密教美術の世界

6月24日の授業への質問・感想

ストゥーパが表現しているものが水だったと知って、少し驚きました。やはり、仏のこととかを示しているものだと思っていました。足が魚だったりするのがおもしろかったです。はじめに先生が言っていた癒されると言うのが、最近少しずつわかってきた気がします。最後の「世界は卵」と表せるというのは、はじめの課題に出たキーワードのプリントにもあった気がして、想像というか、理解まではいかないけれど、何となくわかりました。
ストゥーパの全体が水を表しているわけではなく、ストゥーパの装飾に水にかかわるものが数多く現れることに注目しています。現在では残っていませんが、まわりの地面に青いタイルのようなものを敷いた例もあるそうです。前回から今回にかけて、ストゥーパがこのように水に覆われていることから、ストゥーパがもつ意味を考察していきます。そのときのイメージとして「卵」を出したのは、もっともわかりやすい「生命」のシンボルであり、さらにストゥーパの形態そのものが、卵に似ているからです。ストゥーパの中におさめられている舎利、つまり釈迦の骨も含めて、今回、もう少していねいに説明するつもりなので、「何となく」ではなく「そうなんだ」とわかって欲しいと思います。(あまり「癒される」話ではないと思いますが)。

分舎利はどこか日本の分骨に似ていると思った。舎利を8つに分けたとあったが、そのような聖なるものをバラバラにしてしまってよいのだろうかと疑問に思った。原型をどんどん失ってしまっては、聖なるイメージがなくなってしまうのではないかと思った。
「舎利」はサンスクリット語のァarエra「身体」から作られた言葉で、とくに仏の遺体を指して用いられます。先回の授業でもお話ししたように、仏教の場合、ストゥーパの起源は釈迦の遺体を荼毘(だび、火葬のこと)にした後、その遺骨を分割して、それを納めるために建てられたものです(もっと古い時代からあったという説もあります)。したがって仏塔には必ず舎利が納入されていなければなりません。マウリア朝のアショーカ王の時代には、さらに各地に仏塔を建てるために、すでに納められていた舎利を仏塔から取り出し、こまかく分割したと伝えられます。玄奘は『大唐西域記』の中で、インドや中央アジアの各地に仏舎利を納めた仏塔があることを伝え、舎利以外にも、釈迦の髪の毛や托鉢、衣などの聖なる遺物も信仰の対象であったことを記録しています。もちろん、このようなもののうち、どれだけが本当の釈迦のものであったかはわかりません。骨がそんなに長く残ることもないでしょうし、その量も限りがあります。しかし、舎利に対する信仰は根強く、中国や日本でも継承されます。ある時期の中国では、インドから大量に舎利を輸入(!)しています。日本では国家レベルでも舎利が重要性を持ち、世の中が平和な時代(天皇の治世がよい状態)には、舎利が自然に増えるという信仰があり、毎年、舎利の数を数える儀式もありました。増殖するということです。このような増殖する舎利という考え方は、今回取り上げるように、ストゥーパ信仰の基本にもつながります。また、日本でははじめから舎利そのものは求めず、水晶を舎利と見なして仏塔に安置することもあります。舎利から仏教を見ると、いろいろおもしろいことが出てきます。

