密教美術の世界

第6回 パンテオンの構造

Q:ナーガに似たものがアンコールにあったような気がするんですが。(ほかにも中国の龍についての質問もありました)
A:アンコールはアンコールワットですね。たしかにあります。ナーガ信仰はインドだけではなく、東南アジアやスリランカなどの上座部仏教圏(いわゆる小乗仏教)でも見られます。中国では龍と結びつき、日本でも古くから信仰されています。龍のような水の神は世界中で見られ、エリアーデなどの宗教学者がよく取り上げます。また、ナーガや夜叉、羅刹、樹神などに対する信仰は仏教以前からありますが、仏教はこのような民間信仰を巧みに取り入れることで、信者を増やしていったのでしょう。

Q:あんなに後付けをして破綻しないのですか。
A:明王に見られたヒンドゥー教の神との関係を指していると思いますが、そのとおり、破綻します。その結果、インドからは仏教は姿を消すことになります。理由はそれだけではありませんが・・・。ただし、図像やイメージの持つ意味はしばしば「こじつけ」めいたものがあります。しかし、それが「権威」や「正統」となることがあるのもたしかです。

Q:仏のイメージが共通性を帯びてくると言うけれど、誰が最初のイメージを決めるのかと不思議に思った。日本の仏像の方がよりリアルに表現されているように思えた。
イメージを最初に決めた人はわかりません。画一化するときに選ばれるイメージは、そのグループの代表的な仏であったり(たとえば如来であれば釈迦、菩薩であれば観音)、平均的というか最大公約数的なイメージになることもあります(たとえば忿怒尊の場合など)。日本の仏像の方が写実的な傾向にあるのはたしかですが、これはパーラ朝の仏像が過度に形式的、装飾的になったためで、それ以前のグプタ時代の仏像などは、きわめて写実的です。時代によって何を重視するかはさまざまです。

Q:七福神は弁財天とか大黒天とかいますが、天部に含まれる仏教の神様なんですか?神って言うと神道系のように考えられるのですが。
A:七福神はインド、中国、日本の神々の寄せ集めです。インド起源の神は弁財天、大黒天、毘沙門天、中国起源は福禄寿、布袋、寿老人、日本が恵比寿です。大黒天はインド起源ですが、その姿は大国主の尊(因幡の白ウサギで有名)の影響があり、インドの大黒(マハーカーラ)とは異なります。七福神の研究もいろいろあります。

Q:高校の時『仏像図典』をものすごくうれしそうに読んでいる友人がいました。私には理解不能の趣味かと思っていましたが、この授業のおかげで、仏の世界に親しみがもてました。
A:仏像の世界は、けっこう「オタク」的なところがあり、知れば知るほどのめり込んでいきます。佐和隆研の『仏像図典』は類書の中では最も信頼できる名著で、これを読んでいたお友達は、なかなかよい選択眼をもっていたのでしょう。漫画家のみうらじゅんなども仏像の本をたくさん出しています。それなりにおもしろいようです。

Q:仏教が異教徒を改宗しようとしたように、逆に仏教徒が他の宗教に改宗することはあったんですか。
A:当時の力関係からすれば、仏教徒がヒンドゥー教徒になった方が、その逆よりも圧倒的に多かったと思います。ヒンドゥー教徒にとって仏教はすでにライバルではなかったでしょう。仏教徒によるヒンドゥー教の神のイメージの借用は、仏教にとっては起死回生の策だったかもしれませんが、自己のアイデンティティーを失う自殺行為とも言えます。

Q:明王グループの恐ろしさによって力ずくで改宗させられ、仏の慈悲にふれた異教徒の人々は、アメとムチの効果で、仏教の虜になっただろうなと思います。
A:前の回答も参照して下さい。インドには明王系の作品がきわめて少なく、これは日本密教で不動明王や愛染明王が数多く作られたことと、大きく異なります。明王の像が一般の人の目に触れることはほとんどなかったようです。

Q1:ターラー坐像の胸や足が触れられてつるつるになっているのが印象に残りました。触っている人たちに信仰心はあるのかと疑問に思います。そこで疑問に思うこと自体、日本人の考え方なのかもしれませんが・・・。
Q2:なぜ女尊の胸を触るのでしょうか。富の象徴だからですか?(私は長野出身で、善光寺にも自分のよくなりたいところを触ると御利益があるという僧の像がありました。)
A:インドの博物館はおおらかで、彫刻作品にふれることにそれほど神経質ではありません。現在、日本のお寺で仏像に触ってもよいところは少ないでしょうが、後の方の質問にもあるように、触ることによって病気平癒などの御利益(ごりやく)があるところもあります。仏像などの聖なるものが視覚的なものだけではなく、それ以外の感覚でも体験できるような存在であることも、しばしば見られます。単に拝むだけではないのですね。

