密教美術の世界

第7回 仏塔と仏教世界観

Q:最後に見たいろいろなタイプのヤクシャがおもしろかった。女性とは言え、口から花綱を吐き出すときの顔はすごく恐くて、女神=いやしのイメージをうち砕かれた。
A:インドの女神はさまざまな姿を持っています。慈悲深い優しいイメージの女性ばかりではなく、人々に死などの災厄をもたらしたり、男の神をも圧倒する恐ろしい神もたくさんいます。天然痘の女神といわれるチャームンダーはその代表的なもので、その姿も、老婆か屍鬼(ゾンビ)のようです。生命ともっとも深いところで結びついているのがこれらの女神たちということもできます。彼女らは生と死を内包するような性格を持っていますが、このような女神信仰は、世界各地で見ることもできます。ちなみに、日本の神話でもスサノオノミコトに殺されるオホゲツヒメは、死体からさまざまな植物が発生する生命起源の女神です。このようなタイプの女神にまつわる神話は、東南アジアを中心に幅広く分布し、神話学で「ハイヌヴェレ型神話」と呼ばれています。蛇足ながら、ヤクシーは女性ですが、ヤクシャは男性です。
立川武蔵 1990 『女神たちのインド』 せりか書房。
イェンゼン、AD. E. 1977 『殺された女神』大林太良他訳 弘文堂。

Q1:私の住んでいるところには、仏舎利塔という集団墓地みたいのがありますが、この授業で「舎利」についての話を聞いて、興味を持つようになった。
Q2:仏塔って仏舎利が納められているのですか。
Q3:地元の黒部宮野山運動公園に、仏舎利塔があって、昔はわけもわからず「ぶっしゃりとう」といっていたのが懐かしいです。
A:「舎利」はサンスクリット語のァarエra「身体」から作られた言葉で、とくに仏の遺体を指して用いられます。仏教の場合、仏塔(ストゥーパ)の起源は釈迦の遺体を荼毘にふした後、その遺骨を分割して、それを納めるために建てられたものとなっています。したがって仏塔には必ず舎利が納入されていなければならないことになっています。そのため、たとえば、唐代の中国ではインドからおびただしい数の「舎利」がもたらされています。舎利は重要な輸出品だったのです。しかし、このような舎利を含め、実際にアジア各地に無数にある仏塔のすべてに釈迦の骨が入っているはずはありません。何も入っていない場合もありますが、高僧の遺骨であったり、宝石のような貴金属を舎利として奉納する場合もあります。一方、インドでも釈迦の生身の身体よりも、釈迦が説いた法こそがより重要であるという立場から、仏教の真理を刻んだ木片や金属を納入することが流行します。このような舎利を「法身舎利」と呼び、そこに刻まれている言葉を「法身舎利偈」と呼びます。舎利そのものに対する信仰は中国を経由してわが国にも伝わり、平安時代には舎利信仰が天皇を中心とする護国思想と結びついて、独自の展開をします。地元の仏舎利塔に何が入っているか、調べてみてもおもしろいかもしれません。

Q:今回みたヤクシャは違う国の美術品としか思えない。何かヨーロッパのどろどろした感じもあるような気もする。三島由紀夫は「インドに行ける者と行けない者がいる」と言っていたが、僕にはまだまだ行ける資格がないようだ。
A:前回のヤクシャのスライドに強い印象を持った方が多かったようです。インドの仏教美術、とくに最初期のサーンチーやバールフットの魅力は、このような民間信仰のさまざまなモティーフが、実に生き生きと力強く表現されていることにもあります。パーラ朝の仏像をみた後にこれらを見ると、より強く惹かれることがあるのもたしかです。これまでのインド美術の研究が、これらの初期の仏教美術から、ガンダーラ美術などを経て、グプタ時代までを、もっぱら研究対象としていたことも、仕方ないのかもしれません。三島由紀夫の言葉は、インドについて語るときによく言われることです(三島由紀夫が典拠であったとは知りませんでしたが)。たしかに真理でもあり、「インドに行った者は、ますますのめり込むか、まったく嫌になるかのどちらかである」ともよく言われます。でも、これは異文化体験をする場合は、どのようなところでも当てはまることです。現代の日本があまりに等質な文化でできていることの裏返しの表現のような気もします。インドでもどこでも、とにかく一度行ってみるといいと思います。旅行会社のツアーとかではなく自分で企画して。

