密教美術の世界

7月15日の授業への質問・感想

マンダラは儀礼のために作られたということで、日本ではそれにあたるのが敷曼荼羅だということだったけど、日本の他の曼荼羅は何のために作られたのでしょうか。
すべての曼荼羅が儀礼のために作られたわけではありません。たとえば、日本には神道曼荼羅や社寺参詣曼陀羅(立山曼荼羅や那智参詣曼荼羅が有名)などがありますが、これらはあまり儀礼とは関係なく、寺院や社寺の縁起を描いたり、それを信者にむかって絵解きするために用いられました。しかし、本来、真言宗や天台宗などの日本密教で用いられた曼荼羅は、儀礼という要素を抜きにしては、まったく理解できないものです。とくに、一般の人々の曼荼羅理解は「きれいな仏の群像」という程度のもので、これでは浄土図や涅槃図などの仏画と、何らかわりません。密教寺院で見る曼荼羅は、たとえばお堂の左右に掛けられていますが、これはその前で僧侶が儀礼を行い、精神集中をするための装置にもなります。また、別尊曼荼羅(べっそんまんだら)と呼ばれる特殊なマンダラが、数多くありますが、これはマンダラに描かれている仏の力を借りて、特定の祈祷を行うものです。従来、仏教美術の研究は、芸術品や美術品として、その美しさや表現方法にのみ関心が向けられていましたが、最近では、美術作品が何のために用いられたかという、その機能に対する研究がさかんになってきました。ちなみに、上にあげた浄土図や涅槃図のような情景図的な絵画であっても、それぞれ特定の儀礼に結びついているのです。マンダラを理解するためにその構造と機能を考えた場合、灌頂という儀礼がきわめて重要な位置を占めているわけです。

マンダラの儀礼の後、弟子は仏と同等の位を得るのですか。それとも、まだ仏の中の階層を昇らなければならないのですか。
仏の一歩手前といったところです。授業でも紹介した「菩薩の十地思想」では、最終段階の第十地に相当します。大乗仏教では無数の仏が登場するようになることは、以前の講義でお話ししましたが、これらの仏は、空間的には同時に無数存在するのですが(三千大千世界に一人ずついるので)、時間的には同じ世界には一人しかいません。弟子が仏になることを保証されるのは、つぎに現れる仏が弟子であるというお墨付きをもらうわけです。灌頂が国王即位儀礼ではなく、立太子の儀礼に相当するといったのはこのためです。国王に王子がたくさんいても、つぎの国王は一人だけです。その一人を決めるのが立太子の儀礼です。仏教に置き換えると、菩薩たちが多くの王子で、その中で次期後継者となることが決定されるのです。大乗仏教では弟子も含め、悟りを求めて努力する者たちは「誰でも菩薩」であり、そのときのモデルとなるのが、悟りを開くまでの釈迦なのです。釈迦が王族の生まれで、そのまま世俗にとどまれば国王となることも、仏教にとっては常識でした。

投華得仏の様子を昔、空海を主人公にした映画で見たことがありました。その映画では蓮の花を落としていたような・・・。空海が落とした花が、ちょうど真ん中に落ちていました。
投華得仏は灌頂儀礼の中でドラマティックな場面なので、よく映画やドラマでも出てくるようです。ただし、灌頂儀礼全体から見れば、これは準備的な段階にすぎません。灌頂にはプロの密教僧となる伝法灌頂や阿闍梨灌頂と呼ばれるものもありますが、その一方で、在家の信者が受けることができる結縁(けちえん)灌頂というものもあります。いずれもインド以来の伝統を持っています。投華得仏はプロのための灌頂だけではなく、結縁灌頂でも行われ、文字どおり「仏さまとご縁を結ぶ」と説明されています。投華得仏の説明は、授業では簡単に済ませてしまいましたが、マンダラに描かれている仏の世界に、灌頂を受けるものがはじめて接する段階です。これはルーレットのようなもので、投げた花が落ちたところの仏が守り本尊となります。場合によっては、曼荼羅の外に落ちることもあり、三回までならやり直せますが、それを越えると資格無しとみなされます。マンダラの中には仏が描かれていないところもあり、そこに落ちた場合は、そこから一番近いところにいる仏が、選ばれます。空海は長安で金剛界と胎蔵界の二種類の灌頂を受けていますが、そのいずれにおいても中心の大日如来の上に花が落ちたと伝えられ、師の恵果阿闍梨が感心したと言われています。現在の真言宗では、これにならい、マンダラのどこに落ちても中心に落ちたことにしてしまうそうです。司馬遼太郎は『空海の風景』の中で、これを「姑息な変更」と言っていますが、マンダラの仏たちはすべて中心の大日如来から生み出されたものなので(大日如来は宇宙の根源的な仏です)、べつにそれでもかまわないのですが、たしかに儀礼本来の意味は失われています。なお、投華得仏で用いられる花は、インドの文献ではとくに指定はないようですが、日本では「しきみ」という木の葉を使います。

