密教美術の世界

6月10日の授業への質問・感想


今日は動物が少なかったですね。マングースとカルラくらいですね。不動明王の後ろの炎が鳥だったとは。迦楼羅・・・すてきな名前ですね。ガルーダともおっしゃっていましたが、ヒンドゥー教でヴィシュヌがのっていたりする鳥ですか。ヒンドゥー教の豊かなイメージで着飾っているという印象を受けました。文殊立像(パトナ博)の足が何だかロボットみたいに見えます。太くてすとんとしていて。立像で足に入れ墨みたいな模様があるものがあったのですが(ひざ上に)あれも装身具なのですか。それとも入墨?
カルラはそのとおりで、ヒンドゥー教の神であるヴィシュヌの乗り物の鳥です。インドネシアの航空会社にガルーダ航空というのがありますが、ここからとられています(インドネシアにもヒンドゥー教は伝わっています)。密教の仏たちのイメージの源泉は、しばしばヒンドゥー教の神にあり、それを視野に入れて考える必要があります。これは授業の最後のテーマとなります。なお、迦楼羅炎をともなう不動は、十九相観と呼ばれる形式のものに限られ、すべての不動にあるわけではありません。文殊立像を含め、この時代の仏像には、しばしば硬直した動きの乏しいものが見られます。グプタ期までのインド美術が、生き生きとした躍動感や、深い瞑想性を感じさせるのに対し、パーラ朝の仏像の多くは、装飾過多となる一方、形式化が進みます。これも画一化への動きと関係づけられるかもしれません。足の模様は身につけている衣装の文様だと思います。インドの仏像はしばしば体に密着した衣装を付けているので、衣そのものがはっきり表現されず、文様のみが刻まれます。入墨をした仏像はおそらくインドにはないと思います。

持物の中に人間のどくろで作った鉢があったけれど、救ってくれるはずの仏たちが、人の骨を器にしていると、どっちかというと不幸にさせられそうです。どうして人骨を器として持たせるのでしょうか。画一化が起こったのは、すべての仏がひとつになって、キリスト教みたいな絶対神として考えられるようになったからかなとも思いました。
どくろの棒やどくろの杯、あるいはどくろを二つくっつけて作った太鼓などは、一部の密教の仏たちが手にします。たしかにこれは、私たちの持つ仏のイメージとはずいぶん異なりますが、明王系の仏たちもそなえていたグロテスクさにつながるものです。チベットになりますと、さらにこのような仏たちは増えます。このようなイメージにもヒンドゥー教の影響があり、カーリーと呼ばれる女神は、手にしたどくろの杯で、その中に入った血を飲む姿で描かれます。カーリーとは本来、死を司る神ですが、中世インドでは強力な女神として、人々の信仰を集めました。この女神が持つ骨や血は、インドでは本来、不浄なものとみなされ、ヒンドゥー教でも古い時代には神の像などには現れませんでした。カーリーが骨や血を持つことの解釈はいろいろありますが、私は生命力の表現方法の一種だと思います。とくに、女神がこのような姿をとることが重要です。女神は母神とも呼ばれ、われわれを生み出す源なのですが、それだからこそ、その生命力の象徴である血をコントロールすることが可能なのです。インドにおいて、死の神は生を生み出す神でもあるのです。これについては以前に書いたものがありますので、関心のある方は私のホームページで読んでみてください(「インドの宗教に見る死のイメージ」)。イメージの画一化と絶対的な仏の登場は、歴史的に見れば順番は逆で、大乗仏教において絶対的な仏の登場と仏の多様化があり、さらに密教の時代になり、それぞれの仏のイメージを実際に表現するに当たり、イメージが画一的になったようです。ただし、多くの仏の登場と、それを統括するような絶対的な仏の登場は重要で、教科書でもはじめの方で取り上げていますし、これからの授業のテーマであるコスモロジーにも関連します。

