密教美術の世界

第9回 マンダラとは何か

Q:前までマンダラは仏をたくさん並べただけのものだと思っていたけれど、宇宙や世界を表すもので、それぞれの仏の位置もきまっているんだなぁと思った。
A:みなさんの質問(感想を)を見たところ、意外にマンダラについてよく見聞きしているという印象を受けました。これまでの話の流れの中で、とらえてもらえると、さらによくわかると思います。

Q:マンダラの幾何学的な模様はどのようにして描いたのだろうか。コンパスとか定規とか正確なものがすでにあったのですか。
A:コンパスも定規もすでにありましたが、マンダラは糸を使って描きます。米の粉などを溶いて作った白い液体に糸を浸した後、二人がその両端を持ってピンと張り、そのうちの一人が地面の上にはじきます。大工さんが木材にまっすぐ線を引くときの要領で、「墨打ち」といいます。円も糸の一端を固定し、コンパスのようにぐるりと描きます。マンダラの長さは文献に正確に規定されていて、これがただしく再現されます。マンダラの墨打ちの写真は今回お見せします。

Q:仏塔の説明についてのところで、死から生が始まるというのは輪廻転生的な考え方で、なるほどとおもしろかった。
A:現代人はであるわれわれは死と生を対立的にとらえ、生が否定されたものが死であると考えがちです。そのため、死は忌むべきもの、暗黒で苦しいもののように、ネガティヴなものと思っています。しかし、ストゥーパに見られるようなインドの死生観では、死と生は何ら矛盾することなく、両立しています。そして、それを包摂する「世界」がつねに意識されているようです。仏塔のもつシンボリズムも、このような文脈でとらえると理解しやすいでしょう。

Q:子どもの絵の話に興味を持った。人間は年を取るたびに真理から離れていくような気がした。母親の胎内がもっとも安らかで満たされた世界だという話がよくあるが、ひょっとしたら生まれる前はみんな悟りを開いているのではないだろうか。胎蔵界マンダラの「胎蔵」というのは、こういった話と関係があるのか気になる。
A:母親の胎内は羊水で満たされています。われわれは生まれる直前まで、この「水」の中にいるのですね。「胎蔵」ということばの言語は、garbhaで、ご指摘のとおり、母胎という意味です。ストゥーパの説明の時にも登場した言葉です。胎蔵界曼荼羅の正式な名称は「大悲胎蔵生曼荼羅」といい、「大いなる慈悲の胎から生ずるマンダラ」ということになります。マンダラの中央の「中台八葉院」は八弁の蓮華でできていて、世界の生まれいずる源が蓮の花によって表されています。

Q:マンダラと子どもの絵の共通点を学んで驚きました。もう自分ではどう努力しようにも子どものような絵は描けないと思います。だからこそ、一種神秘的で不思議な印象を抱くのだと思います。
A:マンダラと子どもの絵の関係については、今回その種明かしをします。これまでお話ししてきた「仏の脱個性化」や「シンボル至上主義」とも結びついていく予定です。

Q:こんなにたくさんの曼荼羅を見たのははじめてです。
A:インドには残念ながらマンダラは残っていませんが、チベットでは数多くのマンダラが作られ、その種類も数百を数えます。チベットのマンダラが注目を集めた理由のひとつが、このマンダラの多様性だったのです。日本では胎蔵界と金剛界の2種のマンダラ(両界曼荼羅とか両部の曼荼羅と呼ばれます)のみが重視され、それ以外の伝統は伝わっていません。ただし、日本のマンダラは特殊な展開をして、浄土図の一種である当麻曼荼羅や智光曼荼羅、あるいは特定の修法に結びついた別尊曼荼羅、星曼荼羅などがあります。これらについてお話しする余裕はないと思いますが、参考文献もかなりありますので、興味があれば参照して下さい。
頼富本宏 1991 『曼荼羅鑑賞の基礎知識』至文堂。

Q:正月に前に一回京都で実物を見たことがあるような気がします。すごく感動したことを覚えています。でも本当にそれだったかは謎です。
A:「それ」というのは西院本の両界曼荼羅のことでしょうか。東寺の宝物館に行くと、ときどき展示されています。また、京都国立博物館や奈良国立博物館で仏教美術の大きな展覧会があると、よく出品されます。西院本はわが国の両界曼荼羅の最高傑作のひとつですが、それ以外にも多くのマンダラの作品が日本中に残っています。

