宗教学B:密教美術の世界

第2回 密教美術への招待

自分の仏様に対する知識のなさにがくぜん・・・。頭とか腕がたくさんある仏像に対する疑問(骨はどうなっているのか)は私も前から思っていました(本当にどうなっているのでしょう?)いろいろ、仏様にも種類があるますが、それぞれの仏様にはどういう意味があるんですか?何かを司っていそうな気がしますが・・・。ちなみに私は半跏思惟象が好きです。
仏像に対する知識は、これまでの学校教育では必要とされなかったから、たいていの人はほとんど持っていないでしょう。中には例外の方もいますが、だいたいみんなそのような状態からの授業ですから、気にしないでも大丈夫です。頭や腕がたくさんある仏像は、前回の残りのスライドにはさらにたくさん登場します。多面多臂(ためんたひ)と言います。解剖学的な説明は、もちろんできませんが、多いことの理由をあげるとするならば、顔や手が多い方が、人々を救済するはたらきがさらにパワーアップする(千手観音のように)、グロテスクな姿で、相手を圧倒する(明王系の仏など)、もともとがヒンドゥー教の神様で、仏教に取り入れられる前から多面多臂であった、などが考えられます。このような非人間的な姿を仏に与えることそのものは、これからの授業でその理由を一緒に考えていきたいと思います。仏の種類とその意味も、授業の主題となります。広隆寺の半跏思惟象は、日本人の好きな仏の上位に必ず入る有名なものですが、日本ではなく朝鮮半島で制作されたと考えられていることは知っていたでしょうか。

インドにライオンはいるのかなと思った。27番の弥勒像の隣にあった花もハスなのかと思った。
インドにライオンはおそらく棲息していなかったでしょうが、西の方から伝わっていたようで、古くから文学や芸術に登場します。サンスクリット語でシンハ(simha)といい、これが東南アジアに伝わると「シンガ」となり、シンガポール(ライオンの都)のような地名も生まれます。古代インドのマウリヤ朝という時代に、アショーカ王という王様がいて、各地に記念碑のようなものを建てましたが、そのてっぺんにはしばしばライオンの彫刻が置かれていました。聖なる動物であり、王のシンボルでもあったからです。このような記念碑はアショーカ王柱と呼ばれ、それを描いた絵は、インドのシンボルのように、今でも用いられています。仏教の文献にもライオンはしばしば登場しますし、釈迦の説法が「獅子吼」(ししく)すなわちライオンのほえる声にたとえられたりします。後の方の質問の、弥勒の持っている花はハスではなく、龍華(りゅうげ)という名前の特殊な花です。これについては教科書でも取り上げています。作品の細部の特徴に関心が向けられたのはいいことです。

2枚目のスライドの遺跡でお坊さんが修行などをしているとおっしゃいましたが、インドにはどれくらいのお坊さんがいるんですか。お坊さんは一度そこに入ったらもう一生出ないんですか。規律とかはきびしいのでしょうか。お坊さんの暮らしが気になります。どの仏像を見ても座禅を組んでるのが多いですけど、同じ仏教なのに日本の仏像は立ってるものも多くあります。どうしてすわってるのが多いのでしょうか。日本人の中での仏はふっくらしてて、やさしい顔のイメージが強いと思いますが、インドの人が持つ仏のイメージとかってあるんでしょうか。日本人と同じような仏を想像してないような気がしますけど。最後に→インドと日本の仏像の決定的な違いが知りたいです。
たくさんの質問をしてくれました。すべてには答えられないので、一部について簡単に。現在のインドには、基本的に仏教はほとんどありません。例外的にスリランカやチベットの仏教が進出してきたり、100年ほど前に、あたらしく仏教という名を付けた一種の新興宗教が現れましたが、釈迦が開き、その後、発展していった仏教は、西暦1200年頃にほぼ消滅しています。スライドで紹介したのは、それよりももう少し前の仏教遺跡です。この遺跡はそれほど規模は大きくありませんが、ナーランダーと呼ばれる大僧院などは、数千人の僧侶を擁していたと伝えられています。玄奘などの中国の僧が訪れたのも、ナーランダーでした。もちろん規律はきびしく、破った場合はさまざまな罰則規定もあります。もっとも重い処罰は教団からの追放です。日本の仏教は基本的にほとんど戒律は守られていないので、意外かもしれませんが。僧団から一生出られないということはなかったでしょうし、実際、還俗といって僧侶をやめることもあります。仏像の立像、坐像のいずれが多いかという点は、仏の種類によってはどちらかが多いということがありますが、とくに日本とインドとで違いはありません。前回紹介したスライドでは、たまたまインドの仏像に坐像が多かったようです。仏像の顔が国によって違うのは一般的で、それぞれの国や民族の嗜好や美意識に左右されるでしょうし、その地域に多い顔が仏像にも自ずと現れます。インドと日本の仏像の決定的な違いをひとことで言うのは困難です。授業の中でスライドを見ながらいろいろ考えてみてください。

