密教美術の世界

授業への質問・感想

ブッダの肖像が描かれない理由の説明として、好きな人の例で考えたとき、何となくインドの人々の気持ちが分かった気がした。
釈迦を人間の形(いわゆる仏像)として表現しないことは、インドの仏教美術の重要な点であり、宗教美術一般を考えるためにも示唆に富むので、私の授業ではよく強調します。いつもいろいろ説明の仕方を考えるのですが、ポイントは自分の身近なものに結びつけて考えられるかどうかということではないかと思っています。前回のたとえは、当時の仏教徒が釈迦のような「聖なる者」を、単なる歴史上の人物としてではなく、「他の誰よりも大切な存在」としてとらえていたということです。ちょうど、肉親や恋人のようなものなものです。そのような人を絵や彫刻で表現しなさいといわれたならば、どんなにリアルに表現しようとしてもつねに不満が残るでしょうし、それは対象に対する思いが強ければ強いほど顕著なはずです。その一方で、そのような人物と密接に関わるもの(授業では恋人からのプレゼントを例としました)から、その人物の思い出や存在を強く感じることがあります。亡くなった人の形見などもそうでしょう。象徴とかシンボルというとむずかしいもののような気がしますが、このようなものと理解してください。釈迦の場合は、法輪や菩提樹がそれにあたります。いずれも釈迦が説いた教えや悟りと密接な関係を持つものです(法輪については授業でも触れました)。このような象徴的なものの対極のリアルなものの例として写真を出しましたが、これは混乱を招いたかもしれません。写真は絵よりも一般的に写実的と考えられているから出したのですが、必ずしもそうではないからです。写真を見て実際の被写体とずいぶん印象が異なることを感じることも、よくあります。別の見方をすれば、われわれにとっての印象や理想像は、現実の姿を直接表したものではなく、自分の中で特定のフィルターを通したものなのです。なお、宗教的な信仰心を恋愛感情にたとえたのは、単にわかりやすいようにというだけではなく、いろいろな宗教で実際に見られるからです。キリスト教におけるイエスへの信仰や、インドでも特定のヒンドゥー教の神への信仰は、しばしば男女のあいだの恋愛感情(とくに男性に対する女性のそれ)にたとえられます。

三十二相には他にどんなことがあげられるのですか。
三十二相は仏教美術の基本であるばかりでなく、内容的にもとてもおもしろいものです。髪の毛の螺髪(らほつ)、眉間にある白毫相(びゃくごうそう)、頭のてっぺんにある頂髻相(ちょうけいそう)、指の間にある水掻きである鬘網相(まんもうそう)、髪の生え際まで舌が届く長舌相(ちょうぜつそう)などがあります。資料を添付したので見ておいてください。なお、このような超人的な人体表現も、象徴的な表現とは違った「聖なるもの」の表現と見ることができます。これも卑近なたとえですが、昔の少女マンガで(今もそうかもしれませんが)、主人公の瞳の中に星があったり、背景に花が描かれたりするのと同じ発想です。

聖なるものを直接人の姿で表さないと言うことの心理が何となくわかりました。よく出土する勾玉や鏡が、神道のシンボルだということをはじめて知って、驚きました。
すべての勾玉や鏡が聖なるものを表しているわけではないと思いますが、全くの実用的なものであったとも言えないでしょう。勾玉を装身具として身につければ、何らかの呪術的な機能が込められていたでしょうし、鏡も同様です。その中で「三種の神器」のようなご神体となるものが現れたのです。神道のシンボルというより、神道に代表される日本人の宗教において、特定の意味を持つものの代表的なものです。このように、特定の「もの」に何らかの宗教的な意味を読みとる(あるいは与える)のは、人間の本性のようなもので、洋の東西を問わず、また古代でも現代でもかわらないようです。宗教というと、オウムや最近の「白装束の集団」のようなものをイメージするので、「宗教とはうさんくさいものだ」と思われがちですが、もともと人間というのがうさんくさいもの(非合理的な存在)なのです。

