密教美術の世界

5月13日の授業への質問・感想


仏の三十二相を読んで、よくここまで細かく考えたなぁ・・・とただただ驚くばかりでした。高校の時に、仏像好きの先生が「装飾品がなくなればなくなるほど、仏様は偉いんだ!!」と言っていたのですが、どういうことなのでしょうか。
三十二相は仏のイメージの基本となるので、知っておくと便利です。ただし、そのすべてが仏の姿として表せるわけではありません。たとえば長舌相のように、口を開いて舌を出した仏像でも作らない限り、表現できないものもあります。また、白毫相をほんとうに毛髪のように表現したものもほとんどありません。日本ではガラス玉のようなものを入れることが多いでしょう。インドの仏像の場合、たいていはくぼみを作るだけです。金色相は仏が金色で表されたり、光背や頭光をともなうことの根拠となりますが、実際にピカピカ光る仏像を作ることはなかったでしょう。三十二相は仏像の誕生に大きな役割を果たしたと考えられますが、その本来の目的は、仏像の姿をありありと想像すること、つまり瞑想することだったとも言われています。すでに釈迦が涅槃に入って仏に会うことのできない人々にとって、想像の世界であっても、仏と出会うことはとても重要だったのです。日本では「念仏」というと、特定の名号を唱えることと理解されますが、本来は「仏を念ずる」ことなので、名前を唱えることではありません。「装飾品がなくなればなくなるほど、仏様は偉いんだ」というのは、ある意味ではその通りです。仏は世俗の世界を超越しているので、僧衣のみをまとい、質素な姿をしています。われわれのよく知っている仏像の姿です。それに対し、まだ仏になっていない菩薩は、出家前の釈迦がモデルになっているので、豪華な装身具でごてごてと身を飾ります。しかし、このルールが常に正しいわけではありません。授業で紹介している密教の時代には、仏の中にも宝冠や瓔珞などの豪華な装身具を身に付けたものが現れます。このような仏は教科書の第1章でくわしく取り上げています。その一方で、菩薩でも地蔵は僧形なので質素です。また、密教の時代に現れた明王たちは、装飾品といってもかなり特殊なものを付けていますし、その位が高いか低いかは時代や立場によって違います。この分野のおもしろいところは、同じ仏でもイメージや地位が一定ではなく、ダイナミックに変化していることです。

バングラデシュの遺跡がすごくきれいだった。遺跡って聞くと岩で作られたごつごつしたものを今まではイメージしていたけど、パハルプールは緑が生い茂っていて、本当にきれいだった。パハルプールも最初作られたときは岩が出ていたのかもしれないけど、今のパハルプールの方が絶対いいと思う。ラピュタみたいだった。
インドやバングラデシュの遺跡と聞いたとき、一般の日本人はやはり荒涼としたところをイメージすると思いますが、実際はさまざまです。授業で紹介するベンガルやビハールなどの北東インドは、インドの中でも緑が豊かなところで、遺跡のまわりも田園地帯が多いようです。西インドのアジャンタやエローラなどの石窟寺院も、木々の生い茂る山岳地帯で、雨期には遺跡のまわりにたくさんの川ができます。パハルプールのまわりが、湿地のようになっていて水が豊富であったことにも気がついた方がいたかもしれません。僧院自体はレンガや石を積んで作られていたので、ご指摘のとおり、おそらく当時は現在のような姿はしていなかったでしょう。バングラデシュというと、貧困の国、援助を待つ国、洪水に襲われる国というのが、日本での一般的なイメージですが、実際に訪れると、ダッカなどの町は活気にあふれていますし、農村は自然に恵まれ、ある意味でとても豊かな国です。

今まで仏像をじっくり見たりすることはなかったけど、この授業を通して少しずつ興味が出てきた。今日学んだ<三十二相>を読んで、とくに驚いたのが白毫相で、仏像は普通単色でできているので、眉間の白毛には気づかなかった。しかも右旋と決まっているけど、なぜ右なんですか?右の方が縁起がいいとかあるんですか。
授業の出席者が仏像に興味のある人ばかりではないと思いますが、これまでには全く知らなかった世界を知ることができるのも、いいのではないでしょうか。教養の授業はそのためのものでもあります。ちゃんと出席すれば、半年後にはインドの密教美術の最先端の知識が身に付いているはずです。三十二相の中でも白毫相は、まさかあれが「毛」だとは思わないので、普通の人は「ヘー」と驚きます。白毫の毫の字には「毛」という文字を含んでいるのですが、なかなか気がつかないようです。右と左については、基本的にインドは右を左よりも優位におきます。これはインドに限らず、世界中でほぼ普遍的に見られることです。この問題を扱った人類学の古典的な著作に、エルツの『右手の優越』という本もあります。釈迦の時代のインドでは、高貴な人に対する右遶(うにょう)という挨拶の方法があります。対象が自分の右にくるように、右回りに回ります。このような対象には釈迦のようなものばかりでなく、仏塔などの建造物もあてはまります。仏塔の周囲には右遶道と呼ばれる道があり、信者はその周りを右回りに回って礼拝したようです。

