密教美術の世界
授業への質問・感想
マンダラが実用的なものだとは思わなかった。仏を中心とした視点で描かれているのには理由があったんですね。砂マンダラを壊すのはもったいない!壊すくらいなら私に下さい。なぜ壊さなくてはならないのですか。
一般にマンダラは仏教絵画のひとつとしてとらえられているので、礼拝や鑑賞を目的とする芸術品のように理解されています。これはおもに日本のマンダラに当てはまりますが、砂マンダラや立体マンダラのようなチベットのマンダラを見ると、理解できなくなります。ところが、マンダラを儀礼の装置としてとらえると、マンダラ特有の表現方法などが、すべてうまく説明できるのです。マンダラが「仏の世界の縮図」というような説明も、儀礼の文脈でこそ意味を持つのです。しかも、インドの文献では、チベットの砂マンダラとそっくり同じものを、儀礼のために作るように記されています。マンダラの表現方法が、これまでの授業で取り上げてきたインドの仏教美術や密教美術とも結びつくことは、今日の授業でまとめとしてお話しするつもりです。砂マンダラを壊す理由は「すべてのものは無常である」という仏教の大原則を守るためと説明されます。そもそもマンダラは「仏の世界」を象徴的にあらわしているもので、おおっぴらに公開するものではありません。マンダラの秘密は灌頂の儀式を受ける選ばれたものにのみ示されるのです。また、インドでは古代以来、儀礼の装置は一時的なもので、儀礼の終了とともに破壊されたり、放棄されるという伝統があります。マンダラもそのようなものととらえることができます。
マンダラでも絵ではなく梵語で仏を表現したものを見たことがありますが、それはなぜ梵語で示したのでしょうか。字の違いがよくわからないので、僕にはみな同じ仏なのかもと考えてしまいます。
仏のかわりに文字を用いたマンダラは「種子(しゅじ)マンダラ」と呼ばれます。これは、マンダラに含まれるそれぞれの仏を表す文字が定められているからです。仏のかわりにシンボルを用いたマンダラがありますが、これと同じことです。これらの背景には、密教特有の瞑想法があります。マンダラを前にした密教の僧侶は、実際の仏の世界を立体的に瞑想します。マンダラはそのための手助けになる「設計図」です。仏たちの姿も瞑想で生み出しますが、そのときに「核」のようなものが必要です。シンボルや文字がこれらの核に相当します。シンボルが用いられるのは、以前取り上げた「仏の世界の多様化と画一化」と関連し、よく似た姿の仏たちを区別するための目印として、用いられます。一方の文字は形とともに、音も重要で、瞑想の過程で文字を発音します。種子マンダラは日本では作例が多いのですが、チベットではあまり見ることはありません。インドにわずかに作例が残っています。
映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」で、中国人を迎えるために砂マンダラを作っている場面がありました。その精細さに本当に驚き圧倒されました。日本でも家を建てる前に地鎮祭を行いますが、他の国々でもあるものなのでしょうか。
砂マンダラを「セブン・イヤーズ・イン・チベット」で見たことがあるという方が、かなりいらっしゃるようです。私は見ていないのですが、ほかにもチベット仏教を紹介するときに砂マンダラそが取り上げられることが多いようです。さすが「神秘の国チベット」という感じですが、実はこれと同じものをインドですでに作っていたことは、ほとんど知られていません。砂マンダラの制作とそれを用いた儀礼は、インドの宗教文化の中で生まれたものなのです。地鎮祭をはじめとする建築儀礼は、現代の日本でも重要ですが、かつてはさらに多くのしきたりや禁忌(タブー)がありました。このようなことは日本に限らず、おそらく世界中で見られるはずです。家というのはわれわれにとって最も重要な「空間」ですが、しばしば「宇宙」や「世界」と重ね合わされます。家を造ることは宇宙の創造であり、その儀礼は宇宙の開闢と結びつけられるのです。インドもその例外ではありません。日本の地鎮祭はインドの建築儀礼で行われた結界の作法と関係します。
地上のマンダラの装飾が立体マンダラと対応していることに驚きました。立体マンダラを二次元に投影したものが、図像によるマンダラであることに、過去の行者(先師)の豊かな仏教世界観を改めて感じました。金箆は独鈷杵に似ていますね。医者の道具−武器に関連性は、あまり見いだせないのですが。
