密教美術の世界

5月20日の授業への質問・感想


日本では大日如来はポピュラーで数も多いのに、なんでインドのでは数が少ないんですか。しかも、今まで高校などで勉強してきた中で、インドの仏を目にすることが少ないのはなぜなのですか。
大日如来は阿弥陀や薬師などに比べると、日本でもそれほどポピュラーではありませんが、たしかにインドよりは作例数は多いでしょう。日本の密教では大日如来が最高存在であるため、真言宗や天台宗の寺院ではしばしば大日如来がまつられます。東大寺や唐招提寺などの南都の寺院でも、大日如来の前身である毘廬遮那如来があります。インドの場合、密教の時代でも釈迦への信仰が根強く残っていて、如来像の作例数のおそらく9割以上が釈迦像です。現在のところ、確実に大日如来と確認されているのは20例程度にすぎません。密教の時代でも、人々の信仰の中心は、釈迦をはじめ、観音や文殊などの伝統的な仏たちだったことがわかっています。経典などの文献では無数の仏たちが登場しますが、実際に作例として残されているのはそのごく一部で、しかも作例数が豊富であるのは、さらにわずかです。このことは教科書でもしばしば強調しています。これまでに見てきたインドの仏が少ないというのは、おそらくほとんどの人に当てはまるでしょう。よく紹介されるのはガンダーラ、サールナート、アジャンターの、しかも有名なものに限られます。しかし、インドに旅行すればわかるのですが、膨大な数の仏像が現地の遺跡や各地の博物館にあります。でも、これはインドに限らず、ヨーロッパの絵画のようによく知られたものでも同様です。ダ・ヴィンチやモネやピカソやの作品なら、有名なものはみんな知っていますが、実際にヨーロッパの美術館に展示されている作品のほとんどは、見たこともないものですし、その作者も知られていません。美術に関する一般の知識は、じつはきわめて限られているのが普通です。

さまざまな仏像や仏伝図がこれまででてきたが、今まではどれも同じようなものだと思っていたが、最近、レポートをまとめたり、また、スライドをたくさん見るたびに、その仏像たちの微妙な違いや、その違いに秘められた意図などがちょっとずつわかってきたような気がする。また、マンダラの図などが日本などの遠い地に正確に伝わっているというのは、とてもすごいと思った。
先週のコメントには、レポートを書いたことで授業の内容がよく理解できたという感想が多く見られました。期待していた効果があったことがわかり、うれしく思いました。レポートは負担に思うかもしれませんが、授業で話すことができる内容はごくわずかです。それに対し、数時間で読める本から得られる情報量は膨大で、効率的です。しかし、内容が理解できないこともあると思いますから、実際にスライドを見ながらの授業の話も、必要です。両者が相補って、より深く理解できると思います。授業で紹介するスライドの仏たちは、初めて見るものがほとんどで、はじめは区別が付かないはずです。しかし、ご指摘のように、回を重ねるにしたがって、次第にそれぞれの特徴がわかるようになり、見分けがつくようになります(これはちょっとした快感です)。ちょうど、初対面の人たちと親しくなるにつれて、はじめは違いがわからなかったのが、次第にそれぞれの個性がわかるのに似ています。講義の中では同じスライドを何度も見る機会がありますが、その都度、違って見えるはずです。

釈迦仏伝図や四相図では、どうして初転法輪や涅槃図が上で、誕生が下なのだろうと思った。酔象調伏や舎衛城神変の話で、お釈迦様に親しみを感じられた。悪役の話に乗るなんて、お釈迦様も人間的な一面を持っているんだなぁと思った。
四相図などの仏伝図の配置についてはよく気がつきました。これにはいろいろな説が考えられています。たとえば、時間の流れからは、誕生がはじめで、涅槃が最後なので、時間に沿って画面を下から上へと構成したと解釈されます。実際に、サールナートの仏伝図なども、このような配置を取るものがあります。また、その場合、涅槃は単なる釈迦の最期ではなく、完全な悟りを表し、すべての出来事の最上位に位置づけるという解釈もあります。パーラの八相図は形式の点からも説明することができます。初転法輪と舎衛城神変は、どちらも転法輪印を示す釈迦を描くので対になります。酔象調伏と三道宝階降下の釈迦は立像で、やはりセットになります。一方、降魔成道は中心に大きく表され、また、伝統的に涅槃は最上位に置かれます。涅槃のような寝姿が八相図の他の場面にないことも関係あるでしょう。誕生と猿の奉蜜が残るので、これを一組にし、対になっているものをそれぞれを左右対称に置くとできあがります。このように、仏像の解釈をする場合、意味と形式の両面からのアプローチが可能です。

