密教美術の世界

授業への質問・感想


記号、シンボル、イメージはよく知らない、わからない者にしか付けられないという話が逆説的?でおもしろいと思いました。でもたしかに、よく知っている人にはそういうものは付けられないです。シンボルばかりが前に出てきたということは、それぞれの仏の本質を人々が重視しなくなってきたということですか。
たしかに逆説的です。でも、みなさんにやってもらったように、日常生活でも同じようなことはよく経験します。観音や文殊が昔からの友人、人工的に作ったような仏たちが新しい知り合いに対応します。観音や文殊などはイメージが画一化されるまでに、時間がかかりますし、文殊で見たように、最後まで個性を維持しようとした作品もあります。イメージの画一化の理由や背景については、今回の授業やさらにマンダラを取り上げるところで考えてみたいと思いますが、必ずしもデメリットだけではありません。また、初期の仏教美術を以前取り上げましたが、そこで見られた「釈迦の象徴的表現」も、シンボルによる代替と見ることができます。聖なるイメージにおける形式化とも関連します。

矢田地蔵縁起みたいにカラフルなのがあって、なんか新鮮でした。いつも仏さんたちの白黒の姿ばかりなので、たまにはあんなのもよい。なんか力強い地獄絵だったから、吸い込まれそうでした。帝釈天がすごくかわいかったです。梵天もアヒルにのっててかわいんだけど、なんか私には帝釈天の方が愛らしく見えました。仏像見ていると、象って何回か見たことありますが、アヒルって全然出てこないんで、なんか奇妙な感じがします。動物に乗ってるのってなんか意味はあるんですか。観音坐像って女性ですか。なんかすごく色っぽくて、魅力的だと感じました。
地獄絵は日本の絵巻物や仏画などでひとつのジャンルを形成するほど、多くの作品があります。図書館の絵巻物関係の画集などでも、その代表的なものが見られます。授業でもお話ししたように、地獄絵というのは人間の「怖いもの見たさ」を直接刺激するので、根強い人気があります。また、これを描く画家にとっても、苦悶にあえぐ罪人や、それを責め苛む鬼たちなど、腕の見せどころでもあります。梵天と帝釈天は、今回の感想でも「かわいい」「すてき」など人気が集中していました。いずれも東寺の講堂に安置されている平安初期の傑作です(国宝)。同じ建物には、これも授業で紹介している降三世明王や不動明王などもあります。日本の密教美術のもっともすぐれた作品群であると同時に、空海がもたらした密教の世界に直接触れることのできる貴重な場所です。京都駅から歩いていけるところですので、機会があればぜひどうぞ。梵天や帝釈天が乗る動物については、授業の終わりの方で取り上げる予定です。観音は男の仏ですが、教科書にも書いたように、観音の女性化は歴史的な事実で、おそらく日本人のかなりは観音を女性と思っているでしょう。観音の代名詞である「慈悲」と結びつくのは女性のイメージなのです。

持物一覧で気づいたんですが、どくろを使うことに意味があるんでしょうか。おどろおどろしんですけど・・・。
持物一覧などの資料は、前回は時間がなかったので、今回紹介します。どくろを持物とする仏は日本にはほとんどいません。例外的に深沙(じんしゃ)大将という仏が、どくろをいくつかつなげて首飾りにしています(京博の「空海と高野山展」にも出ていました)。それはともかく、インドの後期の密教やチベットの仏教では、どくろを重要な持物やシンボルとする仏がたくさん登場するようになります。仏教的な解釈では「悟り」や「空」を表したりしますが、当然、「死」や「不浄」とも結びついています。しばしば、どくろを容器のように持ち、その中に血をあふれさせることさえあります。ヒンドゥー教でもカーリーと呼ばれる恐ろしい女神が、同じように血をどくろに入れ、さらにそれを飲んでいる姿で表されます。日本人には想像も付かない姿ですが、これもインドにおける「聖なるイメージ」なのです。

