密教美術の世界

6月3日の授業への質問・感想


弁天が少し出てきましたが、七福神の弁天ですか?七福神はインドと関係あるんですか。仏像を実際に作る人たちは自分の知識をもとに作っていたのでしょうか。誰かに依頼されたんでしょうか。
七福神はインド、中国、日本の神々の寄せ集めです。インド起源の神は弁財天、大黒天、毘沙門天、中国起源は福禄寿、布袋、寿老人、日本が恵比寿です。大黒天はインド起源ですが、その姿は大国主の尊(因幡の白ウサギで有名)の影響があり、インドの大黒(マハーカーラ)とは異なります。後の質問については、どちらも正しいです。日本の仏像を考えた場合も同じですが、仏像を作る仏師はそれを商売にしているわけですから、依頼を受けて制作します。また、仏師は職人なので、自分の師匠から受け継いだ知識や技術を持っています。しかし、密教の時代のように、新しい仏が経典の中に次々と誕生した場合、自分の受け継いだ知識だけでは、対応し切れません。そのような場合、僧侶などが具体的なイメージについてアドヴァイスすることもあったのではないかと思います。一般的に、図像のイメージについては文献が先行し、作例は保守的な傾向があります。このことは教科書でも授業でも強調していますが、仏像を作る人にとって、新しい仏のイメージは、必ずしも制作できるものばかりではないのです。

今までの仏像はあまり色が使われていなかったけど、明王は黄色とか赤色とか使われていて、激しいイメージが出ているなぁと思いました。五劫思惟阿弥陀はかわいいなぁと思いました。あと仏像にも見返りがあるのにびっくりしました。
不動明王は一般に青黒い色で描かれますが、作品によっては特定の色が用いられる場合があります。授業で紹介した園城寺の黄不動は、その名の通り、体の色が黄色いことが特徴です。この作品についてはあまり詳しく説明できませんでしたが、日本の不動明王の中でもとくに重要な作品の一つです。天台宗に円珍(えんちん)という高名な僧がいますが、この像はかれが修行中に現れた不動の姿を描いたと伝えられます。そのような宗教体験の中で得られたイメージのことを感得像(かんとくぞう)と言います。ふつうの不動とは異なる黄色であることも、このときの不動が金色に光っていることによります。それ以外にも一般の不動には見られないいろいろな特徴をそなえています。不動には黄不動に加え、京都の青蓮院の青不動、和歌山・高野山の明王院の赤不動と、三色そろっています(信号みたいですが)。五劫思惟阿弥陀は多くの方が「変わってる」「おもしろい」などの感想を寄せましした。日本の仏像の中でもユニークなものです。見返り阿弥陀も印象的だったようです。インドの仏像にはこれらに類するものはなく、比べると地味なような感じがします。なお、五劫思惟阿弥陀の説明で「床屋に行かなかったから」と言いましたが、これはわかりやすいように言ったまでで、もちろん仏は床屋などには行きません。五劫というとてつもなく長い時間の間、修行をし続けたため、髪の毛である螺髪が異常に伸びたということです。

仏の数がとてつもなく多いです。とくに賢劫千仏。話を聞いていると、その全部に名前があるようで・・・。本当に全部に名前が付いているのですか。
本当です。ただ仏の名前だけを列挙したお経があります。『過去荘厳劫千仏名経』『現在賢劫千仏名経』『未来星宿劫千仏名経』というのがそのタイトルです。このようなお経を仏名経と言います。賢劫千仏は金剛界マンダラのまわりにも描かれ、密教の時代にも重要な存在であったことがわかります。これについては実際にマンダラを見るときに紹介します。

動物に乗るというのは何か意味があるのですか?動物の世界を支配しているとか。
動物の世界を支配しているわけではありません。また単純にひとつの理由があげられるわけではありません。梵天がハンサという鳥、帝釈天が象というのを授業では紹介しましたが、仏教の仏たちでも、文殊が獅子、普賢が象などが有名です。教科書の2章ではマーリーチーと猪、第3章では大威徳明王と水牛というつながりを軸に、さまざまなイメージを追っています。また、第7章では足の下に踏まれる存在が、単なる敵対者ではなく、そのイメージの源泉であるという事例を紹介しています。このことは、授業の最後の方のテーマともなります。

五劫思惟阿弥陀すごいですね。伸びすぎだー。床屋くらい行こうよ。この像とか見返りの像は日本だけですか。昔の人は想像力すごく豊かだなと思います。十二神将ってバサラとかのやつですよね。彼らはどんな階級に当たるのですか。半跏思惟像。日本史で覚えました。だって何度もテストに出るんですもの。火天、水天、風天・・・元素みたいなのを司るのって、この三つだけなのですか?中国の五行にも西洋の四大元素にも足りませんよね。これってどういう理由からなのでしょう。
五劫思惟阿弥陀も見返りの阿弥陀も、インドにも中国にも類例はありません。日本独自の阿弥陀の表現でしょう。日本仏教は平安後期から浄土教の影響が大きくなり、浄土図や来迎図などのさまざまな浄土系の絵画が現れます。その起源は中国の敦煌などにも見られますが、日本にしか見られない形式もあります。日本史などの知識として仏像を覚えた人も多いでしょうが、実際に見る機会を持つことが、この分野では重要です。寺院や展覧会などで感動とともに直接仏像に接すると、忘れることはありません。火天、水天、風天はいずれもヴェーダの時代から信奉されているインドの神々です。ヴェーダというのは紀元前1500年頃にインドに入ってきたアーリア人が有していた宗教文献群で、その中には神話が多数含まれています。帝釈天であるインドラもその主役の一人ですが、アグニ(火天)、ヴァルナ(水天)、ヴァーユ(風天)も重要な神々です。それぞれの名前の通り、アグニは火、ヴァルナは水、ヴァーユは風と密接なつながりを持っています。しかし、物質や自然現象である火、水、風を神格化したわけではありません(わかりにくいかもしれませんが、火や水などがそれぞれそもそも神なのです)。なお、元素を表す地水火風はこれらと同じように見えますが、水はもとのサンスクリットでアープ、火はテージャスで、異なる用語を用います。これは物質としての水や火を示します。サンスクリットを含むインド・ヨーロッパ系の言語では、火と水は「命あるもの」と「命のない単なる物質」の2種類が区別されることがあります。前者を神の名称として用い、後者を物質名とするようです。ただし、四大元素の中でも風は同じヴァーユで、地はプリティヴィーと言います。プリティヴィーも神の名前になっていて、地神と訳されます。 