立体マンダラはおそらくチベットで生み出されたもので、インドにはこのようなマンダラは作られませんでした。インドで確立し、チベットに伝えられたスタンダードなマンダラの形態をもとにしています。たしかに、本来立体的である「仏の世界」を平面化したものが、絵画のマンダラや砂マンダラなのですが、実際はもう少しややこしい関係にあります(授業ではこれをかなり単純化しています)。市販のマンダラ解説書などには、この「マンダラは仏の世界」という説明が必ず現れますが、「それなら本当の仏の世界はどういうものか」という問には答えていません。授業で繰り返したように、仏の世界はわれわれの認識を超越しているのですから、示すことができないはずです。立体的な構造を持つマンダラは、瞑想やヨーガなどを用いた特殊な宗教体験で認識されたでしょうが、そのイメージを客観的に他者に伝えることはほとんど不可能でしょう。そのため、マンダラという手がかりをもとに、それぞれが立体的に仏の世界を瞑想したのです。つまり、立体的な仏の世界とは、マンダラという平面的な図をもとにして作られているのであって、その逆ではないのです。それだからこそ、マンダラ固有の表現方法には、必然的な理由があるのです。このことは「マンダラとは仏の世界を平面化した」という説明とは正反対になります。金箆はたしかに独鈷杵に似ていて、独鈷杵の片方の先端を球形にしたような形です。インドでどのような形をしていたかは、遺品がないのでよくわかりません。文献では「へら」や「匙」という意味の単語が現れます。日本密教にとって密教法具は重要な請来品であったので、形態を変更したとは考えられず、インドにまでさかのぼる可能性は高いのですが。
「聖なるもの」って「俗なるもの」になるんですね。
授業ではその逆の「俗なるもの」が「聖なるもの」になるという話でした。人間や像が仏になることを、このようにとらえたのです。もちろん、その逆に「聖なるもの」が「俗なるもの」にもなります。「聖と俗」という対概念は、エリアーデをはじめ多くの宗教学者が宗教現象をとらえるために用いています。日本の民俗学では「ハレ」と「ケ」さらに「ケガレ」という概念もあります。「俗なるもの」が「聖なるもの」になることや、「俗なるもの」のなかに「聖なるもの」が現れることを、エリアーデは「聖性顕現」(ヒエロファニー)と呼んでいますが、これも重要な言葉です。
灌頂儀礼の流れの説明を聞いたときに、ふと小さいときに読んだ歴史マンガの1シーンなのですが、空海が目隠しをした状態で、投華得仏をしたところ、毎回、花がマンダラの中央の仏の位置に落ちて、まわりの僧が皆、驚いているシーンを思い出しました。このことは、それほど空海がすぐれた僧であったということを表していたのですね。
そのとおりで、真言宗の中では開祖弘法大師のエピソードの中でも重要なもののひとつです。「投華得仏」というのは、灌頂の中のはじめの方で行われますが、私自身、今ひとつこの儀礼の目的がわかりません。マンダラの中に花が落ちた位置にしたがい、自分の「本尊」が決まるということになるそうです。目隠しをして花を投げるという偶然的な方法で、自分に関係の深い仏が何であるかを知るということなのでしょう。マンダラに描かれた仏の世界と、この本尊を媒介にして関係を持つことになります。それならば、マンダラのはしっこの方の仏よりも、中央の大日如来の方がいいでしょう。マンダラの上に落ちない場合もあったようで、それを三回繰り返すと、資格はないということで、灌頂は中止になります。花を投げる弟子は目隠しをしていますし、それまでにマンダラのまわりを移動しているので、真ん中をねらっても、なかなかむずかしいようです。投げる花も、現在では「しきみ」という植物の葉を用いるので、ひらひらと落ちます。現在の真言宗では、マンダラのどこに落ちても、空海にならって、大日如来の上に落ちたということにするそうです。司馬遼太郎は『空海の風景』の中で、このことを「なんと姑息な」と非難していますが、本来、マンダラに描かれたすべての仏たちは、根源的な存在である中尊が姿を変えて現れたのですから、別に問題はないのですが。
マンダラの儀礼の構図で、弟子(仏像)となっていますが、弟子の場合の灌頂に、マンダラを使うのはわかりますが、仏像の完成式でどう使うのでしょう。
