密教美術の世界

第11回 仏教の仏と異教の神

Q:今日見たインドの神様はとても人間的だなと思いました。前にイスラムについて調べたときにも、仏教とのいろいろなつながりが見えて感動したけど、そういうのがわかるととてもおもしろいです。
(注・全般的に「ヒンドゥー教の神様は個性的で、見ていておもしろかった」というコメントが多数ありました)
A:たしかにインドの神様はとても人間的です。殺戮が大好きですし、嫉妬や裏切りなども珍しくありません。これはヒンドゥー教だけではなく、その前身であるヴェーダの宗教でも同様で、インドラやアグニの物語は、さまざまなエピソードで彩られています。それに比べると、仏教の神様というか仏は、どれもおとなしいので、いささか面白味に欠けますね。そのぶん、菩薩や明王がいろいろがんばっているようですが。宗教間のつながりは、文化現象や文化史を考える上で、きわめて重要な要素となります。インドでは中世以降イスラム教が入ってきて、とくに政治的に有力となりましたが、ヒンドゥー教とさまざまな交渉を持ちました。仏教とイスラム教はごく短い間しかインドでは共存していませんが、相互に影響関係があります。これからも、ぜひいろいろと調べてみて下さい。

Q:ちょっとだけヒンドゥー教と仏教の違いがわかった。今までけっこうごちゃごちゃに考えていたので。(その理由が神が共通しているものがあったからだということがわかった)
A:ふつう、日本人はあまりヒンドゥー教の神であることを意識しないで、仏教の一部として、帝釈天や弁天などの、名称に天の付く神を拝んでいます。もちろん、お寺に安置してあることが多いので(神社の場合もあります)、仏教の一部なのですが、その起源はほとんどがヒンドゥー教の神様です。インド世界の神々の見取り図がわかってくると、インドの宗教がとらえやすくなります。

Q:私はこの間、ヒンドゥー教の神様のTシャツを着ていたら、インドの留学生に大笑いされて、楽しかった。インドでこんなもの着てたら、ものすごく信仰心の篤い人だと思われるらしい。(注・Tシャツの絵とシヴァ、ラクシュミー、ガネーシャという説明もつけてくれました。)
A:おもしろいですね。今度、大学にも着てきて下さい。でも、大笑いしてくれたインドの留学生はとても「さばけた」方だったと思います。インドでは神様の絵は町中のいたるところで売っているということは何度もお話ししていますが、あくまでも「聖画」というか、神聖なものとして扱われています。私は、服のデザインとして神様の絵を使っているのはインドでは見たことがありません。インドに限らず、宗教的には人間の肉体は汚れたものなので、それに密着する形で神様を描くことはないと思います。(仏教ももちろんそうですが、キリスト教の神父や牧師が、キリストやマリアの絵が描いてある服を着るところは想像できないでしょう)。残念ですが、インドで着たら、信仰心の篤い人とはたぶん思われずに、逆に宗教への冒とくととられることになると思います。かくのごとく、宗教とはデリケートなものなのです(だから興味深いのですが)。

Q:少年神がかわいかった。(ムルガン)日本にはこんな少年の神様はいないのですか。
A:少年というのは一種、中性的な存在で、しかも子どもから大人へといたる過渡的な存在でもあります。教科書の第3章「文殊−−童子神の系譜」は、このような発想で、インドの少年神をまとめて扱ったもので、私自身、全体の中でも気に入っている章です。まだ読んでいなければ、読んで下さい。この章の末尾で、少年のもつ危うさや純粋性が、人を惹きつけるのだというようなことを書いていますが、これは私自身の見方なので、みなさん方は違う印象を持っているかもしれません。日本の童子神あるいは童子像ですが、いくつかあると思います。インド起源のものとして、文殊や善財童子、不動明王の眷属の童子たち、あるいは弁天が十五童子を伴うものもあります。また、童子を表現するケースとして、聖徳太子や弘法大師のような歴史上の高僧の幼年時の姿を表したものが多数あります。稚児という言葉もよく使われます。「美術のなかの童子」という展覧会が、2000年に彦根城博物館(滋賀)であり、その図録が参考になりす。

