密教美術の世界

第4回 日本密教の源流?

Q:どうして似ていないところが出てくるのでしょうか
A:「似ていない」理由を考えるのは「似ている」理由を考えるよりもむずかしいでしょう。「似ている」ことは、たとえば図像を伝えた人物や文献などを見つければ説明できますが、「似ていない」ことはさまざまな要因が考えられるからです。前者は物的証拠が、後者は状況証拠が必要と言うこともできます。

Q:日本の密教は高野山が代表的とおっしゃいましたが、私は小さい頃から書道の作品を高野山展に出品していたので、密教寺院だと聞いて少し驚きました。
密教美術は日本中のいたるところにありますが、真言宗の総本山金剛峯寺があり、弘法大師信仰の中心でもある高野山は、日本密教の中心のひとつです。高野山には多くの寺院がありますが、霊宝館という博物館(美術館)もあって、優れた密教美術が収蔵・展示されています。ちなみに高野山がある和歌山県は、国宝などの指定文化財所有数で、都道府県別で10位以内にはいっています。書道の高野山展も、その分野の人たちには有名ですね。

Q:密教はもっとあやしいものだと思っていました。一般の人が全然しらないような・・・
「密教」という言葉のイメージは、必ずしもよいものではないようですが、歴史的には大乗仏教以前の仏教を「顕教」と呼び、これよりも優れた教えで、しかも選ばれた者以外には秘密にされているという意図で付けられたものです。日本仏教独自の用語で、インドではこれに相当するサンスクリット語などはありません。よくないイメージがあるのは、密教から都合のいい部分だけを借用した新宗教やカルト宗教が、いろいろ社会問題を起こしていることがあるでしょう。

Q:変なこと言いますが、女性の仏像って胸が大きいですね。みんなあれだけ極端に強調してあるんですか。
当然な質問だと思います。日本の仏像で豊満な女性像というのはあまり見ませんね。仏教の女尊を含め、一般にインドの女神像は豊満な肉体表現を取ります。胸だけではなく臀部が強調されたり、逆に腰が極端にくびれています。身に付けている服装も肌に密着したものが多く、体の線がさらに強調されています。性的なイメージをふくめ女性美をどのように表現するかも、文化的な背景に大きく依存しています。有名なカジュラホの寺院装飾などは、外国人の目にはエロティックにうつるようですが、インド的な美意識からすれば、卑猥感のようなものはほとんどありません。

O:マンダラの色彩や細々としたところが好きなので、マンダラの回が楽しみです。
楽しみにしておいて下さい。

Q:釈迦、観音、弥勒、文殊、金剛手、大日如来などはどのように見分ければよいのか。
今回の授業で取り上げます。

O:チベット系のグロテスクな画像が大好きです。
チベットの美術関係の本は日本でもよく出ていますね。アメリカにあるHimalayan Artという団体のホームページには、数百点の作品のデータベースが公開されています。細部までよく分かって、研究者にもとてもありがたいものです(アドレスはhttp://www.himalayanart.org)

Q:今日見た仏像などは一般の人たちにも広く知られているのでしょうか。
宿題で読んでもらった小文(密教美術の世界)にも書きましたが、一般の日本人にとってのインドの仏像のイメージは、せいぜいガンダーラの釈迦苦行像、サールナートの転法輪印仏坐像、アジャンターの蓮華手といったところでとまっているでしょう。インドの密教美術の世界はとても魅力的なのですが・・・。

Q:どの仏像もポーズが魅力的です。職人さんは何でこんなポーズを思いつくんだろう。センスがいいなぁと思います。
釈迦などの如来像は動きがほとんどありませんが、菩薩や女尊、明王(忿怒尊)などは、それぞれ内面の性格や機能と関連する「動き」が見られます。伝統的に女性像は「三曲法」といって、身体の2箇所で「ひねり」を入れることもあります。インドは演劇や舞踏の理論も早くから発達しており、演ずる人の性格や心情を表すために、それぞれ決まったポーズがあったりします。図像を制作する人たちも、このような演劇理論を知っていたこともわかっています。

Q:インドではなぜヒンドゥー教が仏教にとってかわったのだろう。
仏教はインドで生まれた宗教ですが、インドからは13世紀頃でほぼ姿を消します。実際にはその数百年前から衰退の道をたどっていたようです。その要因はいろいろ考えられていますが(『インド密教の仏たち』では「イメージの戦略に失敗したから」という新説?も出しています)、一番重要なことは、仏教はインドにおいては非正統的な宗教だったからでしょう。そのかわり、日本も含めアジアの諸地域で、現在でも生き続ける一種の普遍性を持っています。それぞれの民族や文化に適合できる柔軟性をそなえていると言うこともできます。

Q:梵字に興味があるのですが、何かお薦めの文献があれば教えて下さい。
サンスクリットを表す文字の「梵字」は、早くから日本に伝わり、「悉曇(しっだん)」とも呼ばれています。お墓の卒塔婆に書いてある文字として、見たことのある人も多いでしょう。OPACかWebcatで「梵字」もしくは「悉曇」で検索してみて下さい。たくさんありますよ。