図書館の世界美術全集のインドのところに授業で見たような写真をたくさん見つけて、カラーでふたたび出会えたことに感動しました。ヤクシーとヤクシャは別物ですか。
世界美術全集は、第2回のレジメにあげておいた小学館の『世界美術大全集東洋編 インド』だと思います。この本が出たのは数年前ですが、インド美術の重要作品がよくまとまっていて重宝します。写真図版もとてもきれいです。授業で使うスライドの写真にも、ときどきここから読み込んだものがあります。図書館や私の所属する比較文化研究室(文学部)には、他にもインド関係の美術書や写真集がたくさんありますので、ぜひいろいろ見て下さい。また、前にも紹介したように、授業で使っているスライドのファイルは、CD-ROMなどの形でコピー可能で、自宅のパソコンでも見ることができます。ヤクシャとヤクシーは、ヤクシャ(yaksa)が男性でヤクシー(yaksi)が女性です。仏教が起こる前からインドで人々の間で信仰されていた神々です。古くから作例が豊富で、仏教美術の影の主役の一人です。

正義である釈迦と悪である悪魔との対立に、力の差を歴然と表しすぎなくらい、表現しているとおもう。見ると、正義は絶対正しく、そして強く、悪は一片でも非があると絶対悪のような気がした。悪が改心して釈迦に弟子入りすることがあってもよいと思うが、存在するのですか。
経典の中には釈迦にまつわるエピソードなど、無数の物語が含まれています。ある学者に言わせれば、人間の考えられる物語で、経典に含まれないものはないそうです。それはともかく、仏典にはさまざまな悪役も登場します。教科書の第7章で紹介するアングリマーラもその一人で、千人もの人間を殺したといわれます(正確には999人)。彼も改心して仏教に帰依します。最期まで救われない悪役としては、デーヴァダッタが有名です。釈迦の従兄弟と伝えられますが、あの手この手を使って、釈迦を攻撃したことになっています。最後は生きながらにして地獄に堕ちたと伝えられています。ただし、デーヴァダッタが本当に邪悪な人間であったかどうかは不明です。むしろ、彼は仏教教団の中の保守派の代表であったとも考えられています。デーヴァダッタは戒律を厳しく定めるという立場をとり、柔軟な傾向のあった釈迦と対立し、釈迦のもとから去るのですが、そのとき賛同者を連れていったために、僧団を分裂させたことが非難されています。仏教とは釈迦が開いた宗教ではなく、釈迦以前にもそれに似たものはすでに存在していて、釈迦はその改革者で、デーヴァダッタが従来からの立場を堅持したという説もあります。こうなると何が本当の仏教であるかがわからなくなりますが、なかなか興味深い説です。われわれの知っている経典の中の物語は、改革派である「勝利者の歴史」なのかもしれません。

仏と悪魔ってなんだか変な組み合わせな気がしてしまう。悪魔って西洋のイメージがあったので。仏教でもよく描かれるんですね。涅槃の時の人がいっぱいいるのが、細かくてきれいでした。阿難っていう弟子にちょっと興味を持ちました。愛すべきキャラみたいですね。
悪魔という呼び方を授業ではしましたが、もちろん、西洋の悪魔とは違います。サンスクリットではマーラと言います。釈迦の物語にしばしば登場しますが、とくに降魔成道と、涅槃の前にある寿命の放棄の場面が重要です。ガンダーラのこの涅槃図については、文学部で刊行している『人文科学の発想とスキル』(2004年版)の中でくわしく紹介しています。文学部所属で、このテキストを持っている人は読んでみて下さい。同じ内容は私のホームページの中で「テキストを読む・図像を読む」というタイトルで全文と図版があげてあります。阿難は釈迦の従兄弟で、釈迦の晩年は従者としてつねにそのそばに付き従っています。阿難は出家するときも美貌の妻への思いが断ち切れなかったり、出家した後も別の女性に好意を抱かれたりと、いろいろなエピソードを残しています。また、釈迦の一番近くにいたにもかかわらず、釈迦の涅槃にいたるまで、悟りを開くことができませんでした。仏伝の中では「ボケ役」のような存在で、たしかに「愛すべきキャラ」です。

