivalence)がそのまま用いられることもあります。宗教、神話伝承、文学などのさまざまな文化現象で、このような両義的存在が重要な役割を果たしています。授業では蛇の他にもトリックスターを紹介しましたが、物語の中で正義でも悪でもない中間的な存在が、物語を成り立たせる重要な存在であることは、テレビのドラマなどでもよく見られることです。ニューハーフが神聖なものという考え方は、世界各地にあるようで、インドでも同様です。そのような人々が集まる祭礼も昔からあると聞いています。髪の毛についてはいろいろな解釈が可能でしょう。旧約聖書に登場するサムソンのように、怪力の源が髪の毛にあるという思想も広く見られますし、ギリシャ神話のメドゥーサのように、髪の毛が蛇と結びついた例もあります(また蛇ですが)。このような問題には正解はありませんので、いろいろな事例からあれこれ考えてみるのも楽しいでしょう。

金剛界大日如来と金剛法菩薩がかっこよかった。インドと日本は遠い上、遠回りして経由したにもかかわらず、かなり似ているものがあるのに驚きでした。密教を伝えた人々の旅行記みたいなのはないのですか。
中国からインドに行った求法僧のものとしては、玄奘の『大唐西域記』、法顕の『法顕伝』、義浄の『南海寄歸内法傳』『大唐西域求法高僧伝』などが有名です。平凡社の東洋文庫や岩波書店の翻訳などで読むことができます。旅行記ではありませんが、密教をインドから中国、そして日本に伝えた人については、松長有慶『密教 インドから日本への伝承』(中公文庫 1989)が読みやすいでしょう。

仏教と密教、空海と最澄が仲違いしてしまったように(原因は信仰対立ではないでしょうが)この二つも仲が悪かったのですか。仏教的には密教は邪道なのかなぁと。だから伝播していった道が全く違うのでしょうか。プリント「神々の世界」で、賢劫千仏に弥勒も含まれると書かれているのに、図の方には賢劫千仏の他に弥勒の球体が別にあるのはなぜですか。
インドでは仏教と密教の境界は明確ではありません。伝統的な仏教を修行しているものの中に、密教の固有の修行法を取り入れたり、密教独自の仏たちを信奉したりする人たちがいたようです。逆に、密教だけを修得するような制度は、僧院の中には存在しませんでした。日本の場合は少し事情が異なり、密教がすでに独立したものとして導入されたので、宗派として密教が存在します。具体的には平安初期に唐から伝えられた真言宗と天台宗です。比叡山を拠点とし、最澄によって開かれた天台宗は、法華経に対する信仰や、少し遅れて浄土信仰が重要となりますが、その基本には密教があります。密教の伝播の道については、べつに独自の道を開拓したのではなく、その時代の最も一般的なルートを密教もたどっただけのことです。弥勒は代表的な未来仏として、独自に信仰されていたのですが、賢劫千仏という仏の巨大なグループを形成するときに、そのメンバーのひとりとして取り込まれたのです。賢劫千仏は、現在を含むひとつの時代(とてつもなく長い時間ですが)に、千の仏が登場するという信仰で、シャカ以外にも仏がいるという信仰の中では、最も新しいもののひとつです。金剛界マンダラという日本密教の重要なマンダラにも描かれるので、「神々の世界」の図にも加えてあります。


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