Q:金剛は何をするためのものですか。
A:金剛手が手にする金剛杵は、サンスクリットではVajra(ヴァジュラ)といいます。本来、ヴェーダの代表的な神であるインドラ(帝釈天)の持ち物で、敵を攻撃する武器です。インドラは雨をもたらす雷の神が起源とも考えられており、その武器であるヴァジュラは稲光をかたどったとも言われています。造型表現としては、授業で紹介したガンダーラの金剛手がしばしば持っていますが、そこではウサギの餅つきのときの「きね」のような形をしています。密教の時代には金剛手や忿怒尊の持物として広く見られるほか、仏具となり、僧侶が手にするようになります。

Q:金剛手はどのようにして下剋上したのですか。ボディーガードとしてちょこちょこ顔を出すうちに、だんだんと人々の気を引くようになったからでしょうか。関係ないのですが、萩尾望都の「百億の昼と千億の夜」という漫画はおもしろいですよ。シッダータとかが登場します。
A:まず前半の質問について。特定の仏の人気が時代によって上下するのは、仏像やほとけの歴史を考える上で、きわめて重要なことです。その中でも金剛手はもっとも華麗な(?)変化をとげたほとけでしょう。授業では言い忘れましたが、ガンダーラとならびマトゥラーでも早くから金剛手は仏の脇侍として登場します。そこではボディーガードとしてではなく、観音に相当する蓮華手と対になって仏の横に置かれています。経典の中でも金剛手は次第に重要な位置を占めるようになり、とくに密教になると地位の上昇は顕著です。その理由はいろいろ考えられますが、根強いヤクシャ信仰、持物の金剛杵の持つ力への信仰、「秘密を保持するもの」という性格などがあげられます。ちなみに、密教という語は日本や中国独自のもので、インドでは「金剛乗」と呼ばれていました。少し専門的になりますが、以下のような論文が金剛手を扱っています。とくにはじめにあげた入澤氏の論文がよくまとまっています。
入澤 崇 1986 「ヴァジュラパーニをめぐる諸問題」『密教図像』第4号。
石黒 淳 1985 「金剛手の系譜」『密教美術大観 第3巻』 朝日新聞社、pp. 181-191。
山野智慧 2000 「初期密教経典における金剛手」『密教学研究』32: 55-72。
山野智慧 2000 「『大宝積経』「密迹金剛力士会」の一考察」『智山学報』50: 41-57。
 後半の「百億の昼と千億の夜」はたしかにいい作品ですね。私も雑誌連載中に読んでいましたし、コミックスも持っています。光瀬龍の原作よりも、萩尾望都の作品の方がよくまとまっていたような気がします。主人公の阿修羅王のイメージは、マンガでは興福寺の阿修羅王像がモデルになっていて、萩尾望都のファンでも人気の高いキャラクターでしょう(もっとも作者はナザレのイエス、つまりキリストが気に入っていると、どこかに書いていました)。萩尾望都はデビューからすでに30年以上たっているはずですが、今でも第一線で活躍しているのはすごいですね。

Q:密教の世界にも女性進出が起こったのはなぜですか。像を造った時代の時代背景と関係があるのでしょうか。その時代、俗世でも女性進出があったとか・・・
A:授業では省いてしまったのですが、密教の時代はインド全体で女神信仰が興隆してきた時代です。ヒンドゥー教でもドゥルガーやカーリーという「大女神」が登場し、人気を集めています。女神信仰はインドの基層文化のひとつと考えられ、たとえばインダス文明でも、多くの女神が信仰されていたようです。これに対し、紀元前1500年頃に北西インドから侵入し、インドにおいて支配的な勢力となったアーリヤ人たちは、男神を中心とした神々の体系を有していました。中世インドの女神信仰の興隆は、インド本来の女神信仰の復活でもあったのです。当時の社会的な背景がこのような復活と関係があったかはわかりませんが、当時の女性の社会的な地位は決して高くはなかったでしょう。また、女神崇拝がさかんな文化で、必ずしも女性の地位が高いわけではありませんし、女神信仰を支えていたのが女性であったわけでもありません。むしろ母系社会であるなどの別の社会的要因を考える必要もあるでしょう。

