密教美術の世界

7月8日の授業への質問・感想

絵を描くということに正解はないんだなということを、改めて実感しました。多視点の複合に対して、あまりよい印象を持っていなかったので、子どもがそんな絵を描いていたら、一視点で描くように指導してしまいそうな私でした。でもよく考えれば、いろんな視点を考えているからすごいですね。砂マンダラって、のりなどで固定するのですか。「ふぅっ」てしたくなりますね。
子どもというのは、たいてい絵を描くことが大好きで、紙とクレヨンなどを与えると、かなり小さな子でも、楽しそうに自由自在に描きます。そのような絵に、ときどき、はっとするような斬新なものがあり、驚かされます。授業では子どもの絵しか取り上げませんでしたが、子ども向けの絵本にも同じようなことがあります。子どもたちが好む絵は、けっして「写実的な」絵ではありません。子どもに人気のある絵本の絵には、ときどきわれわれ大人には理解できないようなものもあります。子どもは柔軟なんですね。むしろ、大人の視点で正確に描いた絵などは、好まれないことが多いようです(図鑑などの場合は別です)。砂マンダラは初めて見た方が多いと思いますが、チベット仏教で現在でも作られています。また、一般にはチベットの特殊なマンダラと思われていますが、実際はこれと同じものがインドでも作られていました。ただし、13世紀頃に仏教が衰退した後は、その伝統は残っていません。砂マンダラが何のために作られるのかは、今回お話ししますが、用が済めば、最後はたいてい壊してしまいます。それがきまりであり、壊すことも儀礼の一部となっています。日本や欧米でチベットの仏教美術展などが開催されると、チベットからお坊さんを呼んで、砂マンダラの制作をよく行いますが、そのようなときは壊すのが惜しいので、後から樹脂のようなもので固め、保存することがあります。しかし、完成した直後はとてもきれいですが、時間がたつと、表面にほこりがたまったりして、みすぼらしくなります。やはり、こういうものはきまり通りに、壊した方がいいようです。

チベットのマンダラは、中の四角?の色が、右回りに赤、緑、白、黄色となっていたようですが、きまった配色なのでしょうか。
マンダラは対角線で四つの区画に分かれ、そこが質問にある通りの色で塗り分けられます(したがって、区画は四角ではなく三角になります)。これらの色は、四方の仏の体の色に対応します。東(壁画の場合は下に来る)は大日の白、南は宝生の黄色、西は阿弥陀の赤、北は不空成就の緑です。さらに中央は阿◎の青となります。マンダラの中心となるこれらの五仏は、すべてのマンダラに現れるわけではありませんが、他の仏が登場するマンダラも、それらの仏を五仏と「同体関係」と解釈して、対応する仏の色が塗られます。またこれとは別の説ですが、マンダラの楼閣は須弥山の頂上にあるので、須弥山の四方の壁面の色がこれらの4色であるともいわれます。須弥山はその周囲がそれぞれ異なる宝石でできているためです。

写真とかで見かけるマンダラは全体的にうす茶色でぼんやりしてるけど、「聖者流秘密集会マンダラ」は色鮮やかできれいでした。マンダラって色あせたものばかり見てきたから、そういうもんだと思ってたけど、そういえば、描かれた当初はきれいだったんだなぁと今さら気づきました。砂マンダラにとてもこころ惹かれました。実物を一度みたいです。
たしかに、日本に残る文化財的なマンダラは、たいてい、長い年月の間に褪色したり、破損したりして、古い絵という印象を受けることが多いようです。しかし、授業で時々紹介する「西院本両界曼荼羅」(さいいんぼんりょうがいまんだら)などは、いまでも制作当初の色がよく残っていて、とても鮮やかです。それだけ大事に伝えられたということでもあります。また、空海が唐から請来したマンダラにもとづいて描かれた「高雄曼荼羅」(たかおまんだら)は、紫綾金銀泥で描かれました。これは、濃い紫色の布に、金や銀の絵の具で描いたものです。高雄曼荼羅は現存しますが、現在ではほとど線は見えません。しかし、制作され、堂の中にかけられたときは、ろうそくの光などに照らされて、仏たちが闇の中に浮かび上がり、きらきらとゆらめくような効果があったと言われます。同じような紫綾金銀泥のマンダラとして、奈良の子島寺に伝わる子島曼荼羅があります。これは現在でもかなりよく線が残っています。

以前、新聞でピカソは偏頭痛を持っていたので、本当にああいう風に見えていたのだという学説が発表されたという記事を読みました。偏頭痛がひどい人の絵は、ピカソに似ているのだそうです。
そういう学説は知りませんでしたが、すこし「まゆつば」ではないかと思います。ピカソは子どもの頃からとても絵がうまく、美術の教師であった父親が、それを見て自信を失い、絵を描かなくなったという逸話が残されています。また、授業で紹介したようなキュビズムなどの作風で描く前の「青の時代」などでは、いわゆる写実的な絵を描いています。偏頭痛の持病を持つ人が、ひどい頭痛のときに、目を開けていられなくなり、目をつぶっても光が稲妻のように走るのが見えることがあります。そのような直線的な光と、ピカソの絵の表現方法に似ているところがあるかもしれませんが、それを絵の中に表現したということは、おそらくないでしょう。なお、ピカソは古典的な絵画の習作も多く残していて、そこでは、ルネッサンスや印象派の絵画が、ピカソ風にアレンジされていて、彼がどのような表現を好んだかがよくわかります(高階秀爾『ピカソ 剽窃の論理』がくわしい)。