Q:マーリーチー立像の足元の猪には何か意味があるのですか。第2章に書いてあったかもしれないんですが。本の120頁のムルガンの絵が他のものと雰囲気が違うのがなぜなのかなと思いました。
マーリーチーについては85頁以下を読んで下さい。ムルガンの写真は現在の絵師による作品だからです。インドに行くと街角でこのような絵をたくさん売っていて、家やお店に飾るために買って行きます。ヒンドゥー教の神様が中心ですが、偉人や聖者などもあります(キリストもあります)。独特の雰囲気があって、日本人にも隠れたファンがいるようです(文学部の比較文化の研究室にはドアに張ってあったりします)。

Q:仏像は他の宗教の像と比べて、はるかに大きいものが多いと思うのですが、(龍門や雲崗、日本の奈良や鎌倉、バーミヤン)とか、なぜなのでしょうか。
仏教の歴史の中で、仏がどのようにとらえられてきたかはとても重要な問題です。もともと仏と呼びうるのは釈迦だけでしたが、かなりはやい段階からそれ以外の仏の存在が経典などで言及されています。このような仏の多様化は、過古仏や未来仏といった時間的な広がりと、われわれの世界の外に仏国土を設定して、そこにも仏たちがいるという空間的な広がりを持つようになります。一方、インドの神観念として、世界や宇宙が神から生み出され、しかもその世界や宇宙が神そのものであるという思想があります。仏教の仏にもこのような性格が与えられ、宇宙そのものに匹敵するような仏が現れます。時間的、空間的な広がりの中に存在する無数の仏たちを統括するような「宇宙主」としての仏です。有名な奈良の大仏は、台座の蓮弁に数多くの「世界図」が刻まれていますが、大仏はこれらの無数の世界を法によって支配する仏なのです。ほんとうは宇宙そのものかそれよりも大きく作りたかったのです(もちろん無理ですが)。

Q:お釈迦様は一人しかいないのですよね。大日如来や菩薩はいっぱいいるのですか。
上の回答を参照して下さい。今回の授業でも説明するつもりです。

Q:降三世明王。後左手にもっている長い矛の位置が素晴らしい。後ろの輪の三点は炎をかたどったものだろうか。あと、手に法輪や鈴を持っているが、それは何を意味するのだろうか。
頭光の装飾はたしかに炎を表しています。ただし、おそらくこれは後補(後から補ったもの)で、もともとあったかどうかは分かりません。法輪は手に持っていないようです。明王の持物は、その性格のとおり、武器を持つことが多いのですが、仏具の金剛杵と金剛鈴もしばしば持ちます。インドの降三世は胸の前の手にこれらを持っていますし、左の上の手に輪(法輪と形は同じ)を持ちます。この場合の輪は円盤状の武器です。仏の持物(じもつ)は重要な図像上の情報ですが、その意味の解釈はなかなかむずかしいところです。

Q:密教美術の絵画でいつも不思議に思うことがあって、どうしてあんなに赤が多様に使われているのか?何か宗教的な意味があるのだろうか。
今回のスライドでは胎蔵界曼荼羅の中央部の蓮華やそこに位置する仏の袈裟、肌の色、各尊の座である蓮台、光背などに赤が使われています。本来、赤あるいは暖色で表すべきものもありますが、たしかに赤が支配的な作品も多くあります。経典などの文献で仏の像を造る場合、厳密に色が規定されており、現在では彩色がほとんど遺されていない彫刻も、制作当初は強烈な色彩で覆われていたと思います。持物と同じく色にも意味がある場合もありますが、絵画や彫刻である以上、美的感覚としての配色も、無関係ではありません。同じようなことはキリスト教でもあって、マリアのガウンは外側が緑、内側が赤で、それぞれ意味があるのですが、緑と赤は補色の関係でもあります。

Q:日本人はあまり原色を使うことをしない傾向にあると思うんですが、密教美術は日本のものでもとてもカラフルです。これはやはりインドの流れを汲んでのことなんでしょうか。
前半については前の回答を参照して下さい。インドの彫刻の場合、スライドで紹介しているように、ほとんど彩色がありません。顔料なども残っていないので、はじめからしていなかったようです。これに対し、絵画には鮮やかな色が塗られています。このような絵画作品が中国に伝えられ、日本の密教美術に影響を与えた可能性は大きいと思います。

Q:「羂索」は高校の時「けんじゃく」と読んだ気がするのですが、「けんさく」が正しいのですか。
仏教の用語は読み方がなかなかむずかしいですね。「羂索」は一般には「けんじゃく」と読まれることが多いのですが、これは慣用的な読み方で、真言宗の伝統的では「けんさく」と読むようです。ただし、宗派によって同じ用語を別の読み方をすることが多いので、やっかいです。

Q:ヒンドゥー教の神様たちと、密教の仏たちはとても似ているように感じます。時代としてはどちらが先にイメージを図や像などで表すようになったのでしょうか。
密教仏の図像で興味深いのが、このヒンドゥー教との類似性です。前後関係は単純には示せませんが、密教仏の特徴である多面多臂や種々の装身具、持物などは、ヒンドゥー教の神々が先行するようです。ただし、仏教美術そのものも紀元前からの歴史があり、ヒンドゥー教美術に影響を与えています。共通するイメージと、その伝播の可能性は、『インド密教の仏たち』の中の一貫したテーマのひとつです。

Q:浄土系の仏教には密教の影響といったものはないんですか。
あると思いますが、相対的には浄土教の影響による密教の変質の方が顕著です。ちなみに、平安時代の仏教は密教と浄土教の他に法華信仰が重要です。日本仏教については専門ではないので、また調べておきます。


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