密教美術の世界

4月22日の授業への質問・感想



映写された写真を見ているとき、インドの寺院跡が写されて、それは日本の寺院とは違いましたが、それは日本とインドの気候の違い、建築技術の違いとも関係しているかと思います。仏の顔も仏教以外の要素を反映していると高校時代に世界史で習いました。仏教を学ぶためには仏教以外の知識もやはり必要なのでしょうか。あと、個人的に仏様の髪が実は長いということが衝撃的でした。
建築物についてはそのとおりです。気候や風土が重要な条件になりますし、インドにはインドの、日本には日本の建築学(建築術)の伝統があります。また、建築物、とくに寺院のような宗教的な建築物は、単にそこで何かの活動を行ったり、生活をするといった実用性だけではなく、神や仏をまつるのにふさわしい特別な空間として作られます。このような、いわば「聖なる空間」は、しばしば実用性よりも象徴性が強調されることがあります。仏教の寺院だけではなく、キリスト教の教会、イスラム教のモスクなどからも、このことはわかると思います。仏像の顔については、これから授業でゆっくり見ていきます。同じ国でも時代や地域でさまざまな違いがあり、それが様式や作風と呼ばれます。その一方で、日本で作られた仏像にとてもよく似た姿の仏像がインドにもあります。また、われわれは仏像を見るとき、顔につい注目しがちですが、それ以外の要素にも、さまざまな共通点や相違点があります。仏教を学ぶために必要な知識についてですが、一般化して言えば、当然さまざまな知識が必要です。しかし「仏教に関する知識」と「仏教以外の知識」との区別は、現実にはそれほど簡単ではありません。むしろ、仏教の何が知りたいのかという動機にしたがって、必要とされる知識は変わってくるでしょう。また、どの学問分野でも言えることですが、研究を進めるほど、さまざまな問題に遭遇し、それを解決するために、いろいろな知識が必要とされます。最後の髪の毛が長さですが、一般に菩薩は長い髪の毛をそなえています。大日如来が長髪なのは、この仏が特別に菩薩の姿をとるからです。髪の毛以外にも、仏にはさまざまな身体的な特徴があり、その中にはとても信じられないようなものもあります。これについては、授業で紹介します。

インドの人は大部分がヒンドゥー教を信仰しているというように中学で習ったのですが、仏教では「聖地」として、また発祥地として定められているので、インドでの仏教の布教度はどのくらいなのでしょうか。こういう像が保管されているということは、かなり仏教徒は多いのでしょうか。日本の仏像はインドの仏像に比べ人間に近い顔をしているように思います。インドの仏像は顔が怖いというか、奇妙というか・・・。日本の仏像は顔が丸くて柔らかい感じで、インドの仏像は顔が細く、目つきも強い感じがします。
インドの人々が信仰しているおもな宗教には、ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教があります。このうち、ヒンドゥー教が人口の80パーセント、イスラム教が15パーセント、キリスト教が5パーセント程度になります。ヒンドゥー教はインドの宗教と一般には考えられていますが、むしろ、生活習慣や規範に近いものです。インドの人が「私はヒンドゥーである」といった場合、われわれが「私は日本人である」というのに、むしろ似ています。その中で、どの神をおもに信仰するかで、いろいろな派がさらに分かれます。仏教は現在ではほとんど信仰されていません。「新仏教」として、19世紀に再興された仏教がわずかにあることと、地域によって、スリランカや東南アジアと同じ上座部仏教や、チベット仏教の信者がいますが、インド全体から見れば、きわめてわずかです。授業で紹介する仏像は、実際に寺院の中に祀られて、信奉されているものではなく、遺跡で発掘され、博物館などで保管・展示されているものです。質問の後半にあるように、仏像の顔の特徴をとらえて、表現するのはとてもいいことです。さらに、身体的な特徴や衣装、装身具、周囲の装飾などにも注目してみて下さい。

大日如来像の「如来」ってどういう意味ですか。私がいつも利用するバス停の名前も「如来寺前」というバス停です。少し疑問に思いました。あと、仏像をたくさん見るのもおもしろいと思いましたが、仏像が作られた背景や、どのような人が作ったのかということなども知れたら、より仏像に興味がもていると思いました。
「如来」は仏を呼ぶときの名称の一つで、サンスクリットで「タターガタtathaagata(便宜上aaはaの長音を表す)」と言います。「かくの如く来たもの」という意味ですが、いろいろな解釈があります。如来も菩薩も明王も、仏の位やグループを表す名前です。はじめに説明してもいいのですが、私の方針として、イメージからこの世界に入っていってほしいので、説明はもう少し後に行います。また『インド密教の仏たち』を書いたときに意図したことですが、このような仏の位はけっして固定的ではなく、流動的であり、むしろそこに仏教美術や仏の世界のおもしろさがあると思います。仏像の制作背景などはこの授業のねらいでもあり、これからゆっくり説明していきます。