「劫」の概念がとてもインド的だなぁと思った。とくに大の三災で世界が滅びる理由や、ふたたび世界が構築される理由が明確に示されないところがそうだと思う。ストゥーパの内部をはじめて知った。福井の足羽山にもストゥーパがある。実家のすぐ近くなので行ってみたい。ストゥーパのまわりの石に彫刻されたいろいろな海獣がおもしろいなぁと思った。水のイメージがあまりに強いので、インドの地理的要因による、人々の水(=豊かさ)のあこがれの強さの表れだろうか。今日の因果の講義は、ウパニシャッド哲学みたいだなぁと思った。仏教だから違うけど。
ストゥーパのまわりに見られる水のイメージと、実際のインドの風土との関係はさまざまでしょう。授業で取り上げているバールフットやサーンチーのストゥーパは、平地や少し高台にあるので、まわりには水はあまりありませんが、モンスーン気候なので、雨期には雨はたくさん降ります。また、ストゥーパは僧院とセットで建立されたはずなので、生活用水や儀礼のための水などのために、人工的な貯水池はあったはずで、水は身近に存在したでしょう。ストゥーパは南インドのアマラヴァティーやナーガールジュナコンダでも作られましたが、北西インドのものとは、構造や装飾モティーフが少し異なります。また、ガンダーラでも大規模なストゥーパがあったことが、遺跡の発掘から知られていますが、独自の形態を持っていたようです。一口にインドといっても、これらの地域の風土や気候は大きく異なります。最後のコメントのウパニシャッド哲学はそのとおりで、因果関係の話や、神が動力因でもあり質料因でもあるという説明は、ウパニシャッドに起源を持つ考え方で、インドの正統的な思想でもほぼ継承されています。これに対し、仏教は神や世界の存在を否定するか、あるいは関心を寄せませんでした。仏教の授業であるのに、仏教の思想と相反するウパニシャッド的な話をしているのは、密教が仏教でありながら、哲学的にはこのような立場に近づいていったためです。この後に取り上げるマンダラも、そのような思想的な背景を抜きにしては理解できません。

仏塔(=宇宙)に水のイメージが多いことや、多産豊穣の象徴という話だったが、水は海から生命が生まれているし、豊穣や生命のイメージなのかなと思いました。私たちも神の一部であるという話は、びっくりしました。キリストなどの神より、ずいぶん身近な神だなぁと思います。
水と生命の関係は、そのとおりで、今回の授業でもあらためて取り上げたいと思います。世界をひとつの生命体と見なした場合、それが誕生するためには生命の根元である水が不可欠であるというのが、意図するところです。ついでに言えば、生物学の分野でしばしば言われる「個体発生は系統発生を繰り返す」という説、つまり、われわれが誕生し、成長するプロセスは、生物の進化を凝縮していることも、このことに結びつけようと思います。神の話が突然登場して、困惑した方も多かったかと思います。インドの思想では、世界(宇宙)の存在を問題にするときには、ある種の原理を古くから想定していました。ウパニシャッド哲学では、これは「ブラフマン」(梵)と呼ばれますが、次第にこれは単なる原理ではなく、人格的な神となっていきます。「私たちも神の一部である」というのは、私の説明からそのように理解されたかもしれませんが、少し異なります。世界そのものがブラフマンであるからといって、その構成要素であるわれわれは、その「部分」であるとは説かれないからです。むしろ、構成要素ひとつひとつが、アートマン(我)であるとか、アートマンをそなえていると考え、このようなアートマンが、究極的にはブラフマンと同じであると理解されているからです(梵我一如)。われわれと神との関係は、部分と全体ではないからです(そのような立場の学派もありますが)。たしかに、一般に「神」というと、日本人はキリスト教やイエスを連想しますが、これはインドを含む世界の宗教や思想の中のきわめて特殊な例にすぎません。

愛知県のリトルワールド、すごく好きで何回か行ったんですけど、そこでネパール版画が売られていたので、六道輪廻の版画買いました。私の記憶では輪のまわりに十二支が描かれていて、真ん中に丸を九つに分割して、その中に文字が書かれていたような・・・。ネパール版画、いろいろ売っていたので、全種類ほしかったのですが、小学生だったので1枚だけ。密教美術からははずれますが、六道輪廻と十二支って、関係あるんですか。それ以前にネパールの十二支とはいったい?
リトルワールドは私も以前名古屋在住のときに2、3回行ったことがあります。オープンしたのがたしか学部の学生の頃で、オープニングのセレモニーも見に行きました。本学の人類学の鹿野先生(現在は大学理事)や鏡味先生が関係しておられます。ネパールのお寺も中に建てられていて、ネパールの山岳地帯にすんでいるチベット系のシェルパ族の寺院だったと思います(ややこしいのですが、ネパールの中にはチベット系の民族が多数住んでいて、チベット仏教を信奉しています)。私が訪れたときは、まだせっせと画家が壁に絵を描いていました。チベット語で仏の名前などを言うと、喜んでくれました。ネパール版画はチベット系のものとネパール系のものがありますが、六道輪廻図は授業のスライドで紹介したように、チベットの寺院に多く描かれています。まわりに十二支があるものがあるかもしれませんが(チベットの暦は中国の影響下にあるので、日本と同様、十二支を使います)、一般には仏教の基本的な教えである十二支縁起を、人間や動物などを使って具象化したものが描かれています。また、中央は猪、鶏、蛇が三つどもえになっている様子がよく描かれます。これは怒り、貪り、愚かさを表し、これによって、輪廻の世界が動き続けることを表します。ネパールの首都カトマンドゥに行くと、このような版画が土産物屋で、1枚、10円以下の値段でたくさん売られています。なお、リトルワールドは経営が危ないという話も聞くので、また見に行くのならば今のうちかもしれません。

