アジアのマンダラ

第8回 マンダラの歴史(5)
時輪マンダラ

「もう、すごいなぁ」と社会科見学で大量のビールを見た小学生のような感想になってしまいますが、どんどん細かく、どんどん大きくなるマンダラについていけてない私であります。高級ペルシアじゅうたんだとルビがふってあれば、そう思いこんでしまいそうですが、そこはひとつ、マンダラと区別できるようにはなりたい。ここまで膨らむマンダラ世界ですが、大きくなると何がよろしいのですか。
たしかにペルシアじゅうたんや、インドの布地などには、幾何学的な紋様が多く、マンダラに通じる印象を受けることがありますね。マンダラを作った人たちのデザイン感覚の素地も、同じようなところにあるのでしょう。マンダラが大きくなると何がいいのかはわかりませんが、マンダラの歴史を見てみると、一定の法則でマンダラは大きくなり、極限まで近づくと、別の法則で新しいマンダラを作り上げるようです。また、大きくする方法として、ヒンドゥー教の神を動員することも繰り返してみられます。後世のチベットでのタントラ経典の分類法(四分法)は、このようなマンダラの成長と変化を見る上で便利です。今回の授業のはじめに、まとめとして少しふれたいと思います。

母タントラにおけるマンダラの変容が非常に面白かった。六族のマンダラからそれを抽出したヘーヴァジュラマンダラへ、そしてダーキニーを加えて複雑化したサンヴァラマンダラへの変容は、最後には解体されて六族が分かれたマンダラに戻る(六転輪王マンダラ)。このように変容してゆく背景をもう少し知りたかった。とくに六転輪王マンダラは私としては特異なマンダラであるよう感じたので、変容の背景を知りたいと感じた。
母タントラのマンダラの変容は、あたかもマンダラが成長し、増殖するような感じです。これが数百年かけて起きたのですから、インドというのは面白い国ですね。マンダラというのは適当に仏を集めて並べているものではなく、一定の原理や秩序に基づいているから、変形や加工をすることが可能であることもわかります。金剛界以降のマンダラで、他のマンダラに登場したグループが、脇役として顔を出したりするのも、それぞれのマンダラが孤立してあるのではなく、連綿とした流れの中にあることを示しています。サンヴァラマンダラを含め、母タントラ系のマンダラの系譜については、以下の島田氏のものがよくまとまっています(すでに前々回にも紹介しています)。
島田茂樹 1999 「後期密教のマンダラ:異形の神ヘールカのコスモロジー」立川武蔵・頼富本宏編『シリーズ密教 第1巻インド密教』春秋社、pp. 114-130。

どうして次から次へと尊格を増殖させる必要があったのでしょうか。時輪マンダラを最後にインドで仏教が衰えた理由(たいへんむずかしいと思いますが)を知りたいと思います。
仏の数が増えるのは、密教に限らず、初期仏教以来の仏教の宿命のようなものです。密教では「聖なるもの」が仏だけではなく、菩薩や明王、女尊、護法尊などのさまざまなクラスがある分、増え方も爆発的になりました。マンダラとは「仏の世界」なのですから、そこが充実していることが、つねに求められていたとも言えるでしょう。インドで仏教が衰えた理由は、たしかにむずかしい問題で、複合的な要因が考えられます。すくなくとも、仏教を取り巻く環境という外在的な要因と、仏教そのものが持つ内在的要因に分けることが可能です。前者として、イスラム教徒による僧院への攻撃、ヒンドゥー教の隆盛、経済的支援を与えた王朝の衰退などが、後者として、民衆から乖離した煩瑣な哲学への傾倒、葬儀や結婚式のような人生儀礼に関与しなかったこと、図像や儀礼の面でヒンドゥー教との差異がなくなったことなどをあげることができます。時輪マンダラやその経典を生み出したのは、このような状況での仏教徒による起死回生の策だったかもしれません。