Q:ヒンドゥー教やイスラム教にも「マンダラ」のようなものはありますか。
A:ヒンドゥー教の場合、「ヤントラ」とよばれるものがあります。マンダラと同じように神々の世界を表した図ですが、マンダラと異なるのは神々の姿を描かないことです。これは、神々がやどる一種の「よりしろ」のようなもので、神々の降臨する「場」として機能するのです。ヒンドゥー教の文献にも「マンダラ」の語は登場しますが、仏教のマンダラのように精緻な仏の姿が描かれたものは、なかったようです。イスラム教は基本的に神の姿を表現しないので、マンダラに相当するものはないでしょう。聖なるイメージに対する態度がこれほど異なる文化が、中世以来、インドで支配的になったのは不思議です。

Q:興福寺とか行ったことはあるけれど、仏像の名前とか、注意してなかったので、今日の話は少し新鮮でした。
A:観光寺院としても興福寺は、天平期の仏像の宝庫です。阿修羅をはじめとする八部衆像や無著・世親像などは、観光ガイドブックにもよく登場します。現在では境内の宝物館に安置されていますが、寺院の内部で見てみたい気もします。スライドでお見せした五重塔の内部は、ふだんは非公開です。3年ほど前に特別拝観があったので、私も出かけていきました。図録(『興福寺 五重塔内陣・東金堂後堂と旧食堂遺構』小学館スクウェア)が、まだ入手できると思います。いずれにしても、仏像の名前と特徴を覚えるのが、仏教美術の第一歩ですね。

Q:チベットのマンダラの色が、あれほど鮮やかだとは思わなかった。中心部分の色に赤、緑、白、黄色、青などが使われていたけれど、特殊な意味があるのですか。
A:日本のマンダラも制作当初は、チベットのものに負けない鮮やかな色を持っていたはずです。マンダラの色についての質問が他にも多数ありました。マンダラは基本的に五色で、それぞれが仏の智慧を象徴すると説明されます。マンダラの中心にいる大日如来などの五仏が、それぞれことなる智慧をつかさどっているからです。もっとも、事実はその逆ということもあって、もともと5種類の現職で描かれていた仏の世界が、五種の智慧に結びつけて解釈されたということもあり得ます。マンダラにおいて色が重要であることは確かで、文献にはマンダラの各部にどのような色を塗るかということが、ことこまかく規定されています。

Q:子どもの絵を今までマンダラにつながるものとしてみたことがなかったので、なるほどと思いました。幼児の発達心理学を専攻したいので、将来このマンダラ画のことがヒントになればいいなと思いました。
A:ぜひ、役立てて下さい。幼児の絵画表現の発達については私は門外漢なのですが、一般向けの次のような本を参考にしました。スライドの絵もこれらから取っています。
スミス、N.『子どもの絵の美学』勁草書房。
J.H.ディ・レオー 1999 『絵にみる子どもの発達 分析と統合』白川佳代子・石川元訳 誠信書房。
東山明・東山直美 1999 『子どもの絵は何を語るか 発達科学の視点から』NHK出版。

Q:チベットの曼荼羅は色彩がきつく変に思えた。描かれた多頭の大日如来は不気味だった。
A:日本人がチベットのマンダラを見た場合、美しいとか崇高という感想よりも、グロテスク、不気味という印象を受けるのがふつうでしょう。でも、見慣れるとだんだんきれいに見えてきますよ(そんなに慣れたくないかもしれませんが)。とくに、ラダックのアルチ寺三層堂のマンダラは、傑作揃いです。荒涼とした自然環境の中に、色鮮やかな仏の世界が寺院の内部空間を満たしているというのも、なかなか魅力的です。

Q:今度京都に旅行に行くので、仏像を少しでも見られたらと思います。
A:ぜひそうして下さい。拝観する寺院が決まっていたら、あらかじめ少し予習をしておくと、より充実した経験になるでしょう。毎日新聞社の「魅惑の仏像」シリーズや、保育社の「日本の古寺」シリーズなどが役に立ちます。京都国立博物館の常設展をじっくり見るという方法もあります。