孔雀明王像は高野山展で実物を見ましたが、たいへん変わった仏像だったので、印象に残っています。孔雀のような不思議な鳥(姿は美しいが、蛇やトカゲなどを食べる悪食)が、信仰の対象となってしまうところに、密教らしさを感じました。後、先週のプリントで暁烏敏という人を全然知らなかったので、少し説明があるとよかったです。(真宗大谷派の僧ということで、密教とは関係なさそうですが)
高野山展に実際に行って本物を見た経験があるのはいいことです。授業ではスライドで紹介するだけなので、なかなか本物の迫力などが伝わりません。インド美術関係の展覧会はこの時期にはあまりないようですが、高野山展をはじめ、日本の仏教美術の展覧会は、たいていどこかの博物館や美術館で行われていますので、機会を見つけて、是非いろいろ見て下さい。孔雀はインドの鳥の中でも、とくに宗教や神話と関係の深い鳥のひとつです。ご指摘のように蛇を食べると信じられているので、毒蛇除けの力を持つと考えられています。教科書の中でもふれていますが、孔雀明王は毒蛇除けの神様で、本来は女尊、つまり女性の仏です。日本には明王の一人として伝えられましたが、不動明王などと異なり、恐ろしい姿をしていないのは、このような起源があるからです。毒蛇除けよけに孔雀の女神が信仰されていたのは仏教だけではなく、ヒンドゥー教でも見られ、もともとは民間信仰のようなものだったと考えられています。暁烏敏は明治から大正、昭和にかけて、仏教界のオピニオンリーダーとして活躍した人物です。当時の仏教界の持っていた力は、現在とは比較にならないほど強く、暁烏敏もおおくの知識人階級の人々をひきつけました。一種の売れっ子評論家のような存在だったのでしょう。それはともかく、資料を配付した意図は、本学の図書館の地下にはこの暁烏敏の蔵書5万冊あまりが所蔵されていることを知ってもらいたかったからです。金沢大学のように戦後に本格的に成立した大学では、古い時代の文献はあまり充実していないのですが、暁烏敏の蔵書のおかげで、旧帝大などにもないような、仏教関係の貴重な文献が数多く所蔵されているのです。暁烏敏文庫は誰でも閲覧することができますので、一度見て下さい。

サールナートの仏坐像など、数枚の写真の仏像の手の合わせ方が変わっている(手のひらと手の甲を合わせたような感じ)と思ったのですが、私は合掌というと、両手の平を合わしているイメージがあります。何か手の合わせ方の違いに意味はあるんですか。
サールナートの仏坐像は、合掌しているのではなく、転法輪印という手の形を示しています。手で作る独特の形を印(いん)と言いますが、仏像はそれぞれ独自の印を示します。転法輪印は説法印とも言って、釈迦が法を説くときの象徴的なポーズです。法を説くことを「法輪を転ずる」と言うことは、授業でも紹介しました。合掌はわれわれにとって仏教に結びついた手の形ですが、仏像そのものはあまり合掌をすることはありません。合掌というのは礼拝する側のポーズなので、礼拝の対象である仏像にはふさわしくないからです。菩薩や明王には合掌するものもあります。印にはいくつかの種類があります。地面に右手をふれる触地印(そくちいん)、座禅のポーズのような定印(じょういん)、右手の手のひらを前に示す施無畏印(せむいいん)などがその代表的なものです。もう少し先の授業で、仏像のイメージの説明をする予定なので、そのときにくわしく紹介します。