釈迦が白い象に姿を変えて乗り移る「托胎霊夢」の彫刻があったが、なぜ白なのか、何か色に意味があるのですか。また、なぜ象なのですか。インドは象というイメージがあるのですが、それはインドと仏教が深くかかわっていて、仏教と象もまた深くかかわっているからですか。(森注:他にも象が気になるという質問が多数ありました)
なぜ仏教が象と深くかかわっているかはよくわかりませんが、一般にインドでは象は神聖な動物にあげられます。古くはマウリヤ朝のアショーカ王の石柱に、聖なる動物のひとつとして、ライオンやグリフォン(有翼の獅子)などともに刻まれています。象が釈迦の伝記や前世の物語に登場することも多く、授業で紹介する酔象調伏や、前世の物語(ジャータカといいます)の中でも人気の高い「六牙象本生」などがあります。比較的身近にいる巨大な動物が、神聖視されるのは自然なことのようにも思います。日本にもし象がいたら、やはり神聖なものとなったのではないでしょうか。アイヌの人々も熊をそのように扱っていますし、「神様の使い」のような動物は、世界中でいろいろいると思います。白についても決定的な理由はわかりません。また「白は神聖さを表す」というような普遍化も、いささか乱暴でしょう。しかし、日本でも白い蛇を神聖視したり、いろいろな地域で白いライオンや虎のような白い動物が物語の主人公になったりすることを考えると、ある程度の広がりがあるようです。医学的には「アルビノ」というようですが、稀少なことと白という色そのものが、理由として考えられます。

結局、ガンダーラとは何なのですか。
ガンダーラとは地名です。インド西北部で、現在のパキスタンを中心に、インドやアフガニスタンにも一部重なります。紀元前後頃から仏教の造像活動が始まり、仏像が誕生したところとして有名です。授業でも紹介したように、ギリシャやローマ世界などのヘレニズム的な雰囲気をそなえた仏像が特徴です。
宮治 昭 1996 『ガンダーラ 仏の不思議』講談社。

ナーガールジュナって人いますよね。地名と何か関係あるのですか。釈迦の骨って本物なんですか。インドの女性像ってすごく色っぽい。というか像がみんなスタイルがいいなと思いました。
はじめのナーガールジュナは、日本では龍樹とよばれるインド仏教の高僧です。大乗仏教の基本的な観念である「空(くう)の思想」を理論化、体系化した人物で、インド思想史上でも最重要人物の一人です。地名のナーガールジュナコンダは、この人物名に関係があると昔から言われていますが、ここが出身地であったとか活躍したという決定的な証拠は残っていません。一般に南インドが龍樹の活動領域だったようなので、実際に関係があったのかもしれません。釈迦の骨については、具体的にどれを指しているかわかりませんが、本物かもしれませんし、本物ではないかもしれません。伝説では釈迦が涅槃に入ったあと、荼毘に付してその遺骨を8つに分けて仏塔を建立したと言われています。したがって、釈迦の骨が存在したことはたしかなのですが、現在、舎利(しゃり、釈迦の遺骨のことです)と言われているものが、本物かニセモノかは、科学的なレベルで判断できるかもしれませんが、信仰のレベルではほとんど意味がないでしょう。それよりも、舎利に対する信仰は、「もうひとつの仏教史」とでも呼ぶことができる興味深いものです。たとえば、ある時期のインドから中国への輸出品(!)には、この舎利がたくさんあったことが伝えられていますし、日本では、平安時代、世の中が豊かなときには、舎利が自然に増えるという信仰もありました。舎利と仏塔の関係については、仏塔のところで取り上げる予定です。最後の女性についてのコメントは、まったくそのとおりです。日本の仏像で豊満な女性像というのはあまり見ませんが(ないわけではないのですが)、仏教の女尊を含め、一般にインドの女神像は豊満な肉体表現を取ります。胸や臀部が強調されたり、逆に腰が極端にくびれています。身に付けている服装も肌に密着したものが多く、体の線がさらに強調されています。性的なイメージをふくめ女性美をどのように表現するかも、文化的な背景に大きく依存しています。

お釈迦様って人から生まれたのですか。人間は仏陀になれるの?右の脇から生まれたのは、やっぱり人間と同じ生まれ方はタブーだから?
釈迦の母は摩耶夫人(まやぶにん)で、父は浄飯王(じょうぼんのう)といいます。摩耶夫人が釈迦を宿したのは、授業でも紹介したように、兜卒天(とそつてん)から白い象となった釈迦が降下して、右脇から入ったからと言われます。キリストと処女懐胎のマリアとの関係に少し似ていますね。なぜ右脇であるかはいろいろ解釈がありますが、よくわかりません。キリスト教やギリシャ世界で、同じような神話や伝説があることを指摘する研究者もいます。タブーというよりは、積極的な神話化と見られますが、古い時代の文献からこのエピソードは見られますから、かなり早くから、そう信じられていたようです。なお、キリスト教世界におけるマリア信仰のように、仏教での摩耶夫人信仰もあります。そのような意味では摩耶夫人もただの人ではありませんね。