何気なく聞いていたら菩薩の頭は髪の毛を結ったものだといっていたので、「ヘー」と思った。仏像の頭の形を意識したのは、おそらく今日がはじめてである。さらに、観音の頭にさらに阿弥陀がのっているとは・・・。親に連れられていろいろな美術館につれていってもらいましたが、いったい何を見てきたんでしょう。親に申し訳ないです。不空羂索観音立像ってかっこいいですよね。手がいっぱいある仏像さんって好きなんですが、あるのは何のためだったか忘れてしまいました。さまざまな災いから守るためでしたでしょうか・・・。ヴァジュラバイラヴァ像というものを見たとき、正直、仏様だとは信じられなかった。大威徳明王とつながりがあるといわれても、大威徳明王の方が頼れるような気がしてしまう(強そうだし)。
観音の髪型は髪髻冠(はっけいかん)といって、長い髪の毛を冠のように結ったものです。日本の観音も同じような髪型をしています。これに対し、文殊は髪をいくつか束ね、髻(もとどり)を作ります。数は5つのことが多いのですが、7つや9つのものもあります。これはインドの童子の姿を受けついでいると言われます。仏像を小さいときから見てきているのは、この分野ではとてもいいことです。授業ではいろいろ新しい発見や知識がえられると思います。腕の数の多い仏については、大勢の人が質問票にあげていました。日本では千手観音が有名ですが、それ以外にも不空羂索観音や如意輪観音のような観音に、また、授業で紹介した降三世明王や大威徳明王などの明王たちに、しばしば多臂像が見られます。衆生(しゅじょう、われわれ生類のこと)を救済する機能を、多くの腕で表すというのが一般的な説明ですが、むしろ、なぜそれを表現するために腕の数を増やしたのか。そもそも、腕の数が多いという、非人間的な姿をとることを、なぜ、許容できたのかという問題の方が重要です。これらは簡単には説明できませんが、宗教的なイメージのあり方そのものに対する考察となります。ヴァジュラバイラヴァはインドでも信仰されていたようですが、作例はありません。また、日本にはほとんど伝わらなかったようです。これに対し、チベットでは人々の信仰を集め、とくに文殊の化身としても信奉されました。チベットの仏像は、このような特殊な仏ではなく釈迦や観音であっても、一般の日本人にはくせがありすぎて、あまりありがたく感じられないようです。

昔から密教とかに興味があったので、たくさんの仏を見られて楽しかった。今度はもっと印とか梵字とかについて、詳しく説明してほしい。あと、仏の地位なども知りたい。今日、紹介された仏像は、高野山とかだけだったけど、京都や奈良にある仏像は違うんですか。また、手の数や顔の数の違いは地域や国ごとの風土によるんですか。
 はじめから密教に興味を持っていてくれるのは、授業をするものにはうれしいです。他の方の質問で、「私は密教の意味が分かりません」というものがあったので、簡単にここで説明しておきます。
 密教とは5、6世紀以降のインドで現れた仏教の一形態です。中国、東南アジア、ネパール、チベットなどに伝播しました。日本には平安時代の初期に空海や最澄に代表される「入唐僧」(にっとうそう)たちによって、本格的にもたらされました。現在でもその伝統は生きていますし、チベットやネパールの仏教は密教の要素がかなり濃厚です。「密教」という言葉に相当するインドの原語は実はありません。日本の真言宗や天台宗の中で用いられ始めた言葉で、大乗仏教までの仏教を「顕教」と呼び、これよりも優れた教えで、しかも選ばれた者以外には秘密にされているという意図で付けられたものです。インド仏教の歴史を簡単にまとめれば、釈迦の時代を含む初期仏教(あるいは原始仏教)、部派仏教、大乗仏教、密教ということになります。インド仏教の最終的な形態が密教です。ただし、その時代も大乗仏教やいわゆる小乗仏教もありますので、段階的に変化したというわけではありません。また、密教の修行をすることが許されたのは、大乗仏教の修行階梯を終え、特別な能力(とくに実践における霊的な能力)をそなえたものだけといわれています。その特徴として、次のようなものをあげることができます。
・瞑想やヨーガによる神秘体験を悟りととらえる
・教理的には大乗仏教を継承、とくに空思想と如来蔵思想に基礎を置く
・複雑な儀礼体系をヒンドゥー教と共有
・壮大な神々の世界と精緻な図像学を保持
密教はインドの宗教全体から見ると、中世以降、流行したタントリズムと呼ばれる宗教形態と、さまざまな点で共通しています。以上の説明だけではよくわからないと思いますので、授業でも機会を見つけてお話しします。また、仏の地位はこの先の授業でくわしく紹介するつもりですし、印にもときどきふれますが、梵字はちょっと無理です。関心があれば、参考文献を紹介します。また、梵字で表記されるサンスクリットは、文学部の授業として開講されていますので、こちらも関心があればどうぞ。
 授業で紹介した仏像に高野山のものが多かったのは、日本の密教図像のすぐれた作品がここに多く残されているからです。京都や奈良にももちろん密教のお寺はたくさんあります。前回お見せした明王などは、いずれも京都の東寺のものです。高野山の仏像は、私自身が高野山に住んでいたこともあり、なじみが深いことと、去年から今年にかけて各地で大規模な展覧会が開催されていることから、比較的多く紹介すると思います。