Q:サーンチーの「象」の浮彫はすごいですね。水の表現は本当にシブい。ああいうデフォルメの仕方というか、表現の形と言った点では、インド美術は世界に類を見ぬ光るものを持っていると思います。
A:象はインド人にとって身近な動物でもあり、しかも威厳ある高貴な動物でもあったようです。ライオンなどとならんで、王の象徴としても頻繁に登場します(たとえばアショーカ王柱)。釈迦のジャータカのひとつの「六牙象王本生」は、六本牙の象が主人公のジャータカで、人気の高い物語であったようで、いろいろなところでこの物語を主題とした作品が残されています。仏伝のひとつ「酔象調伏」も象が主要な登場人物(動物?)となっていますが、これもしばしば造型表現されています。インド美術だけがすごいのではなく、われわれの美術の嗜好が、ヨーロッパのしかもルネッサンス以降のきわめて限られた作品に限定されていることが問題なのでしょう。ピカソがアフリカの美術に大きな影響を受けたことはよく知られています。

Q:どうして、ストゥーパのモチーフとして水が重要視されていたのか気になった。ストゥーパの建てられている周辺が川だったとか、そういうわけではなさそうなのに。
A:水のモティーフが多いことのみを強調して、まだその理由は説明していません。簡単に言えば、水は生命の源である原始の海で、そこに築かれたストゥーパは宇宙を表しています。何のことやらさっぱりわからないと思いますが、今回そのことをお話しするつもりです。なお、ストゥーパの建てられた周辺には川もあったと思います。ストゥーパは単独の建造物ではなく、僧院付属の宗教施設と考えられていますが、僧院を建てるための条件のひとつとして、川が近くに流れていることが文献によくあげられています。僧院は共同生活の場であり、川はそのための必要な「設備」だったのです。もっとも、それと仏塔のモチーフとしての水は、別の問題として扱うべきでしょう。

Q:仏の大量生産といえば、西遊記で孫悟空たちがあっさり仏になってしまいますが、あれもその類ですか。
A:西遊記の中の該当する内容を知らないので、申し訳ありませんが、回答できません。それはそれとして、西遊記は仏教の知識を持って読むとよくわかるところも多いと思います。三蔵法師のモデルとなった唐の玄奘は、インド仏教史上でも重要な役割を果たしています。タリバンに破壊されたバーミヤンについても、玄奘の「大唐西域記」の中に詳細な記述があります。数年前に朝日新聞社で「三蔵法師の道」という企画があり、玄奘が訪れた場所をたどる調査と、ゆかりの仏像などの展覧会などがありました。私も少し関係したのですが、インドの密教美術を考える場合にも、玄奘や「大唐西域記」は重要な情報源です。『インド密教の仏たち』でしばしば玄奘を取り上げているのはそのためです。

Q:サーンチーの(ストゥーパの)中はどうなってるんですか。それとも中はつまってるんですか。
A:ストゥーパの中は土です。全体は土饅頭で、古墳のようなものですが、中に石室や特別な空間はありません。授業でも言ったように、人々は周りを回るだけで、中に入ることはできません。ストゥーパの構造については今回またお話しします。

Q:前回、宗教について書きましたが、先生のコメントを読んで、単に自分の好き嫌いを「正しい」とか「正しくない」とか偉そうに言う自分の態度が恥ずかしくなりました。
A:そんなに気にしないで下さい。むしろ、宗教についてよく考えていると思って紹介しました。「仏教に執着しなくなるのが、理想的な仏教」というのも間違ってはいません。建設的で内容のある質問を出していただくと、いろいろこちらもコメントしやすいので、助かります。

Q:「花綱」って何ですか。何の意味があるんでしょう。
A:文字通り花で作った綱です。インドに行くと花を糸でつないだ長い首飾りのようなものをよく売っています。寺院で神様の像などにお供えをしたり、高貴な人の首に掛けたりします。インドのセレモニーでよく政治家などが首に掛けているのを、ニュースでも見ることがあります。日本では花をこのような形に「加工」することはあまりありませんが(ふつう、花束のままです)、インドではきわめて一般的な謹呈用の花です。花綱のモチーフそのものがいつ頃からインドの仏教美術に登場するかは調べていませんが、ガンダーラでも見られます。そこではヤクシャではなくプットーと呼ばれる子どもの神が花綱を担いだりしています。これはギリシャやローマでも装飾文様として見られるものです。プットーは森永製菓のマークでおなじみのキューピッドと同じ仲間です。このようなプットーと花綱のモチーフは、現在でもヨーロッパの庭園などで見られます。インド内部では、このプットーのかわりにヤクシャが登場し、子どものようなこびとの姿で花綱をかついだ姿で表されるのが一般的です。口や頭から吐き出すのは、特殊な形ですが、植物を自分の身体から生み出すというのは、ヤクシャのもつ豊穣多産を司る性格を、明確に示すものでしょう。