Q:仏教にしろヒンドゥー教にしろ、ほんとうに多種多様に神(仏)様がいて、さらに地域によって表現も違うのにもかかわらず、どこかでつながっているというのが非常に興味深いです。ヒンドゥー教はとても個性的でおもしろいです。そういえば、前に「古代エジプト文明展」で見た古代エジプトの神々も個性的でした。(いろいろな動物が神様になっていて)
A:おっしゃるとおりで、インドの神々の世界は、宗教の枠を越えて、多様性を持ちながらもいくつかの共通性が見られることが、とても魅力的です。ヒンドゥー教の神の姿は、日本でもインド関係のエスニックなお店で見ることができるようになりましたが、それでも、仏教の仏たちに比べると、まだまだ未知の存在で、新鮮に感じると思います。古代エジプトも多彩な神々の活躍する世界ですね。神話学の世界でもエジプトはインドや中国、あるいは北欧などとならんで、重要な研究領域です。

Q:ヒンドゥー教の神々は人間からかけ離れたところがおもしろい。動物の顔だったり、手が多かったり。ガネーシャの像が実家にありました。見事に金色に塗られてあやしいありがたさがあった。
A:金色のガネーシャとはなかなかすごいです。多面多臂や動物の姿の神々は、ヒンドゥー教の専売特許という感じで、仏教はこれを一生懸命まねしたというのが実状でしょう。ガネーシャは日本にも伝わってきていて、聖天の名で信仰されています。インドでもそうですが、現世利益、とくに商売繁盛の神で、聖天をまつる有名なお寺があちこちにあります。ただし、象の頭の神様で、しかも合体尊(つまり男尊と女尊が抱擁している姿)などの場合もありますから、秘仏になっていることが多いです。

Q:おもしろいですね。仏教との比較じゃないですが、ガネーシャは薬局のサトちゃんに見えました。オレンジの象なんてシュールな表現が他にもあるとは。
A:そういえば、薬屋さんの前にはよく置いてありますね。サトウ製薬のキャラクターでしたっけ。じつは社長がヒンドゥー教徒で、敬虔なガネーシャの信者だったとか・・・(うそです)

Q:他宗教との間で抗争はあったのですか。逆に仏が他宗教の中に入ったりすることは。
A:仏教とヒンドゥー教との間では、それほど大きな抗争はなく、共存していたと思います。インドの場合、むしろイスラム教が外来の宗教として、ヒンドゥー教にも仏教にもはげしい攻撃をしています。異宗教に対する不寛容が、イスラム教では徹底していることは、よく知られています。インドから仏教が滅んだ理由はいくつか考えられますが、イスラム教の攻撃がしばしばそのひとつにあげられます。ヒンドゥー教もイスラム教と対立しましたが、勢力的に見て、仏教とは比較にならないほど強力だったようです。仏教の仏がヒンドゥー教のパンテオンに加わることはあまりありませんが、ヴィシュヌの化身にブッダが数えられることがあります。

Q:お坊さんは結婚を禁止されていることが多かったと思うのですが、神様は結婚していいんですね。
A:いいのです。たしかに仏教の場合、インドでは出家が原則でしたので、僧侶である限り、妻帯は禁止されています。当然、性行為も戒律に違反しますのでできません。これに対し、ヒンドゥー社会では、聖職者階級(バラモンとよく言われますが、ブラーマンというのが原語に忠実です)の人たちは、成人したら、家庭をもつのが一般的でした。ある種のヒンドゥー教の儀礼は、家長のなすべき義務と考えられ、むしろ、妻や子をもてないブラーマンは、不適格者の扱いを受けました。有名は「マヌ法典」には、このような話がたくさん出てきます。もっとも、べつに神様が僧侶や聖職者とおなじ生活習慣を持たなければならないということもありません。仏教の場合、お釈迦さんや菩薩が、悟りを求める仏教徒の理想の姿という位置づけにあるのですが、これはむしろ、神という存在としては特殊なケースでしょう。
渡瀬信之 1990 『マヌ法典』中央公論社。
渡瀬信之 1991 『マヌ法典』(中公文庫)中央公論社。