菩薩の個性を持ち物に限定したのは、中心の仏を際だたせるためなのでしょうか。東京での「空海と高野山展」の日程を教えて下さい。
中心の仏も同じようにイメージが画一化されていくので、そういうわけではないようです。また、このような画一化の問題は、以前取り上げた釈迦の八相図などでもあてはまります。それまでの時代の釈迦の生涯を描いた作品が、それらの場面をかなり忠実に描いているのに対して、密教の時代の八相図は、その場面を示し最小限の要素のみが釈迦のまわりに添えられているだけでした。しかも釈迦自身も、誕生の場面が子どもの姿をとる以外は、ほとんど変化のない姿をしています。これからの「空海と高野山展」の日程は次の通りです。休館日などはホームページなどで確認して下さい。
名古屋展:愛知県美術館  2003年10月10日〜11月24日
東京展: 東京国立博物館  2004年4月6日〜5月16日
和歌山展:和歌山県立博物館  2004年10月9日〜11月23日

インドと日本とで同じ密教を信仰しているのに、仏たちの世界のグループの分け方が異なるのは、どうしてだろうか。海を越えて伝来したことに関係するのだろうか。
たしかに日本に伝わった密教の起源はインドにありますが、そのすべてが伝わったわけではありません。おおざっぱにいって、インドの密教の3分の2は日本には伝わっていません。また、日本に伝わるまでにさまざまな地域を経由したことも考えましたが、そのことも仏たちの世界を変容させた理由です。とくに中国の存在は大きいでしょう。密教を受容した日本そのものにも、すでに固有の宗教や文化が存在したことも重要です。神道や民間信仰との習合はその顕著な例です。

授業の最初にあったパンテオンの説明がとてもわかりやすかったです。なぜ菩薩が多いのかという疑問が明らかになりました。菩薩自身が悟りを開く前に、まず衆生を悟りに導いてほしいだなんて、なんだか勝手というか、わがままな気がしました。またまたはっきりしないことがあるのですが、パンテオンとは「神々の世界」という意味で、その中に仏や菩薩といった位置づけがあるということは、ここでは「神」と「仏」はどのような関係によるのですか。仏も神の中にあるのですか。
大乗仏教は別名「菩薩の宗教」とでも呼び得るほど、菩薩が重要な存在になります。これを突き詰めていくと「誰でも菩薩」という状況となります。これは、寛大な考え方のように思えますが、見方を変えれば、菩薩とならないものの存在を認めないということになります。これをエスカレートさせれば、明王の説明のように、有無をいわさず異教徒を改宗させることということです。宗教とは「諸刃の剣」のようなもので、それによって心の平安や生きる喜びを得ることもできるのですが、かくのごとく、身勝手で恐ろしいものにもなります(現代社会を見ればよくわかります)。しかし、人間とは宗教を必要とする存在であるのもたしかです。パンテオンにおける「神と仏」ついては、「パンテオン」という言葉の意味は「神の世界」なのですが、その場合の神は「テオン」に対応する訳語で、「超越的存在」でも「聖なるもの」でも「神仏」でも何でもいいのです。宗教学的にそのような存在を「神」とよぶのが簡単だから使っています。仏も菩薩もその他のものも含まれますが、仏教のパンテオンにはヒンドゥー教起源の「神」も含まれるので混乱を招くようです。

なぜ、仏を大量生産したのですか。ひとつの仏に対する深い信仰が多数の仏への分散された信仰より強いはずです。大切なのは「教え」だから、仏の数は意味を持たない気がするのです。(人工的な気がしてきて信仰心をそいでしまうと思う。)それは人の信仰対象が「教え」そのものからずれていったことを示しているのでしょうか。
仏の数の増加とイメージの画一化に対しては、みなさんの感想でも否定的な意見が多かったようです。その是非はともかく、このような変化は歴史的にたしかに起こったのですから、「なぜそうならざるを得なかったのか」という問題を考える必要があります(学問ですから)。当時の仏教徒も、自分たちの信仰をわざわざそぐために仏を新たに作ったり、イメージをそろえたりはしなかったはずです。その意味で「大切なのは<教え>だから」という指摘は、重要だと思います。「教え」というのは仏教では「法」(ダルマ)ですが、まさにこの法が絶対的な存在になった背景に、仏の世界の広がりがあります。今回取り上げる仏教の宇宙観や、それを前提とする「神変」が重要となるのも、この「法」があるからです。教科書の第1章と第2章のテーマも、これに関係しますので、もう一度読んでみて下さい。