仏教が異教の神を取り込んでいったのは、密教成立時と重なるのでしょうか。これは仏教教団が拡大をねらった戦略と考えてよいのでしょうか。
仏教の仏と異教の神については、今回くわしく見ていきますが、仏教が異教、とくにヒンドゥー教の神を取り込んでいったのは、特定の時期だけではなく、つねに行われたと考えています。「取り込んだ」というよりも、ヒンドゥー教の神々の中で、それを参考にしつつ、オリジナルな仏のイメージを何とか作り出そうとしていたようにも見えます。時代による違いがあるとすれば、むしろ取り込み方で、初期にはインドの神々のイメージとしては、穏当な方法で仏教の仏が作り出されていたところが、中期から後期にかけては、その方法から逸脱するような特殊な取り込み方をしたように感じられます。「別の神を足の下に踏む」というパターンで、このことも今回とりあげる予定です。

儀礼の後に、せっかく描いたマンダラをこわしてしまうと知って、とても驚きました。仏がおりてきているのをこわしてしまったら、どうなるのかと思ったからです。仏に帰ってもらうという特別な儀式などはなくこわしてしまうのですか。
ご質問のとおりで、儀礼の最後の段階で、マンダラに宿っている仏たちに、本来の場所に帰ってもらうプロセスがあります。マンダラとはあくまでも「仮の宿」であって、儀礼の時間の間だけ、そのような意味を持つのです。このような発想は、インドでは一般に広く見られ、古代のヴェーダの祭式でも、儀礼が終われば、儀礼のための装置は壊されるか、そのまま放置されます。また、神々を儀礼の場に招き、供物を捧げたり、礼拝した後、お帰りいただく方法も、ヒンドゥー教の寺院などで広く行われています。マンダラとは儀礼に参加するもの、とくに弟子にとってのみ重要であり、しかも「秘密にすべきもの」という意識がつよいものです。仏が降りてくるための「よりしろ」になるようなものが、日常生活の場に存在する方が、危険なのです。儀礼の空間というのは、儀礼という非日常的な時間においてのみ成立するからこそ、意味があるのです。

曼荼羅には多くの仏が描かれているが、その中央の仏が自分であるならば、まわりの仏たちは、仏になった自分の友達や師匠を表すのだろうか。灌頂はどのくらいの頻度でなされているのだろうか。またその儀礼はすべての弟子が受けるものなのだろうか。昨日、日本の美術を調べていたら、涅槃図に出てくる人物や動物を大根や人参などの野菜に変えて描いていたり、歌舞伎の俳優たちに変えたりしていて、おもしろいなぁと思った。曼荼羅にもそういうのはないのだろうか。
 すでに、上の方にでも書きましたが、マンダラの中心の仏になるというのは、宇宙の根源的な仏(日本では大日如来)になるということです。密教的な世界観では、宇宙とはこのような根源的な仏が現れたものにすぎませんから、自分自身が宇宙そのものと同一になるということになります。したがって、まわりの仏たちも自分が姿を変えたものにすぎません。しかし、その一方で、仏教の宇宙観では、特定の仏国土に特定の仏がいることになっているので、このような約束ごとも、マンダラに仏を描く場合、重要になります。また、仏教のパンテオンが仏、菩薩、明王、女尊、天のような階層に分かれているのも、マンダラのもつ同心円的な構造(中心を持ち、周縁にいくほど、レベルが下がる)に結びつけられます。灌頂の頻度には決まりがありません。弟子が所定の修行を終え、灌頂を受けることを望めば行います。しかし、日本の真言宗や天台宗では、定期的に行っているようですし、灌頂の種類によって、その頻度も異なります。
 涅槃図を野菜や歌舞伎俳優に置き換えたものは、江戸時代の浮世絵の中に見られ、他にも禅画や古典的な絵巻物が素材になっています。浮世絵に見られるこのような手法は「見立て(みたて)」と呼ばれ、文学作品や芸術に対する広範な知識を必要とします。江戸時代の洗練された文化のひとつの現れで、たんなるパロディーではありません。しかし、マンダラがこのような見立ての素材になることはおそらくなかったと思います。見立ての場合、オリジナルの意味、とくにその物語的な要素が分かっていることが重要になるので、そのような要素をもたず、一般の人には意味不明な曼荼羅では見立てにならないのです。