Q:ウダヤギリやスヴァヤンブー、また日本の根来寺などの仏塔には、中央に大日如来がいて、四方に四仏がいるという形式なのに対して、高野山の金剛三昧院多宝塔では、まわりを取り囲むように安置されているのには、何か理由があるのかなと思いました。
A:金剛三昧院多宝塔も、もとは大日如来を中心に置いて、それに背を向けるように、つまり外を向くように四仏が配置されていたと考えられています。現在の配置は、寺院内部で行う儀礼と関係があるのでしょう。インドやネパールのストゥーパと日本の仏塔の決定的な違いは、内部空間に入ることができるかできないかということもあげられます。日本の仏塔はその内部空間がマンダラの構造と結びつけられるのですが、インドなどのストゥーパは、全体の構造がマンダラと重ね合わされるのです。

Q:マンダラをイメージするとたしかに混沌とかそういう感じが思い浮かぶ。しかし、ほんとうの意味は秩序であって宇宙であると知ってすごいなぁと思った。作品を見ていると、チベットのものばかりなのですが、チベットが主流なのですか。
A:前の方でもお答えしましたが、マンダラは日本にもチベットにも残されていますが、種類は圧倒的にチベットが多いです。また、日本ではマンダラは絵に描いたものを壁などに掛けますが、本来マンダラは地面に描いたものです。その描き方は正確にチベットに伝わっています。マンダラが地面に描かれるのは、マンダラを用いた儀礼があったからです。マンダラと儀礼の関係については、今回取り上げるつもりです。

Q:花綱は何色ですか。
A:わかりません。地域によって異なると思います。

Q:宇宙開闢の歌の冒頭にある「無もなかりき」についてなのですが、インドにおける「無がある」という考え方は、ゼロの概念と関係があるのですか。前回のだれかの質問とかぶっていますが、その考え方には興味があります。
A:「無もなかりき」の「ナーサディーヤ賛歌」の説明を、『インド思想史』(東大出版会)から引用します。
『リグ・ヴェーダ』の哲学的思索は「ナーサディーヤ賛歌」において最高潮に達する。ここに登場する「かの唯一なるもの」は、有も非有も超越した中性的原理であり、全宇宙はこの原理から展開する。中性的原理「唯一の有」の創造を暗示してる賛歌もあるが、いまだ漠然としており、「ナーサディーヤ賛歌」が後世ウパニシャッドにおいて著しい発展を示す一元論思想の最初の明白な表現である。創造は唯一なるもの(と水)−−思考−−意欲−−熱力−−現象界の順序で展開したと考えられ、万有の展開を生殖作用になぞらえ、唯一なるものの中に起こった自己生殖とみなしているようである。
いかがですか。インドの思想ってすごいですね。「無」については、後世の自然哲学派(ヴァイシェーシカ学派)が、「いまだ生じない無」「すでに滅した無」「相対的な無」「絶対的な無」という四種類の無をたてて、哲学的な考察をしています。これらの無はいずれも原語はabh計aで、仏教でいう空(くう)ァ鈩yaとは異なります。

Q:仏教の神様に漢字の人カタカナの人がいるのはなぜですか。カタカナの神様は日本に伝わってこなかったからですか。関係ないですが、私の高校では春の体育大会で仮装をするのが恒例でした。三年の時はインドの神々をクラス全員でやりました。シヴァ、ドゥルガー、パールヴァティー、サラスヴァティー、アグニなど。インドの神様たちはとてもカラフルで派手ですね。あの装飾やポーズがすごく好きです。
A:カタカナ表記についてはその通りです。一部は中国や日本に伝わっているものもありますが、一般にはほとんど知られていません(たとえばダーキニーと荼枳尼天、マーリーチーと摩梨支天)。現在、中国から出ている出版物には、このような仏たちも一様に漢字表記されていますが、日本の研究者はほとんど使いません。後半の体育大会のヒンドゥー教の神々はなかなか楽しそうでいいですね。参考にしたのは、やはり現代のポスターですか(たとえば長谷川明『インド神話入門』(とんぼの本)新潮社)。

