アジアのマンダラ

第3回 マンダラの歴史(1)
初期のマンダラと胎蔵マンダラ

神々と一体となることを瞑想するための神聖なマンダラではあるが、諸行無常の精神から、儀式が終わるとすぐに破棄してしまうというのは、思想的におもしろかった。以前にテレビで、バターで作られたチベットの神々が太陽の光で溶ける場面を見たことがあるが、それも同じであるように感じた。
マンダラを壊すのはインドの文献でも見られ、その伝統がチベットにも受け継がれたようです。インド密教の歴史は、少なく見積もっても五百年ぐらいありますから、マンダラの制作と破壊は、インドの僧院などで幾度となく繰り返されたのでしょう。現在、インドの僧院跡の遺跡に行っても、その片鱗も残っていませんが・・・。チベットでは砂で作ったマンダラは壊されますが、壁画や絵画、あるいは立体マンダラのようなものは、壊さずにとっておきます。バターで作った神の像も、お寺の中でずっと飾られていることも多いようです。ラダックなどには11世紀頃の非常に古いマンダラの壁画もあります。マンダラは早くから装飾的な目的でも描かれていたのです。マンダラを壊すのは、タテマエでは「諸行無常」つまり、形あるものがはかないものであるということですが、他のどの国の仏教徒よりも、チベットの人々は仏像や仏画などの形あるものを生み出すことに精力をそそいだようです。

マンダラを作るときに土地を浄める儀礼がいろいろありますが、マンダラ作成に従事する人々や灌頂に従事する僧たちも、たとえば斎戒沐浴などして、身を清めるというようなことをするのでしょうか。
身体を浄化することは、儀礼で一般的に見られます。実際に身体を清潔にすることもありますが、むしろ、日常的な空間や時間から、そのような手続きを経て、儀礼という非日常的なところへ移行することが可能となるからです。このような儀礼を「通過儀礼」の一種とみなすこともあります。日本では、ご指摘のような斎戒沐浴やみそぎ、潔斎などの水による「浄め」(清め)が重要です。水の持つ浄化機能とともに、水のもたらす再生や刷新のイメージも含まれているのでしょう。密教儀礼を含め、インドの儀礼でも水は重要な位置を占めます。灌頂では水そのものが儀礼の中心を占め、弟子などが水をそそがれることによって「再生」します。キリスト教の洗礼で使われる水も、このような機能を持っています。『マンダラの密教儀礼』の第二章で紹介した「プージャー」という儀礼では、水は礼拝の対象である神々に捧げられることもあります。その一方で儀礼を行う人が、自分自身を清めるためにも用います。ただしその方法は手や口を洗うだけの簡単なものです。日本のような前身に対するものではありません。

前回の質問に対する回答の中で、空中浮遊が仏典に説かれる「正統的な」力だったと書かれていますが、その仏典の名前がわかりましたら教えて下さい。
たとえば『金剛頂経』のような密教経典の中には、神通力のひとつとして現れます。たしか「五神通」という五種類の中のひとつにあげられことが多いはずです。そもそも、釈迦が行った神変のひとつである「双神変そうじんぺん」(舎衛城の神変のひとつ)でも、釈迦自身が空中を飛び回るという奇跡を示します。このエピソードはさまざまな仏典に説かれています。

胎蔵曼荼羅の「外金剛部院」は「金剛手院」と何か関係があるのですか。
外金剛部院はサンスクリットでb敬yavajrakulaといい、「外側の金剛の部族」という意味です。一方の金剛手院は金剛手Vajrap公iという尊格を中心とした区画です。金剛は同じことばですが、顔ぶれはまったく異なり、外金剛部は基本的にヒンドゥー教の神々で構成され、天体の神々や阿修羅などの下級神も含まれます。外金剛部は胎蔵マンダラ以外のマンダラにもしばしば現れ、仏教のマンダラを周辺から支えるものだったのです。

胎蔵界と金剛界で知っているほとけが、胎蔵界の方が多いとおっしゃっていましたが、胎蔵界と金剛界の両界マンダラは、どのように対応しているのですか。
日本の密教ではこの二つのマンダラはセットで扱われますが、本来は典拠となる経典も、構成原理も異なるマンダラです。まったく無関係というわけではありませんが、両者が厳密に対応することは、もともとはありません。日本ではこの二種類のマンダラのみが特別な位置を占めたため、両者のあいだに密接な関係を作り出します。「金胎不二」とか「両部不二」などといわれます。胎蔵マンダラで「知ってる仏のチェック」をしてもらったのは、一般の人でも知っている仏が現れるのは、このマンダラぐらいだからです。今週からは「見たことも聞いたこともない仏」が登場するようになります。