仏像をたくさん作る仏教と、偶像崇拝を禁止するイスラムでは、根本的に何が違うのですか。
仏教とイスラム教との間では、教理、思想、儀礼、聖典、神々の体系、信仰している人と地域などなど、あらゆるものが違います。しかし、授業でも説明したように、仏像を量産する仏教と、偶像崇拝を禁止するイスラムとは、一見すると正反対のような感じですが、いかにして「聖なるもの」を表現するかという点では、同じように努力をしています。それぞれの宗教の持つ特異性とともに、あらゆる宗教に見られる普遍性を扱うのが宗教学です。そのためには柔軟な思考法が必要です。なお、インドといえば仏教というのが日本人の固定観念ですが、現在のインドには仏教徒はほとんどいません。その一方で、ヒンドゥー教に次ぐ人口を占めるのがイスラム教徒です。中世のムガール帝国以来、イギリスの植民地統治まで、インドで支配者として君臨してきたのも彼らイスラム教徒でした。

同じ神様の中にも、一般市民用みたいな下級神とかあるんですね。そうゆうのって最初に作られたときから、一般市民用だったんですか。顔がなかったり、顔だけの仏像がありますが、それはなぜなんですか。
ヤクシャや樹神、ナーガ(龍)のようなものが下級神に相当しますが、これらは古くからインドの人々に信仰されてきた「聖なるもの」です。仏教が登場したというのは、その上にかぶさったようなものなのです。仏塔などの初期の仏教美術で、このような下級神がたくさん表されているのは、仏塔を造ったり、信仰していた人々にとって、最も身近な信仰の対象だったからです。一般市民用、僧侶用というような使い分けがあったわけではなく、人々の信仰体系が重層的だったと見るべきでしょう。これは、別にインドに限ったことではなく、日本でも仏教、神道、民俗的な宗教(ムラの習慣)などが重なって存在しています。顔がない仏像は、意図的に破壊されたものも、自然に壊れたものもあると思います。意図的なものはイスラム教徒によるものが有名です(最近でもバーミヤンの大仏がありました)。首や腕は折れやすいので、保存状況がよくないと、たいてい最初に壊れるところです。

初期のインドの仏教では、釈迦を人ではなくてものにたとえるということで、木にたとえてあったりしたけれど、木にたとえられているのは何か意味があるのかと思った。木は神聖なものだったのでしょうか。
樹木崇拝は世界的に見られますが、インドでも古くからあり、現在でもインドに行くと多くの聖樹を見ることができます。釈迦の人生の中で重要な事件が起きたときには、しばしば樹木が登場します。誕生の時に摩耶夫人は無憂樹という木に左手でつかまりますし、悟りを開いたときは菩提樹、涅槃の時には沙羅双樹(『平家物語』の冒頭で有名)が舞台になります。これは単なる偶然ではなく、樹木信仰と当時の仏教が密接な関係にあったことを示すと考えられています。

洋の東西を問わず、聖なる存在は光背(光輪?後光?)を持つというイメージがあるようだが、なぜだろうか。(太陽のイメージを持つということだろうか)
たしかに光は聖なる存在と密接に結びついています。宗教以外でも「威光」とか「栄光」のように偉人や高貴な人物とも関連します。また、後光があるのは仏の身体の色が金色で光を放っているからで、このことは仏の身体的特徴(金色相<こんじきそう>といいます)のひとつとしてもあげられています。宗教図像の場合、さらに光は霊的、神的なものの表現としてしばしば見られます。これはおそらく、神秘体験や宗教体験がしばしば光をともなうことにも関係すると思います。ヨーガや瞑想などで、理想的な境地に到達すると、一種の「光」を体験するようです。悟りと光は密接な関係を持っているのです。われわれにとっての光は「明るい」「暖かい」といった程度のものかもしれませんが、闇に覆われていた近代以前の人々にとって、光はもっと切実なもの、不思議なものだったはずです。また、光は聖なるものとの媒体ともなります。われわれは仏像やイコンなどの聖なるイメージを見るときには、光がかならず必要です(暗闇では見られませんから)。古代や中世の人々が教会や伽藍でこれらのイメージを見るときに、そこに介在する光は聖なるイメージそのものが放つエネルギーのように感じられたかもしれません。宗教美術を考える上で、光はさまざまな問題をはらんでいるようです。