同じ仏像(たとえば釈迦像)を見分けるときには、印契や身体的特徴(頭髪、装飾)等の方法がありますが、見ていると同じ印契でも別の菩薩だったり、釈迦像もさまざまな印、様式を持つものがあります。仏像判断の決め手となるものは、各仏像に必ずあるのでしょうか。それとも総合的判断によるものもあるのですか。
仏像などの持つ身体的特徴や持物などは「図像学的特徴」と呼ばれることもあります。仏教美術に限らず、西洋のキリスト教美術や寓意画などは、イメージを構成するさまざまな要素が意味を持ち、全体がシステムを構築しています。密教美術の場合は、授業でもお話ししているように、個々の尊格の持つ特徴がかなり固定化していて、判断が容易です(これもイメージの画一化がもたらしたものです)。経典や儀軌などの文献に、このような図像学的特徴に関する情報が含まれていることも、一般的です。これに対し、大乗仏教以前の仏教美術は、必ずしも一定の特徴をつねにそなえているわけではなく、図像学的特徴以外の情報、たとえば宗派、制作年代、制作依頼者、地域なども、その像が何であるかの判断材料になります(密教美術の場合ももちろんあてはまりますが)。まわりの仏像、眷属、脇侍なども考慮に入れる必要があります。日本でもインドでも、密教関係の仏像はおおむね尊名比定(どの仏像であるか)が容易ですが、それ以前のものは研究者によっても意見が分かれることがしばしばあります。それだからこそ、研究する楽しみもあるのです。

菩薩の正式名称の菩提薩☆ということばは初耳でした。以前出てきた金剛薩☆にもある薩☆とは、本来何を表すことばなのですか。菩提樹ということばもサンスクリット語から作ったのでしょうか。そもそも菩提樹って実在する植物なのですか。少なくとも角間の山にはなさそうですが。(薩☆の☆は土へんに垂)
薩☆はサンスクリットでsattvaで、「ある」「存在する」を意味する動詞as(英語のbe動詞のようなもの)現在分詞satに、抽象名詞を作る接尾辞tvaを加えてできています。「存在するもの」「存在すること」という意味になりますが、仏教では一般に「衆生」(しゅじょう)つまり生きているものを指すことばとしてよく用いられます。菩提薩☆の前半の菩提は「悟り」を意味し、全体で「悟りを求めるもの」というニュアンスのようですが、そのほかにもさまざまな解釈があります。金剛薩☆の薩☆も同じことばで、こちらは「菩提」を密教の重要な用語である「金剛」に置き換えて、人工的に作った名称です。菩提樹はサンスクリットでもbodhivィkァaという名称があり、そのまま「菩提の木」という意味です。シューベルトの歌曲で有名な「菩提樹」も同じ種類の樹木なのですが、ヨーロッパとインドでは少し違うそうで、植物学の方ではインドの方を「インド菩提樹」と読んで区別するそうです。本家が名称をとられてしまったようなものです。角間にあるかどうかはわかりません。

交通安全のお守りに「不動尊」って書かれたお守りをよく見るんですけど、不動と交通安全とどう関係あるんでしょうか。
不動を祀る寺院は真言宗つまり日本の密教系の宗派の寺院であることがほとんどですが、このような寺院では人々を災厄から守るさまざまな儀式が行われます。これらは「加持祈祷」(かじきとう)と呼ばれ、古くは平安貴族や皇族のためにもっぱら行われていました。無病息災、病気治癒などはこのような加持祈祷のもっとも一般的な願文で、現在であれば交通安全もその中に含まれます。東京の方では成田山のお守りなどがよく出回っていますが、成田山は新勝寺というお寺で、真言宗智山派に属します。金沢とその周辺では市内の伏見寺、富山との県境に近い倶利伽羅峠の不動寺、加賀温泉の那谷寺などが真言宗の名刹です。


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