アジアのマンダラ

第6回 マンダラの歴史(4)
秘密集会マンダラと法界語自在マンダラ(補遺)

マンダラは仏の世界を表したものですが、いろいろな種類があるということは仏の世界はひとつではなく、いくつかあるということですか。それとも仏の世界はひとつだけだけれど、そのとらえ方が流派によって異なるということなのでしょうか。そしたら流派間で自分たちのマンダラこそ正しいのだと言い合い、論争になりそうですが、どうなのでしょう。そしてひとつの寺院で金剛界と胎蔵マンダラ二つを使っているということは、仏の世界はいろいろな形でいくつか存在しているということを意味しているのでしょうか。
マンダラの種類を見ていると、たしかにどうしてこれだけ「仏の世界」が必要であったか疑問に思います。いくつかの理由が考えられますが、もっとも基本的な理由はそれだけ多くの経典や伝統、流派が存在したということでしょう。日本でも真言と天台では用いられるマンダラが異なりますし、別尊曼荼羅と呼ばれる種類のマンダラは、儀礼の目的ごとに異なるマンダラを用います。いずれも、それぞれが典拠となる経典や儀軌類があります。インドで密教が存在した時間的な幅も考慮する必要があるでしょう。初期のマンダラは5,6世紀に現れましたし、最終的にインドから仏教が滅びるのは13世紀頃なので、その間に八百年ぐらいはあるのです。日本の歴史で比べれば、古墳文化か大和政権誕生の頃から、鎌倉の初期ぐらいまでカバーします。その間に数十のマンダラが生まれたとしても、それほどおどろくことではないかもしれません。チベットではこれらのマンダラの伝統をほとんど継承しています。一九世紀頃に作られたマンダラ集成書には一四〇種類ぐらいのマンダラが現れます。しかし、これらがすべてインドでもコンスタントに流行していたわけではありません。私がよく参照する文献で、12世紀初頭に表されたマンダラ理論書がありますが、そこで取り上げられている基本的なマンダラは26種類に過ぎません。そこには胎蔵マンダラも含まれません。なお、インドでは流派間の抗争はなかったようです。むしろ、すぐれた修行僧は複数のマンダラの伝統を学ぶようにつとめたようです。金剛界と胎蔵がセットとして扱われるのは、日本密教だけの特徴です。その場合、本来、ひとつのマンダラで完結しているはずの「仏の世界」が、二つの現れ方をして、その両者で「全体」とみなされます。おそらくこのような発想は中国密教に起源がありますが、インドまではさかのぼれません。

教理や徳目から仏を作る、仏の像を新たに考えるのはけっこう大変だろうと思いました。既存の仏のシンボルやインド重なってはならないだろうし。男尊だけでは足りなくなったから、女尊も出てきたのかと思ってしまいます。無上瑜伽の時代になると、大日如来が中尊ではなくなるということが意外でしたが、目的に応じてマンダラを作るなら、それもそうかと思いました。
たしかに人工的な仏の像を造るのはたいへんです。単にデザインやアイディアの問題ではなく、それがイコンすなわち「聖なる像」であるためには、それなりに姿が必要だからです。そのため、物や菩薩、女尊の既存のイメージをベースにして、ごく一部のシンボル(たとえば持物)などを変更するだけで、新しいイコンを作ったようです。そのため、全体では仏のイメージは画一化していきます。また、このような教理から人工的に仏を作る方法は、それほど長続きせず、つぎの無上瑜伽の時代には、別の発想から仏が作られます。法界語自在マンダラの十二地などの尊格が女尊であるのは、これらの教理や徳目を示すことば(地、波羅蜜、自在、陀羅尼)が、いずれも女性名詞であることも理由にあります。とくに陀羅尼の仏たちは、マンダラが出きる前から単独で信仰されてきた女尊たちです。大日如来が中尊でなくなるのは、無上瑜伽の特徴ですが、仏の世界(あるいは神々の世界)では、このような首位の交替はしばしば見られます。古代インドの神々の世界でも、はじめは天空神が至上神だったようですが、ミトラやヴァルナなどの司法神がその地位をとり、さらに彼らもインドラやアグニに人気を奪われます。ヒンドゥー教の時代になると、シヴァやヴィシュヌというまた新たな神々が最高神となります。神々の世界も人気稼業というか、栄枯盛衰がはげしいのです。

