密教美術の世界

授業への質問・感想

ジャスコにある印度屋というカレー屋さんに、象頭の置物がありました。あれもガネーシャなんかな?今度行ったらじっくり見てみようと思います。神々の家族関係って、後付けで設定されたものなんですね。ちょっとおどろいた。
印度屋はジャスコ杜の里店の中ではなく、そこから西に100mぐらいのところにあります。象頭の置物は間違いなくガネーシャでしょう。私も見た覚えがあります。印度屋にはたまに行きますが、いつもいわゆるバイキングで、カレーの種類が少ないのが残念です。インドでは田舎のレストランでも、もっといろいろな種類があります。以前、店の人に聞いたところでは、中で調理をしているのはインド出身ではなく、ネパールの方でした。印度屋という名前とは齟齬がありますが、ネパールのカレーもおいしいです。金沢では他に、ルビーナとかホットハウスなどのインド料理屋があります。インドの神々の関係は、時代によって異なります。シヴァやヴィシュヌの妻や子とされる神々のほとんどが、本来は単独で信仰されていました。特定の地域や社会階層の人々の信仰の対象だったものもあります。中世のインドでは、このようなさまざまな神が、特定の有力神に収斂されていきます。家族の地位が与えられるのも、シヴァやヴィシュヌと関係を持つことが重要であったからです。この他に、本来別個の神であったものが、有力な神が姿を変えて現れたと解釈されるようになります。たとえば、クリシュナやラーマがヴィシュヌの化身であるといった感じです。これらの現象を人類学者や歴史学者は「大伝統と小伝統」という概念で説明することもあります。

釈迦が誕生したときに降り注いだ甘露の雨と智慧の甘露は、何か関係があるのだろうか。
関係があります。灌頂の儀式の中では阿闍梨(先生)が弟子に瓶の水をそそぐとき、釈迦の事績を再現していると弟子に向かって説明します。儀礼においてもモデルとしての釈迦が重要なのです。釈迦が誕生直後に、いわゆる産湯のような水をかけてもらったのは、古い時代の文献にも登場します。密教では、前回の説明のように、水をそそぐのは龍王ではなく諸仏になっていますが、これらの文献では水をそそぐのは二頭の龍王で、その姿は古い時代の仏伝図像にも現れます。また、このモティーフは、ストゥーパの装飾にもあった「女神への二頭の象の灌水」とも関連します。「水による再生」が基調にあるからです。

灌頂が国王の即位儀礼をモデルにしていること、そして、このとき用いられる水と、真理=法から降る雨のイメージが重なることは、とても面白いと思いました。このことは釈迦が王子だったことと、関わりが深いものなのですか。
そのとおりで、上の回答にもあるように、釈迦があらゆる仏教徒のモデルであったことを示しています。灌頂という儀礼は、仏教が生まれる前の古代のインド世界ですでに行われていた国王即位儀礼の名称です。釈迦も小さい王国の王子(太子)であったのですから、いずれは灌頂を経て、国王になったのでしょう。仏教徒が仏のイメージと王のイメージを重ね合わせようとしたことは、授業でも何度も繰り返して来ましたが、それを保証するのが「仏教徒のモデルとしての釈迦」なのです。

先週欠席してしまったので、砂マンダラの写真をはじめてみました。とてつもなくきれいで緻密で大きくて感動しました。下絵を描いてから砂を敷くのでしょうか。どうやって、あんなきれいな色の砂を作るんでしょうか。法雲地の「真理=雲」ということについて、ふわふわした感じで不定型な雲が真理だなんて意外です。「雨=智慧の甘露」というのを表したいがためにそうしたように思えます。実際はどうだったんでしょう。あと、シヴァにはいろんな妻がいるということですが、どの奥さんが一番好きだったんでしょうか。私はパールヴァティーが女らしくていいと思いました。
砂マンダラの砂の材料は、いろいろあったようです。理想的には五種類の色の宝石、たとえば赤はルビー、青はラピスラズリを砕いて作るようです。米の粉や花びらを使うという説明もあります。米の粉の場合は、後から顔料などで色を付けたのでしょう。現在のチベットでは鉱物を使っているようで、成分を調べたら二酸化珪素だったという報告もあります。岩などを細かくして、やはり色を付けているようです。雲のたとえについては、たしかに甘露の雨であることも関係すると思いますが、そもそも雲がインドでは好ましいイメージだったようです。雨期の到来とともに、空全体を覆う雲は、インドの人々が待ち望んでいたものだったのでしょう。仏などへの供物を雲にたとえ、全世界が供物で埋めつくされるというたとえも、文献にはあらわれます。密教の世界観では、全宇宙は無数の仏で満ちあふれているので、それに一番近いイメージが雲なのでしょう。シヴァの妻の中でもパールヴァティーは美貌の持ち主で有名です。シヴァの妻が誰であるかは地域や時代で異なるのですが、絶世の美女でありながら、残虐な性格を持つドゥルガーも、多くの地域で絶大な人気を誇っています(前回の配付資料を読んで下さい)。