Q:最近の話のウェイトが重くなって、スライドをゆっくり見られない。もう少しじっくり見たいです。
A:私もそう思って反省しています。PowerPointでスライドを作るのも、けっこう手間がかかるので、せっかくならゆっくり見てもらいたいと思っています。

Q:仏の頭のボコボコは髪だと思っていたのに、肉だとは驚いた。頭蓋骨もボコボコになっているのだろうか。
A:私の説明が悪かったようです。仏頂(ぶっちょう)は肉髻(にっけい)ともいって、頭のやや後ろの盛り上がったところです。髪の毛に相当する多くの渦巻状のものは螺髪(らほつ)といいます。こちらは髪の毛です。いずれも仏(狭い意味での)のみがもつ特徴で、このような特徴が32あることから三十二相と呼ばれます。日本でもインドでも、あるいはチベットでも仏像であれば同じような姿をしているのは、この三十二相を忠実に表現しているためです(もちろん地域差はありますが)。三十二相は仏像の誕生にも大きな役割を果たしたことが、研究者によって指摘されています。

Q:仏頂尊勝がおもしろかった。あの頭は髪型じゃなくて、もりあがっていたのだとはじめて知りました。たしかにあんなにボコって出ていたらすごい力があるような気がします。
A:仏教徒による説明は、前の答えにもあるように、仏頂は肉が盛り上がっているのですが、その起源はガンダーラあたりの西アジアの貴人の髪型という説もあります。ちょんまげのようなものですね。それがインドでは肉体の一部となったというのです。図像の起源や意味をさぐるのはたいへんです。

Q:何かこの授業に影響されて、この前から手塚治虫の「ブッダ」を集めています。やっぱりおもしろいです。
A:手塚治虫もいいですね。代表作の「火の鳥」などにも、どこか仏教的な雰囲気が感じられます。「火の鳥」の「鳳凰編」は、信仰と芸術をテーマにした作品で、仏像とは何かを考える上でも興味深いです。

Q:インドとかチベットの仏像ってなんとなくちんちくりんで、むくんでるような感じがするんですが。
たしかにそういう作品もありますね。でも、チベットの仏像は逆に異常に手足が長くて、やせているものや、パーラ朝でも後期になると、華奢な仏像が主流になります。いずれにしても、自分なりにイメージをとらえるようになることは大事ですし、好みが分かれるのも当然です。

Q:インドでは仏教とヒンドゥー教で神々の間に交流があるのに、日本ではそういうケースがないように思う。日本の天津神、国津神に外来の神仏と絡んだ例はないのだろうか。
A:日本でも神道と仏教の間では、歴史的に見てさまざまな影響がありました。神と仏の関係についても、本地垂迹説などはその代表的なものです。山岳信仰や修験道とも仏教は交渉を持ちました。ただし、神々のイメージに関しては、仏教と日本土着の神の間では、インドほど親密な関係はなかったようです。神道をはじめ日本の神々が、イコンとして表されなかったこともその原因の一つでしょう。

Q:サンスクリット語にはabcなどの文字が使われていたのですか。サンスクリット語の歴史を知りたい。
A:サンスクリットはインド系の文字で表記され、現在ではデーヴァナーガーリーという書体を使います。インド系の文字とアルファベットは、文字の系列としては別です。ただし、サンスクリットをローマ字で表記することは、18世紀から行われています。日本語をローマ字で表記するのと同じことです。サンスクリットの歴史そのものは専門的になるのでここでは述べませんが、ヨーロッパの言語学はサンスクリットの研究から始まりました。そのあたりのことは風間喜代三『言語学の誕生』(岩波新書)に詳しいのでお読み下さい。

Q:坐像の仏像は必ず台座があります。これはやはり礼拝上、威厳みたいなものを示すためなんでしょうか。また台座のない坐像の仏像はあるのですか。
A:パーラ朝期の仏坐像のほとんどは蓮華の台座の上にのっています。立像でも同様の台座が現れることがあります。蓮華の台座は日本の仏像でも一般的で、蓮台(れんだい)と呼ばれます。如来坐像の場合、蓮台の下にも基壇の部分があり、ここに獅子などの動物が彫刻されていることがあります。王や高貴な人物が座る玉座と同じです。百獣の王といわれるように、獅子も王の象徴です。光背にも類似の装飾がほどこされていることがあります。ハスの花が台座になる理由はいろいろ考えられますが、インドではハスが生命やその源泉の象徴であることがあげられるでしょう。仏伝のひとつ「舎衛城の神変」で、釈迦やまわりの仏たちが、地面から出現した巨大なハスに載っていることも、関係するかもしれません。