日本のマンダラの仏とインドの仏像を並べて比較する図は、わかりやすかったです。日本のマンダラの仏のところで、胎蔵界の前に書いてあった西院というのは、どこかのお寺を指すのでしょうか。
西院というのは京都の東寺の中にある建物の一つです。授業で紹介したマンダラはこの西院に伝えられていたので、西院本と呼ばれます。このマンダラは伝真言院曼荼羅とも呼ばれることがあります。これは、宮中で特別な密教儀礼を行う真言院という建物におかれていたという伝承もあったからです。ただし、最近の研究ではこれは否定的です。西院本は現存する最古の彩色曼荼羅で、国宝に指定されています。これよりも古いものはインドやチベットにもありません。中国から伝えられたマンダラを写して描いたと考えられていて、中央アジアなどの仏教美術の様式も認められます。異国情緒にあふれ、日本の仏像とはひと味違った、独特の印象を与えます。

私は小レポートに3章を選びました。1〜3の中で一番おもしろかったです。
授業でも紹介したように、教科書の前半では第3章が一番内容が充実していて、評判もいいようです。授業終了後に提出してもらったレポートでも、1章を選んだ人が多かったようです。それはそれでかまわないのですが、ぜひ一通り読んでおいて下さい。「序章から3章までの一つの章を選んで読み、内容をまとめる」ではなく「序章から3章までを読んで、その中から一つの章の内容をまとめる」のが課題です。後半も同様です。ひととおり読んだ上で「おもしろい」という判断のもとで書いていただけてよかったです。

私は高校の時に日本史選択だったので、見たことのある仏がけっこうあり、いつもより親しみやすかったです。高校の時から思っていたことなんですが、名前に「金剛〜」とつくものと「胎蔵〜」とつくものとでは、何が違うのでしょうか?私自身、違いがよくわかりません。
私の高校の時代には日本史も世界史も必修だったのですが、最近はどちらかしかやっていなかったり、どちらもやっていない人もいるようで、少し不便です。いくらかでも基礎知識があると、ずいぶん違うのですが・・・。それはともかく、金剛界と胎蔵は日本に伝わるマンダラの中で最も重要なものです。本来は別々の起源を持つのですが、中国や日本では一組のマンダラとして扱われました。いずれも中尊が大日如来なので、区別を付けて、金剛界大日とか胎蔵大日と呼んでいます。もちろん、本来は同じ仏なので、姿はよく似ているのですが、相違点がいくつかあります。また金剛界マンダラの場合、マンダラに含まれる仏たちはほとんどが「金剛〜」という名前が付いています。先週紹介した金剛薩☆もその一人です。二つのマンダラについては、教科書のコラムでも解説していますので、読んで下さい。

日本では仏教が多くの人々に信仰されているが、日本へ来るまでに経由したジャワ島などでも日本と共通する点が見られる仏像が多くあるのですか。
たくさんあります。現在のインドネシアではすでにその伝統は消えてしまっていますが、かつてはジャワ島を中心にインドネシアでも密教が栄えた時代がありました。有名なボロブドゥールもその時代のものです。インドからはヒンドゥー教も伝わっていて、インドの神々の像もたくさん残されています。東南アジア=小乗仏教というイメージが強いのですが、その宗教史はきわめて重層的で複雑です。

初転法輪で法輪の両隣にいる動物がかわいいです。これは何ですか。
鹿です。初転法輪が行われたのは現在のサールナートですが、「鹿の遊ぶ公園」という意味の「鹿野苑」(ろくやおん)とも呼ばれます。そのため、古くからの伝統で、法輪の左右に二頭の鹿を描くのです。このイメージは仏教のシンボルとして好まれ、チベットの僧院やマンダラの装飾にも登場します。



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