密教美術の世界
第3回 パーラ朝期の密教
O:スライドを見て遺跡に行ってみたいと思いました。
A:ぜひ行ってみて下さい。
Q:遺跡の時代区別をもう少しくわしく教えてほしい。
A:現在、発掘が進み、外国人も見ることのできるパーラ朝期の遺跡は、ビハール地方ではナーランダー、ボードガヤ、ヴィクラマシーラ、ヴァイシャーリー、バングラデシュではパハルプール、マイナマティ、オリッサ地方ではラトナギリ、ウダヤギリ、ラリタギリなどがあります。このうち、ボードガヤは釈迦が悟りを開いた場所で、早くから聖跡として信仰されていました。ナーランダーはグプタ時代に建立された僧院で、授業でもふれたように、僧院を増築することによって、規模を拡大していきました。パーラ朝でも国家的事業として、僧院の増築があったようです。ヴィクラマシーラ寺院やパハルプールのソーマプラ寺院は、パーラ朝の初期に勅命で建立された大規模寺院です。とくに、ヴィクラマシーラは、当時の密教の中心的寺院の位置を占め、この寺院がムスリムによって破壊された1203年を、一般にインド密教滅亡の年としています(『インド密教の仏たち』のコラム?「ヴィクラマシーラ寺院」参照)。オリッサはパーラ朝ではなく、バウマカラという王朝の時代に密教が栄えました。ラトナギリなどの僧院は、ナーランダーやヴィクラマシーラなどに比べて、規模はかなり小さいのですが、優れた作例が多数出土しています。
密教以前の仏教遺跡とその時代については、次の質問に対してあげた参考文献を参照して下さい。
Q:一般的なインドの歴史を知るには、どんな本を読んだらいいか教えてもらいたい。
A:一般向けのものとして、次のようなものがあります。美術関係を中心に写真図版も楽しめるのは肥塚・宮治の2冊(1999/2000)、歴史一般では山崎(1985)、授業に関連する古代・中世は山崎(1996)が読みやすいでしょう。
荒 松雄 1977 『ヒンドゥー教とイスラム教 ---- 南アジア史における宗教と社会』(岩波新書)岩波書店。
辛島 昇 1992 『南アジア 地域からの世界史5』朝日新聞社。
辛島 昇 1996 『南アジアの歴史と文化』(放送大学教材)放送大学教育振興会。
肥塚 隆・宮治昭編 1999 『世界美術大全集 東洋編14 インド(2)』小学館。
肥塚 隆・宮治昭編 2000 『世界美術大全集 東洋編13 インド(1)』小学館。
小西正捷 1981 『人間の世界歴史 8 多様のインド世界』三省堂。
近藤 治 1977 『インドの歴史 新書東洋史6』(講談社現代新書) 講談社。
立川武蔵 1992 『はじめてのインド哲学』(講談社現代新書) 講談社。
中村平治 1997 『インド史への招待』吉川弘文館。
宮治 昭 1981 『インド美術史』 吉川弘文館。
山崎元一 1996 『古代インドの文明と社会』(世界の歴史第3巻)中央公論社。
山崎利男 1985 『悠久のインド ビジュアル版 世界の歴史 4』講談社。
山下博司 1997 『ヒンドゥー教とインド社会』山川出版社。
シリーズ「アジア仏教史」 佼成出版社。
O:スクリーンが眩しかった
A:眩しくないところに移動して下さい。
Q:仏伝図、ジャータカといった物語的な美術作品が新鮮だった。日本では玉虫厨子があったかと思うのですが、他の作品はどんなものがありますか。
A:仏伝図としては、花祭りで使う誕生仏(右手で天、左手で地を指している童子の太子)と、涅槃会のための涅槃図が圧倒的に多いでしょう。涅槃関係で「釈迦金棺出現図」という有名な作品もあります(京博所蔵・国宝)。日本にも釈迦八相図と呼ばれる作品がありますが、その内容はインドのものとは異なり、降魔成道までの重要な8つの場面が選ばれています。また涅槃八相という涅槃前後のシーンのをまとめたものもあります。奈良時代に唐から伝わった「絵因果経」という経典には、『過去現在因果経』という経典と、そこに説かれる釈迦の生涯のさまざまな場面が描かれています。この他、禅宗が好む「出山釈迦図」や「釈迦苦行像」などもあり、仏伝図はわが国でも比較的、作例の多いジャンルです。
これに対し、ジャータカはインド美術では古代以来、たいへん人気のあったテーマですが、わが国ではほとんど作例を見ません。その中で、ご指摘のいわゆる玉虫厨子は貴重な作例です。ジャータカの中でも有名な「捨身飼虎」と「施身聞偈」の説話にもとづいた絵が描かれています。
(参考文献 田辺三郎助 1986 『日本の美術 243 釈迦如来像』至文堂)
Q:試験はどういうところから出題されるのか。
A:答えられません。
O:スライドが先生に隠れて全然見えなくて残念だった。
A:こちらも気を付けますが、見えるところに移動して下さい。
O:同じ仏像や壁画でも、その形態は無限大であり、とても興味深かった。
A:ほんとにそうですね。