そもそも密教というのはどんなものなのかわかりません。日本の仏教とどう違うのでしょうか。
授業の副題が「密教美術の世界」なので、密教をまず説明しなければいけないのですが、とりあえず、仏像の写真をお見せして、イメージを持っていただきたいと思います。密教についてはそのうち説明するつもりですが、いくつかの特徴をあげると次のようになります。インドの仏教の歴史の中で、おもに5、6世紀頃から現れた新しい動きで、インドから仏教が滅びる13世紀頃まで流行した。それまでの大乗仏教の思想を継承しながらも、独特の実践方法や哲学を有し、短時間で悟りに至ることを強調する。ヒンドゥー教と類似の儀礼を共有する。多様な仏を擁し、全体が壮大なパンテオン(神々の世界)を構成する。などです。密教は中国を経由して、すでに奈良時代には日本にも伝えられていて、平安時代の初期に空海と最澄によって本格的に導入されました。彼らが開いた宗派である真言宗と天台宗は、いずれも密教です。なお、インドの仏教では「密教」に相当する言葉はなく、「真言道」や「金剛乗」が用いられました。インドの仏教のこのような動きに対して「密教」の語を用いるのは、一種の逆輸入です。

触地印仏坐像の右手が地面をさわっているのは意味があるのだろうか。あるのならどのような意味があるのだろうか。
この印は釈迦が悟りを開いたときの物語に由来します。釈迦が悟りを開く直前に、悪魔(マーラといいます)が現れて、釈迦に対して「本当に悟りを開くだけの修行をしたのか」という意地悪な質問をします。これに対して、釈迦は大地の女神がそれを証明するであろうと言って、地面に触れると、実際に大地の女神が姿を表して証人になったと伝えられています。これは経典などの文献の記述のレベルでの説明ですが、宗教学的に考えるならば、大地の持っているエネルギーを悟りと直結させているとか、世界の中心に釈迦が位置していることをシンボリックに表しているなどの説明も可能です。悟りを開くときには菩提樹の根もとにすわっていますが、これも同様にさまざまな解釈ができます。

インド、チベットの大日如来は四面なのに、なぜ日本の大日如来がひとつしか顔がないのか疑問に思いました。
大日如来が四面を持っているのは、『金剛頂経』(こんごうちょうきょう)という経典に、世界のあらゆる方向に顔を向けたという記述があることによります。これを表現するために、チベットには四面ではなく、体も四つ作って、背中合わせに置いたものもあるのですが、実はこれとよく似た像が日本にもあるそうです。しかし、それは例外的で、やはり一面のものがほとんどです。十一面観音のように顔がたくさんある仏は日本にもあるのですが、大日如来に対しては四面で作ることはあまり好まれなかったようです。

一人で出家し、一人で生活していくことはなかったのですか。
ありました。ただし、それはオーソドックスな仏教の修行法ではありません。釈迦の時代から仏教は僧団を作って、共同生活を送ることを基本とします。戒や律はそのための共通のルールです。単独の修行者は、むしろ仏教よりもヒンドゥー教などの宗教で古くからしばしば見られます。仏教の密教のような動きはヒンドゥー教でも見られ、そこではさらに単独の修行者が多く現れます。そのようなレベルでは仏教とヒンドゥー教の違いはあまり明確ではなく、悟りや解脱(げだつ)を求めて修行する人々として、共通の修行法や儀礼、信仰対象などを有していたようです。

14の写真で真ん中の大日如来が一番権力があるというか、偉そうであるが、その後ろに阿弥陀如来がいると聞き、「〜如来」は同等ではないのだろうかと感じた。それとも、そもそも根本から順位などないのだろうか。
同じ如来(仏)でありながら、大日如来が別格であることは、授業でも取り上げていきますが、教科書でも一つの章のテーマとなっていて、授業でも何回かのテーマと密接に関係してきます。お楽しみに。

