密教美術の世界

第5回 日本密教の源流

O:奈良の大仏をはじめ仏像の大きさについて、その意味が宇宙を支配するダルマの化身であり、世界そのものであることを知って、見事に納得させられた感じです。初めて大仏を見たときの印象はそのようなものだったかもしれません。作った職人のすばらしさを感じました。
A:すべての巨大な仏像が「宇宙主」であるわけではありませんが、中央アジア、中国、日本の「大仏」の多くが、仏教のコスモロジー(宇宙論)に根ざしているのもたしかです。中国には大仏が身に付けている衣に、さまざまな「世界」が描かれたものもあります。奈良の大仏は現代のわれわれが見ても大きさに圧倒されますが、巨大な建築物などのなかったなら時代の人にはさぞかし大きなものだったでしょう。創建当時の大仏殿は今よりも大きかったそうです。ちなみに、タリバンが破壊してしまったバーミヤンの大仏は、奈良の大仏の約3倍もの高さがありました。今、奈良国立博物館で「東大寺のすべて」という展覧会をやっていますので、機会があればご覧になるといいでしょう(7月7日まで)。バーミヤーンの参考文献を少しあげておきます。
前田耕作 1986 『巨像の風景  インド古道に立つ大仏たち』(中公新書) 中央公論社。
樋口隆康 1980 『バーミヤーンの石窟』同朋社出版。
宮治 昭 2002 『バーミヤーン 遙かなり  失われた仏教美術の世界』NHK出版。

Q:仏像の雰囲気(華やか〜地味など)が変化するきっかけにはどのようなことがあるのですか。
A:「雰囲気」というのは作品全体から受ける印象とも言うことができますが、いろいろな要因があると思います。作品を生みだした人々のもつ美意識、民族性、風土などがまずあげられるでしょう。仏像のような聖なる像である場合、その母胎となる宗教のあり方、神秘的なものや霊的なものをどのように表現するかという問題もかかわってきます。特定の時代に固有の「雰囲気」があることが一般に認められると、「時代様式」という用語でこれを表します。インドの仏像でも「グプタ様式」「パーラ様式」というような使い方をします。日本の仏教美術でも「白鳳」や「天平」などはよく知られていますね。仏像制作者は日本でもインドでも、特定の伝統の中で制作にあたったはずですが、その中で独自のスタイルを生み出すことで、あらたな時代様式を生み出すこともしばしば見られます。芸術家というのはそういうものなのでしょう。

Q:先生はとても楽しそうにお話になるから、授業自体はとてもおもしろいのですが、おなかいっぱいの3時間目、暗い、静か、となると、どうしても睡魔が・・・すみません。よく仏教で何とか童子とかが菩薩のお供でくっついてきますよね。あれはいったい何なんですか。
A:眠くなるのは仕方がないですね。途中でストレッチの時間など入れるといいのでしょうね。私も大学生の頃はよく講義中に眠っていました。学部の専門の授業になると数人のことが多いので、さすがに減りましたが・・・。「童子」のうち、観音の脇侍になる善財童子は『華厳経』という大乗経典に登場する人物で、真理を求めて53人の善知識(宗教的指導者)をたずね歩く求道の旅をします。観音も善知識の一人に含まれます。善財童子は脇に経典をかかえ、両手で合掌をする少年の姿で表されます。文殊の脇侍には斧を手にした忿怒形の男性像がおかれることがありますが、これはヤマーンタカ(大威徳明王)と考えられています。脇侍は主尊よりも格下の「お付きの人」なので、菩薩の場合、女尊や明王などになることが多いです。このほか、日本の不動明王は二童子をしばしば従えます。八大童子、三六童子という多くの数の場合もあります。この場合も、明王の従者となります。

Q:六臂観音坐像。身にまとっているものが、なぜ鹿の皮だと分かるのかが気になった。
A:鹿の顔をして、角もついています。ただし、奈良公園にいるような日本の鹿ではなく、山岳地帯にいる羚羊(アンテロープ?)のようなすがたです。鹿皮を身に付けるのは、インドの場合、行者の特徴で、瞑想をするときなどの敷物になるのです。もともと、ヒンドゥー教の神シヴァが身に付けていて、観音はこれを取り入れたと考えられています。

Q:どう表現していいのか分からないけれども、人々の想像力というのはすごいなと思った。何をモチーフにしてあのような仏たちを生み出していくのかなと重う。
A:ほんとうに人間の想像力は限りがないですね。『インド密教の仏たち』のはじめのところにも書きましたが、想像力とはイメージを生み出す創造力でもあります。人類は言葉や観念よりも先に、イメージを表し、理解していたのかもしれません。木村重信(1982)『ヴィーナス以前』(中公新書)中央公論社はこのような原初的なイメージを扱った好著です。