阿◎が青い体色をしていて、それがインドでは「おっかない色」なのはなぜでしょう。シヴァの身体が青というか紺色だった気がしますが、それが理由なのでしょうか。
「青」が「怖い色」ということに注意を引かれた方が何人かいました。この場合の青は、ブルーや水色などではなく、質問にもあるように紺色というか青黒い色です。シヴァがこの色をすることもそのとおりで、金剛薩☆や降三世明王、そして、今回取り上げるヘールカ系の仏たちなどの金剛部関係の尊格は、ほぼ一様にこの色をとりますが、それ以外のイメージにも、シヴァと共通点が見られます。カーリーという恐ろしい女神も同じような色ですが、その名前は「黒いもの」という意味です。サンスクリットの「カーラk畦a」に由来しますが、この語は「時間」そして「死」も意味します。このあたりが、インドの青黒色のイメージのベースにあるようですが、色のシンボリズムはなかなかむずかしいですね。

摩尼部とマニ車は関係あるのでしょうか。マンダラの歴史(3)の図版19の門の上に対になっている動物は、何ですか。鹿でしょうか。そして、その動物である意味はありますか。
はじめの質問は、関係あります。同じことばです。マニ車は、それを回すと功徳があるという円筒形のもので、チベットの仏教寺院でよく目にします。ご存じかもしれませんが、マニ車にはまわりに「オーム、マニ、パドメー、フーン」(オーム、蓮華の中の宝珠よ、フーン)というマントラがまわりに書いてあります。これは観音のマントラで、マニ車を回転させると、このマントラを唱えた功徳が得られることになっています。円筒形の中に、同じマントラを記した紙片も入っています。門の上の動物は、つがいの鹿です。釈迦がはじめて説法をした鹿野園を表します。2頭の鹿のあいだには法輪もあります。インドの仏像で、この釈迦の初説法を表す作品にも、しばしば台座に表されています。おそらく当時の仏教寺院が、その門の標識として、同じように入口上部に飾っていたのでしょう。残念ながら実際のインドの仏教寺院跡で、このような門の遺構を見ることはできませんが、チベットの仏教寺院にはしばしば見られます。日本の胎蔵マンダラでは、門にこのような鹿はいないので、その後で登場したモティーフのようです。マンダラのまわりには、そのほかにもサル、象、ライオン、水鳥なども描かれることになっています。まるで動物園のようですね。

主体客体の不可分かをめざす割には、男と女という絶対的に同一化し得ない二つの概念を割り当てるあたり、なんだか矛盾している気がします。男と女はそれぞれ独立したものと私には思えるのですが。この場合は表裏一体のものという考え方なのでしょうか。
密教は象徴的な表現を好み、二元論を表すために、男女以外にも太陽と月、右と左、母音と子音(ことばの)などが現れます。いずれも反対物ですが、このような「反対物の一致」は、宗教の基本的な原理として、インドに限らず一般的です(「反対物の一致」というのはエリアーデのことばです)。ミクロコスモスとマクロコスモスが究極的には同一であるという、古代インド以来のテーゼもそのひとつです。男と女が便利なのは、この二つが合一することが可能だからです。これは別にセクハラ的な冗談ではなく、実際に密教で行われたヨーガには性的なものが見られますし、マンダラのような仏の世界の創造を、生命の誕生に対比させたりします。