弥勒が将来、確実に仏になるとすでにわかっていて、多くの信仰を集めているが、弥勒にとってはまだ先の話なので、プレッシャーがかかっていてつらいだろうなぁと思った。パンテオンの構造で、仏のグループの守護尊の「秘密集会」が気になった。怪しい・・・。お地蔵様は仏のどういう部類にはいるのだろうか。日本人にとっては一番身近な存在であるのに、あまり知らないなぁと気づいてショックだった。
弥勒はみずから次の仏になると宣言したことになっていて、プレッシャーは覚悟の上でしょう。現在は兜率天という天上世界にいて、出番を待っているはずです。兜率天は釈迦も地上に降りる前にいたところで、仏が現れる前に待機している所です。弥勒に対する信仰は日本を含めアジア各地で盛んでした。釈迦が涅槃に入ってからつづく仏のいない時代が、弥勒の登場によって終止符が打たれるのです(それが、いかに遠い未来であっても)。一種の救世主です。日本では弘法大師信仰が弥勒信仰と結びついたり、さまざまな展開があります。「秘密集会」は「ひみつしゅうかい」ではなく「ひみつしゅうえ」と読みます。「隠された集まり」という意味ですが、残念ながら、何かをやる集会ではなく、仏たちの集まりという意味です。ただし、密教経典には「あやしい集会」や「あやしい実践」を説くものも多く、「秘密集会マンダラ」を説く『秘密集会タントラ』にもそのような内容が含まれています。なお『秘密集会タントラ』はインド密教史の中でも重要な位置を占める経典ですが、最近全訳が発表されたので、簡単に読めるようになりました(松長有慶 2000 『秘密集会タントラ和訳』法蔵館)。地蔵はたしかに日本人にとって一番身近な仏の一人ですが、どのような仏であるかをきちんと説明できる人は少ないでしょう。菩薩の一人で、インドでも信仰されていたことがわかっていますが、我々の知っている地蔵のイメージは中国形成されました。とくに地獄の救済者としてのはたらきが重要で、地獄や輪廻思想の浸透とともに、広く信仰されるようになります。日本では今昔物語や日本霊異記などの霊験説話として民間に流布したようです。さらに道祖神のような道や境界の仏としても重要です。菩薩でありながら比丘形(びくぎょう)、すなわちお坊さんの姿をとることも特別です。『地蔵菩薩発心因縁十王経』(じぞうぼさつほっしんいんねんじゅうおうきょう)というお経が地蔵に関する重要な経典です。

守護尊をたくさん見たいです。守護尊なのに仏や明王に近いとはどういうことなんですか。見た目が?
守護尊とは伝統的な呼び名ではなく、最近の研究者による便宜的な名称です。インド密教では時代が降るとそれまでには全く信仰されていなかった仏たちが登場します。ヘーヴァジュラ、サンヴァラ、カーラチャクラ、グヒヤサマージャなどです。これらの仏たちは、それまでの仏と異なり、多面多臂で明妃を伴い、ヒンドゥー教の神を足の下に踏みつけるようなすさまじい姿をとります。はじめの頃にお見せしたヴァジュラバイラヴァもその一人で、無数の手や足、そして顔を持ち、足の下にはさまざまな者たちを踏みつけています。このような仏が出てきた時代には、すでに中国はインドから密教を導入する熱意を失っており、日本にもほとんど伝わっていません。彼らの名前が漢語ではなくカタカナで表記されるのはそのためです。守護尊は基本的に仏(如来)に匹敵するかそれ以上の位にあるのですが、それを表すためにも仏とは全く別の姿をとるのです。そのときのイメージのもとになったのが、明王や菩薩、あるいはヒンドゥー教の神々のイメージだったのです。「見た目」というのは当たっています。

神々の名前を学んで、よりそれぞれの神を意識して見られるようになった。何で、こんなにいっぱいの神は生まれたんだろう。一人の絶対的な神的な発想にはならなかったの?
皆さんにとって、これらの仏たちはこれまでにはほとんど無縁の存在だったと思いますが、名前とイメージが結びつくようになると、内容の理解も進みます。一人の絶対的な神的な発想の登場は、この後の授業で取り上げていきます。ついでながら、しばしば宗教にたいして一神教と多神教という分類を行うことがあります。たとえば、イスラム教やキリスト教は一神教で、日本の神道やヒンドゥー教は多神教であるといった具合です。さらに一神教は不寛容で暴力的であり、多神教はすべてに神や魂が宿るという発想なので、寛容であるという評価までも加わります。このような分類は一見、わかりやすいようですが、実際はそれほど単純ではありません。キリスト教でも多神教的なところはありますし、ヒンドゥー教もすべての神は一人の神に収斂するというような考えが基本にあり、その限りでは一神教です。宗教の二極化とそれに対する評価は慎重にしなければいけないと思います(最近のイラク戦争などを見ているととくに)。


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