顔が多かったり、手が多かったり、いろいろな仏像があっておもしろかった。疑問に思ったこととして、足がたくさんある仏像はいるのでしょうか。他に仏像を作るときに、これだけはやっちゃ行けないみたいなタブーはあるのか(指を増やすとか)。
足のたくさんある仏像もいます。前回紹介できなかったスライドに登場する大威徳明王はその一つで、足が6本あります。その系統を受け継いだチベットの仏ヴァジュラバイラヴァというのには24本ぐらいありますし、チベットの他の仏にも、たくさん足のあるのがいます。からまって転びそうです。日本では千手観音の中に、足もたくさん増やしたものがありますが、他にはあまりないようです。指の多い仏像というのは、残念ながら見たことがありません。仏のイメージについては、人間の姿では表さないという時代から始まり、いくつかのポイントは必ず押さえた姿にして人間の姿で表すという時代、さらに授業で紹介したように、想像できる限りの多様な像が登場する時代というように、さまざまに変化します。すべての時代を通じて共通の約束事というのは、むしろあまりないようです。

ガンダーラの仏像の方が日本人になじみがあるということだが、それはなぜですか。密教の仏像とガンダーラの仏像は、どの辺が違うか。如来と菩薩の違いは。
ガンダーラの仏像をとくに強調する必要はないのですが、世界史などの教科書にしばしば写真が紹介されているのがガンダーラの仏像で、また、日本でインドの仏像の展覧会があると、たいていガンダーラの仏像が含まれるからです。もともと、大多数の日本人にとってなじみのないインドの仏像の中で、ガンダーラのものだけは少しは知られているという程度のことです。ガンダーラの仏像も含め、インドの仏教美術の歴史については、今回取り上げます。全くイメージがわかない人も、それで少しはなじみができると思います。如来は悟りを開いたもので、菩薩は現在修行中の身です。将来は仏になるのでしょうが、さしあたっては人々の救いに専念しています(われわれはみんな輪廻の苦しみの中にいるというのが仏教の基本です。そう思わない人も多いでしょうが)。

富山県の立山でマンダラ博物館に行ったことがありますが、京都のように町の平野部だけでなく、山地の方にも仏像のようなものが栄えたりもするものなのですか。
富山の立山のマンダラ博物館というのは、富山県[立山博物館]のことですね。とてもいい博物館です。立山というのは北陸地方における信仰の対象として重要な山で、平安時代から山岳信仰や修験道(しゅげんどう)の拠点でした。立山曼荼羅というこの地域に古くから伝わる曼荼羅もあり、これがこの博物館のコレクションの中核をなしています。日本の仏教は山岳信仰や修験道と密接な関わりを持ち、とくに密教はこのような日本古来の宗教と融合します。空海が高野山、最澄が比叡山という山を、それぞれの修行の拠点として選んだことも、そのためです。北陸地方の修験道は「北陸修験」とも呼ばれ、石川県の白山や石動山などもそれに含まれます。明治初期の神仏分離がおこなわれる前には、今よりももっと多くの山岳仏教寺院が、日本各地にあったことも知られています。

私のイメージですが、仏像=優美な姿で、苦しんでいる(修行)ものはないと思ったので、新発見でした。それで、日本にも苦しむ姿の仏像はあるのでしょうか。ないのなら何故ないんでしょうか。
時間がなかったので省略したのですが、じつはインドにも苦行像のような仏像はありません。授業で紹介したのはガンダーラの作例で、厳密に言えば、ガンダーラはインドには入りません(パキスタン、アフガニスタンです)。インドに苦行像がないことは重要なことで、インド仏教徒にとって、釈迦のような聖なるものは、やせ衰えたような姿、いいかえれば不完全な姿で表すものではなかったからです。むしろ完全無欠で超人的なイメージが好まれたのです。「聖なるもの」をどのように表現するかは、授業の重要なテーマのひとつなので、意識してほしいと思います。なお、日本の仏教美術の場合、わずかですが苦行像はあります。禅宗で好まれた題材として「出山釈迦像」(しゅっせんしゃかぞう)というのがあり、苦行を終えて山から下りてきた釈迦が、おなじようにやつれて、ヒゲぼうぼうのやせこけた姿で描かれます。ホームレスのおじさんといった感じです。


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