Q:地域を越えてのイメージの共有という先生の言葉が印象に残った。どうしてそのようなことが可能であるのか。よほどていねいに図で示してもらわなければ、イメージは焼き付かないだろう。
A:イメージは地域や時代を超えて広がり、生き続けるというのが、私のよく強調するところです。人にもよると思いますが、文字や言葉よりも、絵やイメージのほうが理解したり、記憶することが容易なことがあります。また、その方が、人々に訴えかける力があることもあります。(テレビのコマーシャルや新聞の広告が、文字だけだったら困るのではないでしょうか?)

Q:ヒンドゥー教の神が家族を構成しているというのが、古代エジプトの神にも似ているなぁと思った。シヴァ神の絵が、青い色で描かれていたのも、オシリス神が緑色で描かれているのにも似ているし。
A:シヴァのからだの色はたしかに青いのですが、むしろ紺色といった方が適当で、これはこの神がアーリア起源ではなく、もともとインドの土着的な神であったことを示しています。クリシュナやカーリーもそうで、いずれも名前が「黒」というような意味です。ヒンドゥー教で力を持つようになったのが、アーリヤ人がヴェーダの時代から信仰していた神ではなく、このような土着神であったのは、ヒンドゥー教のパンテオンを考える上で重要です。密教でも仏や菩薩はからだの色が厳密に規定されています。マンダラなどに描く場合も、制作者の自由な裁量に任されることはほとんどありません。密教の五仏では、阿しゅくが紺色の身色をしています。この仏は金剛部というグループの代表的な仏で、このグループには降三世明王や金剛手のような畏怖すべき仏たちも含まれます。後に、シヴァの影響を受けて生まれた忿怒形の神(ヘールカと呼ばれます)も、このグループに入ります。仏教でも色のシンボリズムは重要なのです。

Q:密教からは少し話がそれてしまうのですが、ヒンドゥー教ではどうして象が神聖なものとされるようになったのでしょうか。マーリーチーの足元の小さな人みたいな形をしたものは何ですか。
A:どうしてでしょうね。比較的身近にいる巨大な動物が、神聖視されるのは自然なことのようにも思います。日本にもし象がいたら、やはり神聖なものとなったのではないでしょうか。アイヌの人々も熊をそのように扱っていますし、「神様の使い」のような動物は、世界中でいろいろいると思います。マーリーチーの足元の人物は、教科書の88頁以下を参照して下さい。

Q:密教とは関係のないことですが、愛染明王などはどういったポジションにある仏像なのですか。
A:愛染明王はちゃんと密教に関係あります。愛染明王は不動明王や大威徳明王などと同じ明王の中の一尊です。愛染明王は日本密教ではポピュラーな仏像で、弓矢を持ち、頭の上には獅子の頭の冠を載せ、蓮華の壺に坐っています。弓矢はキューピットと同じように、恋愛感情を生起させるための道具で、インドではカーマというやはり愛欲の神が昔から持っています。蓮華の壺が豊穣や生殖と関係することは、授業でお話ししているとおりです。愛染明王の作例はインドにはなく、このような独特の尊容がどこで成立したかは不明です。インドではタッキラージャ(愛欲の王)という忿怒尊がいて、これと関係があるという説もあります。

