密教美術の世界

授業への質問・感想

*前回の出席カードのコメントは、最後の回ということもあって、これまでの授業全体についての感想が多く見られました。今回は記入分はすべて掲載しました。質問も一部ありましたので、それについては簡単にコメントしましたが、感想はそのまま掲載して、私の回答はあまり付けませんでした。

教美術を読み解くことは、単にそのものを知ることだけではなくて、思想とか教理とかいったもっと大きなものをとらえるということなのだなぁと思った。

形があって意味が付き、意味からまた形へと循環しており、美術が高まっていくのがわかった気がした。シンボルも物のだけではなく「印」やカッコウもあると教科書で読んだし、けっこう多様化するのだと思った(「これがないと○○(仏名)じゃない」とかそういうことではないから・・・)

最後の講義とても楽しかったです。

・仏教における「おきて破り」って何のことですか。
・美術⊂形というのは、ちょっと納得できないのですが・・・。
・これからもしいろんなところへ行って、こうした仏教美術を見る機会があったら、少々は「意味」がわかりながら見られるのかなぁと思いました。仏教的・インド的思想などには以前から興味があったのですが、この授業を受けてやっぱり面白いなぁと思いました。
 「おきて破り」について。インド美術の伝統では、台座や乗物になるものは、その上の神がふくまれるグループの一員であったり(たとえば毘沙門天とヤクシャ)、上の神の協力者や従属者であったり(たとえばヴィシュヌとガルダ)します。密教の忿怒尊が自分の足の下にヒンドゥー教の神を踏んでいるのも、その神とイメージの上でも密接な関係を持っていたためですが、教理的には敵対者と位置づけ、さらにはその神を制圧するような神話まで作り出しました。このことを指して、ルール違反とかおきて破りと呼んだのです。
 「美術⊂形」はすこし飛躍があるかもしれませんが、授業のテーマである密教美術は、それ自体で完結した研究対象ではなく、仏教美術やインド美術、宗教美術などの一領域と見るべきものということをお話ししたかったのです。授業では密教美術が仏教とも密接な関係を持っていることまでは扱ったのですが、インド美術全般までは及びませんでした(最後のテーマはそれを意識していますが)。美術は視覚芸術とか造形芸術と呼ばれることもあり、音楽や演劇、文学などとは異なるジャンルで、突き詰めていけば、形をもった芸術ととらえることができるのではないでしょうか。

はじめの授業のスライドを見ると、きっとこの仏も大きな世界観の図式の一部を占めているのかなぁと思うようになった。

懐かしいスライドがたくさんありましたね(教科書に載っていた写真もあったような)。来週のテストがんばります。

仏教の世界にふれることができてよかった。自分の心の中にも仏教のような奥が深い宇宙が存在すると思った。ただ日常生活を送る上で忘れているのかもしれない。人はいろいろな可能性を持っているというが、まさにそうだと思う。

来週テストかぁ。それに向けて勉強するもんなのか?とても不思議な気がします。もう少し哲学的なことを学んでいきたいです。

全十二回の講義で少しは仏教美術がわかるようになったかと思います。もし寺院に行く機会があれば注意深く見てみようと、そしてできるなら、いろいろなうんちくをまわりに語りたいです。

密教美術はもっぱら空海がどうのこのといったものかと思っていたが、いろいろなスライドなどを見れて面白かった。テレビで密教美術の番組を見たが、マンダラについてのCGが先生の図にそっくりでびっくりした。

今日で講義が終わってしまうのは本当に残念です。仏の世界がいろいろわかってとても面白かったです。とてもていねいに描かれたマンダラや宇宙観、またさまざまなモチーフをもとにした仏像などは、印象深く残っています。密教美術と仏の世界は奥深いなぁと思いました。あと、毎回いろいろな質問に回答して下さっていたのはとても楽しみだったし、うれしかったです。ありがとうございました。

イメージの画一化→仏の数の増加→仏の世界の拡大化という流れは、それだけ大きな世界に行きわたるほど仏教は偉大だということを示すためだったのだろうか。またその流れは既存の世界では満足しきれないとか、自分が信じるものがもっと偉大であって欲しいといった考えに基づいていたのだろうか。機会があれば、その流れに反対した保守的な仏教についても学んでみたい。

この授業を取らなければ、きっとずっと知らないままだっただろう密教美術について、少しでもふれることができてよかったです。

今まで仏像をあまり深く考えずに眺めているだけでしたが、授業を通して、仏像についてさまざまなことを知ることができて、これから仏像を見ていくことが楽しくなりそうだと思いました。

今までの講義で、仏教美術について少し知ることができてよかったです。今まで仏像とかはみんな同じに見えていたけれど、この講義でそれぞれいろんな特徴があり、何らかの意味があることが分かりました。

