密教美術の世界

7月22日の授業への質問・感想

※前回は講義の最終回なので、授業全体への感想も多く見られました。質問への回答は最小限にして、できるだけ多く紹介したいと思います。類似の内容のものは代表的なものにまとめました。



神様すごろくはわかりにくいようで、わかりやすい。因果関係はちゃんとあるんだと思った。

密教美術の世界では、たくさんのものがマンダラに行き着くことがわかり、密教美術の世界でのマンダラの重要性がわかった。

神様同士、いろんなつながりがあるんだなと思った。ややこしいなぁー。イノシシが神聖な動物だとはじめて知った。

神や仏のあいだでもその順位の入れ替わりや、殺し合いをするということがあり、どこか人間性も含まれていると思った。必ずしも高貴なイメージだけではないということを実感した。
神々が人間くさいのはギリシャ神話などでも同様で、むしろキリスト教やイスラム教の神の方が特殊な神です。神話とは人間の世界を反映し、先鋭化した物語なのです。

理解がしにくいところも多々あったけれど、その理解できなささがおもしろいと思いました。宇宙や世界を形あるものに表すという手法がおもしろかったです。

ガネーシャの絵がとてもかわいらしかった。マヒシャースラマルディニーの乗り物がライオンだったが、古代インドにライオンはいたのだろうか。梵天の乗り物は何匹かのアヒルだが、移動するときたいへんそうだなぁと思った。「足の下の神様」とは珍しい概念だと思ったが、下のものは神々の味方であり、上のものを支えるとい意味だとわかると少し納得がいく。しかし、上下の支配関係の方がやはり自然な感じがする。曼荼羅に星座が描かれているなんて驚いた。星座は西洋のものだと思っていたので、ヒンドゥー教の神々にあるとは本当に意外だった。
ライオンは早くからインドに伝わっています。有名なアショーカ王柱には聖獣のひとつとしてライオンが表されていますが、とてもリアルです。おそらく西アジアやアフリカの方から本物のライオンがもたらされたのでしょう。インドでは古くから王のイメージとしてライオンは好まれ、仏典でも釈迦の偉大さをたたえるために、しばしば用いられます。星座のあたりは猛スピードでとばしたところで、十分説明できず残念でした。天文学や占星術はインドで古くから発達していました。われわれのよく知っている十二宮の占星術(牡羊座とか水瓶座とかのです)は、バビロニア起源で、インドもヨーロッパも共通です。日本にも仏典を通じて伝わっています(発達はしませんでしたが)。マンダラにはこのような天文の神々(星宿神といいます)も描かれています。

今まで仏像やマンダラや仏塔やいろいろ見てきたけど、最後で何となくひとつにまとまったように思いました(なんとなくですけど)。

たくさんの神がいるんだなと思った。カラフルな絵もあって、それは最近描かれたものらしく、絵の描き方とかも変わってきているのかなと思った。

教科書を読んでまとめていたことが、授業の内容だったのでわかりやすかったです。マンダラの外側の方まで注意してみたことがなく、とても興味深いと思いました。とくに仏の世界だとばかり思っていたのが、意外にも奇妙な星座などだったので・・・。

蛇や水や少年神と孔雀には密接な関係があると先生はおっしゃいましたが、関係を持たせることで何かを表現しているということはあるのですか。あとムルガンはやさしそうで、私の中での神のイメージに似ているなと思いました。絵もきれいでしたし。
意図的に何かを表すというのではなく、同じイメージを異なる宗教の神々が共有しているところに、われわれが意味を読みとるということです。また、共通のイメージをたどることで、宗教の垣根をこえた基層文化のようなものを見いだすこともできます。それは、場合によっては、インドとか日本という国や文化をこえて、人類に共通するイメージであるかもしれません。

教科書を読んでわかっていたことだが、ヒンドゥー教の神からイメージを借りてきたと聞いて少し複雑な気分になった。

今まで講義を聞いてきて、十分に内容を理解することはむずかしかったが、はじめは仏は2,3種類しかないものだと思っていたので、今回の一連の講義で、仏の世界について多少の知識を得られたことは、たいへん意義のあることだったと思う。