Q1:シヴァがカーリーに乗られているのがびっくりした。地位的にカーリーの方が強いのですか。信仰が篤いからとかですか。
Q2:シヴァとパールヴァティーの中のシヴァの首飾りと、シヴァを踏みつけていたカーリーの首飾りが似ているような気がしました。
A:横たわるシヴァの上に立つカーリーは、数あるインドの神像の中でも、もっとも強烈なものでしょう。肩には生首の輪を掛け、腰には人間の手足をつないで作った腰簑のようなものを付けています。右手には肉切り包丁を持ち、舌を口からだらりと垂らし、さらなる血を求めています。シヴァが足の下に横たわるのは、シヴァよりもカーリーが優位にあることを示すのはたしかですが、インドにおいて乗る神と乗られる神の関係はかなり複雑です(これについては今回取り上げます)。生首の首飾りについても、おたずねのとおりで、アトリビュートが乗る神と乗られる神の両者の間で移行することも、しばしばあります。カーリーは授業でもお話ししたように、死をつかさどる死の神ですが、同時に母なる神です。母なる神は生命を生み出す源でもあります。インドでは女神がこのように生と死の両者を内包するような役割を果たします。

Q:東寺講堂の帝釈天は、何か堂々としていて、さすがは「王」だなと思った。あと、儀礼さえすれば「俗」は何でも「聖」になれるんですか。
A:東寺講堂の帝釈天は、日本の天部の像の中でも最高傑作に位置づけられます。平安初期の仏像彫刻技術の最先端を結集したのが、東寺講堂の諸尊群です。儀礼についてですが、儀礼さえすれば俗が聖になるわけではありませんが、逆に、俗を聖にするためには何らかの儀礼的な手続きが必要でしょう。儀礼とは日常的なものに何か特別な意味を与える機能があるのです。結婚式、葬式、卒業式、入学式のような、われわれがよく知っている儀式を考えてみて下さい。もちろん、これらに何の意味を見いださない人もいるかもしれませんが(たとえば結婚式をしないで婚姻届だけ出す)、それはむしろ意味を見いだすことの意義を、意識的に否定しているだけのことです。

Q:蛇がいっぱい出てきた。他の授業でヨーロッパの美術の中では蛇はあまりいい意味を表さないと教わったが、やはりアジアでは感覚が違うのだろうか。動物がいっぱい出てきておもしろい。
A:ヨーロッパ美術の先生がどのように説明されたか興味あるところですが、蛇がいい意味を持たないことは、蛇が宗教学的、あるいは美術史的に重要ではないことではないでしょう。むしろ、象徴としての蛇は、ヨーロッパでもきわめて重要な位置を占めていたと思います。シンボル辞典のようなもので蛇の項を見ると、他のどんな動物よりもいろいろな意味があげてあります。日本でもヨーロッパでも蛇にまつわる神話や迷信は数限りなくあります。旧約聖書のアダムとイヴの物語などは有名ですね。蛇がこのように重視された理由のひとつはは、以前に授業でもお話ししましたが、その両義的な性格にあります。陸上生物なのにウロコがある、動物なのに足がない、などは、蛇がいずれの範疇にもうまく収まらない境界上の生物であることの例です。このようなものに、人間は宗教的、象徴的な意味をしばしば見いだします。