ヒンドゥー教の神のイメージを密教の仏に利用したということには驚いた。他宗教の神を利用することに抵抗を感じなかったのだろうか。仏が画一化されていくとインパクトがなくてぱっとしないなぁと思った。密教が衰退したのもなんかうなずける。チベットの十忿怒尊は間違い探しみたいだった。
おそらくそれほど抵抗を感じなかったと思います。この時代の仏教にとって、ヒンドゥー教の存在は圧倒的だったはずです。はじめの頃は、降三世明王に見られるように、ヒンドゥー教の神を敵対者として位置づけましたが、次第にヒンドゥー教の神と変わらない姿の仏たちも登場するようになります。画一化が進みインパクトがなくなるのは、私自身もそのように思っています。ただし、授業でも最後に言ったように、チベットではこのような仏のイメージがしっかり定着し、膨大な数の仏たちをかかえたまま、現在まで存続しています。インドや日本とは異なる「聖なるイメージ」のあり方が、この国にはあったようですが、すでにそれはインドで準備されていたと考えると、画一化という見方もひょっとしたら一面的であるのかもしれません。むしろ、同じイメージをそなえた仏たちが、グループとしての結びつきを強固にしたと見ることも可能です。このような点も含めて、以前に十忿怒尊のイメージをあつかった文章を発表したことがあります。大学図書館にもありますので、関心がある人は読んでみて下さい(授業で紹介した図版も載っているので、間違い探しもできます)。
森 雅秀 1991 「十忿怒尊のイメージをめぐる考察」『仏教の受容と変容 3 チベット・ネパール編』(立川武蔵編) 佼成出版社、pp. 293-324。

弥勒は僧の家で水を持っていると言ってましたが、もうひとつの社会階級は何を持っているんですか。
弥勒はバラモンの家に生まれると経典に説かれているので、古い時代の作品では、出家者や苦行者のイメージをそなえています。アーリア人で構成されるインドの社会階級は、古くから司祭、戦士、庶民という3つに分かれ、ここからいわゆるカースト制度のバラモン、クシャトリア、ヴァイシャへと発展していきます。もうひとつの階層であるシュードラは被征服者に起源を持つものなので、アーリア人たちとは本来別のグループです。神々もこのような社会階層に対応することがあり、梵天(ブラフマン)は司祭、帝釈天(インドラ)は戦士のイメージを持っています。そのため、ブラフマンも水瓶を持ってしばしば表されます。一方の帝釈天は武器である金剛を手にします。仏教は本来、このような社会階層とは関係がないのですが、仏たちのイメージ形成として、同じような傾向が認められます。その場合、弥勒は司祭(僧侶)で、これに対して観音がどちらかというと戦士階級に対応します。ただし、観音は蓮華を持つことが一般的で、武器を持つことはあまりありません(不空羂索観音のような密教の変化観音は別です)。

今まで仏像を見るときはあまり意識していなかったが、とくに「阿弥陀の九品来迎印」にあるように、手の表現方法が細かくわかれているのに驚いた。指一本の組み合わせにも大きな違いがあることが不思議に感じた。
阿弥陀の九品来迎印は、浄土教の信仰において、9種類の往生の方法が説かれ、そのひとつひとつで、来迎する(つまり往生する使者を迎える)阿弥陀の手の形が異なることによります。インドでは浄土経系の美術がほとんどなく、実際に9種の来迎印が現れるのは中国と日本です。密教の仏たちの手の形はかなり固定していて、それが各仏がだれであるかを見分ける根拠になります。授業でも説明したように、印以外の身体的な特徴がほとんど同じになるからです。その一方で、僧侶の方も手で印を結ぶようになります。それぞれの仏の手の形を、自分でも作り、その仏と一体になるような修行をすることもあります。また、特定の供物をそなえるかわりに、それを手の印で象徴的に示すようなこともあります。密教の実践法で印は重要な役割を果たすのです。