触地印仏坐像は文字どおり、地に座っている像とありましたが、以前、地に横になっている仏像を見ました。何か特別な名前が付いていたりしますか。
触地印仏は釈迦が悟りを開く前の「降魔」に由来するポーズです。横になっているのは「涅槃」を表す像だと思いますが、地面に直接ではなく、台座の上に寝ているはずです。東南アジアには「寝釈迦」と呼ばれる、ほんとうにただ横になっている仏像(それもずいぶん大きな)があるようですが、それのことでしょうか。

砂マンダラは壊してしまうとおっしゃいましたが、具体的にはどうやって壊すのですか。壊すときには大げさなきまりとかないのですか。
『マンダラの密教儀礼』の第6章のはじめに、簡単に説明しています。金剛杵を使って、まわりからくずしていくだけで、壊すのは作るのと違って、ずいぶんあっけないようです。結界の時にまわりに打ち込んでおいたキーラも、このときに抜いて、それまで動けなかった悪鬼なども解放します。壊した後に残った砂は、瓶に入れて象などに乗せ、行列を作って川まで流しに行くことも説かれています。むしろその方が大げさだったでしょう。

プルブを打つダライラマが、左手(右手?)に持っているのは何ですか。プルブの顔は仏ですか。仏だとすると、悪魔は見えるものとして表されていないのでしょうか。
おそらく右手の道具のことだと思いますが、かなづちです。キーラは金属製の釘のようなものなので、それを地面に打ち込むためには鎚が必要です。ダライラマが持っているのは儀礼用の装飾されたものです。キーラ(プルブ)の上の部分は、仏教のほとけで、忿怒尊と呼ばれる恐ろしい者たちです。日本密教の明王に相当します。たしかに、キーラで固定されてしまう悪魔たちは表現されていません。儀礼を行うものは瞑想の中で、自分自身が忿怒尊となり、悪魔たちに突き刺します。悪魔といっても、帝釈天などのヒンドゥー教の神々で、本来は彼らが各方角を守る「護法神」と呼ばれています。密教徒たちは、彼らの仕事を忿怒尊に与え、逆に儀礼を妨害する者たちとして彼らを「悪者」に位置づけます。

ヴィシュヌの横たわる蛇がカオスの象徴であり、ブラフマーのすわるハスが宇宙、ブラフマー自身がまた宇宙であるという世界の起こりを見て、さらには人体のチャクラとマンダラの話を聞き、マクロコスモスの中にミクロコスモスという観念に非常に興味を持った。今まで自分の中に漠然としていた宇宙というものに対する感覚に近いものがあったのか、入りやすい話だった。それにしても仏教というのは「宇宙」なくしては成立しない概念だということを痛感した。曼荼羅についてももっと勉強したい。
一般の日本人にとって、仏教とは「ありがたい話」や「悪いことをすると地獄に堕ちる」といった単純な倫理観と結びついていることが多いため、マンダラや密教が「世界」や「宇宙」を問題にすることがなかなか実感できないのですが、興味を持ってくれてうれしく思います。マンダラ、ハス、人体、神のすがた、家、寺院、仏塔などは、いずれも「宇宙」に重ね合わせることができるものです。インドの思想は、古代のウパニシャッド哲学以来、このようなマクロコスモスとミクロコスモスの同一性を主張するところに特徴があります。これは「梵我一如」という言葉に集約されています。その中で、釈迦が開いた段階の仏教は、五蘊に代表されるような「私とそのまわりのもの」のみの探求をする、きわめて特異な宗教でした。しかし、時代が進むにつれて、インド本来の思想や宗教と同じように、「世界」と「自己」との関係に関心を向けていきます。

五色線に使われている色にも何か宗教的な意味があるのか。
五色は白、青、黄色、赤、緑で、仏の五種の知恵を象徴すると、日本密教では説明されます。これらの知恵は、今回登場する金剛界の5人の仏に対応します。ただし、インドでは結界のためのキーラを、五色線でつなぐという方法は、一部の文献では見られますが、あまり一般的ではなかったようです。キーラそのものに除魔のような呪術的な機能があったからでしょう。

釈迦の話の中で、悟りということばが出てきたので、ふと思ったのですが、悟りの定義って何でしょう。悟りを開くって具体的にはどういうことを言うのでしょう。俗世との、その「境」みたいなものがよくわかりません。
「悟り」ということばは、仏教ではよく用いられますが、これに対応するのはbodhiというサンスクリットで、「覚」と訳されたり「菩提」と音写されます。「目覚める」を意味する動詞budhから作られた名詞で、本来の意味はそのまま「目覚めること」です。また「涅槃」ということばもよく現れます。これは悟りの境地にあたるのですが、本来の意味は「炎が消えた状態」と通常では説明されます(ただし、パーリ語のある著名な研究者は、この説明に疑問を呈しています)。この他、瞑想のレベルとして、いろいろなことばも用いられます。「悟る」ためには何が必要かは、同じ仏教でも時代によって異なります。たとえば、初期仏教では四諦八正道、十二支縁起などが重要ですが、大乗仏教では「空」が中心になります。いずれも、単に観念的に理解するのではなく、瞑想やヨーガなどの実修を必要とします。悟りの内容はそのまま仏教思想史の流れに相当します。