平安絵画のマンダラだけでなく、立体マンダラや砂マンダラといった形態もあることを知り、驚きました。これらのマンダラはどのくらいの大きさなのですか。平安絵画のように、一辺が4メートルもあったりするのでしょうか。
立体マンダラは一辺が1メートル程度のものが多いようです。しかし、中にはお堂いっぱいに作られ、一辺が4,5メートルの大きさを持つ巨大なものもあります。私も以前、中国の青海省で見たことがあります。チベットで作られる砂マンダラは、2メートル程度のものをよく見ます。あまり大きすぎると、作るのがたいへんですし、小さすぎると、かんじんの儀式で使うときに不便です。マンダラにきまった大きさがないのは、作る人の体を基準にするからです。多くの場合、制作者の肘から手の先までの長さが基準になります。これは、インドの建築術に由来します。家をたてる場合、絶対的な長さではなく、棟梁の体の大きさに基づくからです。このようなところからも、マンダラが家であることが分かります。

マンダラができあがるには、あのような儀礼を経ていたということを初めて知った。スライドでダライラマがマンダラを作る様子の写真がありました。ダライラマって、今まで一人の人物の名前だと思っていたんですが、14世と書いてあったので何人もいるんですね。
数年前にノーベル平和賞を受賞したので、ダライラマの名を知っている人もたくさんいると思います。「チベットの精神的指導者」とよく説明されますが、1950年代にチベットが中国に制圧される前は、チベットの最高権力者つまり為政者でした。ダライラマというのは固有名詞と思われていますが、一種の称号で、チベット仏教の高僧に与えられたものです。チベットには「活仏制度」というものがあります。これは、大乗仏教の菩薩思想を根拠にして、われわれ衆生を救済するために、菩薩が人の姿をとって、法を説いてくれる。しかも、死んだ後も、また別の人に生まれ変わって、衆生救済につとめてくれるというものです。したがって、現在のダライラマ14世も、その前のダライラマ13世の生まれ変わりと信じられていますし、将来、15世、16世と続いて行くはずです。チベットにはこのような高僧の生まれ変わりがたくさんいて、最大勢力のゲルク派の中で、もっとも権力があったのがダライラマなのです。ナンバー2にはパンチェンラマがいます。歴史的に見ると、このような活仏制度は、恣意的な後継者選びとなるため、しばしば、政治の道具に使われ、さまざまな不幸を生みました。また、最近ではチベット以外の欧米からも、活仏の転生者が見つかったりしています(たいてい、熱心のチベット仏教の信者の家族からです)。

血曼荼羅なんてなんて生々しい名前なんだろうと思った。今までいろいろな仏像を見てきたが、それらの仏像と曼荼羅に描いてある仏の姿と、何か関係があるのだろうか。チベットの曼荼羅は円の中に四角い枠がある構造になっているので、なんだかストゥーパの内部を解体してみているような感じがする。ストゥーパの装飾には、水に関するものが多かったが、いわゆる宇宙、全世界、全生物の源である水とつながりがあるのかなぁと思った。曼荼羅を立体化したものを見たが、平面図のと比べて、神秘性が失われていき、宇宙との関連性もあまり感じられなくなった。
血曼荼羅は正式名称ではなく、一種の通称です。日本に伝わる曼荼羅は胎蔵界曼荼羅とか金剛界曼荼羅とかが正式の名称になるのですが(たとえば文化財として登録するときの名称)、そうすると、高雄曼荼羅も子島曼荼羅も西院本も、どれも区別が付かないので、このような通称で呼ばれることが多いのです。マンダラに登場する仏も、これまで取り上げてきた密教の仏たちですが、その種類や表現方法を知るために、パンテオンの構造や表現の画一化などを見てきました。具体的な話は今回する予定です。マンダラが形態的にストゥーパに似ていることも、授業で意図していることです。マンダラには水のシンボルは希薄ですが、トーラナのマカラなどに、少し残されています。ストゥーパと宇宙の関係を取り上げたのも、マンダラが宇宙をあらわしていることの伏線となります。「マンダラとは宇宙の縮図である」と突然言われても、おそらく何のことであるか、わからなかったと思います。宇宙を介在させることで、マンダラとストゥーパは結びつくのです。

砂マンダラが非常に美しかった。けれど、頭では理解できたが、やっぱり、ぱっと見では秩序だった世界図とは理解しがたいかもしれない。あと、マンダラ制作で土地を決めるとなっていたんだけど、どのような場所が適していて、どのようなところは適していないのですか。
もちろん、マンダラを見ただけで、これが「秩序だった世界図」であるとわかる人などいません。だから私も「見ただけでわかってもらっては困る」と新聞にも書いたのです。マンダラの説明としてよく用いられる「仏の世界」という言葉からは、普通の日本人はおそらく浄土図のようなものを想像するでしょう。これは、阿弥陀の仏国土である極楽浄土を描いたもので、文字通り「仏の世界」です。浄土図は一種の情景図であるので、簡単な説明を聞けば、何が描いてあるかはだいたいわかります。しかし、マンダラの方の「仏の世界図」は、見ただけではもちろん、何を意味しているかわかりませんし、わかるためにはこれまでの授業で延々と説明してきたことや、実際にマンダラを用いた儀礼について知る必要があります。マンダラは情景図ではなく一種の設計図なので、その描き方の法則を知らないものには、わかるわけがないのです。マンダラのための土地の適不適は、文献ごとで少しずつ異なりますが、方角、まわりに生えている樹木の種類、川の有無、土地の傾き方などがチェックされます。さらに、その土地が本当に適しているかどうかを、いくつかの方法で確かめます。これらはいずれも、建物を建てるための条件として、建築学の文献などにも見られるものです。




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