Q:手の位置や形が、違う仏でも似たような感じなのはどうしてなのですか。やっぱり手の位置ごとの意味があるから何でしょうか。(ほかにも印についての質問がいくつかありました)
A:手の形は「印」とか「印契」と呼ばれ、サンスクリットではmudr撃ニ言います。これまで授業で出てきたのは触地印(降魔印とも言います)、定印、説法印(転法輪印)、与願印、施無畏印などですが、他にもたくさんの種類があります。仏像についての一般的な本を見ると、このような印の絵が載っていて、その意味がまことしやかに解説されています。正しいものももちろんありますが、ひとつの印が必ずしもつねにひとつの意味を表しているわけではないことと、同じ名称の印でも時代や地域によって形が変化することもあることは、念頭に置いておかなければなりません。なお密教では僧侶も印を結びます。これは仏と同じ動作をする場合もありますが、儀礼などで、特定の行為や心情を象徴的に表すこともあります。印については資料を配付します。

Q:今日の授業内容には入らないかもしれないけど、前回の内容についての質問の女性美の表現に関するものが、今日は一番印象に残った。インドの仏像は背中が壁にくっついていて、日本のようにお堂に安置するようなものはあまりないように思えた。
A:インドでも仏像は寺院に安置するのが基本でしたが、寺院の形態や素材が日本のものとずいぶん異なることが、仏像の形式にも関係してくるようです。石窟寺院のような場合、仏像は壁に掘ることが基本になります。また、パーラ朝ではほとんどの寺院は石材でできていたので、石を刻んで作った仏像もその一部に組み込まれることが多かったでしょう。寺院建築は仏像を理解するためにも重要な要素となります。

Q:「南無」と「アーメン」が似ているような気がした。キリスト教との比較が興味深い。
A:「南無」はサンスクリットでnamoあるいはnamasで、「帰依する」「礼拝する」の意味になります。現在でもインドでは「こんにちは」の意味で「ナマスカール」(帰依します)「ナマステー」(貴方に帰依します)といいます。「アーメン」については辞書の説明の受け売りですが、ヘブライ語で「確かに」という意味の言葉に由来し、祈祷などの最後に唱えるのは「かくあらせたまえ」という意味だそうです。仏教美術とキリスト教美術は、同じ宗教美術という以上にいろいろ共通点があり、おもしろい比較研究ができます。

Q:ますます仏教って深いんだなぁと思いました。本当にそう思います。チベット仏教って他の宗教と何が違うのですか。ダライラマがわかるようなわからないような・・・
今年度は学部の授業でチベットの宗教と文化を取り上げています(月3限)。チベット仏教やダライラマについても講義していますので、興味があればどうぞ(今からでは単位になりませんが)。チベット仏教についてここで説明するのはたいへんなので、参考文献をあげておきます。
田中公明 1993 『チベット密教』 春秋社。
松本栄一(写真)・奥山直司(文) 1996 『チベット マンダラの国』 小学館。
山口瑞鳳 1987-1988 『チベット(上・下)』 東京大学出版会。

Q:菩薩って確認されているだけで何種類ぐらいあるんでしょうか。それにしても、前回、インドの仏像より日本の仏像の方に人気が集まったらしいですけど、インドの仏像って全体的に古くて表面が風化してて、見栄えが悪いじゃないですか。仕方ないと思います。
A:菩薩の数を数えるのは無理だと思います。代表的なものは観音、弥勒、文殊、普賢、金剛手などですが、経典の中には無数の菩薩が現れます。これは如来も同様で、経典では「ガンジス河の砂の数ほど」というような表現が用いられます(いったい誰が数えるんでしょうね)。仏像との関係で興味深いのは、このように大勢の仏や菩薩を経典では説いているのに、実際に制作された種類はきわめて限られていることです。名前を付けるのは簡単ですが、それだけの種類のイメージを生み出すことはほとんど不可能でしょう。イメージの画一化の問題もここに由来します。

