密教美術の世界

第12回 エピローグ

*前回の出席カードのコメントは、最後の回ということもあって、これまでの授業全体についての感想が多く見られました。今回は記入していただいた分はすべて掲載しました。質問も一部ありましたので、それについては簡単にコメントしましたが、感想はそのまま掲載して、私の回答はあまり付けず、最後に簡単なまとめをしておきました。

先生が授業の最後にして下さった「解釈から事実が見えることがある」というお話がすごく印象的でした。深いです。今まで授業を受けていると、先生はこの研究が好きで好きでたまらないんだということが伝わってきます。

やっぱり多神教はいい。一神教の宗教よりリベラルで寛容で人間くさいところがいい。

乗るものと乗られるものの関係には敵対かとは思ったが、敵対はまれであるということで非常にオドロキ。

彫刻も美しくてきれいなのですが、時々出てくる絵画にも興味があります。色がすごくきれいだと思います。

曼荼羅に対する興味が深まった。この授業をとってよかった。ありがとうございました。

この講義をとるまでヒンドゥー教の神と仏教の神がまったく別々に分けられているのだと思っていた。神話とか好きだし、こんなにお互い影響しあっているとは思っていなかった。講義が終わってしまっても、いろんな本(仏教やヒンドゥー教)を読んで、もっといろいろ知りたいと思った。

この講義で先生が毎回作って下さる質問へのプリントがたいへんよかったと思います。授業で分からなかった点を答えてもらえるし、とくにあのプリントに自分の感想が載ったときがとてもうれしかったです。

毎週この授業は楽しみでした。終わってしまって残念です。このような世界をもっと深く見てみたいと思いました。

踏みつけられる神やマンダラの外側の神々が協力関係やそれ以上にあったことは知らなかった。宗教の見方が広がったかもしれない。

膨大なマンダラ、仏教美術、神話や仏伝の登場人物に接し、圧倒されっぱなしの講義でした。理解できなかったことも正直多いのですが、この分野に対する親しみがかなり増したような気がします。

仏教って案外「新興」宗教なんだ。貪欲に他教の神々も取り込んでいって、「うちにもそういう凄い神はいますよ」といった姿勢が感じられる。つまり、何が何でもいろんなものを無理に呑み込んででも、勢力を拡大しようという姿勢が。思えばオウムとかの宗教も、無理やり仏教思想をこじつけてハルマゲドンとか言ってたし、新しいフィールドに新興宗教が乗り込んでいくとき、既存の宗教の勢力を借りるのは当然なのかもしれない。こういう考えを美術作品から引き出せるようになった。というのはこの授業を受けた確実な成果と考えられるじゃないでしょうか。

足で踏みつけにしている像があるのに驚いた。法隆寺とか観光したときは気づかなかった。

水牛の顔つきがよかった。水牛は昔から好きで、よくテレビや本で見るが、本物もあのように(像のように)マンガのような顔をしてるのがおもしろいですね。

仏像の見方、マンダラの見方、ストゥーパについて、宇宙について−−いろいろ残るものが多かったし、楽しい授業でした。スライドもきれいだったし、プリントとして手元に残るのもうれしいです。他にもいろいろな資料があってうれしいです。冊子づくり、回答など先生の熱意が伝わりました。この形式はとてもよいと思いました。

この講義をとって、今まであまり興味のなかった仏像や仏教、インド神話やヒンドゥー教というものに、とても興味を持つことができました。こんな機会がなければ、密教関係の本なんて読むことがなかったと思います。私はどちらかというと、思想や神話よりも美術の方に興味があたったけど、インドの思想に興味を持つようになりました。(個人的に、もっと建築物の話を聞きたかった)。

ほうき星の神の下半身を蛇で表現しているところがおもしろかった。ラーフは本にも載っていたけど、本の中のラーフはもっとおじさんぽい、こわい感じだったので、今日見たのは少し意外だった。表現の仕方はさまざまなんだなと感じた。約3か月未知の内容にふれたが、思っていたより楽しかった。テストは自信がないけどがんばろうと思います。ありがとうございました。

