密教美術の世界
授業への質問・感想
釈迦は一人、仏は多数の不思議。また、多数の仏はそれぞれ何を象徴しているのだろうか。
仏教の釈迦が開いた宗教ですが、釈迦以外にも仏がいたという考え方は、かなり古くからあります。インドの仏教史を見ると、一人、もしくは少数の仏から、多数の仏へという流れが認められます。それと同時に、釈迦の超人化や神話化も見られます。なぜ仏が多数必要であったかは、仏教の救済思想や世界観とも結びつく問題で、「仏陀観」と呼ばれることもあります。教科書の第1章はこの問題をあつかっています。とりあえず、てはじめに読んでみて下さい。仏の種類と多様性については、仏教のパンテオンを取り上げるときにお話しするつもりです。
簡単ですが、なぜ不動明王は普通なのですか?あと、なんでインド(本場)には不動明王像がないのですか。
授業でお見せしたように、不動が属する明王のグループには降三世明王や大威徳明王、愛染明王のようなものがいますが、いずれも多面多臂(つまりたくさんの顔や手)を有しています。不動明王はその中において、手や顔の数は普通の人間と同じで、その意味で「普通」と言ったのです。ただし、不動明王のイメージそのものが人間と同じであるとまでは言えず、たとえば、頭の上にハスの花を載せていたり(頂蓮相と言います)、目が左右で上下別の方向を向いていたり、口から牙を出しているなど、細部にはさまざまな特徴があります。不動明王は日本では絶大な信仰を集めています。各地に「〜不動」とよばれる有名な不動がありますし、不動にちなんだ縁日や祭礼がよく行われます。日本密教では大日如来と同一視されたことも、この仏の重要性を高めた理由です(細かい背景は省略します)。それに対し、インドでは不動に対する信仰はあまりさかんではなかったようで、作例の少なさ(現在、2、3例のみ)はそれに比例するようです。
マンダラはどのように使われていたのかということ。
マンダラについては2回分の授業を予定しているので、そこでじっくりお話しするつもりです。簡単に言うならば、礼拝や供養のような一般の仏像(仏画)と同じ目的以外に、儀礼の道具、瞑想の対象、仏教世界観の表象などの機能があります。
やっぱりインドにある仏像と日本にある仏像はどこかしら似ており、伝わってきたのがわかる。地図上で見るととても遠いのに、仏像を見る分では近く、すごいことだと思う。高校の日本史の授業等で覚えたのは日本のものばかりで、インドの似たもの、違うものが見れて(森による注・ら抜き言葉ではなく「見られて」にしましょう)おもしろかった。
日本の仏像の原型がインドにあり、両者がとてもよく似ていることを知ってもらうのが、この授業のねらいのひとつです。日本とインドのあいだには数千?の距離があるのですから、このことは奇跡といってもいいぐらいです。見方を変えれば、仏像の形を正確に伝えることは、それを伝える人々にとってきわめて重要なことだったのでしょう。経典などの形で仏教の教えを伝えることも同様ですが、これこそ宗教の持つ力です(方向をまちがえるととても危険です)。これからいろいろな作品を紹介するので、似ているところや違うところ、あるいはイメージ全体から受ける印象などを、自分の目でよく確認して下さい。
まず密教という意味が分からないです。密かな宗教かと思ったけど、有名な感じがしたので、本当の意味を知りたいです。
密教とは5、6世紀以降のインドで現れた仏教の一形態です。中国、東南アジア、ネパール、チベットなどに伝播しました。日本には平安時代の初期に空海や最澄に代表される「入唐僧」(にっとうそう)たちによってもたらされました。現在でもその伝統は生きていますし、チベットやネパールの仏教は密教の要素がかなり濃厚です。「密教」という言葉に相当するインドの原語は実はありません。日本の真言宗や天台宗の中で用いられ始めた言葉で、大乗仏教までの仏教を「顕教」と呼び、これよりも優れた教えで、しかも選ばれた者以外には秘密にされているという意図で付けられたものです。インド仏教の歴史を簡単にまとめれば、釈迦の時代を含む初期仏教(あるいは原始仏教)、部派仏教、大乗仏教、密教ということになります。インド仏教の最終的な形態が密教です。ただし、その時代も大乗仏教やいわゆる小乗仏教もありますので、段階的に変化したというわけではありません。また、密教の修行をすることが許されたのは、大乗仏教の修行階梯を終え、特別な能力(とくに実践における霊的な能力)をそなえたものだけといわれています。その特徴として、次のようなものをあげることができます。
・瞑想やヨーガによる神秘体験を悟りととらえる