Q:仏塔への礼拝の仕方がまわりを一巡するという方法もおもしろいなと思った。
A:仏塔のまわりを右回りに回ることを右遶(右繞とも書きます)と言い、サンスクリットでpradakキi?と言います。インドは浄と不浄を明確に区別することが広く見られ、右と左の二者の中では、右が浄、左が不浄と結びついています。右回りに回るのは、自分の右側がつねに礼拝の対象に向いている状態ということになります。仏塔のような建造物だけではなく、貴人に対しても右回りに回って挨拶をします。釈迦に対して弟子や信者が五体投地(全身をひれ伏させる)とともに右遶をして、釈迦に挨拶するという記述が、仏典に頻繁に現れます。

Q:三十二相は釈迦が生まれたときから持っていたものなのでしょうか。それとも仏陀となる過程で獲得していったものなのでしょうか。
A:基本的には生まれつき備わっている特徴です。そのため、誕生後にその将来が占われたとき、三十二相をそなえていることを理由に、転輪王か仏陀になるとアシタ仙によって預言されます。修行を積んで次第に仏陀に近づいていく過程で、ひとつずつ身に付けていくというものではありません(テレビゲーム的?)。もっとも、三十二相の特徴を見てみると、赤ん坊が身に付けているとは思えない特徴もあります。実際に誕生の場面を表した作品では、釈迦もふつうの子どもの姿をしています。ただし、釈迦は誕生直後に歩くので、新生児ではなく、幼児ぐらいの姿です。

Q:仏塔の資料を見ていて思ったのですが、ドーム型の宗教建築物って多くないですか?(もちろん四角いものの方が多いですが)イスラム、キリストにもドーム型の建物ってありますし、ある種のシンボリックな要素がある気がします。内側から見たとき、プラネタリウムのような効果(宇宙を想起させるなど)をねらってるんでしょうか。
A:ご指摘のとおりです。答えもそういうことでいいと思います。ドーム型は天空を表現するもっとも一般的な形態でしょう。プラネタリウムのような形態も、むしろ人類が古来から持っている宇宙観を現実的な形で表現したと言うこともできます。基本的に、宗教建築物は宇宙を表現することが一般的です。キリスト教的に言えば、教会は「神の家」であり、神は世界(=宇宙)に君臨するからです。宗教学者のエリアーデは、とくに「聖なる空間」として宗教建築物をしばしば取り上げ、そのシンボリズムを考察しています。また、ヨーロッパにおいて建築学やその基礎となる数学や工学が発達したのは、この完全無欠で秩序だった「神の家」を生み出すためだからです。このようなことは仏教の場合でも同様で、インドや日本の寺院建築にも当てはまることです。ただし、どのような宗教の場合でも、理念や世界観のみで建造物を造ることはできません。そこで人々は何を行うのかという機能の面も考慮に入れなければなりません。いずれにしても、宗教建築についての考察は、理系、文系という枠組みを越えた、幅広い領域からのアプローチを必要とします。
エリアーデ、ミルチャ 1969 『聖と俗  宗教的なるものの本質について』風間敏雄訳 法政大学出版局。
エリアーデ、ミルチャ 1981 『聖なる時間と空間−宗教学概論(3)−』(久米博訳) せりか書房。
馬杉宗夫 1992 『大聖堂のコスモロジー:中世の聖なる空間を読む』講談社現代新書。
佐藤達生・木俣元一 2000 『大聖堂物語  ゴシックの建築と美術』河出書房新社。
藤井恵介 1998 『密教建築空間論』中央公論美術出版。
森 雅秀 1997 『マンダラの密教儀礼』春秋社。

Q:多臂のアイデアはどこから出てきたものなのか
A:仏教的な説明では、衆生を救済するための手段の多様性と威力を示すということになっていますが、非人間的な姿である多臂の像が出現するためには、仏教内部でかなりの抵抗があったと思います。一方、ヒンドゥー教を見てみると、シヴァやヴィシュヌにも多臂の像がしばしば見られますし、カールティケーヤが六面六臂を持っていることも教科書に述べたとおりです。女神ドゥルガーもやはり十二本という多くの腕を持っています。常識的にはグロテスクな姿であるはずの多臂や多面の像が、このような「聖なる像」として用いられるようになった理由は、よくわかりません。インドの神々のイメージの特徴のひとつと言うしかないかもしれません。ただし、仏教の仏たちが多面多臂を持つようになったことが、ヒンドゥー教のこれらの神々と無関係であったとは考えられません。日本仏教では千手観音や十一面観音がよく知られています。このような仏教的と思われる姿にも、実際にはヒンドゥー教の神々の影響を指摘する研究者もいます。