六転輪王マンダラは、サンヴァラマンダラを解体して組み立てたものだそうですが、マンダラといえば今まで完全なまとまりのあるもののように見えたのに、六転輪王マンダラは何か並び方が不自然に思いました。
六転輪王マンダラも「完全なまとまり」であることはかわりませんが、形態はたしかに独特です。マンダラは一般に円と垂直もしくは45度の角度で交わる線で構成されますが、このマンダラは五つのマンダラを星のように並べるので、これ以外の斜めの線があらわれます。マンダラに線を引く「墨打ち」を以前調べたとき、このマンダラは難関で、72度などの角度をどのように正確に求めるのかわかりませんでした。結局、適当にバランスがとれるように引くだけだったようです。

マンダラに描かれている仏たちの着ている服というのは、表情などと同じように、そのマンダラが作成される地域ごとで違うのですが、それとあまり関係あるかどうかわかりませんが、僕が思ったのは、仏教というのは日本より高い緯度で多くの人が信仰している国や地域というのはあるのかなということです。インドよりももっと寒い地域であれば、仏のイメージも変わるかも?
たしかにそうですね。変わるものもあれば変わらないものもあります。日本のマンダラを取り上げるときに紹介するつもりですが、マンダラの仏たちの衣装は、かなりインドの伝統を忠実に受け継いでいます。手本となるような図案があって、それを正確に写したのでしょう。マンダラも含め、密教図像は「かたち」を重視しますので、正確さがつねに求められました。しかし、長い年月のあいだには、このようなプロセスの中で「写しくずれ」がおきます。そのときには、画家たちにとって自然な(身近な)デザインに変わっていくのもよく見られることです。インド以外の地域では存在しないものがあれば、やはり変形されます。気候を含め風土や環境が美術品にもたらす影響も顕著です。

サンヴァラと諸尊図で垂直軸に配置したものが興味深かったです。このように、マンダラではなく絵画となっているものは他にもあるのですか。
インドにはマンダラの作例はほとんどないのですが、仏塔のまわりに四仏や八大菩薩を配置した例があり、マンダラとの関係が指摘されています(過大評価して「立体マンダラ」と呼ぶことには、私は抵抗があります)。しかし、その場合もマンダラがもともと持っている構造が、建造物に重ね合わされているだけで、垂直な配置とはなっていません。授業で取り上げたような変形がしばしば見られるのは、チベットの絵画や壁画です。マンダラに現れる仏たちを取り出し、整然と並べるという方法がとられます。その場合、もとのマンダラの構造がどの程度意識されているかが興味深いところです。授業で取り上げたのはわかりやすい例ですが、これに限るわけではありません。

サンヴァラマンダラの諸尊は仏という感じがしないが、それでもそこに屍林などというものが描かれるは不思議だ。なぜそういうことになったのか興味があります。
無上瑜伽タントラの仏たちは、ほとんどわれわれにとって仏とは見えません。チベットの仏教美術では彼らが主役ですが、日本の仏像とはまったく印象が異なります。屍林の正体は私にもよくわかりません。母タントラ系の密教は、このような墓場で繰り広げられた「特異な宗教実践」を背景とすると、指摘されています。しかし、マンダラに現れる屍林は、実際のそのような光景を絵画化したのではなく、特定の約束事で描かれています。八つに分かれ、それぞれに名称の異なる仏塔、樹神、ヒンドゥー神、夜叉、龍、山があり、さらに死体や骸骨、それを喰う獣などが描かれます。これらのイメージの起源がどこにあるかには、私も関心があります。

