アジアのマンダラ

第7回 マンダラの歴史(5)
ヘーヴァジュラマンダラとサンヴァラマンダラ

テキスト『マンダラの密教儀礼』第4章にマンダラを作成するときの墨打ちの方法が説明してありましたが、よく理解できませんでした。授業で実施していただけるとありがたいのですが。
さしあたっての授業では、墨打ちを取り上げるのはむずかしいと思います。マンダラの墨打ちを詳細に解説しているというのが、この本のセールスポイントのひとつなので、是非理解していただきたいところなのですが・・・。縦横斜めの基本線があり、それを基準に算定した長さをひとつの単位として、他の線をすべて説明します。外の円と、斜めの基本線以外は、すべて垂直に交わる線で構成されているので、それほどむずかしくはないはずです。ちなみに、これらの情報を伝える文献には、図はひとつとしてありませんので、サンスクリットの文章だけから再現しています。ところが、その結果、実際に現れたマンダラの形が、チベットで一般に作られているマンダラとまったく同じであったことに驚かされました。当たり前のように思えるかもしれませんが、チベットのマンダラの形態は、ほとんどすべてインドにまでさかのぼることができるという大発見なのです。

陀羅尼は「呪文」のことと岩波仏教辞典に書いてあります。前回の法界語自在マンダラにありました十二陀羅尼というのは、呪文のなですか。それとも「仏頂尊勝」とか「摩里支」とか「准提」とかいう仏尊の名前でしょうか。
どちらもです。順序からいえば、呪文である陀羅尼が先にあり、それと結びついた尊格(ほとんどは女尊)が現れたと考えられます。法界語自在マンダラに登場するようになったのは、それよりもさらに後のことです。マンダラの第二重に現れる十二尊ずつの四つのグループのうち、陀羅尼以外はいずれも大乗仏教の教理概念を、そのまま仏にしていますが、十二陀羅尼はすでにこのような「歴史」をもった仏たちで、一線を画しています。陀羅尼信仰は初期密教の重要な要素のひとつで、中国や日本でもさまざまな形で伝えられています。陀羅尼信仰の形成には、陀羅尼と関連する儀礼や、それを説明する儀軌なども関与します。これらについては、以前、不空羂索観音について調べたときに、下記の論文にまとめました。
森 雅秀 2002 「インドの不空羂索観音像」『佛教藝術』262: 43-67。

今回スライドで見たマンダラは、個人的にあまり好みではなかった。以前までのマンダラ(胎蔵など)の方が、絵画的に味わいがあった。
たしかに、チベットの絵画は好みが分かれます。というより、大半の日本人には耐えられない色彩感覚やモチーフで満ちています。しかし、多くの作品を見ていると、チベットの絵画にも優れたものがあることがわかってきます。当たり前のことですが、日本の作品でも駄作はいくらでもありますし、チベットでも同様です。胎蔵や金剛界でおもに用いた西院本などは、奇跡的な芸術作品です。ところで、人類が残した絵画や彫刻は無数にありますが、われわれが知っているのは、そのうちのほんのごく一握りです。たとえば、ダ・ヴィンチやボッティチェルリとかのルネッサンス絵画や、マネやルノアール、ピカソといった、美術の教科書に出てくるようなものです。ヨーロッパの美術館に行くと、キリスト教の絵画を多く見ることができますが、そのほとんどは、われわれにはなじみのない画家の作品です。このようなものからは、ある種のグロテスクさや気味悪さを感じますが、それはチベットの仏教絵画から感じるものと同質です。宗教的な芸術作品のもつ特性は、意外なほど普遍的なのです。

今回登場したどう見てもあやしげなイメージの仏たちがならぶマンダラも、やはり儀礼などに用いるのでしょうか。これも「聖なるイメージ」なのでしょうか。それと、ヘーヴァジュラ17尊マンダラにせよ、サンヴァラ62尊マンダラにせよ、女尊(しかも恐ろしい)の占める位置が多くなっているように感じます。
母タントラ系のマンダラも、これまでと同様、灌頂などの儀礼で用いられます。灌頂の方法が、それらのマンダラを用いる場合、特別なものになります(経典などにそれも規定されています)。女尊がマンダラで重要な位置を占めるのはそのとおりで、母タントラ系のマンダラの特徴です。中尊さえも女尊になり、男尊をひとりも含まないようなマンダラも現れます。このようなイメージがもともとどこから現れたかはよくわかっていませんが、前回でもふれたように、社会の周辺領域に位置する女性たちが、宗教上、重要な役割を果たしたということと関連するのではないかと思います。これは日本やヨーロッパの中世とも通じるような気がします。