今日はなぜかサンヴァラ立像がすごくうらやましく感じました。手や顔がいっぱいあるってどんな感じなんやろう?って。もし私が多面多臂でも、もてあますばかりなんだろうけど、仏さんたちは何個、手や顔があっても足りないものなのかなぁーって思いました。触地印仏坐像をじーっと見ていると、写真の中に引き込まれそうになります。大仏!!って感じがすごく出ている気がします。大仏は本物見たことあるから、写真だけでも想像しやすいのかな。今日はよく見たことあるのばっかりだったので、密教では大事なのかなぁって思った。

もう一度、今までのプリントを見返して、もっと密教美術について理解を深めたいです。

来週のテストがんばりたいです。

専門の学科とはまったくかけ離れたものだったので新鮮でした。今までありがとうございました。

形を見て意味を考える。また意味から形を考えるというのが密教美術のすごさ、また面白さであると思った。また、密教美術は仏教の教えを受け、また、時代や地域を反映し、聖なるイメージ(普遍性)を追求するものだと知って、とても奥深いものだと思いました。

秘密集会マンダラの秘密集会ってなんなんですか。
「秘密集会」は「ひみつしゅうかい」ではなく「ひみつしゅうえ」と読みます。「隠された集まり」という意味ですが、残念ながら、何かをやる集会ではなく、仏たちの集まりという意味です。ただし、密教経典には「あやしい集会」や「あやしい実践」を説くものも多く、「秘密集会マンダラ」を説く『秘密集会タントラ』にもそのような内容が含まれています。また、灌頂の儀礼も、時代が下ると、このような要素を含むようになります。なお『秘密集会タントラ』はインド密教史の中でも重要な位置を占める経典ですが、最近全訳が発表されたので、簡単に読めるようになりました(松長有慶 2000 『秘密集会タントラ和訳』法蔵館)。

今まで美術品のように感じていた曼荼羅を、道具としてみるのは不思議な感じがした。

仏教とヒンドゥー教というと、私はまったく別の宗教というイメージを持っていたが、つながっている部分もあり、他の宗教も同じようにつながっているのかなと思った。

仏教の仏像とヒンドゥー教の神が混ざって関係が混乱してしまいます。

降三世明王のスライドを見て、仏教はヒンドゥー教を敵視していたのだなと思いました。ヒンドゥー教は仏教をどう見ていたのだろうか。

改めてインドと日本で似た仏像が多いことを感じた。もう一回今までのことをおさらいできたら、しっかり理解できる気がする。

ヒンドゥー教とが牛を食べない理由がわかりました。造型作品の見方がわかって、感性が磨かれたような気がします。

今日見た「ムルガン」が印象的でした。すごく原色的で、かつ人間に近くて、日本のものとは違うなーと思いました。

過去見たスライドを今見ると、それぞれのスライドで先生が伝えたいメッセージが伝わってくるようでした。

授業を終えてみて、密教美術に興味を持てるようになった。もとから美術作品が好きだったけど、密教の作品については美術作品ではなく、仏壇などの仏様という感じで見ていた。美術作品としてみると、けっこう細かく作られているなと思った。

この講義を受けて仏教に興味を覚えました。五木寛之の百寺巡礼でも読みつつ、百寺巡礼しようと思います(本気です)。

高校の日本史で習った密教の作品は、日本の密教の作品の中でもほんのわずかだったということを痛感した。本当に奥が深いと感じた。

天体の神様がラーという名前だということですが(聞き違いだったらすみません)、エジプトの太陽神ラーと何か関係があるのでしょうか。ムルガンは少年神なのに、おばさんのような顔をしているなぁと思います。あと、インドの神にはよく肥満体の神が出てきますが、太っていることが美徳とされていたのでしょうか。

わたしの発音が不明瞭だったようです。ラーではなくラーフ(rahu)です。日蝕や月蝕を起こす天体神で、太陽や月、火星などの「九曜」の中に含まれます。食べるのが仕事の神なので、頭と手だけでできていて、大きな口を持っています。肥満体の神はおもに財宝の神です。代表的なものがガネーシャで、象の持つイメージとも共通します。七福神の中でも大黒や恵比寿が太っているのは、同じ発想でしょう。好きなだけ食べることができるというのは、財宝や富のもっとも具体的なことなのです。

密教美術についていろいろ学べた。

下に踏まれているのは悪いことをしたり、したためだと思っていたので、支えてるとは思いませんでした。密教美術が生み出された理由は、いまいちちゃんとわからなかった気がします。
単純化して言えば、密教美術は仏教の教理や思想、実践などと密接な関係を持ち、密教美術を理解するためには、単に形態や美のみでは不十分であること、また、インドの宗教美術という点からは、ヒンドゥー教のようなインドの他の宗教も視野に入れる必要があること、さらに、宗教美術を生み出すのは、人間が「聖なるイメージ」を必要とするという普遍的な欲求があるということです。

本を読んだり授業を聞いていると、なかなか密教世界も面白いなぁと思いました。とくに曼荼羅は高校の時から日本史で学んでいたので、興味を引かれました。また、仏や菩薩などの違いが最初の頃に比べてかなりわかるようになりました。