Q:板書の文字が小さくて見えづらいです。
A:おっしゃるとおりです。大講義室ということをつい忘れてしまいました。私の板書はわかりづらいので、なるべくプリントなどにしたいと思います。

Q:シヴァ神は男ですか。
A:そうです。シヴァの妻がパールヴァティー、あるいはドゥルガーで、文殊と関係するカールティケーヤや、象頭の神ガネーシャなどはその子どもということになっています。これらの神はもともとは個別に信仰されてきたのですが、中世のインドでは家族を構成するようになります。

Q:大きさによってかなり違うと思いますが、一作品の制作時間はどれくらいなのですか。
A:わかりません。記録などにも残っていないでしょう。あくまでも想像ですが、われわれが思うよりもずっとはやいのではないかと思います。一人でこつこつと刻むというより、工房のようなところで、複数の工匠が制作にあたっていたと思います。

Q:質問のプリントを見ていて思ったのだが、インド人の理想的な顔が日本人のようなしょうゆ顔であるのはわかるけれど(逆の感じだから)、日本で濃い顔の偶像が拝まれなかったのはなぜなのか、逆に不思議に思った。
A:「しょうゆ顔」と「濃い顔」という表現が、私には今ひとつ分かりませんが、日本でもインド風の表情の作品も作られています。たとえば、はじめの頃に紹介した向源寺の十一面観音(平安初期)は、しばしば、ムンバイにあるエレファント島のシヴァ神の顔と似ているといわれます。またマンダラの例としてよくお見せする西院本の両界曼荼羅図(伝真言院曼荼羅ともいわれます)は、中央アジアやインドの様式が顕著といわれます。

Q:わずかな違いのみでは、それぞれを個々の仏、菩薩等のグループとしては楽しめそうにない。
A:そのとおりですが、イメージが画一化することにも何らかの合理性があったはずです。そのことについては先回はふれられませんでしたが、今回、お話ししたいと思います。

Q:なぜ釈迦の前世だとかを、現世のわれわれが分かるのか。
A:もちろん、わかるわけがありません。釈迦の前世の物語、すなわちジャータカは600とか700とかあるのですが、当然それには題材があって、インドの民間説話が用いられているといわれます。逆にジャータカはイソップ物語や日本の今昔物語のなかにも取り入れられています。ひとつひとつのジャータカは、導入部、中心部、終結部の三つの部分からなるのが一般的で、釈迦の前世の物語は中心部です。導入部はそれが説かれた状況(つまり現在の物語)、終結部は中心部の登場人物が現在の誰にあたるかの種明かしです。主人公は釈迦、主人公に妻がいればヤショーダラ(釈迦の妻)、悪役は必ずデーヴァダッタという具合です。みんなそろって輪廻しているということです。インドは民話や説話の宝庫で、その分野の研究も昔からさかんです。

Q:人気がないにもかかわらず作例の多いもの、または人気があるにしてもかかわらず作例の少ないものはあるのか。
A:ファン投票とかできないので、正確な人気はわかりませんが、作例数が人気を反映していると考えるのが自然でしょう。ただし、当時の仏教徒にもいろいろのレベルの人がいたはずで、僧院の中で修行をしたり、文献を著すようないわゆるエリートから、仏教とヒンドゥー教の区別も付かない、一般の人までさまざまです。エリートが著述する文献の中で頻出する仏や、高位に位置づけられる仏に、必ずしも多くの作例があるわけではありません。極端な場合、経典の中でもっとも重要とされる仏であっても、1点の作例も残されていないものもあります。