死体の上に立っている仏のマンダラが衝撃的だった。富山県の立山町に「マンダラ遊園?」という博物館のようなものがあると耳にしたのですが、ご存じですか?もし本当にあったら、行ってみたいです。
立山にある[富山県]立山博物館の付属施設です。少し交通の便が悪いのですが、車を使えば金沢から2時間ほどで行けるでしょう。この博物館については前回の質問と回答でも紹介していますが、なかなかすぐれたところです。私の所属する比較文化研究室では実際に行った者も多く、人気のスポット?です。

マンダラに書かれる尊格の中で、女の人(奥さん?)を抱いているのは仏でもインドの神々に由来するものであるように思うのですが、そういう意味で奥さんもシンボルとしてとらえてもいいのでしょうか。
仏教の仏が配偶神を抱くのは、二つの意味があります。ひとつは男尊が方便、女性が般若を表し、その両者が合一し不二となることで、悟りが得られることを表します。その意味では、仏とはすべてシンボルです。もうひとつは、仏教の実践の中に性的なヨーガが導入され、それにともない生理的な瞑想法が重視されたことです。仏たちの姿は、仏教の行者の理想像となります。ヒンドゥー教の神々が、自分の妻をともなうことはたしかに多いのですが(シヴァやヴィシュヌ)、これらの神々がヘールカのように一体となっているものはありません。ただし、シヴァをリンガという男性性器の形で表した場合、リンガは女性性器であるヨーニの上に置かれますが、これはリンガがヨーニの中にあることを表します。また、その一方で、カジュラホにあるヒンドゥー教寺院の装飾のように、性の謳歌があふれた世界もあります。密教の性のイメージも、インドの文化全体からとらえる必要がありますが、なかなかむずかしいです。

ヘールカ族のところであったように、社会の底辺層と宗教とがしばしば結びつきを持つという話は興味深く聞きました。日本史、とくに中世史だとやっぱり網野善彦氏が有名です。卒論で宗教と地域民衆の関わりについて多少取り上げようと思っているので、日本以外の事例も参考にしていかなければならないと思いました。
私の専門はインド、チベットなのですが、日本史や世界史の社会史や民衆史には興味があります。学生の頃には阿部謹也氏の著作(『ハーメルンの笛吹男』など)を読み、強い衝撃を受けました。たまたまご本人の集中講義を受ける機会もありました。魔女狩りや錬金術など、宗教がらみのテーマも面白いですね。日本史の場合、知り合いの研究者に聞いたところによれば、網野氏をいかに乗り越えるかが、現在の日本史研究の課題というぐらい大きな存在だそうです。インドの場合、このような分野に関する網羅的・体系的な研究は、ほとんどありませんが、何かの参考になるといいですね。

生首やどくろ、肉切り包丁など、日本の仏像では見たこともないようなすごいものを持つ仏様がいておどろきました。
たしかにそうですが、明王や天部の仏には武器を持つものがいます。かなり特殊な仏ですが、深沙大将という尊格が、どくろの飾りも持っています。ちなみに深沙大将のイメージは、西遊記の沙悟浄に受け継がれています。仏のような「聖なるイメージ」には2種類あると考えた方がいいようです。完全や秩序などと通じる「整った」イメージと、グロテスクとか奇異というイメージです。前者は常識的な神や仏のイメージですが、じつは世界の宗教には後者のようなイメージを「聖なるイメージ」として重視するものがたくさんあります。ドイツの宗教学者R. オットーは、このようなものを「ヌミノーゼ」と呼びました(『聖なるもの』岩波文庫)。ヘールカなどの母タントラ系のグロテスクな仏たちも、このようなヌミノーゼ的な聖なるイメージに属するものです。また、血や骨、肉などの身体の構成物は、インドでは本来不浄なものですが、このようなものを「聖なるイメージ」とみなすことも注目されます。

ついに出てきました。カタカナ。人工物でさらに名称となれば、漢字や日本語にできないので仕方がないのですが、カタカナが増えるだけで頭が混乱していきます。発展とともに、新しい教説が出てきて、それが他のものと微妙に絡み合っていて、それが分かっていればもっと面白くなると思うのですが、私の場合、要復習、要勉強であります。
がんばって下さい。カタカナの名前は、サンスクリットの知識があれば比較的覚えやすいのですが、それでも、基本的には固有名詞なので、慣れるしかないようです。外国人の俳優とか有名人を覚えるのと、基本的には同じことです。また、この分野を専門とするのではなければ個々の仏の名前を覚えるよりも、全体のイメージとそれを構成する原理を理解していただければいいと思います。復習と勉強はもちろんがんばってほしいです。さしあたっては教科書にしてある『マンダラの密教儀礼』をひととおり読んで(宿題にもなっています)、余裕があれば毎回紹介する参考文献も見て下さい。


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