寺院などで複数のマンダラが描かれたり、おかれたりする場合、その配置には注意がどの程度配られるのですか。
地域や時代で異なります。インドでは寺院の壁画などにマンダラを用いることはほとんどなかったようです。遺跡や遺構からも認められません。むしろ、建造物全体をひとつのマンダラと重ね合わせ、その内部空間を仏の世界として意識していたようです。これに対し、チベットでは複数のマンダラを寺院の壁や天井に描きます。これは、チベット人独自の空間処理の方法だったようです。授業で紹介しているラダックやピヤン、トゥンガルなどは、寺院全体のプランのために、マンダラをモザイクのように使っています。これらの寺院や石窟が作られたのはインドに密教が残っていた時代ですが、寺院などの内部空間はインドとはまったく別だったようです。一方、日本では金剛界と胎蔵の2種のマンダラが対になって扱われ、おもに儀礼空間を荘厳ずるために、向かい合わせに吊り下げられます。これも日本的な展開(中国で成立した可能性大)です。個々に事例については、それぞれを取り上げるときに紹介します。

前から思っていたのですが、仏の数がなぜここまで多いのだろう。人々が宗教を信仰する背景には、現世が苦しいので、その中でも希望を見いだすためというのがあると思う。キリスト教、イスラム教は一神教なのに、なぜ仏教(密教)だけがこんなに神(仏)の数が多いのですか。
宗教を説明するときに、一神教と多神教という分類はよく目にします。たしかにイスラム教やキリスト教は絶対的な神を立てるので、一神教のような感じがします。仏教以外でもたとえば日本の神道は多神教といった具合です。しかし、ひとつの宗教をこのうちのいずれかに分類するのは、実はかなり困難です。仏教でもパンテオンの総体を見れば多神教と見るべきでしょうが、これらのすべての仏は大日如来に帰一するというような立場をとれば、一神教になります。キリスト教も天使や聖人、殉教者なども「聖なる存在」であり、かれらをキリストとどのような関係にあるかを考えなければなりません。現象だけではなく、教理的あるいは神学的な立場から神をどのように位置づけているかが、宗教を考える上では重要でしょう。

無上瑜伽タントラが父タントラ、母タントラ、不二タントラと分かれるのはわかりましたが、その三つと秘密集会マンダラ、法界語自在マンダラとの関わりが今ひとつわかりませんでした。
無上瑜伽の下位分類も含め、タントラの4分法はチベットのプトンという学者が整備した「経典分類法」です。必ずしも歴史的な展開を示すために考案したのではないのですが、実際の文献の成立にもあてはまることが多いので、密教の時代区分にしばしば用いられます(とくにチベット仏教を好む欧米の学者)。マンダラをこの分類法にあてはめるのは、典拠となる経典がどこかのグループに属するからです。秘密集会タントラはこの分類では無上瑜伽タントラの父タントラに属し、その代表的な経典になります。したがって、そこにとかれるマンダラも同じクラスになります。しかし、実際のマンダラはこの経典の伝承の過程で現れた二つの流派が考案した、それぞれ別の形式のマンダラです。マンダラの成立は無上瑜伽が主流になった時代ですが、経典そのものは、『金剛頂経』などとそれほどかわらない時代だったようです。古い要素が濃厚なのはそのためです。法界語自在マンダラは明らかに『金剛頂経』と『秘密集会タントラ』の影響を受けていますが、マンダラの基本的な原理は瑜伽タントラのレベルなので、無上瑜伽ではなく瑜伽に分類されます(チベットの流派によっては無上瑜伽に位置づけることもある)。

チベットのマンダラを見ると、シンプルな構図と鮮明な彩色が印象的ですが、よく見ると空間を埋めつくすように紋様が描かれていますね。こうした細密で空間を嫌うようなイメージは、ケルト文化を思い出します。水墨画に見られる類の空白を大切にする文化は、中国や日本に特有なのでしょうか。マンダラの世界観とは相容れないようにも感じました。
たしかにチベットの仏教神内部は、一点の空白も許さないような徹底した意志のようなものを感じます。チベット人は「余白恐怖症」だったのではないかとも思うのですが、ケルトもそうなのですか。日本の美として「余白」が重要としてしばしば指摘されます。しかし、チベットとは雰囲気は違いますが、余白を許さない空間処理は日本の密教寺院などでも感じることがあります。それは「わび」とか「さび」とかとは、まったく無縁の世界です。日本人の美意識も重層的に形成され、そのなかに密教的なものもかなり認められるのではないでしょうか。