ほとんど同じように使います。つまり、弟子ではなく仏像をマンダラのかたわらに持ってきて、花をマンダラの中尊の上に置きます(投華得仏に相当)。そのあと、一連の灌頂(水を注ぐ等)を行います。仏像というのが人間の似姿をしているのですから、人間のように扱えばいいのです。仏像の完成式の場合、準備されるマンダラはその仏像が中尊になっているものや、もしそのようなマンダラがなければ、最も関係の深いマンダラです。仏像としてあらわれた仏が本来位置する世界がマンダラであることは、ここからもわかります。なお、完成式は仏像以外にも僧院や仏塔、あるいは経典、数珠のようなものでも行うようです。いずれも「聖なるもの」です。これらの場合、仏像の完成式とは異なるさまざまな例外規定があります。
マンダラはどの僧も作ることが許可されているのですか。マンダラを制作すること自体が儀礼であるということは、スライドで登場した数多くのマンダラも立体マンダラも、僧が儀礼の最中に作ったということですか。あれらのマンダラはすべて儀礼に使われたものだということですか。
インドの文献を見ても、とくに資格とかはないようです。現在のチベットの場合はよくわかりませんが、単純作業なので、むしろそれほど偉くない僧が携わっているのではないかと思います。立体マンダラや絵画のマンダラは、儀礼のために使われたわけではありません。礼拝のために用いられたり、僧が瞑想をするときの参考にされたりします。壁画のマンダラはもっぱら寺院の荘厳のためでしょう。初期の密教経典の中には、地面の上に壇を築いて作られるマンダラと、布などに描いたマンダラの両者があらわれます。儀礼のためのマンダラと、イコンとしてのマンダラが併存していたことがわかります。従来のマンダラの説明は、もっぱら後者にのみあてはまるものだったのです。
マンダラはそれだけで宇宙を表現している。宇宙といえば、いろいろな惑星がある空間を思い浮かべるが、ここでの宇宙とは仏たちの無限の世界を意味している。見たこともない精神世界を表現しようとすることは非常にむずかしいので、マンダラをはじめに描いた人の世界観を聞いてみたいと思った。
そうですね。宇宙や世界ということばは、われわれには地球とか天体とかを連想させますが、「自己と世界」という観念は、そのような知識がない時代にも当然あったはずです。宗教の場合、そこに仏のような絶対者や、われわれの周囲の世界とは異なる「聖なる空間」が登場することが重要となります。
ジニーの話を読んで、今の自分は自分で作り上げたものでなく、他人によって作られたんだなということを実感した。でも、よく考えたら、それは当たり前のことですね。生まれたばかりの赤んぼうは何もわからないから、まわりの人をまねして生きていくしかないので。
ジニーの話は言語学者や子どもの発達の研究者のあいだでは有名なようですが、私はプリントで紹介したBBCの番組ではじめて知りました。テレビでは映像もともなっていてさらに衝撃的でした。日本語でも紹介の本が出ていることを知り、これも入手して読みました(参考文献にあげてあります)。ジニーの話をふくむ前回の配付資料は、「生と死」をテーマにした連続講義を活字にしたものです。今回、続編を配布しますので、それも読んでみて下さい。
マンダラの中心の仏は灌頂の受者だということは、中心の仏は特定の仏ではないのですか。たしかまわりの仏には観音とか金剛手とか、特定の仏がいた気がするのですが。後、チベットでは砂マンダラを崩すけど、日本では敷マンダラを処分したりしないのですか。
日本の密教で重視されるマンダラは金剛界と胎蔵界の2種のマンダラで、いずれも大日如来を中尊とします。弟子はこのうちのひとつのマンダラを前にして、灌頂をうけます。弟子自身が大日如来と同一になります。2種のマンダラでは、大日如来の周囲の仏たちはまったく異なります。これは、それぞれのマンダラが成立した背景が異なるからです。チベットには100種類以上のマンダラがありますが、中尊も含め、仏たちの顔ぶれがそれぞれ異なります。ただし、まったく別のメンバーで作るのはたいへんなので、一部の仏は共通しています。敷マンダラは処分せず、じゅうたんのように巻いて保存します。平安時代の敷マンダラが現在でも残っているのはそのためです。
つまり、マンダラは「仏になったら、こんな世界が見えるんだよ」という図なのですね。
そのとおりです。それを確認する儀礼が灌頂です。
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