Q:水に浮かぶ卵が宇宙のイメージにつながっていくという発想がすごく印象深かったです。私は「宇宙」と聞くと、無限の空間が思い浮かびます。水に浮かぶ卵=母体内の卵子というつながりがあると考えると、生命=宇宙ということにもなるのでしょうか。もしそうだとすると「生命の神秘」から「宇宙のイメージ」を導いてきた古代人は、なんてロマンチックなんだろう!と思いました。
A:インドでは、宇宙をひとつの生命体と考え、さらにそれは唯一なる原理(「ブラフマン」といいます)が展開したものであると考えました。しかも、それがわれわれ一人一人が持っている自我(アートマン)と、本質的には異ならないと主張しました。これが、古代インドの思想を代表する「梵我一如」の考え方です。その後、この唯一なる原理が神格化されて、絶対神とみなされるようになり、それに対し、そのような存在を認めず、さらにわれわれの自我のようなものも存在しないとみなす仏教が現れました。宇宙全体を生命体とする考え方は、古代的に見えるかもしれませんが、地球全体の環境を考えるエコロジカルな発想にも通じる、きわめて現代的な考え方とも言えるでしょう。

Q:レポートを書いている最中に悩んでしまったんですが、やっぱり仏教と密教の違いがわかりません。ヒンドゥー教の神であるシヴァとの関係も。互いに影響を受けているんですか。
A:むずかしいですね。教理的には大乗仏教、とくに「空の思想」を説く中観や、「すべての生類には仏性がある」とする如来蔵思想を継承しながら、とくに実践面において、ヨーガなどの身体技法を重視し、しばしば神秘主義的な行法を行うことを特徴とする仏教と、とりあえず説明しておきます。密教の具体的な内容は、最近刊行された「シリーズ密教」(春秋社)をご覧下さい。地域別に四冊からなっています。もっと入門的なものとしては、
松長有慶 1991 『密教』(岩波新書) 岩波書店。 
をすすめておきます。密教とヒンドゥー教の関係も複雑ですが、図像や実践でとくに相互に影響を与えています。

Q:カトマンドゥの奉献塔と日本の庭とかにある石の建物(注:灯籠のこと?)が似ていると思いました。やたらと長い名前の神様がちらほらいますが、インドの人は略して読んだりするんでしょうか。
A:奉献塔は灯籠の役目はしていなかった思いますが、インドでも灯籠のようなものはお寺にあったようです(形態はよくわかりませんが)。長い神様の名前も、インドでは略されることはあまりないと思います。カタカナ表記にすると長いのですが、もとはそれほど長くないのもあります。また、インドの神様はさまざまな異称を持っていて、それに長いのも短いのもあります。チベット語になりますと、日本のように略されることがあります。たとえば「グヒヤサマージャ」という仏は、チベット語で「サンワ・ドゥーパ」といいますが、「サンドゥー」とよく略されます。「パソコン」や「ワープロ」といった感覚ですね。

Q:密教にはキリスト教の聖書のようなはっきりとした経典がないように思います。また経典にどのようなものがありますか。
A:仏教には膨大な数の経典があります。日本人がよく知っている『法華経』や『華厳経』『阿弥陀経』などは、いずれも大乗仏教の経典です。密教経典で日本に伝わっているもののうち、『大日経』『金剛頂経』が最も重要です。経典については簡単には説明できませんので、次の本を参照して下さい。古典的名著です。
渡辺照宏 1967 『お経の話』(岩波新書) 岩波書店。

Q:私の好きな曲のタイトルで「浄土曼陀羅」というものがあるが、この「曼陀羅」はやはり、日本風の混沌という意味合いで用いられているのだろうか。もしそうなら「曼陀羅」に「浄土」という言葉が付いて、どういう意味をもたらすのだろう。
A:歌詞の内容がわかりませんので、お答えできませんが、「マンダラ」の語の現代的用法として興味がひかれます。マンダラと浄土は本来的には別々の伝統に属しますが、日本仏教では平安時代後期に浄土教が流行したことで、密教がその影響を受け、実際に浄土曼陀羅という言葉や作品も登場します。

Q:仏教とは関係ないが、子どもの描く「つなひき」がよかった。私もこんな絵を描きたいと思う。ピカソが子どもの絵を追求したことがよくわかる。どんな画家でも子どもの「発想」には劣るのではないか。
A:ピカソはアフリカなどの民族芸術にも強い関心を持っていました。じつは、子どもの絵をもちいて紹介した「複数の視点」などは、このような民族芸術にも一般的で、キュービスムなどの現代美術にも強い影響を与えています。前にも書きましたが、われわれ現代の日本人にとっての芸術が、あまりにヨーロッパ一辺倒なのでしょう。