・教理的には大乗仏教を継承、とくに空思想と如来蔵思想に基礎を置く
・複雑な儀礼体系をヒンドゥー教と共有
・壮大な神々の世界と精緻な図像学を保持
密教はインドの宗教全体から見ると、中世以降、流行したタントリズムと呼ばれる宗教形態と、さまざまな点で共通しています。タントリズムの特徴として、ある研究者は次の5点をあげています。?現世拒否的態度の緩和 ?儀礼中心主義の復活 ?シンボルとその意味機能の重視 ?究極的なもの、あるいは「聖なるもの」に関する教説 ?究極的なものを直証する実践(立川武蔵 1992 『はじめてのインド哲学』講談社、pp.173-4)。よくわからないと思いますが、授業でも機会を見つけてお話しします。
オリッサ、ウダヤギリ遺跡発掘現場のスライドを見て、とてもきれいにレンガで寺院が造られていることに驚きました。ずいぶん昔の時代なのに、こんなにもきれいに作ることができる技術があったことはとてもすごいことだと思います。また、日本では仏像はお寺の中にあるというイメージだったので、外に仏像があったことには驚きました。
がっかりさせて申し訳ないのですが、ウダヤギリのレンガ積みの建造物は、最近の復元です。発掘現場では遺構のみが確認でき、それにあわせて、新しいレンガを積んでいるようです。インドの遺跡にはよくあることで、困ったことなのですが、どこまでがオリジナルで、どこからが復元かがわからなくなります。それはともかく、おそらく往年はレンガや石でできた壮麗な僧院があったはずです。巨大建造物は宗教的なものばかりでなく、社会的、政治的な威信を誇示することとも結びつくので、世界各地で古代から作られています(宗教が政治と結びつくのも一般的でした)。このような巨大建造物を作る技術は、古い時代からよく発達しています。インドの場合、インダス文明で知られるハラッパーやモヘンジョダロに、高度な都市文明があったようです。いまから五千年ぐらい前の話です。制作年代は下りますが、壮大なヒンドゥー教寺院が現在でも多数残されています。実際にその前に立ち、中に入ると、圧倒されます。
仏や如来や菩薩などの写真を見ても、その違いがまだよくわからないので、今後よく勉強したい。また、仏像の持つ意味や、時代背景なども含めて、見ることができるようになりたい。仏像を見て大日だとかがわかるのはなぜか、何を理由に区別するのかが知りたい。
はじめの頃は、どの仏像も同じように見えるはずです。しばらくすると、仏と菩薩、明王、女尊などのグループの区別が付くようになります。同じスライドも何度もお見せすると思うので、だんだんイメージが定着していくでしょう。時代によって違いますが、密教の場合、身体的特徴、持物、装身具、付随物(乗り物や光背など)によって、どの仏であるかが判断されます。このような特徴を図像学的特徴といいます。教科書でも主要な仏については、その都度説明をしているので、挿図の写真なども見ながら、確認して下さい。特定の作品が何を表しているか決めることを「比定」とか「同定」といい、英語でidentificationといいます。
仏像の頭の肉のボコボコと、でっぱりは何の目的で作ってあるのですか。なぜ同じ大日如来坐像で、日本にあるのは顔一個なのに、外国のは顔四つあったりするんですか。釈迦の苦行像はとてもリアルに造られていますが、あれは実際にその釈迦の姿を見た人とかいるんですか。
頭のボコボコは仏頂(ぶっちょう)とか、肉髻(にっけい)と言い、釈迦を含む仏像の身体的特徴のひとつです。このような特徴に32あり、「三十二相」と言います。これについては授業で紹介します。大日如来の顔が四つあるのは、この仏が登場する経典に「あらゆる方角に顔を向けた」という記述があるからです。チベットでは四面の大日の他に、四体の大日如来を背中合わせにおいて、全体で一尊とする作品もあります。その方が頭でっかちにならずにすみます。釈迦の苦行像はリアリズムを追求した仏像のよい例ですが、もちろん、本当に釈迦を見て、それをモデルに作ったはずはありません。制作年代は釈迦の時代から数百年あとです。ところで、仏像のような宗教図像は、対象をリアルに表現することだけを理想としたわけではありません。むしろ、定型化、形式化することの方が、宗教美術としては一般的です。
仏像に対する知識はあまりないのですが、日本の仏像は時代ごとに見た目とか作りの様子が異なっていたけど(乾漆像や寄木造りなど)、インドの仏像にはそういうことはあるのですか。インドの仏像が同じ仏でも違う様をしているのは、それぞれの意図やイメージが異なるためだという説明を聞いて、なるほどそういう意味があるのか・・・と思いました。また、国境を越えても仏のイメージがそのまま伝えられているのもすごいと思いました。手や足が複数なのは、それぞれ数などに意味はあるのかとか、仏と一緒にあるハスの花やライオン、水牛の意味も知りたいと思いました。女性の仏像もあるのは驚きました。
