第8回 インドネシアのマンダラ(2):ブロンズ製の立体マンダラ
チャンディ・セウやインドのパハルプールには、小さな部屋があきれるほどありましたが、何であんなにたくさん作ったのでしょう。何か実用的な用途はあったのでしょうか。それとも実際に使うような部屋ではなかったのでしょうか。
まわりの小さな部屋は僧房、つまり僧侶たちが生活する部屋です。仏教は基本的に出家を原則としますから、僧侶たちが集団生活をする場所が必要です。巨大な僧院はしばしばこのような僧房をそなえています。チャンディ・セウもパハルプールも中央の巨大な建造物は一種の仏塔で、礼拝の対象です。僧院が仏塔(ストゥーパ)と僧房から構成されるのも、インド仏教以来の伝統です。このことは石窟寺院でも踏襲され、チャイトヤ窟(チャイトヤは小規模な仏塔)と僧房窟という2種類が、アジャンタやエローラなどで見られます。有名なナーランダー僧院は、敷地のはずれに巨大なストゥーパがあり、そこから大規模な僧院が何棟も並んでいます。いずれの僧院も中央に中庭のある形式で、周囲に小部屋が並んでいます。数千人の僧侶がここで生活をしていたと伝えられています。僧坊はお坊さんたちの部屋なのですが、個室というわけにはいかなかったでしょう。狭い部屋に数人ずつ同居し、瞑想や修行に励んでいたと思います。食事はおそらく中庭のどこかで、集団でとっていたのでしょう。
スライドにあった木がとても印象的だった。ああいう自然のものからイメージを借りてくるということもあるのだろうか。根が垂れているのが、宝を生み出す木に宝があるのに影響しているとか、そういうことは考えられないだろうか。でも、あの木は何となくだが神秘的な感じがした。寺にある木だと聞いたからだろうか・・・。
スライドで紹介したバニヤンの木はたしかにとても大きな印象的な木でした。この木はインドでもたくさん見られ、寺院だけではなく町中のいたるところにあります。はじめて見たときは、枝から根が垂れ下がるという姿が、とても異様に感じられました。樹木の持つ生命力があふれ出ているような感じで、豊穣多産や繁殖力がそのまま形をとっているようです。樹木に対する信仰はインドでは古くからあり、樹神である女神(ヤクシーなどと呼ばれます)は、サーンチーやバールフットなどの初期の仏教美術の主役のひとつです。現在でも大きな木には根元の近くに祭壇が設けられ、神々を祀ることがしばしば見られます。浮彫に見られた如意樹は、望むものを何でももたらしてくれる魔法の木で、木の実のかわりにさまざまな宝を実らせています。このようなイメージは、たしかに実際の樹木の持つ豊饒のイメージに由来します。
装飾のアイディアとはいえ、建築でマンダラを表現しようとする発想と心意気はすごいものだと思う。日本人だと、上から見た図を見ないとマンダラであると気づくことはほぼ不可能だと思うが、インドネシアの人は建物のみを見てもマンダラ的だと考えるのだろうか。
ネパールやチベットの場合でも同様ですが、マンダラ的な構造を持つ寺院を一般の信者が参拝しても、それがマンダラ的であると感じることはおそらくないと思います。あくまでも、全体を鳥瞰する視点をもって建造物の構造を把握できるような者のみが、マンダラを意識することが可能でしょう。チャンディ・ムンドゥのような小規模な寺院であっても、八大菩薩がマンダラと関係すると思って参拝する人はいないと思います。ましてや、ボロブドゥールのような巨大で複雑なプランを持つ建造物は、ほとんど常人の理解を超えていたでしょう。ひとつひとつの浮彫の物語を鑑賞できても、それが全体でどのように配列されているかは、ほとんど把握できません。実際、昨年ここを訪れた私の印象でも同様です。回廊を回っているうちに、いったい自分が第何層のどの方角にいるのかわからなくなりましたし、同じところを何度も回ったり、飛ばしてしまったりしました。
門番の像というと、狛犬の他に金剛力士像(東大寺南大門)が思い浮かぶ。これらの門番像はいずれも阿形、吽形をしているが、それはなぜか。また、阿形、吽形は仏教が起源なのか。だとすると、神社にある狛犬まで阿吽の表情をしているの神仏習合と関係があるのだろうか。
