密教美術の世界

5月27日の授業への質問・感想


前「仏は男性でもあり女性でもある(中性?)」と聞いたことがあるような気がするのですが、これはインド密教とは関係ない教えなのですか。
狭い意味での仏は「ブッダ」すなわち「悟った人」を意味する男性名詞です(サンスクリットにはドイツ語などと同じように、名詞に性があります)。そのため、ブッダであればすべて男性で、もし女性の「悟った人」であれば「ブッダー」になります(実際はそんな用例はありません)。初期仏教から大乗仏教までは、ブッダはこのようにすべて男性でした。『法華経』の「変成男子」という有名なエピソードは、女性の修行者が最終的にブッダとなるときに、男性に変わるというものです。しかし、密教の時代にはあらたに女性の「聖なるもの」すなわち女尊が登場します。これは、男性の「聖なるもの」に仏、菩薩、明王、天がいたように、仏と同格の女尊や、菩薩に似た女尊など、さまざまなものがあります。明王のように多面多臂の忿怒形の女尊もいますし、もともと、ヒンドゥー教や民間信仰の神々である天のクラスは、女尊の種類も豊富です。ローチャナーやマーマキーなどの明妃はこれらの女尊の中で位の高いもので、仏のパートナーにあたります。仏たちは人間と同じように、家族に相当するものを構成することがあり、そこでは「仏母」と呼ばれることもあります。また、別のグループとして、「陀羅尼」とよばれる一種の呪文を神格化した女尊たちもいます。「陀羅尼」ということばが女性名詞なので、女尊と結びつけられます。これについては教科書のコラムを参照して下さい。なお、仏教におけるこのような女尊信仰の背景には、インド全体における女神信仰の隆盛があると考えられています。

日本とインドの密教美術の比較がおもしろかった。准提観音の蓮の花はきれいですね、古代中国の小説中に、ハスから産まれた子の話があったんですが、ハスには何か意味があるんですか。
ハスはインドの仏教美術における、最も重要な植物でしょう。バールフットやサーンチーの初期の仏教美術にも、ハスの装飾モティーフがたくさん現れます。仏像のほとんどが、ハスの台、つまり蓮台にのっていることもご存じでしょう。浄土教では、極楽浄土に生まれ変わるときに、ハスの中から誕生します。これを「蓮華化生」(れんげけしょう)と言い、極楽浄土図などにも描かれています。密教の時代でもハスは重視され、マンダラの基本的なモチーフのひとつになります。ハスが重要な植物とされたのはヒンドゥー教でも同様で、寺院の装飾として、やはり好まれましたし、ヴィシュヌという神が世界を創造するときにも、蓮華を用います。インドではハスのイメージは豊饒多産、そして誕生・再生などと密接に結びついています。次回から取り上げる予定の、コスモロジー(宇宙論)やマンダラでも、ハスは重要な役割を果たします。そのときにまたじっくりと考えたいと思います。

仏の名前は日本では漢字名ですが、その漢字は当て字ですか。それとも意味があるんですか。また、どの時点で漢字名が付けられたんですか。
意味をとって訳された場合と、音に対して漢字を当てた場合の両方があります。たとえば釈迦はサンスクリットの「シャーキャ」に対する当て字です。大日如来の大日は「ヴァイローチャナ」というのがもとの言葉ですが、この場合は「あまねく照らす」という意味から大日の名があります。当て字でも表記され、毘廬遮那(びるしゃな)とも呼ばれます(密教の立場からは大日と毘廬遮那は別の仏になりますが、もとの言葉は同じです)。明王では不動、大威徳、降三世は意味をとっていますが、軍荼梨は「クンダリン」という語の音から来ています。一般的に、密教の仏は種類が多いので、しばしば当て字の名称が現れます。これに対して、大乗仏教の仏や菩薩は、意味で翻訳されているものの方が多いでしょう(例外として、文殊、弥勒などもありますが)。漢字の名称が付けられたのは、その仏を含む経典が中国で翻訳されたときです。同じ仏でも、漢訳した者によって異なる名称が与えられるときもありますので、ややこしいですね。たとえば、有名な観音は観自在とか観世音とも訳されます(この場合、原語が少しずつ違いますが)。

明王はどれも恐ろしい姿をしていると思っていたので、穏やかな感じの明王がいるのが意外だった。密教の神話や説話にふれてみたくなった。そのあとの方が、密教美術もおもしろく見られる気がする。仏の世界は釈迦を頂点とするピラミッド形だとおもいっていたので、そのあたりをもっと知りたい。
明王は基本的に忿怒形、すなわち恐ろしい姿をしているのですが、孔雀明王は授業でも紹介したように、本来は女尊なので、柔和な姿で表されます。密教の仏のイメージは、たいていの場合、文献に規定されているので、勝手に変えることは許されません。インドのイメージがよく保持されているのはそのためです。日本では、不動が明王の中で最も人気がありますが、大威徳や降三世などの明王とは不動は少し系統が異なり、インドでは少年のイメージが強かったようです。そのような姿で描かれた不動も残っています。密教の神話や説話を知りたいということですが、密教の仏たちにはほとんど神話がありません。これは教科書を書いたときにも困ったのですが、おもしろいエピソードがあればそれを紹介した方が、読み物としてはおもしろいのですが、密教の仏たちはほとんどが「神話なき神々」なのです。これは、インドの一般の神々、たとえばヴェーダの時代の神や、ヒンドゥー教の神々が、いずれも神話を背景としていることと、著しい対照をなしています。そして、それが密教の仏たちのイメージが人工的に作られた背景であるとも考えられます。このことは、今回の授業で取り上げます。