Q:エローラ第一二窟の八大菩薩のインパクトが強かった。少しアフリカの美術的なものを感じた。他の仏像と顔の表現がだいぶ違っていておもしろいと思った。
A:スライドで紹介したエローラの八大菩薩像は、表面の変色や摩滅がかなり進んでいるため、そのように見えたのかもしれません。私の説明からもそのような印象を受けたのでしょう。エローラやアジャンタの浮彫は実際はむしろ写実的で、生身の人間に近いほどリアリティを持っています。私の個人的な感想ですが、デフォルメされていれば、むしろそれほど強烈な印象は受けないと思います。エローラの作例でもっとも印象深かったのは、これらの仏像の近くに彫られた信者の姿の浮彫でした。うずくまって合掌する姿はとてもリアルで、千年以上もの間、ずっとそこに坐っているような錯覚を覚えました。

Q1:先週の感想にいくつかのマンガが出ていたので、私も。先生はCLAMPの「聖伝」(リグヴェーダ)を読んだことがありますか。
Q2:よくTVゲームのロールプレイングゲームで、この授業でやった神々、あるいはその名をもじったと思われるものが出てくるのはなぜですか。
A:最近のマンガには、特定の作者のものを除いて、あまり詳しくありません。CLAMPの「聖伝」もタイトルしか知りません。マンガのタイトルには時々サンスクリットが出てきて驚かされることがあります。たとえば「イティハーサ」というのは「歴史」あるいは「歴史書」を意味します。ゲームは私はまったくしないので、そのようなものがあることは人から聞くぐらいなのですが、インド関係の神々の名前がよく登場するようですね。理由はいろいろ考えられますが、ギリシャ神話や日本神話の神々のようによく知られていないので、手垢の付いた感じがしない、グロテスクなイメージがインドの神々から連想される、作者がインド関係の知識を断片的に持っている、などでしょうか。これでは、インドの宗教のイメージが正しく伝わらないという気がしないでもないですが・・・。

Q:その土地の神が仏教の仏に取り入れられる場合は多い気がしますが、その土地の神が悪い派にされる場合もあるんですか。
A:どちらの場合もあります。初期仏教の時代には、おそらくヤクシャや羅刹、龍(ナーガ)などの神々は、仏教の仏たちと共存関係にあったようです。彼らに対する民間信仰を、仏教徒たちが巧みに利用して、説話や造型表現に取り入れていったことも、以前から言っているとおりです。ヴィシュヌやシヴァなどのヒンドゥー教の神々は、当初はもっぱら敵対関係にありましたが、密教経典では積極的に包摂されて、重要な役割が与えられています。土着の神や外教の神を包摂することは、キリスト教でもよく見られ、仏教よりも研究が進んでいます。参考文献をあげておきます。
セズネック、ジャン 1977 『神々は死なず:ルネサンス芸術における異教神』高田勇訳 美術出版社。
馬杉宗夫 1998 『黒い聖母と悪魔の謎:キリスト教異形の図像学』講談社現代新書。

Q:お地蔵さんは仏の一種ですか。
A:お地蔵さんは菩薩のグループに含まれます。地蔵はわれわれにとってもっとも身近な仏の一人でしょう。道ばたの石仏や、お坊さんのような姿をしたイメージは、誰もが持っているはずです。ただし、菩薩がこのような姿(僧形といいます)を取るようになったのは中国からで、インドの地蔵は菩薩一般に見られる姿をしています。授業で何度も紹介している八大菩薩にも含まれますが、図版を見ても見慣れた地蔵の姿はありません。中国や日本では地蔵は地獄の救済者として、祖先崇拝や死者供養のような場面で重要な役割を果たします。なお、文学部比較文化の清水先生は、地蔵信仰を専門とされています。

Q:インドの仏が神的存在なら、インドは多神教でしょうか。日本以外で多神教の国は珍しくないですか。
A:宗教を説明するときに、一神教と多神教という分類はよく目にします。イスラム教やキリスト教は一神教、日本の神道は多神教といった具合です。しかし、ひとつの宗教をこのうちのいずれかに分類するのは、実はかなり困難です。仏教でもパンテオンの総体を見れば多神教と見るべきでしょうが、これらのすべての仏は大日如来に帰一するというような立場をとれば、一神教になります。

Q:部屋の温度が高かったように思います。ムシムシして汗をかきながら聞いていました。
A:うーん、これはどうしようもないですね。暗幕を閉めるとどうしても部屋の温度は高くなります。スライドの時間を2回に分けて、途中で換気をするなどの方法も考えますが、みなさんも服装などでコントロールできるようにして出てください。

Q:同じ塔のはずなのに、日本と中国、インドではどうしてこんなにも形が違うんですか。
A:その違いが塔のおもしろいところです。逆に、形がこんなに違うのに、どれも仏教の世界観を反映した構造やシンボリズムを有していると見ることもできます。授業でも紹介するつもりですが、「朝日百科 日本の国宝 別冊」の「国宝と歴史の旅 8 塔 形・意味・技術」は、このようなアジアの塔の多様性を鳥瞰できる興味深い参考文献です。


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