Q:作品ランキングがおもしろかった。とくに日本の仏が上位という結果が。
A:日本の仏像が印象深いという結果は、ある程度予想はできましたし、当然とも思います。紹介している作品はどれも国宝や重文などで、すでに評価が定まったものです。写真も出版物からとることが多いので、プロの手になり、上手ですね。むしろ、これまで見たことのないインドの仏像にも、意外にきれいなものが多いという印象を持ってもらったことに意味があると思います。ちなみに、私の場合も、おそらく日本の作品をあげたと思います。前々回であれば、金剛三昧院の五智如来か、東寺の降三世明王あたりでしょうか。どちらも実物を見たことがあるということも、大きいです。

Q:奈良の大仏の台座にそんな小さな模様があるとは知らなかった・・・。奈良県出身なのに・・・。結構見に行ってたのになぁ。
A:大仏の蓮台はかなり高いところにあるため、一般の観光客は近づくことができません。特別に申請して、許可をもらうか、関係者が知り合いの場合、可能になることもあります。ただし、この蓮台の線刻は、制作当初のものがいくつか残っていて、文化財的にもとても価値があるため、レプリカが下の通路のところに置いてあります。ぜひ、次の帰省の折にじっくり見て下さい。

O:どの仏像も同じような顔に見える。
A:そういう印象も大事です。今回はなぜ同じように見えるようになるかをお話しする予定です。

O:写真では実際の大きさが分からなくて、どれも同じ大きさのように思えてしまう。実際に自分の目で見るのが一番だが。
A:そのとおりです。写真で知っている作品を実際に見たとき、意外に小さいとか大きいと言うことはよくあります。できれば実物を見るのが一番です。さらに仏像のような宗教的な作品は、それが置かれた「場」も重要な要素になります。もともと置かれていた寺院で見るのと、博物館のガラスケースの中で見るのとでは、その印象は大きく異なります。

Q:仏教とヒンドゥー教、またはそれ以前のインドの宗教の間で共通して登場し、崇拝される神々がよく分からない。ヴィシュヌ、シヴァ、ブラフマンというの神々がそれぞれの宗派でどのような位置を占めているのかを、整理して教えていただけたら。
A:インドの宗教史、文化史を簡単に説明することはここではむずかしいので、とりあえず参考文献をあげておきます。機会があれば授業の中でお話ししましょう。

上村勝彦 1981 『インド神話』 東京書籍。
立川武蔵、石黒 淳、菱田邦男、島 岩 1980 『ヒンドゥーの神々』 せりか書房。
辻直四郎 1967 『インド文明の曙  ヴェーダとウパニシャッド』(岩波新書) 岩波書店。

Q:職人さんがまじめな信者でなかったら、このような作品は生まれてこないだろうし、変化もあまりないと思いました。
A:先回のQ&Aでも書きましたが、これらの仏像を作った工匠たちが必ずしも仏教徒であったわけではないようです。同じ工房でヒンドゥー教と仏教、あるいはジャイナ教の像が制作されたと思われるからです。ただし、芸術と信仰の問題は重要で、作品の内面からにじみ出るような精神性や、見るものを敬虔にさせる力などは、制作者が単なる職人以上の存在であったと思わずにはいられません。また、日本の密教関係の仏画の相当数は、僧侶の手になるものです。優れた僧侶の条件のひとつとして、仏画を巧みに描くことがあげられます。

Q:ボロブドゥールやアンコールワットなど、建物の写真は見ないのですか。ヒンドゥー教との関係は?
A:東南アジアも密教が伝播した地域として重要なのですが、今回の授業では残念ながら取り上げることはむずかしいと思います。ただし、寺院建築などの建造物については、マンダラや仏塔のところで紹介したいと思います。ヒンドゥー教については、東南アジアの場合、仏教以上にきわめて大きな影響力を持っていました。インドネシアの場合はさらにそれにイスラム教があります。土着的な民間信仰も含め、さまざまな宗教が重層的に存在する興味深い地域です。

Q:日本の仏像よりも立っているのが多い気がする。
A:紹介した作品に立像が多かったかもしれません。全体の割合で言えば坐像の方が多いのですが、仏の種類によって、立像の方が多いものもあります(たとえば文殊や明王系の仏たち)。

O:質問の答えが返ってくるのはすごく嬉しいので、機会があればメールもしてみたいです。
A:ぜひどうぞ。

Q:仏陀の教えに密教的な要素はあるのですか。
A:基本的にすべての仏教の教えは、仏陀に由来することになっています。釈迦の言葉をどのように解釈するか、新しく生み出した教義が釈迦の言葉とどのような整合性をもっているのかということが、仏教徒にとってきわめて重要でした。