アジャンター石窟寺院の守門神と、法隆寺の観音菩薩立像が似ているとのことでしたが、やはりどちらかを参考にして、あるいはどちらもあるものを参考にして描いたかしたから似ているのかなぁと思いました。場所が違っても伝わってきたものがあるのでしょうか。
両者の間の距離や、制作年代から考えて、直接の影響関係や、共通する図像モデルがあったとは考えられないようです。むしろ、日本の仏像に、インド的な様式がよく残っているということで、注目されています。なお、アジャンターの守門神は観音と紹介するものもありますし、授業でもそのあたりははっきり言わなかったのですが、最近の研究では観音や蓮華手とする解釈は否定されつつあります。守門神という聞き慣れない名称を用いたのはそのためです。守門神とは文字通り、門を守る神で、寺院の門の左右に置かれたり、描かれたりします。このアジャンターの守門神も、門の反対側にもう一体の守門神がいて、観音(蓮華手)と対をなすことから、そちらは金剛手という名の菩薩とする人もいますが、これも誤りです。ただし、守門神はヤクシャ(夜叉)と呼ばれる下級神と関係があると考えられていますが、のちの菩薩像とも図像的なつながりがあり、全く菩薩と関係がないわけではありません。

私の出身高校にはお坊さんの先生が3人いました。その先生たちは家がお寺で、奥さんがいて、子どもがいる在家のお坊さんだったんだなぁと出家していないんだと初めて気づき、不思議な感じがしました。仏像とかは同じに見えるけど、実はけっこう違うとわかっているけれど、どこがどう違うのかはよくわからなかったので、頭が違うとか、結んでいる印が違うとかあるというのがわかってすっきりしました。
「日本仏教は仏教ではない」と言って驚かせましたが、もちろん、これは言い過ぎです。インドの仏教と日本の仏教は、同じ仏教といってもずいぶん違い、日本仏教のイメージでとらえると危険であることを自覚してもらうためです。日本仏教はこの国の独自の展開や変容として、とらえるべきでしょう。宗教は信者が増えて、拡大すればするほど、つねに「正統と異端」のせめぎ合いが見られます。ある人々にとっては「改革」や「発展」であっても、他の人(特に保守的な人)にとっては「改悪」であり「逸脱」にしかすぎないこともよくあります。私の授業では「仏教の本当の教え」とか「正しい仏教」とかを強調することはありません。どのような形態をとっても、それが仏教であると主張されたものは、たいてい仏教としてあつかいます。ただし、その対象は歴史的なものに限られます。

マンダラといえば昔、富山の立山かどこかで見た気もするのだけど、気のせいでしょうか・・・。
マンダラは本来、密教の中で作られた仏たちの集合図でしたが、日本では独自の展開をして、さまざまなマンダラを生み出します。立山曼荼羅ものそのうちの一つで、修験道や浄土や地獄への信仰など、多くの要素を含んでいます。マンダラは授業の中の重要なテーマの一つですが、残念ながら日本でのこのようなマンダラの展開までお話しする余裕はありません(ときどき文学部の授業であつかいます)。関心があれば、直接聞きに来てください。また、富山には「立山博物館」という、立山曼荼羅とその信仰を中心にしたすぐれた博物館があります。機会があれば行ってみて下さい。


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