仏教の仏とヒンドゥー教の神々は敵対せず、むしろ仏教の仏はヒンドゥー教の神々に支えられていると聞いて驚いた。異なる宗教なのに接点があるのは、何だか不思議な気分だ。

何でこれだけ多くの仏たちが生み出されたかということが、少しでもわかったような気がする。スライドもきれいだった。どうもありがとうございました。

今までの授業の内容が、最近やっとつながりました。一番最後の「まとめのまとめ」の話がたいへん興味深くおもしろかったです。

下敷きにしている神と親密な仲というのはわかったけれども、踏みつけている作品にはどうも納得いかなかった。

各宗教の神々が密接に関係しているのを見ると、やはり宗教は人々の手によって少しずつ変えられていっているんだなと実感できた。

ガネーシャが童子神と聞いて、たしかにあの愛嬌といい、象の姿といい、子どもらしさが出ているなぁと思った。

パールヴァティーとマヒシャースラマルディニー(優しさと恐ろしさ)を同一視するところに、女の人の本当の怖さを表現知っているような感じでおもしろかったです。教科書でもありましたが、上のものが下のものを支配するというわけではないというのは、日本にはあまりない発想のような気がして新鮮でした。

シヴァの妻(怖い方)であるマヒシャースラマルディニーは、見た目はすごく美人で優しそうな顔をしているので、水牛の魔神を殺しているなんて信じられません・・・。人(仏?)は見かけにおらないのかなぁと思いました。なかなか楽しい授業でしたよー!!試験がやはり心配です・・・。

今後、イメージに接する機会があれば、今日、先生が授業の最後に話してくださった反復を試みるようにしたいです。

仏教の神とヒンドゥー教の神が共存し、敵対していないということが意外だった。この授業は今まで知らなかった世界が開けて、楽しかったです。

破壊、創造、維持の三つの担当の三人がいる。という話はこんな昔からあったのかと感じた。いろいろなところで見聞きするが、原点にあえた気がした。

たしかにはじめてこの授業でスライドを見たときとはいろいろ違ってみているように思う。仏教(仏像)とかの美術には、もともとそんなに興味を持っていなかったけれど、とても楽しい授業でした。

知らない世界が知れておもしろい授業でした。

神々の下敷きになっている人、動物たちは、上のものを支えるためにいたんですね。上のものの種族を表していることもあることに驚きました。でも、下にいるものもいたそうな顔ではなくて、がんばっている顔をしていれば、もっとわかりやすいのに・・・。あまり「支えている」という雰囲気が伝わってきません。

足の下に踏んでいるものについては、教科書にも書いてあったけれど、今日の講義を聞いてやっとよくわかりました。主な神々や星座が総出で登場している胎蔵界曼荼羅を実際に見てみたくなりました。

最後の講義、おもしろかったです。毎回、毎回違ったスライドが見れて楽しい講義でした。

再認識が大切かと思った。

仏教とヒンドゥー教は同じ土地から生まれたものなのに、つながりのないまったく別の宗教だというように習ってきて、不思議に思っていました。ヒンドゥー教の神々に支えられて仏教の仏が存在しているという事実に感動しました。それがマンダラにも現れているのはすごいなぁと思いました。

もともとそんなに興味のある分野じゃなかったけど、スライドを見てるだけでも単純におもしろかったし、後半のマンダラがすごくきれいでいろいろ見られてよかったです(たまに眠気に負けてしまったけど)。せっかく教科書として本も買ったので、また時間があれば読もうと思っています。ありがとうございました。

講義を通して、さまざまな仏が出てきた。中には私が好きなゲームに出てきたもの(ドゥルガー、ヤクシャなど)もあって、その仏がいったいどういうものなのかが何となくわかっておもしろかった。最後に再認識の話をしたが、なるほどたしかにそうかもしれないと思った。

足の下に踏むということは、土台であり、エネルギー(?)の源であるというのはとてもおもしろい。もっとヒンドゥーの神についても知りたいと思った。

意味から生まれるイメージについて、もう一度考えようと思います。

足下に位置していた神が必ずしも敵対するものではないことは、本を読んで知っていたが、今日はより具体的な例を見ることでそれをより実感できた。今日は降三世明王が以前よりも、表現が稚拙で申し訳ないのですが、かっこうよく見えなかった気がします。仏教とヒンドゥー教の関係を知ると何か微妙な気がしました。

他の神を足で踏んでいる像は、今までの講義では敵か何かだと思っていましたが、出身だったのですね。足で踏むということには悪い意味はないのですか。踏んでいるというよりは生えている感じなのでしょうか。母なる大地と聞いたときに、木のイメージがわきました。