仏教では時間と空間を合わせて考え、物理学などでやったように、時間と空間を分けて考えないとのことですが、物理でも相対論まで考慮すると、時間と空間を合わせて四次元時空を考えます。物理で四次元時空の考えが出てきたのは20世紀のはじめになってからだが、仏教ではそのはるか以前に時間と空間を合わせて考えていておもしろかった。
同様のコメントがもう1件ありました。教養的授業は理科系の学生の方も多く出席しているので、それぞれの立場からのコメントがもらえるのはいいことです。仏教と相対性理論がどこかつながっているかもしれないというのは興味深いですが、私自身は物理に関する専門的知識がないので、その是非はわかりません。授業で言いたかったのは、われわれ現代人は、知らず知らずのうちに時間と空間を分けて思考する習慣があるが、仏教徒も含め当時のインドの人々は、このような発想はしなかったのではないかということです。世界が周期的に変化するときに、時間的な変化と空間的な変化が不可分であることを見ると、われわれとは別のとらえ方をしていたのではないかと思います。また別の話ですが、われわれ日本人はものごとをとらえるときに、空間的にとらえたり、構造的に理解することが、どちらかといえば不得手で、むしろ、時間的な変化として把握する傾向があります。これに対し、インドの哲学や思想はその逆で、時間よりも空間を優先的にあつかったり、上位の概念とします。人間が時間や空間を認識するのは必ずしも本能的なものではなく、多分に文化的なのです。

7章を読んで思ったのですが、結局、なぜ、デーヴィーマーハートミヤで、金剛手に当たるシュンバ、ニシュンバを倒した女神そのものではなく、その夫のシヴァが金剛手による降伏の相手に選ばれたのですか。
金剛手がシヴァを降伏させるエピソードは、『金剛頂経』という経典に説かれていますが(そこではシヴァではなく大自在天と呼ばれます)、その時代にはまだシヴァ神に対する信仰が、女神に対するそれよりも優位であったからだと考えています。中世インドでは女神崇拝が台頭してきて、従来から信仰されてきたシヴァやヴィシュヌをしのぐ勢力を持つようになりますが、『金剛頂経』はその過渡期に成立したと思われます。この議論には前提があって、本の中でも紹介されていますが、『金剛頂経』の大自在天降伏神話を『デーヴィーマーハートミヤ』と結びつけて、ヒンドゥー教対仏教という図式からそれを理解するのが、半世紀以上前から日本の密教学では一般的だったのです。その根拠が、同書で女神に殺戮されるアスラの王の名前、シュンバ、ニシュンバが、金剛手の忿怒形である降三世明王の真言に登場することなのですが、実際はこのアスラの名前は、『デーヴィーマーハートミヤ』以前から知られていることが、現在では明らかになっています。その時代にも女神信仰はすでに認められますが、『デーヴィーマーハートミヤ』に登場するような絶対的な力を持つ単独の女神ではなく、母神と総称される女神の集団だったのです。教科書は一般書の体裁をとりながら、じつはこの分野の通説に対する批判や、新しい説の提示を行っていて、その背景を知っていると「なるほど」と思うところが多く含まれています(背景を知らない皆さんには迷惑かもしれませんが)。


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