僕たちは仏像は拝むものだという認識が知らず知らずのうちに刷り込まれていたけれども、最初は聖なるイメージなどが感じられて、はじめて人々はそれを拝むことができるんだと思った。
授業で説明したこともそういうことです。聖なるイメージとは長い時間をかけて、さまざまな文化的な背景の中で形成されたものですが、密教ではそれを安易にしかも大量に行ったようです。われわれは仏像を博物館や写真集で簡単に見ることができますが、当時の人々は、はるばる寺院を訪れ、敬虔な気持ちでこれを拝んだはずです。場合によっては、秘仏として、簡単には見ることができない像もあったでしょう。聖なるイメージはこのような場面で、必ず求められる条件です。ただし、そのようなイメージとして万国共通の絶対的なものがあるのではなく、文化や民族、風土などによって、さまざまなイメージが存在します。われわれにとって異文化であるインドのような国で、それがどのように形成されたかを考えることが、この授業のねらいのひとつです。

化仏や仏面は仏様の分身なのだろうか。どうして仏様は坐っている像ばかりで、観音様は立ち姿が多いのだろうかと思った。降三世明王は足の下に二人の神様を敷いているので、その恐ろしさを表現するのには十分だと思った。「初転法輪に向かう釈迦」で法輪が三つもあって、いいのだろうかと思った。五仏や八大菩薩など、パッと見た目にはほとんど同じ像がならんでいるのは、まるで日本の七地蔵ぽくってかわいらしい。いろんな仏像を見てきたが、実際の大きさがわからないので、いまいち感覚がつかめない。
化仏は観音の頭についている阿弥陀がよく知られていますが、この場合は観音と一番つながりが深い仏ということで、現れます。光背におかれた仏も化仏と呼ばれますが、これはいろいろで、たとえば薬師の場合、七仏薬師と呼ばれる7体が現れます。これはたしかに分身のようなものです。坐像と立像の登場頻度の違いですが、たしかにパーラ期には仏であれば坐像が多く、立像は比較的少ないようです。ただし、ラリタギリというオリッサの遺跡からは、たくさん仏の立像が出土していて、地域差があるようです。観音と坐像の関係も同様で、地域ごとに好みが別れ、さらに、腕の数などの図像上の特徴とも、坐像と立像があらわれる割合は関係するようです。「初転法輪に向かう釈迦」の法輪が三つであるのは、仏、法、僧という仏教でもっとも大切なもの(三宝)を表すからです。このようなシンボルを三宝標と呼びます。日本の七地蔵(おそらく六地蔵の方が一般的)も、たしかにクローン人間のようですが、これは六道輪廻の世界で苦しむ生類を救う役割を彼らが果たしているから六体です。なお、このような地蔵信仰はインドにはさかのぼれないので、インドには同じ姿をした地蔵はありません。仏像の大きさはそのとおりで、スライドではすべて同じ大きさになってしまいます。実際の作品を見ることが一番ですが、写真集などでは大きさが書いてある場合もあります。授業で紹介することが多い単独の彫刻は、等身大かそれよりもやや小さいものが多いです。

本の5章と4章読みましたが、まとめにくかったです。7章にしようかなと思いました。少年の神様の話が、今のところ、一番おもしろかったです。降三世明王、やっぱりかっこいいです。あの火炎光がいいです。蓮の花って横から見るときれいだけど、中をのぞくとびみょうに気持ち悪いですよね。本物の花弁のついたものは見たことないのだけど、花が落ちて種子みたいなのができたのは見たことがあります。でっかいタネがぼこぼこついていて、あっこれが多産を表すのかぁとおもいました。
宿題のレポートはがんばって下さい。一通り読んで、まとめやすそうなところを選んで下さい。蓮の花はたしかに中のところが気持ち悪いです。私も以前はそう思っていました。授業でときどき取り上げるので、今では慣れてしまいましたが。インドでは古くから蓮華がシンボルや装飾モチーフとして好まれました。とくに仏塔の装飾として描かれる場合は、蓮華蔓草(れんげつるくさ)といって、茎が縦横に伸び、花もいくつも咲きこぼれています。これはわれわれのハスのイメージとは少し異なるのですが、生命力や繁殖力をそのまま表現したかのようです。ハスのイメージはコスモロジー、つまりインドの宇宙論でも重要です。今回からもまた登場するので、我慢しておつきあいを。


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