Q:女性の身体そのものが水なのかなと思いました。中に胎が浮かんでいてその中で再生が行われていると考えるとしたら。昔から豊穣の女神は聞いたことはありますが、男神は聞いたことがありませんし、女性自体が再生や生産のイメージなんでしょうね。きっと。話は変わりますが、私の保育園は仏教系で、毎年4月に「花祭り」ってお釈迦様の誕生日祝いみたいなことをやっていたんです。その時に園児の代表が、蓮の上に立った釈迦像に甘茶をかけるんです。(後で甘茶アメがみんなに配られるのか楽しみだったのでよく覚えています)。あの甘茶も灌頂の水と同じなのでしょうか。
A:前半の女性とそのイメージについてはその通りだと思います。フェミニズムという学問的潮流がありますが、その中で女性や性についての考察は、近年めざましいものがあります。美術史の分野でも、いくつもの本や研究が出ています。あまり関係のない話ですが、生物発生的に見て、ヒトははじめは女性として誕生するのですが、途中で半分ぐらいは「無理矢理に」男性にかえられてしまうそうです。男性というのはきわめて「不自然な」存在なのです。花祭りについては、他にもよく似た経験をされた方もかなりいらっしゃると思います。花祭りは「灌仏会」ともいい、釈迦像に灌水することが重視されています。これは、誕生直後の釈迦が、ナンダ、ウパナンダという二人の龍王から灌水つまり産湯を掛けてもらったことに由来します。この伝承はインドで古くからあり、二龍灌水の名で呼ばれる作品も多く残されています。儀礼としての灌頂は、本来、この灌水とはべつのものでしたが、仏教の伝統の中では結びつけられ、儀礼の祖型のひとつととらえらえるようになりました。このことについては私の『マンダラの密教儀礼』の中の155頁以下で詳しく説明してますので、ご覧下さい。

Q:マヒシャースラマルディニーがものすごく印象的だった。手にたくさんの武器を持って、今にも水牛の首を落とそうとしているのに、あんなに安らかな笑顔でいるのはなぜだろう。美しいけれど、ちょっと怖い絵だと思った。インドの人はこんなポスターを好んで貼るのですか。
A:マヒシャースラマルディニーは絶世の美女ということになっています。インドラや梵天などの名だたる男の神様が、アスラ(阿修羅と同じ語です)によってその地位を奪われ、助けを求められます。マヒシャースラマルディニーはアスラ征伐に乗り出すのですが、話は複雑で、アスラの方はこの女神の美しさに圧倒されて、結婚を申し込みます。女神の方は自分を倒したものにのみ、自分の身をゆだねるといって、挑発します。結局、アスラの王は無惨に女神によって殺されて、めでたしめでたしということになります。マヒシャースラマルディニーによるアスラ殺戮の主題は、インドで昔から好まれ、彫刻や絵画などで、膨大な数の作品が残されています。厳密にいえば、殺されるアスラは自分の本性である水牛の姿をとるのですが、女神によって首を落とされます。そしてその首から人間の姿で出てきたアスラを、さらに女神は槍で突き刺して絶命させます。作品に描かれるのはこのシーンです。この神話では水牛が重要なモティーフになっていますが、これについては教科書の文殊の章で取り上げていますので、読んでおいてください。ヤマやヤマーンタカ(大威徳明王)などにも関係します。女神の神話は次の本の中で、翻訳が発表されています。
小倉 泰・横地優子 2000 『ヒンドゥー教の聖典二編』東洋文庫 平凡社。

Q:ドゥルガーやサラスヴァティーはシヴァの妻のパールヴァティーが姿を変えたものだと聞いたことがあります。カーリーもそうだったような・・・。
A:たしかに、現代のヒンドゥー教ではドゥルガーとパールヴァティーは同じ神様ということになっています。カーリーも同様です(パールヴァティーは別系統です)。これはこの女神に限ったことではなく、インドの神様の世界の特徴のひとつです。つまり、本来別々の神が、有力なひとつの神に収斂していって、同一視されるのです。たとえば、ヴィシュヌは十の化身を持っていて、その中にクリシュナやラーマも含まれていますが、これらが本来ヴィシュヌとは別の神であったことは明らかです。このような神々の包摂のメカニズムは、「大伝統と小伝統」(great tradition, little tradition)という言葉でしばしば説明されます。地方の村落のようなところで信奉されている神が、インド全体で知られているような有名な神と同一視されることが頻繁に起こるのです。

Q:今日はほんとうに暑かったです。でもあと2回でテストなので、がんばろうと思います。
がんばってください。今回は最後なので、涼しいといいのですが。


(c) MORI Masahide, All rights reserved.