第9回 インドネシアのマンダラ(2):ブロンズ製の立体マンダラ
ボロブドゥールが鳥瞰的に建てられたとしたならば、釈迦が善財童子の下にあるのがおかしく思えました。善財童子は仏ではないのだから、仏の釈迦より人間に近く、したがって下の方の位置にいる方がふさわしいと思うのですが。
ボロブドゥールを仏教神々の世界のヒエラルキーにしたがって建てられたと見ると、たしかにそうですが、仏教徒にとっての理想的な修行の過程と見るならば、理解できるのではないでしょうか。つまり、釈迦の生涯や前世の物語は、すでに起こった現実の出来事であるのに対し、善財童子の方は経典の中に説かれた神話的な物語です。しかも、それは全宇宙的な規模で展開します。ボロブドゥールを参拝する信者は、元型としての釈迦の物語を確認したあと、その発展形態ともいえる善財童子の物語をたどることになります。善財童子は仏ではありませんが、ただの人ではなく、理想的な大乗の菩薩です。大乗仏教においては、すでに悟りを得た仏よりも、われわれの身近にいて、衆生救済につとめる菩薩の方が重要な位置を占めたり、人気が高かったりします。
金剛薩☆の曼荼羅に現れる女尊たちは、みな独特の体勢をとっていて面白かった。足をのばすような格好や手を広げる姿勢などには、何か特別な意味があるのだろうか。
金剛薩☆のマンダラの女尊たちのポーズは、たしかに動きがあって面白いです。とくに「蹴り」をいれているような法輪女のポーズが印象的というコメントもありました。作品はいずれも像高が10?にも満たない小さなものなのですが、人体表現やバランスにも優れ、なかなかの出来ばえです。青銅製でおそらくはじめは鍍金がしてあったと思いますが、技術的にも高度です。女尊たちのポーズは、それぞれの名称にも関連する場合もあり、琵琶女のように楽器の場合はその楽器を演奏していますが、法輪女や三界王などはよくわかりません。一般に日本のマンダラの仏たちはおとなしく坐っていることが多いのですが、チベットやインドネシアのマンダラでは、はげしい動きの仏もよく見られます。仏をあらわすときの基本的なイメージの差でしょうか。
もしボロブドゥールに行って、今日講義で聴いたようなことを考えながら回ったとしても、そういう世界観を実感することはなかなかむずかしいのではないかと感じました。行ってみないとわからないですが・・・。そう考えると、昔の人はどのようなことを考えながらボロブドゥールを作ったのだろうと思いました。当時の人や、現地のお坊さんなどはボロブドゥールについて、そういう実感を伴っていたのかなぁと疑問に思います。
私も講義の中で少し触れたように、実際にボロブドゥールを回ってみても、全体の構造や鳥瞰的な視点からの各階層の意味などはまったくわかりませんでした。ひとつひとつの浮彫のパネルを理解するのも、よほど詳しい知識を持っていなければ困難です。まして、何百枚もあるパネルを順に見ながら登っていって、釈迦や善財童子の軌跡をたどるなんて、まず不可能でしょう。ご質問と同じように、それではなぜこのようなものが作られたかということになりますが、明確な回答はできません。特定の天才的な人物(ひとりではなく複数かもしれません)がいて、全体のプランを考えたあとは、無数の人々がこつこつと石を刻み積み重ねて、何十年もかけて作り上げられたのでしょう。その時、実際の作業にあたる石工などは、自分がしていることの意味や全体での位置づけなどまったく関知していないでしょうし、そんなことを考えていては仕事にならないでしょう。キリスト教の教会やイスラム教のモスクなどでも巨大な建築物がたくさんありますが、おなじことだと思います。
インドネシアに伝わった仏教は、日本に伝わった仏教よりもインド、チベットの仏教の要素をより受け継いでいるように感じた。それは、インドネシアのブロンズ像からも読みとることができた。タイやベトナムに比べて仏教のイメージが薄いインドネシアではあるが、昔は大乗仏教が隆盛を極めていた様子をうかがうことができて面白かった。