Q:仏教美術とキリスト教美術の共通性が言われていましたが、金儲けが目的のうさんくさい新興宗教や、誰かが国を支配したりするために、自分に都合よくゆがめた理屈などではなく、本当の宗教なら、どの宗教も目指すところは一緒で、根本が一緒だから文化上の違いこそあれ、似ているのは当然というか、むしろその共通したところが普遍的な真理なのではないでしょうか。仏教も最終的には「仏教に執着しなくなること」が理想だと聞いたことがあります。
 現代では男女平等が叫ばれていますが、厳密なところでは男女の優劣はあるんじゃないかなという気がします。 仏たちのだるそうで魅力的なポーズを見ていると、ぴしっとした姿勢が非人間的で、嘘っぽく、つまらないものに思えてきます。
A:長文のコメントありがとうございました。前半の宗教についてのお考えは、たしかにそういうところもあるでしょうが、「本当の宗教」とか「普遍的な真理」なんてないんだという人もいます。基本的に宗教というのは非合理的、非科学的なものなので、何を真実と考え、何を信ずるかはさまざまです。また、宗教はきわめてデリケートなものでもありますので、他人が信仰している対象を、「間違っている」とか言うこともできないと考えた方がいいでしょう。もっとも、学問の分野でも宗教学では、特定の宗教に価値を与えずに、相対的な視点から研究するのですが、そうではなく、信仰を基礎にした研究として神学(キリスト教の場合)や、教学(仏教の場合)があります。イスラム神学などもそうですね。

Q:最近までは派手な仏像が好きだったが、今日はじめて地味な作品も「美しい!」と思えたのがすごくうれしかった。毎回たくさんのスライドを見ているおかげで、少し見る目がついたのかなと思う。
A:美術や芸術で重要なことは、やはり数多く体験することでしょう。今までは同じに見えていたものや、気がつかなかったものが見えるようになるのは、一種の快感です。

Q:尊像のそれぞれの役割、意味がよくわかりません。何を調べればよいのでしょうか。
A:基本的な文献の紹介をしていませんでした。とりあえず次のようなものをあげておきます。
立川武蔵 1987 『曼荼羅の神々』 ありな書房。
佐和隆研 1962 『仏像図典』吉川弘文館。
頼富本宏 1984 『庶民のほとけ  観音・地蔵・不動』NHK出版。
頼富本宏 1985 『マンダラの仏たち』 東京美術。
頼富本宏・下泉全暁 1994 『密教仏像図典  インドと日本のほとけたち』人文書院。
仏像についての本は世の中に無数にありますが、中には専門家から見てあまりにひどいものもあります。よいものを選ぶ目も必要です。

Q:今では彫刻は彫刻刀だけど、当時は何で彫ってたんでしょうね。また、日本の岩石とインドの岩石の違いってあるとは思うけど、どう仏像の出来具合にかかわって来るんでしょうか。
A:基本的に道具はノミと鎚(槌)だと思います。現在のインドの工匠が使っているものと大差はないでしょう。インド内部でも地域によって材料の岩は異なり、ベンガルやビハールでは黒玄武岩、オリッサはコンダライトという岩が中心です。サールナートやマトゥラーは砂岩ですが、それぞれ色などがかなり異なります。日本では石像は地蔵などには多いですが、寺院内部に安置しているものには木彫の像が大半です。古い時代には乾漆像や塑像もありました。当然、同じ題材(つまり同じほとけ)を像で表現する場合でも、材料によって出来上がりに大きな違いがあります。

Q:私は「大師陀羅尼錠」という漢方薬を愛用しているのですが、この「陀羅尼」というのが女尊で、「呪文」という意味だとおっしゃいましたが、「病気を治すこと」と「呪文」がやはり関係するのでしょうか。ちなみにこの薬は日本の高野山でしか売っていないそうです。(類似の薬についてのコメントがもう一つありました)
A:空海が唐から持ってきた薬ということになっています。本当かどうかは知りませんが、昔からおなかの薬として愛用されてきたようです。高野山のおみやげ物としても重要です。直接関係ありませんが、空海、つまり弘法大師に対する信仰は、密教という枠を越えた広がりを持っていて、すでに平安時代の中期頃からさかんだったようです。弘法大師に関するさまざまな神話を生み、四国巡礼のような大規模な宗教実践の母胎ともなっています。陀羅尼については教科書のコラム(5)も参照して下さい。

Q:同じ菩薩の中でも地位の差というのはあるのでしょうか。
A:基本的にはありませんが、機能や性格はそれぞれ異なります。弥勒は授業でも繰り返しているように、一番われわれに近い未来仏なので、特別といえば特別です。また経典によって主人公となる菩薩が異なることも確かなので、文献によって重要度が違うということもできます。

Q:仏自身のアイデンティティが持ち物などによってすべて表されている仏像というのは、せっかく文献など作って思索し、想像した人々がかわいそうだと思った。
A:まだ授業では説明していませんが、実際は文献の中の方がほとけのイメージの画一化が進んでします。むしろ作品を作る人々の方が保守的で、伝統を重視する傾向があるため、それぞれのほとけのオリジナルなイメージが保持されています。


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