今さら初歩的な質問で申し訳ないのですが、仏教において「神」ということばは何を指しているのですか。菩薩を「神」とおっしゃっていたような気がするのですが・・・。
おそらく、そのときは「神格」という意味で使ったのだと思います。仏教では「仏」ということばは、本来は釈迦のようにすでに悟りを開いたものに用いるのですが、密教のように菩薩や明王などを指すときにも便利なので使います。仏像といった場合、観音像や不動明王像が含まれるのも、そのためです。しかしそれでは混乱するので、他の宗教の「神格」にあたる「尊格」ということばを用いることも多いのですが、あまり普及していないので、授業では使わないようにしています。「神」ということばをヒンドゥー教などの仏教以外の神に使う場合もあるので、さらにややこしいことになります。梵天や帝釈天、弁天のように、伝統的には「天」という名称を用います。

地鎮祭は神道の儀式だと思っていたのに、密教が由来かもしれないと聞いて意外でした。あと、世の中にはきれいな花がいっぱいあるのに、その中で、なぜあえてハスを特別なものとして選んだのかなと思いました。あと、釈迦は実在の人物だけど、その他大勢の仏は実在した人物なのですか。釈迦のお弟子さんをモデルにしたんですか。それともあの大勢の仏はすべて釈迦が違った姿で現れたものなんですか。
地鎮祭の起源は詳しく調べたわけではありませんので、断言はできないのですが、たぶん、密教儀礼が関与していると思います。ハスについては、インドだけではなく、かなり広い範囲で宗教的や文化的に重要な位置を占めています。エジプト、西アジア、中国などです。下記のような、美術史家によるおもしろい研究書も出ています。仏については、実在した、あるいは実在するかどうかは、信仰によるものですから、どちらとも言えないでしょう。ただ、さいごのような「一人の仏から姿を変えて他の仏となって登場する」という解釈は、大乗仏教で有力となります。その場合の一人の仏は、歴史上の釈迦ではなく、大日如来のような仏です。これを「法身」(ほっしん)といい、仏教の真理そのものが、すべての仏の根源的な存在としてたてます。複数の仏の関係についての考察は「仏陀観」といって、仏教学の大きなテーマのひとつです。
若桑みどり 1984 『薔薇のイコノロジー』青土社。
宮治 昭 1999 『仏教美術のイコノロジー インドから日本まで』吉川弘文館。

立体的な「釈迦と八大菩薩」のマンダラでは、菩薩たちが皆釈迦を見ていますが、絵画の「蓮華に乗った女神と従者」はそのようなことがないのは、マンダラではないからでしょうか。平面のマンダラを立体のマンダラの展開図としてみたとき、釈迦を見ているのとそうでないのとがあるような気がしますが、釈迦に視線が集まっているように見えるというのは、さほど重要ではないということでしょうか。
『マンダラの密教儀礼』の中でも取り上げていますが、マンダラの仏がすべて放射状、すなわち、中心の仏から外に向かって広がるように描かれているのは、本来、まわりのすべての仏が中央を向いているからでしょう。このことは、マンダラが何を表しているか、あるいはマンダラの機能は何かを考える上で重要なことなので、とくに注目しています。「蓮華に乗った女神と従者」や、前回紹介した「補陀洛山マンダラ」では、通常の絵画のように、すべて同じ方向に頭を向けています。「叙景型」と呼んだように、仏たちの世界を客観的に眺めた場合は、むしろこちらの方が自然ですが、その場合、マンダラの中心の仏に自己を重ね合わせることや、マンダラ全体が自分の身体とパラレルであることを確認するなどは、おそらく不可能でしょう。

原子力発電所の名前に「もんじゅ」(高速増殖炉だけど)「ふげん」がありますよね。
その通りで、仏教の好きな科学者が付けたのでしょう。日本の釈迦像はこの2尊の菩薩を脇侍つまり従者としてともなうことが多いので、あわせて使ったようです。文殊の場合、知恵の仏でもあるわけで、現代科学の粋ということも意図されています。「こんごうしゅ」(金剛手)とか「ふどう」(不動)などと名付けたら、かなりあぶない施設になりそうです。じっさい、そうなっていますが・・・


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