今まで見てきたマンダラは、皆鳥瞰図のように上から見て、仏の世界の「仕組み」を概念的に理解するものだったように感じますが、今日見た垂直軸を導入したマンダラには、また違ったものを感じました。より絵画生が強くなり、仏の世界の「様子」を「視覚的」に見るものといった感じを受けました。
マンダラが平面的に表現されるものである限り、絵画化されるのは必然的なことかもしれません。授業で取り上げたのはチベットの例ですが、日本では社寺曼荼羅や参詣曼荼羅のような、情景図へとマンダラは変容していきます。インドやチベットとは異なる方向への、マンダラの「絵画化」でしょう。日本のマンダラをあつかうときに、これらのマンダラも取り上げるつもりです。なお、マンダラは全体的には鳥瞰図なのですが、楼閣内部の諸尊は、中心の仏から見た姿と考えています。チベットのマンダラのように放射状に配されるのは、そのためです。マンダラを描くものの視点はひとつではなく、複数のところから見た姿を接合しているからです。

時輪マンダラになるとかなりさまざまなところから仏や神を引っ張ってきているが、自分で無理に仏を作るくらいなら、別のところ(宗教)から神を連れてきてもいいと思うのだが、それをしなかったということは、インドには仏教、ヒンドゥー教以外にはメジャーな宗教はなかった(入ってこなかった)のだろうか。
仏教がヒンドゥー教以外の宗教をどのようにとらえていたかはよくわかりません。インドの主要な宗教にはこのほかにジャイナ教がありますが、ジャイナ教の聖者などはたしかに仏教には取り入れられません。イコンを持たないイスラム教は問題外です。ヒンドゥー教以外ではナーガ(龍)や夜叉、天体神などが仏教のパンテオンに取り入れられます。これらは密教以前から仏教の中で重要な位置を占めていた「古参」です。

トーラナとは何ですか。
もともとは仏塔の四方におかれた門のようなものです。「塔門」と訳されることもあります。形態は日本の鳥居に似ていて、これをくぐって、実際の門を入っていきます。マンダラの場合も同様で、仏たちの住んでいる宮殿は四方に入口がありますが、その外にトーラナがたっています。時輪マンダラの場合、トーラナのかたちが、それ以前のマンダラとは異なる独自の形態をとりますが、これがヒンドゥー教の寺院の「ゴープラム」と呼ばれる構造物によく似ています。

欧米にもマンダラの研究をしているところがあるのですか。欧米にもマンダラは伝わっていったのですか。
欧米でも仏教研究の一環としてマンダラの研究をしている人は大勢います。古いところでは、心理学者のユングがマンダラに注目しています。わたしの翻訳した『曼荼羅大全』も、原著者はスイス人です。欧米ではチベット仏教への関心は高く、実際にチベットの僧について修行をした人が、研究者となるというパターンがよく見られます。マンダラを含め、チベット仏教について書かれた本の量は、海外では日本の数十倍にのぼるでしょう。

サンヴァラと諸尊図(ダライラマ御物)は、これはもう違う世界に行ってしまっているような印象を受けました。まるでおどろおどろしいひな壇のようとも思いましたが。時輪マンダラの仏のかき集めもしくは数あわせは、無茶しすぎと思ってしまいます。大きなマンダラを作る意義はどこにあるのでしょうか。ヒンドゥー教の男神を女性化してまで組み込むとは。
インドのマンダラの歴史はとりあえず先回で終わりにして、今回、簡単なまとめをして中国、日本に移るつもりです。サンヴァラと諸尊図などよりも、いくらかは親しみのある作品になると思います(チベットのものもなかなか面白いのですが)。時輪マンダラの規模の拡大は、実際は経典に説かれる教理体系に根ざしたしっかりしたものです。授業では説明をほとんどしていないので、ただ単に大規模にしたマンダラという印象を与えたかもしれません。なお、ヒンドゥー教の女神たちは、仏教徒が男神から作ったのではなく、もともと中世のヒンドゥー教で流行していた母神信仰を背景としたものです。マンダラではこれら女神を口輪に、彼女らのパートナーである男神をその外である身輪においたことが重要です。女神重視は母タントラ系の特徴でしたが、時輪でもそれは踏襲されています。


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