シヴァとパールヴァティーの子どものスカンダは、前々回のレポートで重点的に読んだ章によく出ていたので、記憶に残っています。昔、読んだマンガに聖母ドゥルガーが出てきたことを思い出しました。
レポートが役に立ってよかったです。マンガにインドの神が出てきたり、そのイメージや名称が用いられているのは、よくあります。とくに、シヴァやドゥルガーがいかにもインドの神様という感じで登場します。一般に知られているのも、このような有力な神に限られているからでしょう。私の気づいたものでは、吉田秋生の「YASHA」で、ドゥルガーが言及されていました。

ガネーシャの姿がすごく印象的です。今まで愛嬌のない無表情な仏さんたちを見てきたので、こんな神様もいるんだなーって思いました。しかも、お菓子持ってるなんて・・・。これで商売繁盛なんてびっくりです。シヴァとパールヴァティーは、見た目人間に近いのに、なぜ、象さんの顔になったんでしょう。今まで、どの神が何教かなんて考えたことがなかったのですが、姿は似ているのに異教だったりするんですね。後からできた宗教とかは、もともとある宗教の神の姿を参考にしたりするんですか。
たしかに仏教の仏たちは愛想がないかもしれません。悟っているんですからしょうがないですが・・・。その分、菩薩や忿怒尊、女尊などに、イメージの多彩さを求めたのでしょう。ガネーシャは一度見ると忘れられない強烈な印象を持っている神ですが、日本にも伝わっていて、聖天(しょうてん)と呼ばれます。密教系の寺院に作例があることが多いのですが、そのイメージから秘仏にされることが一般的です。男女の象頭の神が向かい合って抱き合っているものもあります。シヴァとパールヴァティーの子どもが象頭のガネーシャであることについては、それを説明する神話がありますが、実際は、もともとは別個に信仰されていたガネーシャが、シヴァのグループに包摂されたからです。仏教とヒンドゥー教の神のイメージが共通することは、この回のテーマのひとつですが、仏教側による単なる借用ではなく、イメージばかりではなく機能や性格なども、しばしば共有されます。インドにおいては、古代のヴェーダの神々はイコン(像)としては表されず、また、仏教も釈迦を人間の姿で表現しませんでした。神々や仏がイメージを有するようになったときに、共通の要素があらわれたという見方もできます。

ひとつの世界に仏はひとりと決まっているのに、同時に仏が二人になってしまうのは仏教的にだめだと言っていましたが、灌頂ではそれが起こっても大丈夫は理由を聞き逃してしまいました。なぜですか。
「ひとつの世界に仏はひとり」というのは「一世界一仏論」とも呼ばれ、大乗仏教の仏陀観の基本にあります。これは裏を返せば、無限の世界が存在するときに、その世界と同じ数の仏の存在が保証されていることにもなります。このことは灌頂の儀礼の前提となっています。灌頂を与える阿闍梨は現在の仏(あるいはすべての仏の根源的な存在である大日如来)に相当し、灌頂をうける弟子が次の仏になります。灌頂をうけることによって、その世界の次の仏に確実になることが保証されるのです。