インドでも仏像の素材は地域や時代でさまざまですが、石を用いたものと、金属製のものが多いようです。木製の仏像もあったようですが、ほとんど現存していません。様式にも同様に変化があります。これについては今回の授業で代表的な作品を紹介します。仏像の持つさまざまな意味や制作者の意図については、授業の一貫したテーマとして、いろいろ考えていきたいと思います。その一部については、教科書でも取り上げていますので、読んでみましょう。
日本の仏は比較的すっきりしていて、どの仏像も同じ種類ならば似たような感じだけど、インドやチベットなどの仏像や壁画は、とても鮮やかだったり、装飾品だらけのものや、逆にとてもみすぼらしいものがあったりと、個性豊かだと思った。やはりこのような美術にはお国柄が反映されるのだと思った。なぜ女性の仏は日本に伝わらなかったのか不思議だった。
たしかに日本の仏像は、インドやチベットのものに比べると、画一的で地味な感じです(それが「日本的」でいいのですが)。色彩感覚は人種や民族で大きく異なるようで、普通の日本人はチベットの仏画などを見ると、その派手さ(毒々しいとかけばけばしいという印象)に耐えられないようです。ただし、平安時代に中国から伝わった密教美術は、そのようなものにも通じる強烈な色彩感覚があって、おそらく当時の日本人は圧倒されたはずです。仏像などは現存していても褪色が進んでいますが、マンダラなどの仏画にそのような「非日本的な」色づかいを見ることができます。女性の仏は日本にも伝わっていますが、女性であることがわからなくなっていたりします。また、観音のように本来は男性の仏であったものが、中国や日本では女性のイメージとしばしば結びついたものもいます。
顔や手が多いのが謎です。ヒンドゥー教のシヴァ神も手が多かったような気がするんですけど。
多面多臂に驚いたり、それが何を表すのか疑問に思った人が多かったようです。理由や意味については、授業の中でおいおい話していきます。ヒンドゥー教の神のイメージをお持ちのようで、たしかに、このような特徴はシヴァをはじめとするヒンドゥー教の神々にも見られます。仏教とヒンドゥー教の神々の交渉については、授業全体の終わりの方(たぶん7月頃)で取り上げます。
私は弥勒菩薩が好きでした。「リン」としたすがすがしいきれいさを持っていて、手を顎に当てている、その手の細さがかっこよかったです。こわい顔の仏があってびっくりしました。仏は優しいものだと思ってました。いろいろ見ることができて楽しかったです。
広隆寺の弥勒菩薩は日本人の理想の仏像のひとつでしょう。多くの人が日本の仏像の代表例として思い浮かべるようです。しかし、最近の研究では、この作品は日本ではなく、朝鮮半島で作られたというのが有力なようです。同じ形式の弥勒像が、何例か韓国に残されています。また、右足を左足に載せ、そこに右ひじをついて物思いに耽るポーズは、「半跏思惟」といいますが、この形式も中国から朝鮮半島を経由して日本に伝えられたものです。意外なことにインドの弥勒像にこの半跏思惟像は一例もありません。このように、同じ仏でありながら、イメージが異なることも、仏教美術のおもしろいところです。
インドの像が日本のに比べて腰(体)が細いのが気になった。仏が目をつぶっているのはなぜか。
前回お見せしたスライドの仏は、パーラ朝という時代のものが多いのですが、このころはご指摘のように体の線が細い仏像が好まれたようです。それ以前の時代には腰回りの太い、もっとどっしりとした仏像もあります。また、目の表現方法も時代によって違い、目をぱっちりと開けた仏像もインドにはあります。仏像の身体表現に着目されたのはなかなかいいことです。時代や地域、あるいは仏の種類によってどのような違いがあるのか、注意して見ていって下さい。
宝冠仏は装飾品を付けているが菩薩ではないのか。大日如来は如来であっても装身具を身につけていることが多いように思うが、それはなぜか。
たしかに一般に装身具を付け、豪華な衣装をまとっているのは菩薩の特徴ですが、密教の時代には、このような菩薩のような姿をした如来像が出現しました。その代表的なのが大日如来です。これについては教科書の第一章で詳しく取り上げていますから、読んでみましょう。
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