これが最後なのが悲しいです。この授業で自分の知識の幅が少し広がったような気がします。

先生がほんとうに楽しそうにお話になっていたので、私もつられる形で、とても楽しく聞かせていただきました。ほんとうに仏像がお好きなんですね。ありがとうございました。

素敵なものがいろいろ見られてよかったです。チベットの砂マンダラがとくによかったです。人間はすごいものを作れるものだと少し感動しました。

Q:上下の関係で疑問に思ったのだが、前回のシヴァとカーリーはどんな関係なのだろう。完全に敵対というわけでもなさそうだが、あれは協力者や出自ではなさそうだ。それでは主従かと思うが、それもどうかと思う。シヴァがカーリーの従者とは到底思えない。
A:現在のヒンドゥー教ではカーリーはシヴァの后と理解されていますが、本来は独立した女神だったようです。カーリーがインドの神話にはじめて本格的に登場するのは『デーヴィーマーハートミヤ』(女神の偉大さ)という物語ですが、そこでは別の女神の額から誕生したことになっています。この物語ではシヴァはカーリーの夫でないばかりか、まったく無力な存在です。この物語の中にカーリーについての興味深いエピソードが含まれています。カーリーや他の女神が戦っている敵の軍勢の中に、ラクタビージャという戦士が登場します。この人物の名は「血を種とするもの」という意味ですが、その名の通り、切られた体から血が流れて地面に落ちると、そこから同じ人物が沸いて出てきます。殺されれば殺されるほど増えていくというわけです。そのため、女神たちは苦戦を強いられるのですが、カーリーが機転をはたらかせ、ラクタビージャたちから流れる血を飲んでしまいます。こうして強敵を倒すことができたというわけです。このエピソードはカーリーの性格をよく表しているように思います。血とは生命の象徴であり、これによって増殖し続けるラクタビージャは、いわば「暴走する生」とでも呼ぶべきものです。これを飲み込み、暴走を抑制するカーリーは、死の神であるわけですが(もともとインドでは時間を表すカーラは、死の神として意識されていました)単なる死に神ではなく、生を自らの中に内包するような存在なのです。ストゥーパの時にもお話ししましたが、インド人の死生観では、生と死は対立したり、生を否定したものが死というのではなく、共存関係にあるのです。女神カーリーはそれを体現するような神なのです。

Q:マンダラの外枠をヒンドゥー教の神がびっしり固めていたとは驚きました。アジアの宗教は他宗教に対して寛容なので、キリスト教などと比べれば、日本人の私にとってはなじみやすいのかもしれません。胎蔵、金剛界、法界語自在、時輪の各マンダラの特徴や違いなどを詳しく(かつわかりやすく)知りたいのですが。
A:インドの密教史を分類するとき、所作タントラ、行タントラ、ヨーガタントラ、無上ヨーガタントラという四分法をよくとります。名称はよくわからないと思いますが、授業で取り上げた四種のマンダラは、行タントラ以下の三段階の、それぞれ代表的かつ集大成的なマンダラです。そのいずれにおいても、ヒンドゥー教の神々が、マンダラの外枠を埋め尽くしているのは、この時代の仏教徒にとって、いかにこれらの神々が重要であったかを物語っているような気がします。とくに、授業でもよく取り上げた時輪マンダラ(カーラチャクラマンダラ)は、インド密教の最後に現れた大規模なマンダラですが、構成メンバーに占める伝統的な仏教の仏や菩薩はごくわずかです。マンダラの種類とその具体的な内容については6月19日、6月26日付けのプリントの1頁目に、それぞれ参考文献をあげておきましたので、ご覧ください。

この授業をとらなかったらまったく知らなかっただろうなと思い得ることがたくさんわかってよかった。質問や意見にていねいに答えて下さる先生の姿勢がうれしかったです。

Q:人気があるとかないとかいうのはどういう理由でそうなるんですか。その時代の民衆に何か得なことをしてくれるからということですか。
A:神の人気が何に起因するかは、難しい問題でしょうね。たとえば、ヴェーダの時代には、もともとミトラやヴァルナという神が高い地位を誇っていたようですが、かれらはヒンドゥー教の時代には凋落してしまいます。インドラやアグニの人気も同様で、ヒンドゥー教では護方神といって、方角を守る神(警備員のようなもの)になってしまいます。神話学でよく言われることですが、世界中の多くの神話ではじめに人気があるのは天空や太陽の神ですが、これらはすぐに別の神に人気の座を奪われて、「忘れられた神」になってしまいます。インド神話の場合も同様といわれ、ヴェーダ文献が編纂されたときには、すでにこのような現象が起こっていたと考えられています。ヴェーダばかりではなくヒンドゥー教や仏教など、神話学にとってインドは神話の宝庫です。

マンダラのまわりにいるヒンドゥー教の神々に老荘思想的なものを感じた。中心を争うことがないので長く生き延びた気がする。

解釈の仕方でいろいろ変化するので驚いた。

乗るものと乗られるもの関係は主従関係のみかと思っていただけに、今回の授業は驚きだった。外金剛部の話がとてもよかった。

今まで講義を受けていて、今まで知らなかった密教の世界にとても興味を持った。今日はマンダラの細かさに感動しました。最初の方は仏像とかを見ても何も思わなかったのですが、その世界観を勉強するうちに見るのが楽しくなりました。

