終わりにあたって


 授業への質問や感想には、未知の世界にふれることができたというものが多く見られました。この授業のテーマは「密教美術の世界」でしたが、授業で紹介してきた作品は、ほとんどの出席者の方が、はじめて見るものだったと思います。半期の授業を通して、いくらか親しみが感じられるようになったのではないでしょうか。この授業ではインドの密教美術を、具体的なイメージを通して知ることを目指していましたので、それなりの効果があったと思っています。また、インドとの比較として日本の密教美術もできるだけ紹介してきました。インドの密教美術に結びつくような作品が、身近なところにもあることに驚いた方も多かったのではないでしょうか。
 この分野では「より深く見ることの難しさ」と「イメージを追うことのおもしろさ」があります。知識が増えるにしたがって、同じように見ていながら、それまで見えなかったものが見えてくるということが実感されるはずです。作品は現に存在するのですから、それを見ているという行為は同じなのですが、背景となる知識にしたがって、見えるものが違ってくるのです。最後にお話ししたように、同じ作品のスライドを何度かお見せすることがありましたが、そのたびに、別のものが見えてくることを実感することもあったのではないでしょうか。
 最後にマンダラを中心にまとめたことで、いろいろなトピックがつながりを持つことに気がついたという感想もありましたが、これも私の意図したところです。大学入学前の勉強では、問題と解答が一対一で対応しているのがあたりまえだったと思いますが、学問というのはそれほど単純なものではありません。問題設定や視点を変えることで、いくらでも答えを出すことが可能です。どの答えで満足するかは、問題を見つけるわれわれ自身が決めることなのです。

 先回の最後の講義では、発展的な内容として「密教美術の位置づけ」と「何が密教美術を生み出したか」というトピックも準備していました。時間がなくなったため残念ながら省略しましたが、ここで簡単に補っておきます。
 前者の「密教美術の位置づけ」は、仏教とヒンドゥー教をあつかった最後の講義にも関係しますが、密教美術をどのような視点からとらえるかという問題です。授業ではインドの仏教美術の流れからはじめ、マンダラで一応のまとまりを付けました。しかし、最後に紹介したように、密教美術やそれを含む仏教美術は、インドでさらに有力な宗教であったヒンドゥー教の美術を知らなければ、おそらく偏った理解しかできないでしょう。あるいは、インドと日本の密教美術を比べることも多かったのですが、その間には中国や中央アジア、あるいは東南アジアの密教美術が存在します。日本には直接、影響は与えませんでしたが、チベットやネパールにも壮大な密教美術の世界があります。密教美術を理解するためには、これらについての知識も必要とされます。しかし、その場合、研究対象を拡大するためには、密教美術をどのようにとらえるかという自覚が求められます。
 その一方で、そもそも人間が信仰や崇拝の対象を何らかの形で表そうとするのはなぜかという根本的な問題に、つねに立ち戻ることも必要です。「何が密教美術を生み出したか」というのはこのことです。授業で何度も言及した「聖なるもののイメージ」というのは、これを意識したものです。その場合「この作品の〜が美しい」とか「様式が〜である」というような問題は一歩後退し、かわって登場するのが、宗教や思想、哲学などの、人間の存在そのものを扱う学問でしょう。それを自覚してもらえるように、いくつかの問題を提起しました。たとえば、対象をありのままに表現するとはどういうことか、対象に最もふさわしい表現方法は何か、さらには、世界とはどのようなイメージでとらえられるか、「私」とは、生命とは・・・などです。

 授業のテーマが密教美術というビジュアルなものだったので、毎回、スライドを中心にそれを説明するという形式になりました。「スライドがきれいだった」という感想もよくありました。ただ、3時間目という時間帯や、私の単調な話し方から「睡眠学習」になる確率も高くなったようです。講義にパソコンやプロジェクターなどの機械が導入されることが多くなり、私自身も最近はほとんどそのような授業をしていますが、設備や機材はあくまでも手段であり、未知の世界にふれて、知的好奇心をおこすことがもっとも重要なことであると思っています。
 授業では出席の確認もかねて、質問や感想を出してもらいました。自分や他の人の感想などを読んだり、それへのコメントを読むのを楽しみにしていた方も多かったようです。とくに、自分の質問が載るとうれしいという感想を、複数の人から聞きました。毎年のことですが、全般的に質問の内容も回をおうごとにレベルが上がっていきました。大学の授業でも教養教育の講義は、ほとんど一方通行で終わってしまうのですが、これによっていくらかは双方向のコミュニケーションができたと思っています。書いてもらった質問や感想をできるだけ紹介したかったのですが、10人程度が限界でした(それでも2時間は費やします)。出席者数がだいたい100人前後だったので、倍率は10倍以上となり、紹介できなかったものも多かったのですが、かならずすべて読んで、できるだけ授業に反映させるようにしていましたので、ご了承ください。

 「密教美術の世界は奥が深い」という感想をよく見ましたが、たしかにそのとおりで、作品数だけでも授業で紹介できたのはごくわずかです。文学部や文科系学部の方は授業などを通じて、またお話しする機会もあるかと思いますが、それ以外の学部の人も、本や出版物などを通じてこれからも接する機会があればと思っています。インドや仏教美術などについて知りたいことがあれば、メールなどでの質問も歓迎します。


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