マーリーチーの話の中で、ヴィシュヌの名が出ましたが、密教はヒンドゥー教とどれくらい関係しているのですか。不動明王とシヴァは、どちらも破壊神という位置づけだったような気がしますが。
密教の仏たちはヒンドゥー教の神々と密接な関係を持っています。というより、密教の仏たちは、ヒンドゥー教の神々の世界の中で、はじめて姿や形を持つことができたのです。これについては、教科書を書いたときの基本的な考え方でもありますし、今期の授業の終わりの方でもくわしく見る予定ですので、お楽しみに。そこでは、それまで見てきた密教の仏たちの世界が、まったく別の様相を示すことになると思います。不動とシヴァについては、たしかにどちらも畏怖すべき神(あるいは仏)で、世間に流布している仏像入門書などでも、不動はシヴァからできたとか、不動とシヴァは密接な関係があるなどと、しばしば書かれています。しかし、これはまったくのでたらめです。両者の図像上の特徴や、起源、機能などから考えて、不動とシヴァはほとんど関係がないといった方が、正しいのです。世の中には「仏像の常識のウソ」とでもいうものがたくさんあります。私の本や授業では、それをかなり打破しているので、実は、少し仏像のことを知っている人の方が、「目から鱗が落ちる」という感動があります。

菩薩がまだ修行中だとは思わなかった。じゃあ、弥勒菩薩は仏になれなかったんですか。
菩薩はまだ修行中です。だからこそ、われわれの救済に尽力してくれているんです。それが彼らの修行であるからです。仏教ではわれわれ衆生(しゅじょう)は、救済されるべき哀れな存在です(そう思っていない人も多いと思いますが)。弥勒は仏になれなかったのではなく、数ある菩薩の中で、これから一番最初に仏になる菩薩です。釈迦の次にこの世に現れて、釈迦の救済に漏れた衆生を、広く救ってくれることになっています。ただし、それまでには五六億七千万年という天文学的な数字の時間があります。一番、仏に近い菩薩なので、弥勒は菩薩形だけではなく、仏の姿でも現されます。スライドの中にも一点、そのような作例を入れておきました。

降三世明王ってなんて読んでるんですか。ごうざんぜですか。今までごうざんせだと思ってました。私は日本の像よりインドの像が好きです。日本の像でも人間の顔っぽいのより、明王とかの顔の方が好きです。穏やかに下ぶくれした顔っていうのはどうかと思います。なぜ日本の像は顔がふっくらしてるんですか。
私は「ごうざんぜ」と読んでいます。仏の名前はいろいろ読み方があり、宗派などでも異なるのでやっかいです。授業で紹介した『仏像図典』などが参考になりますので、見て下さい。顔の表現の好みは人によってさまざまです。「インドの方が好き」という感想はありがたいですが、出席している皆さんの大半は、おそらく日本の仏像の方が好みに合って、インドの仏像をたくさん見た後に日本の仏像が出てくると、ほっとすると思います。それでも、はじめの頃は異様に見えたインドの仏像が、日本のものともどこかつながりがあり、親しみを覚えるようになるといいと思っています。日本の仏像の顔は、たしかに下ぶくれしたものも多いですが、平安初期の密教図像やマンダラの中の仏たちには、驚くほど異国情緒にあふれた作品もたくさん含まれます。また、鎌倉期の慶派の仏像などは、精悍な顔つきで、りりしいという感じです。おそらく「下ぶくれ」のイメージは平安後期の定朝様式の阿弥陀像などから連想するのではないかと思いますが、日本の仏像にもいろいろあるので、図書館などで見てみて下さい。

過去仏に興味があります。どういうものがあるんでしょうか。
仏教とは釈迦が開いたものですから、「歴史的」に見れば、釈迦以前には仏教はないことになります。しかし、「信仰」のレベルでは、釈迦が説いた教え=真理は、時間を超越して存在していたとも考えられます。過去仏はこのような絶対的な法の存在を前提として、釈迦以前にそれを見いだしたものということになります。古い層に属する経典を見ると、釈迦自身も自分の悟りの内容が、すでに以前から存在していて、それを再発見したにすぎないという記述もあります。このような釈迦以前にも教えが存在し、それを説いた仏として、過去仏がいたという信仰は、仏教の初期から見られます。その数は釈迦を入れて七人というのが一般的で、過去七仏といいます。その名称は以下のとおりです。Vipashyin, Shikhin, Vishvabhuu, Krakucchanda, Kanakamuni, Kaashyapa, Shaakyamuni(釈迦牟尼)。漢字の名称もありますが、いずれも当て字です。このほかに、25の過去仏を立てる伝統もあり、とくにその場合、燃燈仏(ねんとうぶつ)という名の過去仏が重要です。


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