仏教の中でよく「宇宙」という言葉を耳にして、何百年も前からすでに宇宙の概念があったのだなぁと驚いた。具体的に、仏教の中での宇宙とはどんな意味が込められていたのでしょうか。また、菩薩や釈迦など、仏像に種類が多すぎて混乱してきたので、整理しなければと思った。
「宇宙」というと現代的な感じですが、要するにわれわれのまわりにあるものです。「世界」と言ってもいいかもしれません。思想史的に見て、世界や宇宙をわれわれ日本人はあまり正面から取り上げることはありませんでした。しかし、インドでは古代のヴェーダの宗教やウパニシャッド哲学において、最大の関心はこの世界とわれわれとの関係でした。そして、それはその後のインドの思想や宗教を貫くテーマでもあります。インドの仏教徒がいだいていた具体的な宇宙の姿については、マンダラの時にお話しする予定ですが、その背景となるインドの考え方については、以前に私が話したものを、ホームページの中に「インドの思想における自己と宇宙」としてあげてあります。関心がある人は読んでみて下さい。仏の種類については、多くの人が「種類が多すぎる」「全体像がわからない」と思っているでしょう。次回に取り上げるつもりなので、もう少し我慢して下さい。はじめにそれを説明しないのは、仏の世界が固定的であるという印象を与えないためと、固有名詞の羅列になることをさけるためです。

・ストゥーパ図のスライドがプリントと違っていたのです。スライドの頁番号がプリントずれていたことに関係しているのでしょうか。
・プロジェクターの映像が鮮明になってうれしいです。
・仏の三十二相・・・そんなものが存在していたのですね。そりゃ多少の基本形態くらいは決めてないとみんな勝手に想像してしまうって話ですね。気になったのは10(陰蔵相)→仏サマは男性なのですか。
ストゥーパ図の違いはよく気がつきましたね。配付資料を印刷した段階では別の写真だったのですが、画像が荒く不鮮明だったので、別のストゥーパ図に差し替えたのです。番号がずれたのはこれとは関係なく、インド仏教遺跡地図を2回にわたって出したからです。プロジェクターの映像がよくなったという感想は、多くの人が書いていました。据え付けの機材を使った方が当然、楽なのですが、授業でも言っていたように、せっかく画像を鮮明に読み込む努力をしているのに、映像の質があまりに悪く、使用に耐えないので、文学部のプロジェクターをわざわざ運んできています。総合教育棟の備品の選定には、われわれ文学部の教員は関与していないのですが、こんなに劣悪な機種を選んだ人の感覚を疑います。陰蔵相については「よくわからない」という人もいましたが、普段は性器が体の中に隠れているということです。ご指摘のとおり、基本的に仏はすべて男性ですが、密教の時代になると女性の仏も登場します。

仏教美術の作品には、さまざまな様子があり、それぞれにしっかりした「お話」があるのですが、それはどこから分かるのですか。経典か何かに書いてあるのでしょうか。
経典に書いてあるのです。仏教の経典というと、訳の分からない漢字の羅列というイメージがありますが、さまざまな物語に満ちています。とくに初期の仏教文献は、釈迦にまつわるエピソードが多く、読み物としてもとてもおもしろいです。日本では一般に経典というと、阿弥陀経や法華経のような大乗仏教の経典を連想しますが、これは仏教の経典史の中では、比較的、後世のものです。授業で扱う密教美術の場合、仏像のイメージそのものを定めた文献が登場します。このような文献は、仏像の制作や仏の瞑想を前提としているので、釈迦の物語を説くような文献とはいささか性格が異なります。この問題は教科書の中でも扱っていますが、やや専門的です。

スライドで石窟寺院を見たときに、キリスト教のカタコンベを思い出しました。仏教だけでなく、宗教の多くには地中につながるイメージでもあるのでしょうか。火葬、土葬、鳥葬、林葬、水葬等、死者の葬り方はいろいろありますが、空や天のイメージを持つのは鳥葬ぐらいで、水葬をのぞく残りの葬り方は、どこか地のイメージが強いような気がします。
宗教と地のイメージのつながりは、私自身はあまり考えたことがなかったのですが、たしかに死を介して結びつくかもしれませんね。日本語でも「土にかえる」というと死ぬことを意味します。葬送儀礼が地と結びつくことも、それに関係するのではないでしょうか。一方、石窟寺院が洞窟のように造られていることは、あまり地や死のイメージとは関係ないと思います。カタコンベも含め、寺院や教会などの宗教的建造物は、むしろ「神の家」としてイメージされます。天上世界を地上に再現したと見る方が一般的です。このような建造物は本来、葬送儀礼とは関係なかったと思いますし、インドでは仏教の僧侶が葬送儀礼を行っていたわけではありません。実際にアジャンタやエローラの石窟寺院に行くとわかるのですが、内部は涼しくて快適な空間です。


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