・仏教において王と仏はイメージが重なり合っているというか、重要な結びつきがあるように見えるのですが、それはなぜですか。私のイメージとしては、王という存在はもっと現実的で、俗世に執着があって、いろんな欲望に満ちていて、悟りを開いた超越的な存在である仏とはかけ離れているように見えるのですが。それから「イメージの戦略」ということばの「戦略」とはどういうことですか。仏にまつわるイメージを、王たちは支配・統治のために利用したのですか。
・先週の授業はけっこう寝てしまって、マンダラの一番大事な部分が聞けなかったようなんですが、プリントとかを読めば取り戻せるでしょうか。
「王と仏のイメージの重ね合わせ」は、これまでにも言及してきました。仏像の誕生のところで、三十二相という超人的な身体的特徴が、この両者に見られることや、マンダラに描かれた王宮は、須弥山上にある帝釈天の宮殿がモデルであり、その主役を神々の王である帝釈天から、仏教の仏に置き換えたものであることなどです。現実の王のイメージはたしかに欲望や執着と結びついていますが、この場合の王は、インド世界の理想の帝王である転輪王です。現実には存在しないけれど、王のあるべき姿と言っていいかもしれません。もっとも、現実の王とまったく無関係ではもちろんなく、おそらく当時のインド人にとって、強大な権力を持った王は、神以上の存在であったでしょう。「戦略」というのは、英語のstrategyを意識したことばで、仏教徒が自分たちの宗教の拡大や定着をめざすときに取った手段というつもりで使っています。戦争や統治とかとは直接関係しませんが、「戦略」というこの言葉自体も宗教と政治を重ね合わせるものですね。マンダラの一番大事な部分が聞けなかったのは残念です。授業で繰り返すわけには行かないので、同じような内容の含まれる、私の次の二文献を参照して下さい。どちらも文学部比較文化研究室にあります。
森 雅秀 1997 『マンダラの密教儀礼』春秋社。
森 雅秀 1999 「マンダラの形と機能」立川武蔵・頼富本宏編『シリーズ密教 第2巻チベット密教』春秋社、pp. 135-160。

スライドで見た絵が、優しい顔をしていながら残酷な顔をしていたのが印象的だった。また、絵が幻想的に見えた。なぜ、帝釈天は神々の王なのに、「三道宝階降下」では帝釈天は左右に従えられているのだろうか。
マヒシャースラマルディニー(長い名前ですね)の姿が、美しい女性でありながら残虐な殺戮行為をしていることに、強い印象を受けた方が多くいました。たしかに一般の女神、たとえばヴィーナスやマリアなどにはこのようなイメージはありませんが、強い女神、恐ろしい女神というイメージは、インドを含め各地にあります。このことは教科書の第3章の主題のひとつでもあります。身近のところでも、絶世の美女(あるいはかわいい女の子)が悪い敵を次々とやっつけるという物語は、ハリウッドの映画(チャーリーズ・エンジェル?)をはじめ、日本のドラマやアニメでもおなじみです。インドの神話とそれほどかわらないのですね。帝釈天は本来、神々の王なのですが、中世のヒンドゥー教ではその地位はシヴァやヴィシュヌなどの新興の神に取って代わられ、東の方角を守る役割程度しか与えられていません。仏教の文献や図像に現れる帝釈天は、これよりもましですが、梵天とならび仏法や釈迦を守る護法神というのが一般的です。

別の授業で、インドで「水」という言葉が、日本に伝わって仏にそなえる「あか」という言葉になり、西洋に伝わって、ラテン語のaquaになったという話を聞きました。そこで思ったのですが、ラテン語のignis(火)は、アグニが伝わったものではないでしょうか。
最後の ignis と agni はそのとおりで、共通の語から派生しています。ラテン語もサンスクリット語も同じインド・ヨーロッパ語族の仲間で、類似した語彙が数多く含まれます。前半の水に関する方は、ラテン語のaquaが、やはりサンスクリットに共通の語があることは正しいのですが(サンスクリットの継)、仏にそなえる「あか」は残念ながら別です。「あか」(閼伽)はサンスクリットではarghaで、動詞arhから作った形容詞もしくは名詞です。arhの意味は「尊敬に値する」で、arghaは「尊敬に値すること、あるいはもの」になります。インドで古来から行われていた賓客接待の儀礼(尊敬に値する大事な客人をもてなす儀礼)に、水を差し出すという作法があり、この水のことをarghaと呼んでいました。これが神や仏の礼拝方法にも転用されて、日本で仏に供える水も「閼伽」と呼ばれるのです。機会があれば、「別の授業」の先生に教えてあげて下さい。なお、インド・ヨーロッパ語では水と火を表す語彙にそれぞれ2系統あり、形もまったく違うのですが、それは命がある水(あるいは火)と命のない水(火)という使い分けがなされていたからです。たとえば、ラテン語のignisは命ある火で、英語のfireは命のない火の系統に属します。水も火も単なる物質ではないのです。

時間が人を死に追いやるという考え方は、日本にはあまりないかもしれないです。
そうかもしれません。先週、配付した資料にもくわしく書きましたが、インドだけではなくヨーロッパの死神のイメージ形成には、時間が重要な役割を果たしています。日本で時間を表す「とき」という言葉は、動詞の「とく(解く)」から来ていて、「ほどける」「変化する」というニュアンスだったというのを読んだことがあります。もう少し緩慢な感じを時間に対して持っていたのかもしれません。


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