火天が老人の姿で表されるのが意外だった。帝釈天はヴェーダのインドラのイメージからで来たものだということでしたが、中国の天帝が仏教に取り入れられて、帝釈天になったという話を聞いたことがあったので驚きました。
アグニ(火天)はやせた男性像で表現されていますが、これはインドの聖職者階級であるバラモンのイメージです。アグニは古代インドの火の儀礼であるホーマ(護摩)の主要な神で、この儀礼を司るのがバラモンだからです。手に水瓶を持っているのも、バラモンや、それにつながる苦行者のイメージに由来します。帝釈天はインドラの訳語として一般に用いられていますが、はじめの「帝」は、インドラが神々の中の王であることから、また、うしろの「釈」はインドラの別名である「シャクラ」から音をとっています。天帝が取り入れられたという説の真偽はわかりません。

仏の世界は広い。まだまだ知らない仏の世界があるので知りたい。

今まで講義があったけれども、知っていることは少しあったけれども知らないことがほとんどで、授業に少し興味がわきました。

仏教の神々は独自に生まれたものではなく、インドの神々からイメージを借りて生み出されたものだということがわかって、今までの仏教に対するイメージが変わったように思う。正直なところ少しがっかりしたというのもある。仏像とかはもっと高尚なものだと思っていたので。独自性があれば高尚というわけでもないかもしれないが。

非常に素朴な疑問ですが、仏像の中で、多くの手を持つものが数多く見受けられますが、どういう意義があるのでしょうか。
神々の像を人間によく似た姿で表すのは、世界の宗教から見れば、特殊のことといってもよいかもしれません。多面多臂のような姿は、むしろ「聖なるもののイメージ」が人間の姿をとらないことと見るべきかもしれません。このような一種グロテスクな姿を、イコンとして認めることができるかどうかは、その文化のもつイメージの許容性や嗜好によると考えるべきでしょう。日本人はインドやチベットの多面多臂のグロテスクな像には嫌悪感を感じるのが一般的ですが、不思議なことに、十一面観音や千手観音には敬虔な気持ちを持ちます。

今日の講義で、ヒンドゥー教の人が「ヒンドゥーの神と仏教の神は同じだから、ヒンドゥー教徒にならないか」といっていた意味が分かりました。
ヒンドゥー教とは単に神々に対する信仰だけではなく、生活習慣に根ざした総体的な文化ですから、そう簡単にはヒンドゥー教徒にはなれないでしょう。と、そのインド人?に言ってあげてください。

神であっても人気、不人気によって地位が上がったり、下がったりするのが、絶対的な神を信仰するキリスト教などと違っておもしろいなぁと感じた。そんな風に人々の考え、思いに接した神々だからこそ、イメージの混同や誤解が起こりやすいのだろうなぁと思った。

ガルーダは鳥の形をとっていたと思うけど、半分人の形をしていたり、全体が人の形で表されたりするのだと思った。

今日はスライドがとても早くて残念だった。来週がんばります。先生の考えがすごい深いものだということに気づきました。同じスライドを何度も見せたのは、そういうことだったんですね。お見事です。

意味を知ることで形を再認識するというのは、最初矢印を引いたときはわからなかったが、意味を聞いてたしかにと思った。

前期の授業を通じて、マンダラが一番心に残っています。テストがんばります。

今までの講義を聞いてきて、自分の中での仏像の見方などが変化してきたと感じた。やはり、意味を知っているのと知らないのでは、大きな違いがあると感じた。これからは旅行に出かけたときに、仏像などを真剣に見てみたい。

密教の世界はすべてのことがらがマンダラにつながっているのだなぁと、全体を通じて感心しました。あまり深く理解はできなかったですが、密教の世界をのぞき見ることができてよかったと思います。

ヒンドゥー教の神と仏教の仏が関係し合っていて、片方だけでは説明できないということを聞いて、実際のそれぞれの教徒はどう仏たちをとらえているのだろうと思った。他宗教をかじったりするのだろうか。個人的にはヒンドゥーの神々の方が興味深い神話を持っていて好きだ。

仏教とヒンドゥー教は似ているとは思っていました。しかし、仏教の神々はヒンドゥー教の神々に囲まれてはじめて成り立つと聞いて、そんなにも密接な関係だったのか・・・と驚きました。どの宗教も最終的には富や豊穣を得るという点で共通しているのですね。

今まで邪気を踏む像は邪気を懲らしめているのだと思っていた。

この講義は私にとって少しむずかしかったです。マンダラもこの授業ではじめて知りました。予備知識が足りなかったかなと思いました。

3ヶ月間ありがとうございました。

昔の人は聖なるもののイメージを表そうとして、仏像などが誕生したが、最初はイメージもそこまで大きくなかったろうに、今となってはこんなに大きく有名で、画一的となって驚きだ。