灌頂でも水がすごく大切な役割を果たしていますが、それはやっぱりインドでも水は生命の源などのように、大切なものとして認識されていたのでしょうか。
灌頂ということばそのものは「上から水を注ぐ」という意味ですが、インドでは国王の即位儀礼の名称として、古くから用いられています。その場合、インドのまわりにある4つの大海の水を新しい王に注ぎ、その支配権が付与されたことを表すと言われます。このような説明もわかりやすいのですが、それならば水ではなく、もっと別のものを用いてもよいはずです。対象を刷新する力や、新しい生命を与える力を水がもっているからこそ、儀礼の象徴的な道具として用いられたのでしょう。儀礼とは特定の行為や道具、ことばなどから構成されますが、このような象徴的な意味がしばしば込められています。その意味は、必ずしも儀礼を行うものにとって自明のことではなく、より広い文化的な視野をそなえた観察者にのみわかるようなものもあります。その一方で、儀礼から必要以上に象徴的な意味を読み解こうとすると、恣意的な解釈が起こることもあります。儀礼の研究はおもしろいのですが、なかなか難しいものです。

五智灌頂では五つも智慧がいただけるのですね。五つからひとつ選択するのかと思いました。バランスよくってことですか。
五智とはマンダラの中心にいる大日如来と、その四方の四人の仏、すなわち五仏がひとつずつ持っていることになっています。言いかえれば、仏の持つ五つの智慧が神格化されて顕現したのがこの五仏ということになります。そのため、五仏は五智如来とも呼ばれます。インドでも日本でも、灌頂のひとつの中心が、この五智を弟子に授けるプロセスです。授業でも言ったように、仏になるというのは、仏の智慧を獲得することですから、当然重要ですし、五つそろってはじめて完全になります。五智のそれぞれの名称は教科書の71頁にもあげましたが、法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智です。漢字ばかりでむずかしそうです。

北野天神縁起で、六道の話があって、そこの「修羅」に象に乗った帝釈天が出てきたのですが、戦いに関係しているのですか。神の中の王なのに。
六道を描いた絵の中に登場する帝釈天は、戦いのシーンに含まれることが一般的です。六道とは地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天という輪廻で生まれ変わる6つの世界で、そのそれぞれの世界を描いたのが六道絵です。インドやチベットでは六道輪廻図と言って、車輪のような円を分割して、各区画にひとつずつ描きますが、日本では絵巻物や屏風絵のような形で、並列的に描かれるのが一般的です。六道の中の天の部分は、天人や天女が楽しく過ごしている場面や、寿命が尽きて衰えていく様子(有名な天人五衰)が描かれますが、そのほかに修羅と組み合わせて描かれます。つまり、戦争に明け暮れる修羅の世界を描くために、その相手である天が必要で、天の軍勢の指揮を執っているのが、象に乗った帝釈天なのです(教科書でよくとりあげたアスラ=阿修羅とデーヴァ=天の戦いです)。六道絵は日本では単独で描かれる他、地獄絵や参詣曼荼羅、観心十界図などに組み込まれます。北野天神縁起絵巻もそのようなもののひとつで、日蔵という僧侶が六道をめぐっていく場面が描かれ、そこに修羅と天との戦闘場面も登場するのです。なお、北野天神縁起絵巻にはいくつかの系統があるのですが、この主題が現れるのは、承久本と呼ばれる系統のものです。


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