Q:仏像や壁画は、専門の職人によって作られていたのか。
A:日本にも仏師という職業の人がいますが、インドでも同じように、専門の職人がいたようです。ただし、その個人的な名前は残されていません。現代的な意味での芸術家ではありませんから。今でもインドの町を歩いていると、ヒンドゥー教の神像屋さんがあって、神様の像を並べています。仏教が栄えていた時代でも、おそらく仏教専門の職人はいなくて、注文主によって、仏教、ヒンドゥー教、あるいは民間信仰の神などを造り分けていたようです。このような職人(工匠)のための専用のマニュアルなども残されていますが、口伝と実際の経験で、その伝統が伝えられてきました。このようなジャンルの研究はあまり進んでいないのが実状です。
Q:駄作とはどういうもののことを言うのか。
A:むずかしい質問です。見るものに感動を与えない作品が駄作といってもあまり答えにならないでしょう。写実性に乏しい、表現や技巧に稚拙さが目立つ、オリジナリティーを感じさせない、精神性や崇高さを持ち合わせない、などがその理由としてあげられるでしょうか。逆に傑作とはいかなるものか、芸術的価値の高い作品とは?、さらには、人間にとって美とは何かということにもなります。このようなことを哲学的に研究するのが美学で、歴史的にするのが美術史という学問分野です。
Q:くだらないことを聞いて申し訳ないのですが、密教と仏教の違いは何なのでしょう。
A:全然、くだらないことではありません。授業ではあえて密教の説明をしていませんので、当然疑問に思うでしょう。インド仏教の歴史を簡単にまとめれば、釈迦の時代を含む初期仏教(あるいは原始仏教)、部派仏教、大乗仏教、密教ということになります。インド仏教の最終的な形態が密教です。ただし、その時代も大乗仏教やいわゆる小乗仏教もありますので、段階的に変化したというわけではありません。また、密教の修行をすることが許されたのは、大乗仏教の修行階梯を終え、特別な能力(とくに実践における能力)をそなえたものだけといわれています。ある研究者は密教の特徴として次の5点をあげています。?現世拒否的態度の緩和 ?儀礼中心主義の復活 ?シンボルとその意味機能の重視 ?究極的なもの、あるいは「聖なるもの」に関する教説 ?究極的なものを直証する実践(立川武蔵 1992 『はじめてのインド哲学』講談社、p.173-4)。よくわからないと思いますが、同書や次のような文献を、まず手始めに読んでみて下さい。
松長有慶 1991 『密教』(岩波新書) 岩波書店。
立川武蔵・頼富本宏編「シリーズ密教」 春秋社。
森 雅秀 1997 『マンダラの密教儀礼』春秋社。
Q:浮彫の作品の方がその他の形式のものより多いのはなぜですか。
A:これもむずかしい質問です。仏教美術発祥のバールフットやサーンチー、あるいは南インドのアマラヴァティーなどでは、ストゥーパの装飾として仏教美術が用いられていました。建造物の表面を飾るためのものなので、浮彫の方法をとるのが自然だったのでしょう。ガンダーラやマトゥラーでは浮彫ではなく、背面まで掘った「丸彫り」の作品も若干あります。丸彫りに比べ、浮彫の方が、腕や頭部の欠損を気にしなくてもよいなどの技術上、保存上の理由もあるようです。また、仏像を安置した場合、その礼拝者が背後に回る必要がなければ、裏側は平面の方が固定しやすいし、安定するでしょう。このような技術上、実践上の理由なども考えられますが、インドでは地域や時代にかかわらず、また仏教、ヒンドゥー教の違いも関係なく、浮彫が好まれたのは確かなので、インドの美的観念のひとつの特質とみなした方がいいかも知れません。
Q:スライドを見る授業って言うのは、ノートを取らないものなので、映像としてしか記憶に残りません。ノートは今後も取りませんか?あと、先生の声はあまり大きくないので、眠くなりやすいです。
A:スライドを使うと照明を落とすので、ノートを取りにくいと思いますが、配付資料にメモをするなどして、適宜、ノートを取って下さい。「ノートは今後も取りませんか」という質問は「板書をしませんか」ということだと思いますが、そのままノートに写せるような板書は、これからもしないと思います。ただし、授業時間すべてをスライドにするのも退屈だと思いますので、適宜、工夫していきます。最後のご指摘は留意したいと思います。
O:写真がとてもきれいだなと毎回思います。
A:ありがとうございます。
O:日本の仏像もすばらしいけれど、インドの仏像の方が細かい美しさが光っているし、技術が高い気がした。
O:やはり密教の仏像はキレイだ。とくに仏様の顔がすごくきれいだと思う。
A:美しいものやきれいなものを見て、そう思えるのはいいことです。
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