最初に疑問を抱いた仏教とヒンドゥー教との関係がわかりました。そしてマンダラはとても重要な位置を占めていると思いました。

前、仏が画一化されていくという話があったけれど、それとは別に共通点というのもあるんだなぁとあらためて思いました。7は週7日制の7だし、6も1日24時間(6×4)の6(ちょっと苦しい気もするけど)だと考えると、昔のインドではすでに週7日制とかを意識していたのでしょうか。していたのなら、すごいと思います。
時間と関係のある数字ということであれば、4や12も重要でしょう。12ヶ月、24時間、60分などは12進法が基本となっています。インドは古くから天文学や暦学が高度に発達していた国です。1週間を7日とするのは基本中の基本です。

この講義を通じて、密教と一般の仏教の区別が今ひとつわからなかったのですが、インドでは日本と違って密教以外の宗派はおとろえてしまい、密教=仏教と考えればよいのでしょうか。
現在の日本仏教は宗派が基本となるので、真言宗や天台宗のような密教の宗派と、浄土宗、禅宗、日蓮宗のようなおもに鎌倉期に成立した宗派が併存しています。細かく見れば、さらに多くの宗派があり、中には奈良時代の南都六宗に起源を持つ宗派もあります。たしかにインド仏教はこのような日本仏教とは様相がかなり異なるようです。歴史的に見れば、初期仏教、部派仏教、大乗仏教、密教という発展段階をたどるように、概説書などでは書いてありますが、実際は非常に古い伝統が生き続け、大乗仏教や密教のような新しい動きが現れた後も、しっかり残っていたようです。インドから仏教が姿を消すころでも、いわゆる小乗の僧団はインド各地で活動していたようです。大乗仏教と密教の関係も複雑で、大乗仏教がおとろえて密教になったわけではありません。密教の経典に説かれるような特殊な実践法や儀礼、あるいは神々の体系を重視する人々が、大乗仏教の教団内で、まとまって存在していたというのが実状のようです。

世界史をやっていて、シヴァ神の絵を見せてもらったことがありますが、体から水が出てたり、頭が蛇なのは何か意味があるんですか。
シヴァの頭の水は頭から出ているのではなく、水を受け止めているのです。これはシヴァがガンジス河が天から降りてくるのを受け止めたという神話に由来します。蛇を体のあちこちに巻き付けているのは、インドの苦行者のイメージであるとともに、蛇の持つ宗教的な力や性的なイメージを、この神がそなえているからです。蛇を体に巻き付けるのは、軍荼梨明王のような密教の仏でも見られます。

スライドの中には力強い感じの仏像がいました(筋肉がすごいなど)。力強い印象を与える仏像は、密教世界において、どのような役割を演じているのですか。
おそらく明王系の仏たちのことだと思いますが、教科書の第7章あたりを読んでみてください。

動物に乗っている仏が多かったことが印象的でした。仏が乗る動物には何かきまりがあったりするんですか。
特定の法則はありません。ライオン、水牛、孔雀、イノシシなどの一部の動物については授業や教科書で取り上げました。仏教の仏たちも含め、インドの神々は動物などに乗るのが一般的ですが、そこに特定の「きまり」を見つけることは困難なようですし、むしろ、個別の事例を考察することで、その神の性格や起源が明らかになることがあります。

孔雀や水牛、星座など、いろいろな動物が出てきましたが、これまでにはあまり出てこなかったので、新鮮だった。今日配布の神々の名が書かれた図を見て、この授業でさまざまな神についての話を聞けたのだとあらためて思った。

仏のイメージはつながっていくとわかっていたつもりだったけど、こんなにも見事につながるなんてすごいとあらためて思った。

今日で講義が最後だった。来週のテストをがんばりたい。なぜ水天が懲罰神なんですか。
水天すなわちヴァルナは、アーリア人の神々の世界の中で、古い時代の最高神でした。教科書にも書いてありますが、アーリア人の神々にはアスラとデーヴァという二つのグループがあり、ヴァルナやミトラはアスラのグループの中心的存在です。懲罰神というよりも司法神といった方がよかったかもしれません。世界の秩序を司り、それを乱すものに厳罰を与えます。世界が一定の秩序によって維持されているというのは、インドでは一貫して認められる考え方です。ヴァルナというのは水も意味し、もともと水とのつながりを持っていた神なのですが、後世のヒンドゥー教では、最高神としての尊厳を失い、水の神としてのみ信仰されるようになります。

今日のスライドは色とりどりできれいでした。テスト勉強に向けて今までのプリントを見直し始めなければならないと思いました。けっこうあるので時間がかかりそうです。



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