最初の頃とたしかにイメージが変わった。

今日の授業を聞いていると、仏教の神はヒンドゥー教の神よりも上の立場にあるのだと思った。しかし、どうして仏教の神がヒンドゥー教の神よりも上の立場にあるのだろうか。
仏教徒が信仰しているのが仏教の神だからです。ヒンドゥー教とは仏教の神など相手にしていません。

仏教の仏をヒンドゥー教の仏が囲んでいるというのを聞いて、仏教の仏の方が地位が高いからなのか、仏教の仏からの視点でその仏像やマンダラが作られたからなのか、よくわからなかった。ヒンドゥー教の人々はどう考えるのだろう。
マンダラのもっとも外側におかれているヒンドゥー教の神は、仏教の神よりも地位が低いように見えますが、「踏まれる神と踏む神」の関係に見られたように、単に地位の上下だけにその理由を還元すると、本質的なものを見失うような気がします。実際、インドで生み出されたマンダラの多くは、マンダラのもっとも外側にヒンドゥー教の神を並べます。内部の仏教の仏は、マンダラごとで異なりますが、外側のヒンドゥー教の神々はほとんど変化はありません。見方によっては、仏教の仏の世界を支えているのがこれらの外教の神々で、仏教はその中で踊らされているだけのかもしれません。密教美術をとらえるには、仏教だけではなく、インドの宗教という枠組みで見る必要があるということが、前回の授業のポイントです。

ヴァジュラバイラヴァはいつ見ても面白い。

最後のまとめで、最初見たときとは違う仏の見方ができました。

この授業を受けたてのころより、密教美術についての理解が深まった気がします。とくにマンダラについてわかってきました。

ヒンドゥー教の神といえど、仏たちは自分のイメージの源泉を踏みつけてしまうなんて、なんかおそれ多いですよね。今までスライドでたくさんの仏を見ましたが、やはり私は日本の仏が一番好きです。心が落ち着きます。

どうしてあんなに手を持つ必要があったんだろう・・・?多面なのだろう。なぜ動物に頭をすげ替えることを多くしたんだろう?と思いました。

多面とか多臂の中でどれが主だとかの上下関係があるのかと思った。
多面は中央の面、多臂は胸の前に来る二臂が主要な腕のようです。

金剛界のマンダラがとても美しいと思いました。

密教ではどんな仏も関わりがあるように思える。また、ヒンドゥー教にも関係があるのにはおどろいた。

前の写真が出てきて懐かしかった。やっぱり砂マンダラはきれいでした。

マンダラはカラフルできれいだなぁと思った。見た目だけでなく、これに意味も含まれているのだから、マンダラは芸術性が非常に高いものですね。密教美術の世界をしっかり理解したとは言えないけど、少し不思議な世界の雰囲気をつかんだ気がします。

各仏像が持つ役割がとても多いと再認識した。人々が拝むだけなら、一体に統一してよいのではないかと思った。なぜ、多くの種類の仏たちが存在し、それぞれに逸話なり役割を添えたのであろうか。人々の信仰心を引き離さぬための策だったのだろうか。

非常に楽しい授業でした。

この授業で密教美術のことをそれなりに理解できたような気がします。今度からは寺院やお寺を訪れて、仏像とかを念入りに見てみようと思います。よおく見たらいろいろな顔を読みとれるような気がするからです。

この講義は好きだったので、終わるのが少し残念です。理解が深いかどうかは別にして、毎回自分の知らないことをたくさん知ることができて満足しています。ただ、テストがとても心配です。

全体をまとめると多くの知識を持ったなぁと思いました。最後の10枚のスライドを見て、「あっ、これは!」と理解していて、自分でうれしかったです。私は理系ですが、医療においては精神的、思想的なものが大切なので、勉強できてよかったです。問題は試験です・・・。

今日の授業は教科書の最後の章と似た話だったので、わかりやすかったです。

金大にもどって密教の講義が聴けるとは思っていなかったので、たいへん興味深く参加させていただきました。密教美術の流れを知るときに、考えると中国の仏像などは見たことがないように思うのですが、歴史の中で埋もれてしまったのでしょうか。
中国密教は唐代で最盛期を迎えますが、その後、衰退します。そのため現存作品はたしかにごくわずかです。ただし、例外として日本にもたらされた「請来図像」がかなりの数にのぼります。請来作品にもとづいて作成され作品も、一種のコピーですが中国の様式を伝えています。また、中国本土でも、大安国寺からは密教系の石像群が出土していますし、法門寺の地下宮殿から出土したさまざまな造型作品に、マンダラを含む密教美術が見られます。

仏教の仏とヒンドゥー教の神は多くのイメージを共有していることがわかった。

仏教と密教で解釈が違うことにはおどろいた。興味深い。この講義を通して、本当にいろんな仏像があることを知り、とても面白かった。そのひとつひとつにしっかり意味があるのでとても奥が深い。



(c) MORI Masahide, All rights reserved.