胎蔵界曼荼羅の外金剛部がすごくおもしろかった。今まで真ん中のあたりしか見ていなかったけれど、端の方にこんなにおもしろい神様たちが描かれていることをはじめて知った。今日の話を聞いて仏教の神様とヒンドゥー教の神様のことが少しだけわかった気がした。

本で読んだところだったので入りやすかった。しかも図で見るとよりわかりやすかった。

今までの感想として、男の神より女の神の方がかっこいいと思いました。強いだけじゃなくて心が広い感じがするからかもしれません。

これまでこんなに集中的に密教や仏教のこと学んだのは初めてでした。どうもありがとうございます。おもしろかったです。

今日で授業が終わりですが、どの授業も先生の熱心さが伝わってきました。さらに興味をわかせられました。ありがとうございました。

仏教美術作品には今まで知らなかったエピソードがつまっていて、これからは奥行きのある目で、作品を見られるような気がする。

前期の間だけでしたが、楽しく講義を聴かせていただきました。専門科目ばかりの一週間の中で、たくさんの密教美術作品を見て、唯一心安らげる講義だったように思います。この講義が僕の大学生活の中での最後の教養科目になります(単位をいただければの話ですが)。どうもありがとうございました。

テストは何とかがんばりたいです。「ブッダ」全巻そろいました。毎回のプリントがすごくていねいでよかったと思います。

今まで見てきたマンダラの中で時輪マンダラが一番好きです。

踏みつけたりする像があるのは驚いた。みなが神をあがめているわけではないのだなーと思った。

曼荼羅は全体図として概観しか見ようとしたことがなかったけれど、細部があんなにも細かく美しく描かれているのが新発見でした。独特なあの赤色と淡い茶や緑のコントラストが神秘的な空気を漂わせていて、何とも言えずいいと思いました。機会があったら本物を近くで見てみたいです。

Q:愛染明王への回答ありがとうございました。ちなみに天竜八部衆などは密教に関係あるのでしょうか。
A:八部衆はインド古来からの民間信仰の神などで構成されるグループで、仏法を守護すると経典にしばしば説かれます。天、竜、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩ごう羅伽の八つです。いずれも固有名詞ではなく、グループの名称で、乾闥婆はガンダルヴァという音楽神、迦楼羅はガルダで鳥の姿の神(ヴィシュヌの乗り物です)、緊那羅(キンナラ)も半鳥半人の想像上の生物、摩ごう羅伽(マホーラガ)は大蛇です。『法華経』などの大乗経典にしばしば登場し、説法の場に居合わせ、仏や菩薩、仏弟子などの聞法の者たちを守ります。密教経典にも現れますが、作品としては八部衆としてまとまって作られることはほとんどなかったようです。有名な興福寺の八部衆も、日本に密教が伝わる前の奈良時代の作です。

最初はまったくわからなかったけど、この授業を受講して少しだけど密教のいろいろなことを知りました。

身近にある仏教美術が少しわかって、さらに身近になった気がしてうれしいです。

乗るものと乗られるものの関係が一様でなく、複雑な解釈を生み出すもので興味深かった。

今日は最後なのについつい寝てしまって先生に申し訳ないです。テストがんばります。

今日でこの授業が最後だと思うと寂しい気がします。自分は密教美術なんてまったく知らず、ただおもしろそうと思いこの授業をとったのですが、いろいろな仏像などが見れ、密教の美術の世界が少しですけどわかったのがとてもうれしいです。よかったです。テストがんばります、かなり心配ですが・・・。

火天がすごくキレイだった。色が鮮やかで細部がきっちりしていて、日本ぽくない感じがした。

Q:二十八宿がマンダラの中に入っているとは知りませんでした。このことを知って、風水で使ったりする式盤が、マンダラに似ているような気がします。
A:風水思想は最近よく耳にしますが、密教と何らかの関係があるのかもしれません。私は式盤というのはしっかり見たことがありませんが、シンメトリカルな構造をしたもののような気がします。二十八宿も含まれているのでしょうか。ちなみに宿曜道という占星術が中国や日本で古くから知られていますが、これはインドの天文学や占星術の流れを汲むものです。
矢野道雄 1992 『占星術師たちのインド』(中公新書)中央公論社。

約三か月の間、密教美術の世界の講義を聴いてきて、まずその作品の多さに圧倒されました。多種多様な仏像やマンダラなどを今までボヤーと眺めていたのが、少し違った角度からのぞき込めるようになったんじゃないかと思います。

胎蔵界曼荼羅(西院本)がすごくきれいだった。あんな細かいところまで詳細に描いているのはとてもすばららしい。

この授業を受けるまで仏像=美術というイメージがなかったのですが、今まで受けてきて、仏像=美術だと思えてきました。

降三世明王などの下で踏まれている神々は必ずしも敵対関係にあるわけではなく、もっといろんな意味があることを知って驚いた。


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