そのとおりですね。われわれ日本人にとって東南アジアの仏教は上座部仏教(いわゆる小乗仏教)のイメージ一色ですが、歴史的に見れば、大乗仏教も密教も、さらに土着的な宗教も地層のように積み重なって現在の仏教ができあがっています。インドネシアに密教が栄えた時代があって、マンダラの作例まで残されていることは、一部の研究者をのぞきほとんど知られていないのではないでしょうか。これと同様に、カンボジアでも密教の遺品が数多く出土しています。インドで密教が栄えたのが、おもにその北東地域であったこともこれと関係するでしょう。東南アジアとインドは地続きですし、ベンガル湾を中心とした海洋貿易もさかんに行われていました。日本に伝わった密教も、中央アジアではなくスリランカや東南アジア経由でした。インドのベンガルやオリッサから出土したブロンズ像は、様式的にも授業で紹介した作品などととてもよく似ています。
釈迦が多くの仏のひとりに過ぎないと言う考えは異端扱いはされていないのでしょうか。
仏が釈迦ひとりではなく無数にいるという考え方は、大乗仏教では一般的ですが、じつはかなり古い時代の経典にも現れます。とくに釈迦以前にも仏たちがいて、釈迦はその教えを見いだしたにすぎないという過去仏信仰は、初期の仏教経典にも見られます。大乗仏教で一般的になる「世界には無数の仏国土があり、無数の仏がいる」という考え方は、その一方で「すべての仏を支配する仏教の教え=法が最も重要である」という立場と結びついていますが、これらもすでに初期仏教から潜在的に認められます。また仏教はキリスト教のように公会議などでその教義を厳格に定めた宗教とは異なり、教理的な解釈の違いや部派の分裂をもたらすことはあっても、部派相互で対立や抗争があったわけではありません。魔女狩りも異端審問も仏教とは無縁でした。ただし、仏教が政治権力と結びつき、イデオロギーとして活用されることは、もちろんしばしばありましたが。なお、仏教では正統とか異端ということばはあまり用いられません。インドのことばにもこれに相当するものは見あたりませんが、しいてあげれば「ダルマ」(dharma)が正統という意味にもっとも近いでしょう。これは漢訳ではまさに「法」と訳される語です。
青銅の仏像によるマンダラを見ると、チェスなどのボードゲームのようだと思った。立体マンダラというと、寺や仏閣のような仏を囲むものをまず考えるため、ぴんとこない。
チェスのこまというのはなかなか適切な表現です。実際はそれよりも少し大きいのですが、雰囲気はよく似ています。立体マンダラということばは現代的な造語で、これに対応する伝統的な用語はインド密教にも日本密教にもありませんでした。日本では「羯磨曼荼羅(かつままんだら)」と呼ばれるものが、しばしば立体マンダラと理解されますが、本来、羯磨とは「動き」や「はたらき」を意味することばで(仏教語としての「業」にも相当)、立体という意味はありません。日本では立体マンダラという語は、たとえば東寺講堂の尊像群に対して用いられますが、空海自身はそのようには呼んでいません。後世の真言宗でこれを「羯磨曼荼羅」と解釈したことから、最近ではそれよりもわかりすい「立体マンダラ」という語が用いられるようになったに過ぎません。このあたりのことは、近刊の『密教の聖者 空海』(吉川弘文館)所収の「空海の芸術観」の中で書いておきました。ちなみに、この間の紅白歌合戦で東寺の講堂からの中継があったときも「密教の深遠な世界を表す立体マンダラ」などと説明されていました。マンダラの仏たちを絵画ではなく彫像で表すことは、インドでも実際にあったようで、当時の文献にはむしろ絵画よりもすぐれているという評価も与えられています(『マンダラの密教儀礼』pp. 116ff.)。その場合、仏たちは立体的な造型ですが、マンダラそのものは平面的で、楼閣を立体的に作ったりはしなかったようです。日本でもこのような伝統はわずかに伝えられていて、マンダラの各尊の像を青銅で作って(一部は尊像ではなくシンボル)、マンダラの配置にしたがって並べたものが、和歌山県の那智から出土しています