法界語自在マンダラのところで少しだけ出てきた「八大龍王」とは、どんな仏なのでしょうか。とある場所に、八大龍王の石碑なるものがあったように記憶しているので気になったのですが・・・(由来等ははっきり覚えていないので、今後調べようと思っているのですが)
八大龍王はその名のとおり、8匹の龍(ナーガ)のグループです。このマンダラ以外にもいろいろなところで登場します。顔ぶれも一定しませんが、代表的なものはアナンタ、、パドマ、マハーパドマ、クリカ、カルコータカ、シャンカパーラ、タクシャカ、ヴァースキです。ナーガはインドの民間信仰の重要な神格で、釈迦の伝記などにもよく登場します。水の神で、日本でも池などにその社があるようです。石碑がいかなるものかはわかりませんが、水害除けや祈雨(いわゆる雨乞い)などに関係するのかももしれません。このような祈願のための儀礼は、しばしば龍王のために行われます。石碑について調べたら教えてください。

私が小さい頃実家に「だらにすけ丸」という薬がありました。また私の友人の地元(新潟県高田市)には「だらに音頭」という踊りがあったそうです。陀羅尼とはどのような意味ですか。
以下は私の『インド密教の仏たち』からの引用です。陀羅尼についてまとめてあります。
 陀羅尼(dh罫a?)とは本来、仏の教えを聴聞し、正しく記憶し、これをよく保つことを意味し、大乗仏教の菩薩の徳目のひとつに数えられた。「保つ」を意味する√dhィから作られたことばであるため、「憶持」や「総持」とも訳される。そして、仏の教えを記憶するだけではなく、衆生を救済するために説法を行うことも、陀羅尼の内容と考えられた。このような陀羅尼は『般若経』をはじめとする多くの大乗経典に登場する。大乗仏教に密教的な要素が現れるようになると、陀羅尼は真言(マントラ)と同化し、神秘的な力を持つ呪句、すなわち神呪へと変質していく。その背景には、正法を受持し念誦することによって煩悩が清められ、それによって外敵を防ぐことができると考えられ、諸仏や諸天の加護を受けることのできる守護呪としても陀羅尼が機能していたことがある。このような「呪としての陀羅尼」は、すでに『法華経』の「陀羅尼品」にも認められる。初期の密教経典には、陀羅尼を説いたものが多い。これらの陀羅尼は特定の女尊と結びつき、陀羅尼を唱えることによって、その女尊の功徳が得られることが説かれる。
「だらにすけ」は空海が唐から持ってきたという薬です。本当かどうかは知りませんが、昔からおなかの薬として愛用されてきたようです。高野山のおみやげ物としても重要ですが、高野山以外でも弘法大師関係のところでは売っているかもしれません。「陀羅尼音頭」は知らないので、詳しいことをご存じなら教えて下さい。

まったく個人的な興味ですが、12陀羅尼のうちの「仏頂尊勝」というのは、どのような種類の仏でしょうか。
典型的な陀羅尼の女尊です。仏頂というのは仏の三十二相のひとつで、頭頂部の肉の盛り上がりです。これが威光を持っていて、その功徳がはなはだすぐれいていることから名付けられたそうです。ただし、その起源やイメージについては謎が多くて、よくわかりません。しかし、インド以外でも、チベット、ネパール、中国、日本で絶大な信仰を集めた仏で、文化史的にも興味深い存在です。ちなみに、この授業の後の4時間目の「比較文化演習」で、仏頂尊勝の文献を網羅的に読んでいます。

インドやネパールの方に長期旅行したいと思っているんですけど、おすすめの寺院やマンダラ、これは絶対見とかなアカンっていうものを教えて下さい。
いろいろありすぎて簡単には紹介できません。関心がどのあたりにあるかを考えたうえで、研究室まで直接相談に来て下さい。


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