たしかに金剛力士像の方がイメージとしては近いでしょうね。インドでは石窟の入口などに守門神といって、若い男性像が置かれたりします。金剛力士の源流となる像ですが、必ずしも屈強な力士の姿ではなく、武人風の男性像です。インドネシアの門番の像も、このインドの守門神の影響を受けていると思いますが、恰幅のいい姿は、やはりインドの寺院の入口にしばしば見られる財宝神とも関係があるのではないかと思います。狛犬が阿吽の表情をしているのは、おそらく仏教と関係があると思いますし、神仏習合もその背景にありそうですが、くわしいことは知りません。一度、調べてみて下さい。ちなみに阿吽はサンスクリットのはじめと最後のaとha オから来ているともいわれますし、聖なる音である「オーム」(o オ)をふたつに分解したともいわれます。
ボロブドゥールは寺院なんですよね。それ自体が信仰対象であったのではないでしょうか。
仏教の建造物という意味では寺院なのですが、日本のお寺とは違い、インドのストゥーパの発展したものでしょう。ストゥーパは仏塔と訳されることがありますが、日本の五重塔などとは違い、半球形に土を盛り上げて作り、周囲に装飾を施します(初期のストゥーパは仏塔そのものには装飾はほとんどなく、欄楯と呼ばれる周囲の石の柵や門に装飾があります)。もちろんストゥーパの中には入れませんし、登ることも許されなかったでしょう。ストゥーパの中には舎利、つまり釈迦の遺骨が納められています。このような形態はボロブドゥールでも受け継がれていますが、全体をくまなく装飾することや、回廊と階段で参拝者が中央にまで上ることができる点などは違います。もともとインドのストゥーパは宇宙論的な意味を持った建造物でしたが、ボロブドゥールでも欲界、色界、無色界という3つの世界を、説話のパネルや仏像で構造的に示すことで、さらにそれを明確にしています。
ボロブドゥールの回廊において、なぜいきなり釈迦の話から善財童子に話題が移るのかわかりませんでした。
ボロブドゥールの構造については、ひきつづき今回もお話しする予定ですが、釈迦も善財童子も仏教徒にとっての理想像であり、彼らの模範であったからでしょう。釈迦の生涯や、釈迦が菩薩として修行を重ねてきた前世の物語(ジャータカ)は、単なる物語なのではなく、仏教徒が見習うべきモデルだったのです。初期の仏教ではこのようなモデルは釈迦のみでしたが、大乗仏教の時代には釈迦も無数の仏たちの中のひとりという位置づけとなり、釈迦と同じように修行を積む菩薩たちも数多く存在すると考えられるようになりました。その代表的な菩薩が善財童子で、文殊や普賢などの名だたる先輩の菩薩に教えを請い、求道の旅を続けます。善財童子のこの物語は、初期の大乗経典である『華厳経』にある「入法界品」という章で説かれます。入法界とは法界、すなわち仏の世界に善財童子が最終的に入ることを意味します。結局、ボロブドゥールの構造は、伝統的な仏教徒の理想像である釈迦の物語からはじまり、大乗仏教の善財童子を経て、法界である仏の世界へといたるというプロセスということになります。そして、説話の浮彫がなく、仏像のみが安置される上部の円壇が、この仏の世界です。
お堂のひとつひとつが1階しかないにもかかわらず、背の高い建築になっていますが、何か宗教的な意味があることなのですか。
すべてがそうではありませんが、一般に寺院建築は通常の建物よりも背の高いことが多いようです。神や仏の家にふさわしく、堂々とした姿が求められたのでしょうが、さらに内部を見ると、天井がドーム状になっていることがしばしばあります。このようなドーム天井は天空を表し、宇宙が建造物内部に再現されることになります。寺院の主人である神(あるいは仏)は、この宇宙に君臨する存在です。常識的に考えても、威圧的というか、権威的な建造物を作る場合、背を高くするのは最も簡単な方法でしょう。ちなみに、ニューヨークの世界貿易センタービルの跡地に「世界一背の高いビル」を作ることを、今日のニュースが伝えていました。
日本に有名な善財童子の像があると何かで読んだのですが、どこのお寺にあるかご存じですか。
文殊の従者のひとりとして、しばしば善財童子が登場します。日本の文殊像の中で、五台山文殊と呼ばれる形式のものは、四人の従者を伴い、そのひとりが善財童子です。求道の少年にふさわしい姿で表現されますが、もともとこのようなイメージは、文殊そのものも持っていて、その分身のようなものでしょう。『華厳経』の「入法界品」でも、はじめに求道の旅をするよう指示するのは文殊です。五台山文殊のイメージは中国で成立したものですが、善財童子を脇侍とする文殊像は、インドにもあります。また、この他に絵画ですが、『華厳経』の「入法界品」のさまざまな情景を描いた説話図もあります。