Q:世界が大日如来なら私たちは何なんだろうと思うととても興味深いです。
A:私たちも大日如来です。「そんなばかな」と思うでしょうが、密教はこの世界のすべては大日如来のあらわれであると説明しますし、すでに密教よりも前の時代、すなわち大乗仏教の時代に「本来、われわれは如来である」と考えられることがありました。これを如来蔵思想といって、中国や日本の仏教に大きな影響を与えました。チベットの中にもこれを重視する宗派がいます。

Q:実家で北日本新聞の夕刊を取っていたので、授業で切り抜きのプリントをもらったときは、驚きました。もとの切り抜きはスクラップブックに張って家に置いてあります。
A:それはとても嬉しいです。新聞というのは、やはりすごいですね。

Q:サンスクリットって、昔の日本人にとって、どのような言語だったのですか。
A:サンスクリットそのものは日本には奈良時代からから伝わっています。しかし、サンスクリットそのものを理解できたものはまれでした。例外的に、空海が中国で集中的に学んできたり、江戸時代にはサンスクリットの研究をした慈雲という僧侶が出たりしました。ちなみに、日本語の五十音(あいうえお、あかさたな・・・)はサンスクリットの文字の順序にならったものです。

Q:仏などは「死ぬ」ことってあるのですか。
A:ありません。仏とは生死を超越したものであるからです。ついでに言えば、地獄や極楽や輪廻は仏教の専売特許のような感じがしますが、釈迦自身は死後の世界があるかないかという質問には、答えることを拒否しています。

Q:なぜ仏像はほとんどのものが目を閉じているのでしょうか。
A:如来像の場合、深い瞑想に入っていることを表します。ただし、同じ仏像でも菩薩や女尊はかなりはっきり目を開けていますし、明王になると、丸く見開いています。人間が怒ったときと同じです。

Q:仏のあの優しげでゆったりとした顔は、誰かモデルがいるのでしょうか。あれはインド人ですか。
A:仏像の表情に地域差があるのは当然ですが、それがその地域の住人と一致しているとは限りません。仏というのは一種の理想的な存在ですから、非現実的な姿をすることも可能なのです。しかし、ガンダーラの仏とインド内部の仏との違いなどを見ると、やはり、それぞれの民族の理想像というものがあることも確かに感じられます。

Q:龍華って何?
A:授業でもお話ししたように、弥勒の手にする龍華は、この時代の弥勒のアトリビュートとなります。釈迦が悟りを開いたのは菩提樹の木の下でしたが、弥勒の場合、菩提樹のかわりに龍華樹の下で悟りを開くことがきまっています(経典にそう書いてあります)。弥勒が龍華をもつのはこのためですが、実在の樹木ではないため、その形態は様々です。パーラの時代ではヒヤシンスのような花です。なお樹木に対する信仰は現在でもインドではさかんですが、釈迦の時代よりも前から、民間信仰のような形で存在したようです。釈迦が生まれたのが無憂樹、涅槃に入ったのが沙羅双樹のように、釈迦の生涯の重要なできごとと樹木とは密接に結びついています。弥勒にもこれが適用されています。

Q:弥勒は仏になることが決定している菩薩になるんですか。それとも 菩薩 弥勒 仏  こんなかんじですか。
A:そんなかんじでいいと思いますが、現時点ではまだ菩薩です。実際に像で表す場合、将来、仏になったときの姿で表現されることがあるということです。また、弥勒の功徳を説く経典は、その遠い将来(五十六億七千万年後)のことを実に明瞭に説明しています。ただし、確実に仏の姿で表されたものは日本にはかなりの作例がありますが、パーラ朝のの弥勒では確認されていません。

Q:先生がインドの宗教美術に興味を持つようになったきっかけは何ですか。
A:はじめは仏教の文献を勉強していましたが、インドやネパールに行って実際に作品に接することができるようになったのが、大きなきっかけになっています。インドや中央アジアの仏教美術の研究で著名な宮治昭氏の授業に出たことや、指導教官の立川武蔵氏が密教美術に関心を持っておられたことも重要です。もともと美術作品や仏像を見ることや、写真を撮ることがが好きだったことを理由にあげるべきかもしれません。

Q:参考までに聞いておきたいのですが、私は文化史に興味があるのですが、金大でこの密教美術を専門に学ぶことは可能ですか。
A:もちろん可能です。私の所属する文学部の比較文化コースで専門的にできますので、いつでも歓迎します(文学部でも人間学科以外の所属であれば転学科が必要ですが)。ただし、文化史というのはきわめて広い領域を指し、文学部で扱う学問で、何らかの形で歴史的な視点を含むものは、すべて文化史と呼ぶことが出来ます。


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