「大乗仏教」と「小乗仏教」の大と小は何が大小なのですか。何も知らなくてすみません。これから徐々にわかっていきたいです。
質問の内容はどんなに基本的なことでもかまいませんので、気にしないで記入して下さい。さて、仏教とは悟りを獲得するための教えです。悟った人が仏陀なので、仏陀になることを目的とする宗教ということができます。われわれと仏陀の間に物理的な距離が設定し、そこに至るための「乗り物」の大きさが、大乗仏教と小乗仏教の大小です。悟りの世界に到達する乗り物(手段)が、大乗はとても大きいということです。ただし、この名前からわかるように、小乗よりも大乗の方がいいにきまっています。これは、「小乗」という呼び名が「大乗」の側から付けられた一方的なものだからです。実際に「小乗仏教」と一般的に呼ばれるものは、「上座部仏教」と呼ぶべきもので、現在、スリランカや東南アジアでおもに信仰されています。ところで、大乗仏教な立場からは、小乗仏教は自己中心的な宗教のようにとらえられますが、実際はそれほど単純ではありません。大乗仏教では誰もが「菩薩」(ぼさつ)になって、悟りを得ることができるとしますが、そのかわり、菩薩の修行期間をとても長く設定します。その一方で、上座部仏教では悟りを開く(阿羅漢になるといいます)ことは、ごく限られた人だけですが、大乗仏教のように長期の修行期間を必要としません。また、それ以外の人、たとえば在家の人は悟る可能性がないのかといえば、現世では布施などで功徳を積んで、来世でそのようなエリートとして生まれ変わることでそれを可能にします。自己中心的なだけの宗教が二千年以上も生き続けることはできないのです。
 以下の文章は、別の授業で密教、大乗仏教、小乗仏教の関係を説明するために使ったものです。参考までにあげておきます。

◎密教は伝統的な仏教とどのような関係にあるのか
 一般に密教は大乗仏教の中から生まれた(あるいは変質した)といわれるのですが、必ずしもそれだけではありません。仏教を含めほとんどの宗教は教えと実践という二つの要素を持っています。教え(教理)の面からは、密教は大乗仏教の直接の後継者であり、むしろ特別な発展をもたらすことはほとんどありませんでした。問題はもう一方の実践面です。大乗仏教にとっての理想的な実践をあらわすことばに「自利利他円満」があります。自分自身の知的なレベルの向上と、他者への働きかけ、具体的には慈悲による救済がともにそなわることによって、はじめて悟りが可能になるということです。「上求菩提、下化衆生」と言った場合も同様です。これは悟りを求める努力と、衆生つまり一般大衆を救済する慈悲を表すことばで、菩薩がなすべきこととしてあげられます。上と下という方向を表すことばが含まれているのも、このような菩薩の持つ二面性をよく表しています。
 菩薩そのものの説明もしていなかったので、補っておきますと、悟りを開くために(つまり仏となるために)努力するものを意味し、本来は悟るまでの釈迦を指していましたが、大乗仏教ではそのような努力をするあらゆる仏教徒が菩薩とみなされます。「誰でも菩薩」というのが大乗仏教のテーゼなのです。そして、すでに述べたような「他者への働きかけ」が、従来の仏教(つまり初期仏教や上座部仏教など)よりもはるかに重視されました。このような実践はきわめて長い時間を必要とするものでした。三阿僧祇劫(さんあそうぎこう)と呼ばれる無限に近い時間、菩薩の実践を行わなければ悟ることができないともよく言われます。極端な場合、理想の菩薩は他の人々がすべて悟りを開くまで、自分自身は悟りをあえて開かないのだという経典もあります。誰でも菩薩になることはできても、その次の仏になるのはほとんど絶望的な状況を大乗仏教は設定しているのです。その背景には仏の絶対性や超越性を押し進められた仏陀観の変化もあります。
 これに対し、初期の仏教経典は、釈迦から直接教えを聞いた者たちが、釈迦と同じ悟りを開いたことをしばしば伝えています。上座部仏教の場合、釈迦と同じではありませんが、それにきわめて近い阿羅漢(あらかん)という存在になることは可能としています。そのためには戒律の遵守や高度な瞑想、きびしい修行などが必要ですし、誰でもそれができるというわけではありません。しかし、大乗仏教のように、ゴールが見えない世界とは違うのです。このような枠組みの中で密教の実践を考えた場合、選ばれた者のみが瞑想やヨーガなどの神秘体験を通して、現世で悟りを開くことができる(即身成仏)というのは、救済の形式としては大乗仏教よりも伝統的な(あるいは保守的な)仏教に近いのです。見方によっては、密教は大乗仏教の枠組みを逸脱し、近道を見つけたようなものかもしれません。ちなみに、同じ大乗仏教の枠組みを別の方法で壊したのが、浄土教です。仏の絶対性を究極にまで高め、その慈悲のみによって衆生が救済されるという考え方をします。絶対他力という言い方もしますが、大乗仏教一般から見れば、一種の「開き直り」にも見えます。これにあわせて密教をとらえれば「おきて破り」とでも言えるでしょうか。いずれにせよ、宗教の実践に見られる二方向性、つまり自己自身への努力と、他者への働きかけは、仏教の修道論や救済論を考える上できわめて有効な枠組みとなるのではないかと思います。


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