Q:世界樹やプルシャの神話はゲルマン神話によく似ている気がします。同じインドヨーロッパ語族だから、神話の上でもつながりがあるのでしょうか。
A:そのとおりです。比較神話学は比較言語学と同様、インド・ヨーロッパ語族を対象として発達しました。フランスのジョルジョ・デュメジルや、わが国でも吉田敦彦氏、大林太良氏などが、これらの問題をよく取り上げています。デュメジルの著作は、最近ちくま文庫でまとまって翻訳されて、読むことができます。

Q:密かに楽しみにしていたマンダラの話を聞けて嬉しかったです。見た目も構造もとてもおもしろいと思いました。
(1)四方に仏を置くことによってどんな効果があるのですか。
(2)どうして阿弥陀如来はいつも西にあるのですか。四方それぞれに何か意味があるのでしょうか。
(3)朱雀とか玄武は何か関係があるのですか。
A:予想以上にマンダラに関心を持っている方が多くて、こちらも嬉しいです。さて、(1)は四方がとくに重要と言うことではなく、秩序だった空間を表現するために、四方を代表として具体的に表現したということでしょう。大乗仏教の世界観では、世界は無数の仏で満ちあふれていることになっているのですが、それを表現することは不可能です。(2)は阿弥陀如来の仏としての起源に関係します。阿弥陀の原語はamit恵haで「無量の光」という意味です。光に満ちあふれたこの仏と、西の方角に沈む太陽が結びついているのでしょう。ただし、この場合の「光」は、単なる光ではなく、もっと霊的なものかも知れません。(3)は風水思想と仏教の世界観との関係ですが、本来は別々だと思いますが、どこかの時点で交渉を持ったかもしれません。一度調べてみて下さい。

Q:私は「マンダラ」と聞くと、なぜか地獄絵図のようなものを想像してしまいます(富山県出身の性でしょうか)。私は「正信偈」を4−5頁暗唱できますよ。お経って、なんか歌のようで、すぐに覚えてしまいます。
A:立山曼荼羅は日本におけるマンダラの展開の中でも、最もユニークなものでしょう。昨年、立山博物館で地獄絵についての展覧会があったので、私もはじめて行ってみました。立山信仰や日本のマンダラについて、いろいろ考えることができた、貴重な体験でした。金沢から立山は比較的簡単に行けるので、皆さん、ぜひ行ってみて下さい。「正信偈」の偈というのは詩のことで、まさに歌です。でも、年をとるとお経も歌もなかなか覚えられなくなります(これは単なる個人的なボヤキです)。

Q:どの曼荼羅(世界観)が正しいという論争はあったのでしょうか。
A:インドとチベットとでは少し異なります。インドの場合、新しいマンダラが次々と生み出されましたが、それを作った人たちは、自分たちのマンダラこそが正しいマンダラだと主張していたでしょう。これらがそのまま流入してきたチベットでは、マンダラは複数あるのが当然と受け止めていたでしょう。日本はさらに特殊で、金剛界と胎蔵の両部のマンダラのみが、絶対的な位置を占めていました。

Q:マンダラの話はとてもおもしろいです。私が絵をよく描くから、立体よりも平面に興味を持つのかもしれませんが、ぜひ詳しく知りたいです。何か密教をモティーフにした絵を描いてみたくなりました。
A:密教やマンダラの影響を受けた画家や芸術家はかなりいます。前田常作氏はマンダラをモチーフにした絵画をたくさん描いていますし、グラフィックデザイナーの杉浦康平氏は、マンダラに関する著作まで発表しています。ぜひ、何か作品を作ってみて下さい。

Q:金剛界四仏と胎蔵四仏の配置に違いがあるのはなぜですか。金剛界のものと胎蔵界のものとでは、世界観がわずかに異なっていたりするのですか。
A:四仏のメンバーは経典や伝統によって異なります。スライドで紹介した興福寺の五重塔の内部は、伝統的な仏が占めていましたし、『金光明経』という経典には、これらとも異なる四仏が登場します。胎蔵の四仏は、西の阿弥陀を除きその後はほとんど姿を消してしまいます。それに対し、圧倒的に有力になったのが金剛界の四仏です。また、胎蔵と金剛界とでは、方位も異なることに気が付きましたか?これはマンダラを用いて行う実践が、両者の間で違ったためではないかと考えられています。


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